第三章11 『大きくなった』
「木よぉぉぉぉ……」
「……」
「伸びっっ…………」
リーフェンは両腕を上げたまま硬直する。
「……」
「……」
メルブレンの西側に位置する公園は、その中心街から離れた立地ゆえか人気もまばらだった。
たまにリーフェンの奇行を怪訝に思った通行人が立ち止まるものの、それらはベンチに腰掛けた二本角の少女が放つ剣呑なオーラに気圧されてしまい、そそくさとその場から退散していく。
「伸びっっっ…………」
「……」
「……っろぉぉぉぉぉ」
しかし、これと言った変化はない。
そんな様子を興味なさげに眺めていたキエリは、いよいよ率直な疑問をぶつけてみることにした。
「なにしてるんですか」
「木を伸ばしてるの!」
「……なぜ?」
「魔法大会の準備!」
リーフェンは足元の芽を中心にぐるぐると歩き回りながら、謎の雨乞いのような動きを再開する。
魔法大会でやる演目にはどうしても「大きな木」が必要なので、その木を育てることから始めているらしい。
魔法大会まではあと四日。それまでに芽から大木を作ろうなんて、魔法があってもどだい無理な話だ。と、キエリは思った。
木は「生き物」であって、厳密に言えば「モノ」ではない。
通常の魔法とは扱い方も難易度も桁違いなのだ。そんなに伸びろ伸びろと言われたところで、木にしてみれば「ムチャ言うなよ」というのが本音だろう。
「木よ伸びろ〜。伸びろ〜!」
しかし、リーフェンなら本当にやりかねないのが末恐ろしいところだ。
からっとした冷たい風が吹き抜けて、キエリの絹糸のような黒髪をなびかせる。
「……はぁ」
リーフェンの前向きさがうらやましい。そんなため息が口からこぼれ出ていた。
彼女が物憂げに見つめる先には、行き場を失った例の「プレゼント」。
最初は丁寧にラッピングされていたのに、それもナカムラを探して持ち歩くうちに、ひどく乱れてグシャグシャになってしまった。
これではせっかく準備したものも台無しだ。こんな時にいなくなるなんて、ナカムラは本当にどうしようもない。野良犬にでも噛み殺されてしまえばいいのに。
キエリの不機嫌は強まる一方だった。
そんな心境を察したのか、リーフェンは木を育てる儀式を続けながら彼女に声をかける。
「ところで、ナカムラは見つかった?」
「……私はこんなに天気のいい昼間から、特に何もせずあなたをボーッと眺めているわけですが、それでなんとなくわかりませんか?」
「ごめん。ぜんぜんわからない」
「お手上げということです。お手上げ〜」
キエリは両手を上げながらヘニョヘニョと崩れ落ちる。
かなり重症だ。なんだかんだ言ってキエリもナカムラが大好きなんだなと、リーフェンは思わず苦笑した。
「ラメドとテキーラも行方不明です……」
「それは心配だねえ」
「三日探しました。三日。
ちょっとした知り合いができるぐらいには聞き込みしましたし、もう街の地図が描けるぐらいにはウロウロしました」
「すごい。お疲れ様だ」
「紅龍王様を探すために旅をしているのに、今ではナカムラを探す毎日です……私には人探しの才能がありません」
「そんなことないと思うよ」
「……リーフェン」
キエリがムッとした表情で起き上がる。
「あなた、他人事だと思ってますね」
「え?」
「さっきから返事が投げやりです」
「ち、ちがうよ! ちょっと集中してたから……」
「仲間が心配じゃないんですか!」
キエリの怒りに、リーフェンは手を止めて考えこむ。
「……それは、そうかも。あんまり心配してない」
ややあって出されたのは意外な返答だった。
いつになく肝が据わったリーフェンの態度に、キエリは目を丸くしてたじろぐ。
「ナカムラなら大丈夫だよ。きっと、そのうち帰ってくる」
「……その根拠は?」
「こ、根拠って言われると難しいけど……なんとなくそう思うんだ。
だって、ナカムラは僕たちを何度も助けてくれたでしょ? だから、ナカムラなら絶対になんとかできるよ。そして必ず帰ってくる」
にっこりと笑うリーフェン。
その自信はどこから出てくるのだろうか。この世に「必ず」は存在しないし、それが「今までそうだったから、次もそうなる」などという根拠に欠けた経験則ならなおさらだ。
老婆心が働いたキエリは、深く息を吸いこんだ。
「私も、初めは紅龍王様と死ぬまで一緒にいられると思っていました。
紅龍王様がいなくなった時、何度も思い出の場所を巡ったものです。いるわけないと分かっているのに、どうしてもそこに帰って来てるんじゃないかと期待して……その度に落胆を繰り返してきました」
キエリは遠い過去の自分を見つめる。
受け入れ難い事実。現実と期待の衝突。全てがまぶたの裏側にまで染みついた、彼女の歴史そのものだった。
「別れは突然やってきます」
「……」
「あるわけないと期待していると、それだけ裏切られた時の絶望も大きくなるものですよ。リーフェン」
そう言い終えてから、キエリはまたラッピングされたスーツを何の気なしに見つめて、そこについたシワを引っ張ったり撫でたりして直そうとした。
一度ついたシワが元に戻ることはない。その行為に大した意味や目的はなかった。
ただ手持ち無沙汰と、この少し気まずい沈黙を解消したかっただけ。
「僕は、それが絶望だと思うけどな」
「……?」
折を見て出されたリーフェンの一言に、キエリは「どういう意味ですか?」と首を傾げる。
「絶望っていうのは、希望を失うことでしょ?」
「そうですね」
「だったら期待するのを諦めることが、一番の絶望なんじゃないかな」
今度はキエリが考えこむ番だった。
考えて考えて、結局反論の言葉が一つも見つからなかった彼女は、最後に負けを認めるかのようにスーツを小脇に抱えて立ち上がる。
「……ナカムラを探してきます」
「手伝おっか?」
「大丈夫です。一つ、あてがあるのを思い出しましたから」
彼女は「夕方には戻ります」と言い残すと、それから早足でその場を去っていった。
その背中を見送ったリーフェンは満足げに頷く。
「……よし。僕もがんばろっと!」
よく分からないけど、たぶん伝わった。
キエリは頭がいい。自分の何でもない一言から、いつも重要な意味を見つけ出してくれる。
だからキエリもきっと大丈夫。自分は自分の役目を頑張ろう……
「見ない間に、ずいぶん言うようになったじゃないか。リーフェン?」
聞き慣れた声。
「ッ――!」
「おっと」
反射的に振り返り戦闘体制に入ろうとするリーフェン。しかし肩を押され二、三歩後退する。
それでも崩された姿勢をすぐさま立て直し、彼は流麗な動作で弓を構えて引きしぼる。
「兄さん……!」
「いきなり矢を向けられるとは、私も嫌われたものだ」
「当たり前だよ! 姉さんやナカムラにしたこと、忘れたわけじゃないから」
ミストは感心したような笑みで「ほう」と息を吐く。
「驚いたな。私が怖くないのか?」
「……ぜんぜん」
「ぜんぜん、か。ふふっ。なるほど」
それが本心から出た言葉か、あるいはただの挑発かはわからない。リーフェンの弓からギリと鈍い音が鳴る。
それを受けて、ミストは両手を左右に広げた。
「そう構えるな。復讐はしばらくお休みだ」
「そんなの信用できない」
「頼むよリーフェン。話だけでも聞いてくれないか? だいたい、私に殺す意思があったら、お前はあの村で戦った時点で死んでいた」
「……」
リーフェンは少し考えた後、ゆっくりと弓を下ろした。
「……わかった。話だけ聞く」
そう言いつつも弓から手は離さなかったが、ミストは「それでいい」と微笑みながら頷いた。
「早速だが、ローラーには会ったか?」
「僕は会ってない……でも、話なら聞いた」
「どんな?」
「どういうことかわからないけど、怪物に変えられたとか何とかって」
「もっと詳しく言うと、ローラーは災厄の転生者に敗北し、その眷属にされたんだ」
「……眷属?」
「災厄の能力は精神攻撃だ。人を怪物にするのはその一部に過ぎない。
奴は人の心を破壊し、それを歪んだ形に再構築することで他者を支配できる。私もよくわからんが……奴自身がそう説明していた。ローラーに聖水を飲ませながらな」
ミストはそこで言葉を切る。
当時のことを思い出しているようだ。彼の顔からはいつもの微笑が消えて、怒りや不快感を噛み潰すような表情へと変わっていた。
「初めて……心から他人を恐ろしいと感じた」
「……」
「お前を臆病者だと笑った私が、壊されていくローラーを前に、ただ隠れることしかできなかったんだ。好きに笑ってくれ。お前にはその権利がある」
リーフェンの首が左右に揺れる。
ミストはそれにふっと微笑んだ後、彼の足元に生えていた芽を思わしげに見つめた。
「ローラーは、罪と向き合う覚悟を決めていた。なのに災厄はそれを台無しにした」
「これからだったんだね」
「ああ。……私が今、気まぐれでその芽を踏みつけたとしたら、お前はどう感じる?」
「すっごく怒る」
「おそらく、今の私も同じ気持ちを抱いているのだろう」
そう言ってリーフェンの方を見てから、ミストはやや自嘲気味に肩をすくめる。
「意外だろ?」
「うん」
「ふっ、正直だな。しかし私も同意見だ」
「兄さんは、ローラーを助けたいんだね」
「そういうことだ。そして、できればお前にも協力してほしい」
リーフェンは嬉しいような、少しむず痒いような、不思議な感覚に襲われてしまう。
リーフェンにとって兄は天の上の存在で、そんな彼から頼られたことは素直に嬉しかった。
認められたことも、かつての家族のような歩み寄りを見せてくれたことも、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
しかし、だからと手放しに信用していいものか、という不安もあった。
「こういうことを言えばリーフェンは喜ぶ」というのをミストが熟知していて、その上でこちらをいいように使おうとしている可能性も捨てきれない。
ミストはそれを平気で実行できる人間だ。警戒せずにはいられなかった。
「これは、お前にとっても利益があることだぞ」
そんな彼の心を読んだのか、ミストがさらなる追い討ちをかける。
「災厄の次の狙いは、どうやらお前の大好きな転生者らしいからな。
人間爆弾、とか言ったか? ともかく災厄は着々と動いていて、何もしなければ全てが奴の思い通りになってしまう」
「うん……わかってるけどさ」
「お願いだ、リーフェン。兄さんを助けてくれ」
「う……!」
「お前しか頼れる相手がいないんだ」
「うぐっ!」
「この通りだ」
「わかった! わかったってば!」
ミストがとうとう地面に膝をつき始めたので、リーフェンは慌てて彼を抱き起こす。
「許したわけじゃないけど、それでも僕の兄さんだし……多少のお願いだったら、いいよ」
「そうか。ありがとう」
ケロッとした表情で立ち上がるミストに、リーフェンの警戒心がまた復活する。
「……ほんとに反省してる?」
「私は『反省している』などとは一言も言ってない。ともかく約束は約束だ。快く引き受けてくれて兄さんは嬉しいよ」
いいようにやられた。
リーフェンの喉からは恨みのこもった唸り声が響くが、ミストはそれをすっかり無視して遠くの方を指さす。
「では、私が戻るまで、あの袋を見張っておいてくれ」
「なにが入っ……」
「質問はするな。あと絶対に開けるな」
「……わかった」
リーフェンは観念した様子でうなだれる。
約束を持ち出されてしまっては仕方がない。やはり自分は、どこまでいっても兄に敵わないのだろう。
「はぁ……」
そんなリーフェンのため息が聞こえたのか、ミストは去ろうとしていた足をおもむろに止めて振り返る。
「どうした?」
「……べつに」
「当ててやろう。また私に負けて悔しいんだな」
「違うもん。ぜんぜん違う」
「ぜんぜん、か」
リーフェンの拗ね方に懐かしいものを感じたのか、ミストはいつになく柔らかい笑みを浮かべた。
そして少し言い淀んだ後、ゆっくりと口を開ける。
「……お前は、しっかり大きくなっている」
「……」
「お前もローラーも、見ていて飽きないやつだ。少し待つだけで見違えたように成長する。だから、つい助けたくなってしまう」
リーフェンはそれに「あっそ」と返して話を終わらせようとしたが、途中で考え直し、やはり別の質問を言うことにした。
「兄さんは、どうやってローラーを助けるの?」
「災厄に折られた心を修復する、私なりの方法でな。そうすればあいつも元に戻るはずだ」
「……できるのかな、そんなこと」
「できるに決まっている」
ミストはリーフェンに自分のナイフを投げ渡す。
「希望を諦めるのが絶望、だろ?」




