再会1
変わったと言ったり変わってないと言ったり、カナスの言いたいことが良く分からない。
戸惑っていると、思いのほか真剣な声が続く。
「自分なりの“意見”を持てるようになった。出会った頃のお前は、何も望まなかった。言われたことしかできなかった。それが少しずつ、考えるようになった。自分がしたいことをするようになった。それってすげえことだと思わねえか?」
「それは・・・カナス様のおかげ。全部、カナス様が教えてくださったこと、だから」
嘘偽りのない感謝の気持ちをこめて、シェーナは答えた。
すると、頭に乗っているカナスの手に力がこもる。
「気付いてるか?お前は今日、自分だけで考えて行動したんだぞ。フィルカの人間に対して、あんなにも恐れてるくせに、それでも自分の正しいと思ったことを実行した。お前は、そこまで変わっていた」
言われて見れば確かにそうだった。
かつてのシェーナであれば、決して自分から近付こうとは思わなかったはず。
フィルカに対しては恐怖心しかなく、絶対に言われたことしか許されないと思っていたのに、その不文律を無視して、動いてしまっていた。
「なぁ・・・・・シェーナ」
また呼び掛けが降ってきた
。何度も繰り返すのはもしかしたらためらっていることがあるからかもしれない。
その予想は当たっていた。
「本当は黙っておこうと思っていた。けどな、お前が今日あの男を助けたいと願い行動をし、そして俺に約束をしてくれた以上、黙っているのは公平じゃないと思った。だから、言う」
「はい」
否が応でも緊張が高まった。シェーナは、身を硬くして次の言葉を待つ。
「俺は、お前がちゃんと自分の気持ちを言ってくれると信じている。無理だと思うなら、ちゃんとそう言え」
「はい…、うん、約束する」
言葉をカナスが望む形に言い換え、じっとカナスを真っ直ぐに見つめる。ぎゅっとカナスが強く肩を抱きなおした。
「・・・10日後、フィルカの王がここに来る」
その告知に、びくっとシェーナは全身を震わせた。
唇がわななく。我知らず瞳が涙をたたえた。
それをなだめるように、カナスが背中を撫でてくれる。大丈夫だという代わりに、全てを包んでくれる。
「正式な書状が届くにはまだ数日あるだろうが、先報によれば、彼の方もまた、お前の列席を望むそうだ。考えることは、どうやら王太子と同じようだな」
「・・・・・ぁ・・・・」
「シェーナ、俺はフィルカをこのままにしておくわけにはいかない。王の態度を見極め、それなりの処断をするつもりだ。我が国の妃のため、ひいては我が国のため、これは必要な過程だ。お前にはつらいことかもしれないが」
カナスははっきりとした口調で告げた。
何を言っても揺らがない、強い決意なのだと良く分かった。
「できればお前に見せたいものじゃない。今回のように、お前が傷つき、利用されることも避けたい。というか、そうでは困る。だが、お前の国のことだ。そして、お前自身に関わることだ。だから、その日までにどうしたいか決めてくれ」
恐れてきた父と向き合う勇気があるか。
フィルカの未来をカナスに全て委ねるとするのか。
それを考えろ、と言われているのだ。
自分には無理だと思うのならば、シェーナはちゃんと言ってくれると信じて、彼は選択をする機会を与えてくれた。
とても大切な決断―――シェーナは息を詰めながら、じっと自分の心に問いかけた。
◇◇
謁見の間。そこはかつてシェーナが跪いた場所だった。
すべてを金と紅で飾り立て、目がくらむような、だが下卑た印象すら与えていたその場所は、随分とすっきりとしていた。
玉座へ続く絨毯は上質なワインのような深い赤に変わり、低く幅の広い5段の階段の一段一段に置かれていた金の置物は全て取り払われ、代わりに段それ自体に、彫って金を流し込んだ模様が施されている(実は階段の白理石にヒビが入りかけたところをごまかすため、模様を入れて金を流したのであるが)。
玉座は相変わらず宝石をちりばめた金の豪華なものだったが(これは、代々の王に継がれているものだ)、座りながらちょうど手が届く高さのテーブルは総金ではなく、滑らかな白磁のような石造りのものだった。
金銭価値としてはだいぶ劣るかもしれないが、それでも丁寧に装飾の施されたものはこの場に決して見劣りするものではなかった。
テーブルの上には水差しが一つ置かれているだけで、金の器や台にワインや果物を好きなだけ並べながら対面をしていた前王の享楽ぶりはどこにも伺われなかった。
必要があれば、書類を積むことに使うのだと、シェーナは後で知った。
ちらりと視線を向ければ、カナスは何か考え込んだ様子で頬杖をついている。
その憂いたような、真剣な表情を見ていると、シェーナは自分がここにいて本当によかったのかという不安に駆られる。けれど、これはずっと考えて、自分で選んだ道だった。
父がどのような話をするのか、カナスがどのような決断をするのか、それを自分の目で見ていたかった。
通るとは思えないが、ほんの少しでも自分の意見を聞いてもらえる機会があればいいと思った。
恐ろしくて堪えられなくなったら、すぐに言うこと。
一人でパニックになり、頷かないこと。
それを約束して、カナスに列席の許可をもらったのだった。
本来であればまだ婚礼をしていない以上、席につくことは許されないはずだが、カナスはなんのためらいもなくシェーナを王妃の席に座らせた。
どうせお前しか座らないだろ、と笑って。
身分のない双子はシェーナの後ろについていることはできないが、隠し扉の向こうに控えていてくれている。
その上、シェーナの後ろには伯爵の位も持つ近衛長官のラビネが立っていてくれているのだ。
こっそりと彼は「絶対に無理はなさらないでください。シェーナ様がお倒れになられるのを支えることになれば、私はあとで、カナス様に睨まれて職を失うことになりますから」と冗談めかしながら、シェーナを気遣ってくれた。
何といってもシェーナ様に指一本でも触れるとクビとよく言われますからね、と。
こんな風にカナスをからかえるのは、ラビネくらいのものである。
だが、シェーナはくすっと小さく笑ってしまった。いつもの日常を思い出したからかもしれない。
その笑い声を聞きとがめたカナスに睨まれたラビネが肩をすくめる。
それを見て、シェーナはますます笑みをこぼした。
(大丈夫)
シェーナの周りには温かい人たちがたくさんいる。何より、頼りになるカナスが、視線を送ってシェーナを常に気遣ってくれるから。
「フィルカ国王陛下、御着きです」
それでも兵がそれを告げに来たとき、シェーナは緊張に息を止めた。
すると、気がついたカナスが立ち上がってシェーナの頭を撫でる。
「約束、覚えてるな」
「はい」
「大丈夫だ。お前には何の不利益も残さない」
「・・・・はい」
「無理だけはするなよ」
また、はい、と頷きかけたシェーナの唇にふっと温かいものが触れる。
一瞬のことで、反応し切れなかったが、それがカナスの唇だと知ってシェーナは後から真っ赤になった。
「カ、カナ・・・さま・・・、こ、ここ・・・人・・・っ」
すぐ近くにラビネがいるばかりではなく、玉座の下の広間には、兵士はずらりとたくさん並んでいるし、紫の衣を着た文官も何人か隅の席に控えていた。
何より、ラビネが近衛長官に戻るに当たって代わりに宰相に選ばれた初老のマーロウ卿と、カナスと同世代の右左大臣バトラリ爵、クマラ爵が貴族席にいるのだ。
彼らは前王の時代からカナスの味方であり、シェーナのことも初期の頃から好意的に見てくれる人たちだった。
特に、自治区の反乱を収束してからは、クマラなど完全に心酔しきっていると言っても過言でない
(・・・ので、カナスからは結構嫌な顔をされている)。
そんな高貴な人たちの前でキスされるなど、恥ずかしいやら申し訳ないやらでシェーナはどうしたらいいのかわからない。
実際は、微笑ましげに目を細められただけだったし、兵たちは見てみぬふりだったが、それすらも羞恥で身が焼かれる気分になった。
それなのに、カナスはまったく気にもしていない。
まだ触れそうなほど近くで、にやっと笑っただけだった。
「これぐらいで恥ずかしがってたら、婚礼の式なんてできねえぞ。聴衆の前で誓いの口付けをするんだからな」
「ええぇっ?」
「ま、心の準備は今からしとけ」
ぽふっと頭までかぶったローブの上から天辺を撫で、カナスは玉座に戻った。
彼は兵と何かを会話を交わしていたが、シェーナの耳には入ってこない。
彼の言葉が衝撃的過ぎて、くるくると頭の中を回る。
しかし、そのおかげで準備が整うまでの時間を緊張と恐怖にさいなまれないで済んだ。
「ご列席の皆様、フィルカ国王リガード=ジン=ロワイセル陛下のお越しにございます」
金で縁取られた大きな扉がゆっくりと開き、どくんっと大きく心臓が鳴る。
扉の開く音が止むと、兵が一斉に敬礼をし、貴族、文官も立ち上がった。シェーナも慌ててそれに倣おうとしたが、ラビネに止められる。
「この先、カナス様のご指示がない限りは、何があってもこの場を動かないでください」
耳元でそっと教示された言葉に、シェーナはただ頷いた。
それでも、跪いてしか見たことがない自国の王を、高い位置から、それも座ったままという非礼で見るのはためらわれて、シェーナは顔を伏せた。
勿論、直視することが怖かったということもある。
「遠路はるばるご苦労、フィルカの王よ」
シェーナに向けたこともないひどく威圧感のこもった声音で、まずカナスが声をかけた。
一国の王に対面しているというのに、彼は玉座の背もたれに背を預けたまま、まったく礼をする気配もない。
シュンヌに会ったときよりも、最初から随分と横柄に見える態度だった。
フィルカは強く儀礼と伝統を重んじる。
彼の態度に、厳格を貫いてきたリガードが怒らないかシェーナは不安だった。
しかし、思いもかけぬことに、リガードはすぐに跪いたのである。
「お目にかかれて光栄に存じます、アキューラ国王カナス=フェーレ陛下」
そしてお決まりの、栄華を褒め称え、婚姻を祝う口上が続く。
驚きすぎて顔を上げたままになっているシェーナは、深々と頭を下げるリガードをおそらく生まれて初めてじっと見つめた。
老け込むというほどの年でもないのに、シュンヌと同じ茶色の髪には白いものが相当混じり、ゆったりとした膝まで覆う白い上着を着こなす体にもあまり生気が感じられなかった。
こんなにも小さかったのだろうか、とシェーナは初めて思った。
ずっとリガードは恐ろしい存在だった。絶対的で、敵わない大きな人だと思っていた。
だが、今、目に見える彼は弱々しく、威厳もさほど感じられない。
時に悩みながら、それでも自分に自信をもって、前を見続けるカナスとは印象の強さが比べ物にならなかった。
シェーナは、その黒い瞳に、父親の姿を黙って写し続けた。
「上っ面の口上は結構だ。さっさと本題に入るとしよう」
カナスはリガードをどのように思っているのだろうか。
おそらくはさほど重要視していないだろう。彼は体の前で両手を組み、冷めた表情をしていた。
「私が、貴殿を呼びたてたのは他でもない。貴殿は・・・貴国は、と言おうか。貴国は、この婚姻をどのように考えているのであろうか。どうも、王太子の態度が気になったのでな」
「勿論、この上なく喜ばしいことと考えております。貴国のような大国の王に、我が国の王女が見初められるなど、我が国の永の歴史の中におきましてもそうあることではございません。国民全て、祝いに沸いているところでございます」
「そうか?では、何ゆえ、呼びもせぬのに王太子を寄越したのだ?祝いの言葉だけではなく、何か不愉快な話も聞かされたのだが」
「ご不快にさせてしましましたこと、大変心苦しく思っておりまする。しかし、アキューラ国王陛下に万一の失礼があってはならないと思い、大事をとったのでございます。なにとぞ、ご容赦を」
よどみない説明を続けるリガードを、カナスは喉で笑った。
「失礼、か?面白いことを言う。私が聞いたのは、確か、婚姻の式に妃の身代わりを立てろということだったと思うが。その提案の方がよほど私を馬鹿にしていると思わないか?」
「とんでもございません。ただ、陛下の治世における喜ばしき日に、何と申し上げましょうか、不吉の暗示がかすかなりとも見えてはなるまいと思っただけのことでございます」
不吉、と言われて、初めてシェーナはぴくんと肩を小さく弾ませた。
それが誰を指すかは分かりきっている。リガードがこちらに顔を向けるような気配がして、慌ててぱっと下を向いた。
どきどきと心臓が早鐘を打つ。
しかし、王がシェーナに声を掛けるわけはない、と自分に悲しい言い聞かせをしてシェーナはその苦しさに堪えた。
まだ、大丈夫だ。根を上げるほどではない。先ほどの父の弱さ、みたいなものを見たせいか、どうしようもないということには至らなかった。
そんなシェーナを横目で確認したカナスは、先ほどよりさらに一段低い声で言った。
「不吉の暗示?随分な言い回しだな、フィルカ王。私の婚礼に災いが潜んでいると?それは遠回しに、不平を述べているのか?」
「とんでもございません!先ほども申し上げたとおり、我が国はこの婚礼を心より祝福し、感謝いたしております。陛下は若くして玉座に着かれながらも、素晴らしい治世を敷き、このアキューラ国をさらに発展させております。国内国外からも賢王と評されるだけでなく、武勲でも名を馳せられ、並々ならぬ畏敬を集めておられる御方です。さらには、古代の神々に喩えられるその麗しさ・・・まったく非の付け所のないお方でございます。そのような御方と王女が結ばれるとなり、これを喜ばぬ親がありましょうか」
美辞麗句を並べることに慣れているリガードの様子を、カナスは鼻で笑った。
まったく、小国らしく顔色を伺うことに長けていると思う。とはいえ、プライドばかりが高くて使い物にならないシュンヌよりはましかと、ある意味評価もした。
だが、続いた言い分には不快の念がこみ上げた。
「しかし、陛下の隣に並ぶのが、あのような娘ではとても・・・」
「あのような娘?私が妃に選んだのは、フィルカの王女のはずだが。違うのか、フィルカ王?」
「いえ、いいえ。そうでございますとも。確かにあれ(・・)は、フィルカの第一王女でございます。1年と半前にアキューラに向かわせたのは、間違いなくフィルカの正当な血統を持つものでございます」
カナスの雰囲気が悪くなったのを悟り、リガードは懸命に疑惑を打ち消した。
前王の時代、王子に身代わりを差し出したということになれば、それはさらに自らの立場を悪くするだけのことだと分かっているらしい。
シュンヌの失態を心得ているのはさすがだ。
だが、相変わらずの「あれ」呼ばわりに、カナスの眉間に皺が寄る。
シェーナはただ、うつむいていた。ちくちくと胸が痛いが、まだシュンヌのときほどのつらさはなかった。
悲しいながらも、16年分の「慣れ」をもう一度、思い出したからかもしれない。