別れと赦し
「フィルカの王よ、此度のことは不問に付す。投獄中の王太子シュンヌを即刻解放し、貴国との関係も、とりあえずは従前のまま、ということにしよう。それでいいな?」
「あ・・・有難きことにございます」
リガードは床に額をつけ、この上なく深く頭を下げた。
本来、一国の王が他国の王に頭を垂れるというのは気分がよくないものであろうが、属国はそれが宿命であり、圧倒的な劣位を自覚させるためにも必要な過程だとカナスは思っている。
シェーナの手前、まったく気が引けないとは言いがたいが、姻戚関係を結んで対等関係に立てると勘違いさせては厄介だ。
厳しい態度を見せつけることで、フィルカには何一つ特別扱いはないのだと明らかにしておかなければならない。
カナスは、握ったままだったシェーナの手を強く握りしめた。
「ただし、我が婚姻において貴国の参賀は必要ない。我が妃にまたしても、かような無礼があっては気分が悪いからな。即刻、王太子を連れ、国に戻るが良い」
もともとそれは、シェーナにも了承をとっていたことだった。彼らが素直に祝福するならよし、そうでないならば、列席を許さないと。
シェーナはただ悲しそうに笑っていた。
きっと、祝福されることなどありえないと知っていたのだろう。
ただ、王の婚姻に招かれるということは、その国の格を示すことにつながる。
招かれもしないということは、歯牙にもかけぬ小国と宣言されたに等しい。まして、王妃となる娘の婚姻の列席にすら招かれないとなれば、その軽視ぶりは他国に知れ渡り、尊厳が著しく傷つくことに間違いはない。
ただでさえ国力が劣っていると噂され、その歴史の古さだけで中立を貫いているようなフィルカには避けたい事態であった。一難さってまた・・・とリガードは顔をゆがめる。
「アキューラ国王陛下、それはあまりにも娘が・・・」
故郷の列席がないなど娘が不憫だと、そう主張しかけたリガードをカナスは冷たい目で見下ろした。
それで嘆願が彼の気に障るだけだと気がついたリガードはすぐに引き下がる。
せっかくの慈悲を潰してはならないと思ったのだろう。
それでも不満そうな色を浮かべるリガードに、カナスは皮肉気に言ってやった。
「心配無用。ザイーツ連合宗主マナマリ殿、要所のギラスティア自治州のカッツェ総統官が我が妃を大層お気に召していてな、後ろ盾には事欠かない。なにより、民衆が姫の立后を心待ちにしている。もちろん、この私も」
だから祖国の後ろ盾などなんの必要もないのだと思い知らせてやる。
むしろ、ハイエナのようなお前たちの手など一切シェーナに触れさせないと。
「貴国にとってもよいのであろう。黒髪、黒瞳の娘が王家の姫であることをフィルカの者に伝える危険が減るのであるから。それが貴国の望みではなかったのか?」
カナスは、許してはいなかった。
シェーナの願いがあるから、国自体の存亡には関わらないとしても、シェーナを苦しめ続け、それを当たり前と思う性根を直そうとせず、おかしいとすら思わない彼らへの怒りを捨てる気はない。
怒気を含めて言うカナスに、リガードは結局うなずいた。
あきらめた様態の父親が、シェーナにはさらにまた弱々しく感じられる。
でも、かける言葉をシェーナはやはり見つけられなかった。
これで帰ってしまったら、きっともう、会うことはないというのに。
「フィルカ国王を別室に案内せよ。それと、地下から王太子を連れてきてやれ。ああ、その薄汚い娘も国に帰してやれ。処罰するにでも、顔すら見たくない」
「っ、なによ!偽善者!呪われてるくせに!」
弾かれたようにルーナが叫んだ。
美しいと彼女を知る誰もが口を揃えて言うその顔は醜悪に歪んでいた。
「あんたがいなければ私はこんな目にあわなかったのに!あんたさえ生まれなきゃ、私は幸せになれたのに!全部あんたがいたから・・・!!」
聞き慣れたフィルカ語での罵声に、シェーナは瞳を凍えさせる。
「なんであんたなんかがそこにいるのよ!綺麗な服を着て当たり前のように大国の王の隣でぬくぬくと守られてるの?!あんたが国の命運を決める権利がある?不幸の塊のくせして生意気な!あんたがいたから私はお城にいれなくなったし、国境付近で苦労しなきゃいけなかった!それでまたつかまってここに連れてこられてなんで馬鹿にされなきゃならないの!?あんたがさっさと死ねばよかったんだ!あんたさえいなければこんなことにならなかった!シャンリーナのくせに!」
彼女はシェーナが幸せでいることが許せないとばかりに捲し立て、立ちすくむシェーナの隣でカナスの雰囲気が極めて剣呑なものになった。
言葉がわからないながらもシェーナの表情で意図は伝わってるらしい。
「この場で殺してやろうか」
うなるような音で口を開いたカナスにシェーナはハッとなり、そのうえで、ふるっと頭を振った。自分が言わなければならないと思った。
自分が、この国で培った”常識”をもとに考えた、その思いを。
「・・・ルーナ。あなたに苦労をかけたのは申し訳ないと思います。私がいなければルーナが違った生き方ができたというのはそうだと思います」
「そうよ!私がこんなにも苦労しているのは全部あんたのせいで・・・っ」
「でも、ルーナがこの国に来なかったことで苦労したというのは私のせいじゃないと思います」
怯える相手だった侍女に対して初めてきっぱりと言い切ったシェーナに、女の顔が歪む。
「与えられた役目から逃れた先のことまでは私は何もしていません」
「あんたがシャンリーナじゃなかったら!こんな国に連れてこられる羽目になんてならなかった!」
「そうだとしても先のアキューラ国王が見初めたのはあなたの噂だったはずです。あのとき、神官様から私に与えることを許された服を取り上げ、それを着て塔の外に出たのはルーナです」
「それは・・・っ」
「神官様が私に与えてくれた食事も服も何もかも、あなたが必要というからあげました。あの日、あなたが行きたくないというから国境で別れました。でもその結果どうなったかは、私が・・・シャンリーナだからだったから起こったものではないはずです。あなた自身が選んだ結果です」
「アキューラ王がこんなにも美しいと知っていたらここに来たのに!なんであんただけが恵まれるの!ここまで世話してやった恩も忘れて偉そうなことだけいうんじゃないわ!私がいなければ何もできない愚図のくせに偉そうなことを言うな!!」
「・・・あなたがあの日、一緒にいてくれたら、何か変わったのでしょうか」
シェーナはこの国に連れてこられた日のことを思い出す。ルーナがいたら、どうだっただろうか、と。
しかしすぐに考えても仕方がないのだと思った。
自分自身だって、決してただ甘やかされていただけではない。
とてもやさしくされたのは嬉しかったけれど、でも辛いことがなかったわけじゃない。たくさんのことを乗り越えてきたはずだ。自分で。カナスと一緒に。
シェーナはぎゅうっとカナスの手を握った。
それに目を見張ったカナスがまたルーナを射殺しそうな視線でにらんだ。シェーナが辛い思いをしていると思っているのだろう。
でも、違う。
シェーナはもう、一人で決められるし、一人で主張もできるのだ。
今は守ってもらうときじゃない。
自分で決別するときだ。恐ろしかった過去から。
「私は、もうあなたの手を煩わせただけの人間じゃないです。いえ、あなたはずっと、本当は、私から何もかもを奪っていたんです。私を責めて、こんな私にさえ神官様が許して与えてくれたものすら勝手に奪っていたんです。そして全部、私のせいだって言い続けたんです。私はそれに気が付きたくなかった。でももうわかります。ルーナの言っていることは間違っています。だから私はもう、ルーナは怖くありません」
「・・・っ」
「それでも、ルーナがお世話もしてくれたのは事実だと思っています。だから、子供のころから面倒をかけてしまってすみませんでした」
「この・・・きゃあ!」
ーーーーーパン!
再び罵声を上げようとしたルーナが突然倒れこんだ。
驚くシェーナの目の前で、彼女を思い切り平手打ちしたのはリガードだった。
「愚かな」
その言葉がどういう意図かわからなかったが、リガードは再び玉座に向かい首を垂れた。
「我が民が申し訳ございません。この娘、いかようにもご処分を」
「な……っ!」
「いい度胸だな。連れて行け」
ついにカナスが温度のない声で命じると未だ騒いでいたルーナが衛兵に連れて行かれた。
「フィルカ王、貴殿と話す言葉はもうない。王太子と共に帰路につくがいい」
「御意に」
そこにルーナの名はない。
シェーナはカナスを見たが彼はシェーナには視線を戻さなかった。
それで悟った。これはシェーナの甘さではもう許してもらえない問題なのだと。
丁重に謁見の間から退出を促されるその途中でリガードの足が止まった。
「・・・シェーナは・・・」
ぼそりと、リガードがまた「シェーナ」の名を口にした。
だがその響きが先ほどまでと違って感じ、どきん、とシェーナの心臓が速くなる。
ルーナはそのまま強制的に退出を余儀なくされたが、シェーナの表情を見ていたカナスにより、リガードだけはその場にとどまることを許された。
「シェーナという名は、妃がつけたものだ」
「え・・・」
初めて聞く事実にシェーナは目を丸くする。ずっと小さい頃、シェーナは“シャンリーナ”からとったのだと忌々しそうに教えられた。けれど、シェーナはそれでも父がつけてくれたものだと思って、“名前”を大切に思っていた。
「妃の腹にそなたがいたとき、男子であれば私が名前を、女子であれば妃が名前をつけようと決めた。妃は、生まれる前から“シェーナ”と名づけようと、そう私に幾度も話していた」
しかし今、父が話してくれているのは、それよりもずっとずっと幸せな“名前”の話。
「シェーナは・・・アルゴット・シェルスティナから取ったそうだ」
アルゴット・シェルスティナ。それは、とある歌の名前。仲間を失い、悲しみにくれる狼のために銀の歌姫が歌ったという神話の一説。
「傷ついたものを見捨てぬ優しい心を持った子になってほしいと、妃がつけた名前だ。“シャンリーナ”という意味ではない」
つぅ・・・っとシェーナの頬を涙が伝った。そのまま顎から雫が落ちていく。
声もなく泣くシェーナをリガードが振り返った。
「お前に会うことは二度とないであろう。だから、伝えておきたかった。・・・お前は妃によく似ている。顔を見るのが辛くなるほどに」
シェーナはついに両手で顔を覆った。
リガードはそんなシェーナを見つめ、それからまたいつもの無表情に戻ると前だけを見て、また歩き出した。
その背中はもう振り返らない。二度と。
「・・・っお父様!」
けれど、シェーナは呼びかけた。大声でそう呼びかけることは、初めてだった。
リガードは一瞬だけ足を止めてくれた。
「あ・・・ありが・・・とう・・・ありがとう、ございます・・・」
リガードは答えない。そのまま大きな扉の向こうに行ってしまった。
それでもシェーナは十分だった。
“神に見捨てられた子”を殺さなければならない“白の神官”だから、シェーナを疎んだ。
だが、娘の父親だから、シェーナを殺させなかった。
『顔を見るのが辛くなる』
それはきっと、疎まなければならないのに、どこか愛おしさがあったためだと思いたい。
愛した妃の娘だから、と。
「・・・シェーナ」
カナスがシェーナの手を引いて、腕の中にぎゅっと抱きしめてくれる。
「俺には、わからねえな」
温かい手で頭を撫でてくれながら、カナスはポツリと漏らした。
「大切なら守ってやればよかったじゃねえか。言い伝えにがんじがらめになって、自分の気持ちを押し殺して、お前を傷つけ続けて。そんなことに何になるんだ。自分の娘すら守れなくて、何故国が治まると思うんだ」
シェーナはほんの少しの苦笑を浮かべた。
神に仕えるとはそういうことだ。神の加護を受ける代わりに、己の全てを神にささげる。
たとえ自分の気持ちと反することでも、それがどんな理不尽だと思っても、神がそう望めばそれをかなえるのが“神官”。
だが父は、シャンリーナは神に返さなければならないという口伝を破った。
シェーナが“歌使い”だったから、それとも、シェーナが自分の娘だったから。それはわからない。
でも、神に仕えるものにとって、神の啓示に逆らうことがどれほどの心痛か・・・それを思えば、父には自分に愛情があったのだと信じたかった。
その愛し方は、きっとカナスのように自分の足だけで立てる強い人には一生わからないだろうけれど。
「いいんです、カナス様。もう、十分です」
シェーナは涙をぬぐい、まだ赤みを残した目元で笑った。
「私、“シェーナ”という名前でよかったです」
顔も知らない母。
けれど、似ているとその一言がもらえたことで、シェーナは鏡の中にきっと自分の母親の姿を見つけることができる。
名前を呼んでもらうたびに、母親の愛情が思い出せる。
そして、ここにはたくさん、シェーナの名を呼んでくれる優しい人たちがいる。
それを教えてくれた父にも感謝をしたい。
「お父様に会えてよかったです。それだけで満足です」
「そうか・・・」
ならいい、とカナスは笑ってくれた。
優しい人だとシェーナは思う。シェーナのために怒ってくれ、そして、シェーナのために喜んでもくれる。
いつもシェーナを大切にしてくれる。
そんな人に出会えたのは本当に奇跡だと思う。
シェーナはずっと神を信じてきた。
どんなに辛い運命を強いられても、神への祈りをやめようと思ったことは一度もなかった。そのご褒美だ、と言ったらカナスは怒るだろうか。
でも、シェーナはそれを信じている。
神は誰にでも幸せを授けてくれるものだと、今は心から思える。
そうっとシェーナは指を組んだ。
ありがとうございます、と心の中で貴高きところにおわす方に小さく呟いた。
あと2話で終わります




