第三章10 『プレゼント』
ふと、どこか懐かしい気配を感じた。
ロッキングチェアから体を起こし、キエリはおもむろに周囲を確認する。
「……?」
が、店内には自分の他に誰もいない。
たしかに今、何かを感じた。反射的に起き上がった体が何よりの証拠だ。単なる気のせいだとは思えなかった。
しかしふと湧き上がっただけの感覚は、覚めたあとの夢のように曖昧だった。時間と共にみるみる薄れて消えていく。
キエリはしばらく辺りを見回していたが、やがて小さくため息を吐き、背もたれに深く体を沈めこんだ。
……遅い。
もう何十分とここで待たされている。
外はどしゃ降りの雨模様だ。物静かな店内にはガラス窓を打ちつける雨音だけが響き、それがキエリをことさらに浮き足立たさせた。
外で待たせていたナカムラがどうも心配だった。胸騒ぎだろうか。あるいは、雨に打たれてはいまいかという不安がそうさせるのか。ともかく彼女は「こんなことなら、彼も中に入れるべきだった」と人知れず後悔していた。
「やー、すまんすまん」
そんな折、髭面の壮年男性が、あっけらかんとした様子で現れる。
「やっと来ましたか」
「店番ご苦労。助かったぜ」
「ここまでかかるなら先に言ってください」
「大きい方だって言ったろ? おじさんぐらいになってくると、ちょっとしたトイレでも大戦争なのさ」
店主の男性はやや品のないジョークでキエリの嫌味を受け流す。
長年の付き合いがあるのだろう。彼の態度は適当ながらも、どこかキエリの扱いを心得ているようだった。
「……で、なんの用だっけ?」
「頼んでいた品を受け取りに来たんですよ。ついにボケましたか」
「ジョークだよ、ジョーク! ったく……小せえ頃から切れ味がちっとも変わらねえな、お嬢ちゃんは」
「お嬢ちゃん」とは昔懐かしい呼び名だ。
もうそんな年頃ではないとムッとするキエリだが、男性はその鋭い視線をかわすようにカウンターの下へ身を屈めた。
流したり、かわしたり。
やり口が昔から何も変わっていない。それこそ、キエリが子供だった頃から。
男の名前はヴァルザーグ。キエリのかつての師であり、親代わりでもあった紅龍だ。年齢を理由に第一線から退いた彼は、仕立て屋の店主として穏やかな隠居生活を送っていた。
「けったいな注文しやがって……仕立てるのにすげえ苦労したぜ」
「しっかりサイズを送ったじゃないですか」
「お前さんの服やリュックとはワケが違うんだよ」
そんな憎まれ口を叩きつつも、彼の声色はやりがいに満ちていた。さすがは熟練の仕立て屋。常に熱を発する紅龍の衣服には「特別な加工」が必要になるが、その技術は限られた一部の紅龍しか持っていない。
ヴァルザーグは例の品をカウンターに置く。
「生地はウールにカシミヤ混、オーソドックスなシングルツーピース、作るのが面倒だったからノーネクタイだ。おじさんにはこれが精一杯だった」
「十分ですよ。相変わらず見事な仕立てですね、ヴァルザーグ」
「そいつはどうも。ただ、紅龍の名前はもう捨てたんだ。角も折っちまったしな。今は仕立て屋のトムおじさんさ」
彼は白髪の目立つ頭をポリポリとかく。
龍が素性を隠して生きるには、角を折って人間社会に溶けこむしか方法がない。
しかし角は龍の誇りだ。人と龍を区別するための象徴であり、そして力の根源でもある。
それを折るというのは、龍としては死んだも同然だった。「トムおじさん」と名乗る彼からは、そんな自身に対する負い目のようなものがうっすらと感じられた。
「では……ありがとうございます、トム」
そこらの紅龍なら彼を「臆病者」となじっていただろう。
しかし、キエリは違う。種の誇りや信念が全てではないと知っていた。
だから彼女はかつての師であるヴァルザーグ、そして今はトムと名乗る彼を、ふわりとした笑みで受け入れた。
店主はそんな彼女に少し驚いたような表情を浮かべた後、それからふっと微笑んで注文の品をラッピングし始める。
「……大きくなったな、クィリェリ」
「もうお嬢ちゃんではありませんよ」
「そうだな。おじさんは寂しいような、誇らしいような、不思議な気持ちだよ。お前さんは娘みたいなものだった」
そう呟いてから、彼は一瞬手を止める。
「こいつは聞こうかどうか迷ってたんだが……転生者の友達ができたのかい?」
「……どうして、そう思ったんですか?」
「スーツを着る人間なんて、この世界じゃ転生者ぐらいだ。サイズもお前さんとは違う。プレゼント用だろ?」
スーツは転生者の戦闘服であり、そして迷彩でもある。
認知歪曲の転生者、ミカエル・ヴェール。
彼女が世界に与えたいくつかの認知歪曲は、その死後も残り続けた。
そのうちの一つがスーツだ。この世界のスーツに対する認識は歪められており、人々はその服装に違和感を持つことがない。
「まったく……探り屋は嫌われますよ」
「お前さんは他人に贈り物なんて滅多にしない子だから、どうにも気になっちまったのさ。よほどその男が気に入ったようだな」
「どうして男ということまで⁉︎」
「サイズでわかる」
店主の男性はうろたえるキエリを微笑ましげに見つめてから、また一瞬の間をあけて口を開いた。
「ま、とやかく言うつもりはねえよ。転生者嫌いの紅龍はいまだに多いが、おじさんは紅龍王様のお考えを尊重してる。
強いて言うなら、お前さんみたいなキレイな子に選ばれたそいつが、ちいっとばかし羨ましいってぐらいさ」
店主はニヤリとキエリを見つめる。
彼女の不服そうな表情が面白くてたまらない、といった様子だ。
だからナカムラを連れていきたくなかったのだ。妙な勘ぐりをされて、からかわれるのは目に見えていた。
「何か勘違いをしていますね、トム」
「違うのかい? 自分の髪を編みこんだ服をプレゼントなんて、こんなん愛情以外の何物でも……」
「わー! わー! 改めて言わないでください! その時はそこまで考えてなかったんです!」
「その時、はな」
「くっ……! もういいです! この変態オヤジ!」
キエリはひったくるようにラッピングされたスーツを抱えると、そのままバラっとヘソクリの金貨一枚をカウンターに投げた。
が、店主はそれを空中でキャッチし、流れるような動作でキエリに投げ返す。
「金ならいらねえよ」
「ダメです」
「お前さんは紅龍のために頑張ってるんだ。元紅龍として、それぐらいの協力はさせてくれよ」
キエリがまた金貨を投げる。店主はそれをまったく同じ動作で投げ返す。
それを二度、三度。金貨が二人の間を弾丸のような速度で往復した。
らちがあかない。キエリはこういう場面でとにかく頑固なタイプだったが、彼はその上をいく頑固者だった。
「ガキンチョが遠慮するんじゃねえ。いいから受け取っとけ」
五度目のキャッチボールならぬキャッチコイン。店主の投げた金貨がキエリの鼻頭に直撃し、それで決着がついた。
キエリは恨めしげに鼻をさすりながら金貨を財布に戻す。
「……次こそ、払いますから」
「その時は彼氏も連れてこいよ。変な男だったら消し炭にしてやる」
「そんなんじゃないですって!」
「そうかそうか。あ、キスの時は角に気ぃつけろよ? 彼氏の顔面に当たったりしたらサイアクだからな!」
「うっさい! 死ね! スケベオヤジ!」
キエリの罵詈雑言はまたしても笑いでかき消されてしまう。店主は乱暴に扉を開くキエリにのんびりと手を振った。
「はっはっは。とにかく元気でなー」
「ふん。あなたもせいぜい隠居生活を楽しむことです!」
まったく、恋だの愛だのバカバカしい。
あえて大きな音を立てて扉を閉めてから、キエリは店のひさしから落ちる雨粒をなんとなく見つめた。
スーツはあくまで約束の品だ。エルフ村で彼に「服をやる」と言ったから、その約束を果たすために用意しただけ。決してプレゼントなどではない。
まあ……確かに彼のことは好きだ。
『仕方ねえな』
そう言って、いつも呆れ顔で許してくれる彼が好きだ。
『キエリを、助ける!』
いつもは冷静なのに、そういう時だけは熱血な彼が好きだ。
あの、大きい手が好きだ。何かに触れる時、それを壊さないかと躊躇する。そんな優しさを帯びている、彼の手が好きだ。
目が好きだ。疲れて、どこか悲しんでいるようにも見えるのに、それを包み隠して笑みをこぼすかのような、目。その奥を知りたくなる。その深淵に吸い込まれそうになる……
いや、違う!
これは恋ではない。私に必要なのは紅龍王様だけで、彼はただの仲間だ。全て理解している。なのに、気づけば思考が恋に舵を切っている。
これではまるで、本当に……
「あ、キエリだ」
「こんなところで会うなんて奇遇にゃー」
一人悶々としていたキエリの考えは、どこからともなく現れた二人の声によってかき消される。
リーフェンとコニーだ。彼らは目を丸くするキエリと、それから「トムの仕立て屋さん」と書かれた看板を交互に見つめていた。
「……またエッチな服でも探してたにゃ?」
「違います。見ていただけです。そもそもこれはエッチな服などではなく、龍の力を高めるための立派な……」
「ねえねえ! そんなことより聞いて!」
キエリの長い講釈が始まりそうになったので、リーフェンが割り込むように彼女の前へと躍り出る。
「ジャジャーン!」
その手には、金貨が大量に入った皮袋。
両手いっぱいに抱えても溢れんばかりの大きさだ。キエリは感嘆を通り越して、突如現れた大金を前に思わず引いてしまう。
「な、なんですか、コレ……」
「カジノで大勝ちしたんだ! それで金貨がたくさん!」
「全部で20枚にゃー! リーフェンの爆運の勝利にゃ!」
リーフェンの秘策というのは、やはりカジノのことだったらしい。
なんとなく予想はしていたが、まさか本当にここまで稼ぐとは思わなかった。驚き半分、疑い半分のキエリに、リーフェンはこれ以上ないぐらい自慢げにふんぞり返る。
「僕って生まれつき運がいいんだよね。途中でイカサマを疑われちゃって、20枚が限界だったんだけど……でもすごいでしょ!」
「ええ……すごいです。すごい」
「コニーたちは、これを自警団さんに持っていくところにゃ」
「でも、罰金は金貨40枚でしたよね?」
「半分だけ渡して、期限を来週まで延ばしてもらえないか交渉するんだ。来週にはあと20枚も用意できるはずだから」
半分に減ったとはいえ、金貨20枚も大金であることに変わりはない。
いったいどうやって稼ぐつもりなのかと首を傾げるキエリ。その反応に気づいたリーフェンは、これまた自慢げに後ろの老人を指差した。
その老人は待ってましたとばかりに雨除けの外套を脱ぎ捨てると、飛びかかるかのようにキエリへと接近し、その興奮気味な瞳を彼女にこれでもかと近づける。
「おお……! 君が紅龍の少女かね! こんなに近くで見られるとは感激だ!」
「……どなたですか? あと近いです。離れてください」
「おっと、これは失礼!
私は紅龍学者のスカーレットだ。 魔法究明院の研究者で、魔法大会の主催もしている。どうぞよろしく偉大なる紅龍様」
「はあ……」
早口で告げられる自己紹介は半分以上が聞き取れなかったが、ともかく彼が魔法大会の主催をしていることだけはわかった。
「それで、このテンションが高いご老人と、お金を稼ぐことに何の関係が?」
「うむ。よくぞ聞いてくれた偉大なる紅龍様よ」
「それやめてください」
「魔法大会では毎年紅龍チームと蒼龍チームに別れて魔法の技術を競い合っているんだが、今年はメンバーが足りなくて困ってたんだ。
なのでその我らが紅龍チームに、この二人も加わってもらうことにした!」
「優勝したら金貨30枚だよ!」
「コニーとリーフェンなら、優勝間違いナシにゃ!」
金貨30枚。罰金を払ったとしても余るほどの額だ。喉から手が出るほど欲しいのは事実だし、この二人なら優勝するのは確実だろう。
しかし、どうも話がうまく進みすぎていて釈然としない。
今まで自分たちが、なんのトラブルもなしに物事を解決できた試しがないからだ。それはキエリの経験則が物語っていた。
絶対何かある。自分が気づいていない、トラブルの種が。あるいはもう既にトラブルが起こっているかもしれない。
キエリは警戒せずにはいられなかった。
「そもそも、どういった経緯でこの方と知り合ったんですか?」
「それはだな、私が紅龍様の偉大さについての考察を深めていたところに、何やら素晴らしい魔法の匂いを感じて……」
「待つにゃ。この話は長いから、ナカ……あの人にも聞いてもらった方がいいにゃ」
コニーが危うく「ナカムラ」と言いかけたのを聞き、ようやくキエリも彼のことを思い出す。
「ああ、そうですね。彼ならおそらくこの辺りにい……」
向かいの店先。街路樹の下。彼女は雨宿りできそうな場所を一通り見回した。
そして、気づく。
「……いない!」
「えっ」
「ナカムラがいなくなりました!」




