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恐れとの決別

父だからこその思い違い。リガードはシェーナ自身への価値を評価していなかった。この大国の王が娘を選んだのは、“歌使い”の能力を重宝しているからとしか思えなかった。

何もかもを手に入れることができる見目の麗しい青年が、あえて取り立てたところもない、侍女にすら見劣りのする小国の王女を本気で愛おしむなど。


即位して以来、常に周囲をうならせてきたほどの人物が、このような予測がつかないほどの暴挙にでるほどに、器量のない娘を愛でるなど。


しかも、貴族として列席している大臣と宰相は一切王を止める気配がない。

むしろ王と同じひんやりとした視線をリガードに向けるだけだった。兵も同じ。

突如の開戦の宣言に戸惑いながらも、フィルカの面々にはあきらかな敵意を向けてきていた。


シェーナは、それだけこの国に受け入れられている。

リガードは初めてその事実を理解した。


愚かなフィルカの王は絨毯に両手をついた。

そして、その手の間に頭を下げる。


「アキューラ国王陛下、どうか、お願いいたします。お考えを改めくださいませ」


嘆願という、最も情けなく、無様な方法をリガードは選んだ。

だが、カナスは取り合おうともしない。


「貴殿の後継者に、国の未来を選ばせようというだけだ。私が貴国を滅するという決断をするわけでない」

「どうか、お考え直しください!貴国とは比べ物にはなりませんが、我が国にも民がいるのです。その者たちには何らの罪もありません」

「どうだかな。貴国の民は、黒髪の娘がいただけで悲嘆にくれるようなものなのだろう?」

「陛下、どうか、なにとぞお考え直しを・・・」

「自らを省みず、不幸の原因を他人に求め、幸福すらも他人に委ね、努力をしない。そのような民を守る必要はあるか?」

「どうか陛下、お考え直しをいたしてくださいませ」

「咎もない命を犠牲にすることを当然と思う民など、救う価値はあるまいと思わないか?」

「陛下・・・それでも、私は王であります。陛下にとってお気に召さない民といえど、我が国に住むものたちを守らねばなりません」

「では、貴殿が民のために命を投げ出すか?」


ぴく、とリガードの肩が揺れた。

しかし、彼はすぐにまた深く頭を下げる。


「・・・・・私でよろしければ。ただ、代わりに王太子を解放してくださるとお約束ください。“神官”がいなくては、民は不安に思うことでしょう」


カナスはふっと嘆息した。


「たいした根性だ。それともまだただの脅しと思っているか?」

「いいえ、陛下の真意がわからぬほど愚かではありません。私はもともと神への忠義を守り通さなかったもの。その罪をこの身であがなうことは当然です。しかし、太子には罪はないのです。神に対し常に真摯に、全てをささげてきた年若い青年です。神罰をうけるべきは私・・・私の命一つで国が救えるのであれば、喜びましょう。神への贖罪として甘んじて受け入れましょう」


太子と自分の命を取り替えてほしい、とリガードは真剣な瞳で言う。

それこそがきっと神のお望みだと。

それをシェーナは複雑な気持ちで見ていた。

シュンヌは、父に全身全霊をかけて守ってもらえる。

欠片もシェーナには与えられなかったのに、彼には惜しげもなく与えられる。

シュンヌは“神官”だから。神の教えを守り続けたから。


・・・でも、シェーナだって心から神に仕えた。敬愛し、祈り続けた。

違ったのは、シェーナには生まれながらに業があったということだけ。“シャンリーナ”という名を背負っていただけ。


うらやましいと思ってはいけない。ずっと思ったことはなかった。

けれど、今はどうして、と思う。


ずっとカナスの考えに触れてきたせいか、何故外観だけでそれほどの違いを与えられなければならなかったのか、その理不尽にお腹の中が熱くなる。

これが不敬ということならば、確かにシェーナは信仰心が足りなかったという他ないけれど。


「自身の信仰を押し付けるな。見苦しい」


カナスはそんなシェーナの心情を知ってか知らずか、ひどく不快そうに吐き捨てた。


「貴殿らが何を思おうが知ったことか。今、フィルカという国の命運をこの手に握っているのは、この私だ。私の心積もり一つで、その未来を決めることができる。神ではなく、私の選択だ。何もしてくれない神に祈る暇があったら、私の機嫌でも取ったらどうだ?」

「勿論、陛下のお力に敬服していないわけがございません」


信仰心を踏みにじられながら、それでもリガードは立て板に水とばかりに要求に答える。


「陛下、なにとぞ我が国にご慈悲をいただけませんか。本来の陛下は高潔な気高きお方と存知あげております。無益な争いは避け、反乱者とて処罰をせずに交渉の場についたと、相当な人格者と伺っております。我が国も、この先、陛下への忠義を尽くして参ります。どうか、一度だけその広いお心でお許しをいただけないでしょうか。お願いをいたします」


国を必死に守ろうともがくリガードを、カナスは嘲笑した。


「残念ながら、私はそこまで慈悲深くない。確かに争いを好むとは言わないが、はむかった者を許す心など持ち合わせてはいないんでな」

「・・・しかし、ギラスティアの反乱では・・・」

「あれはそもそもこの姫が止めたものだ。私を動かせるのは姫だけだ。姫が望めば、意に沿わぬ者も許してみせよう。愛しいものに助けてほしい、と何度も懇願されては、無下にするわけにはいかない。逆に言えば姫が望まなければ、私は許しなどしない、ということだ」


カナスの言い分に、リガードは顔をこわばらせる。

そして、初めてシェーナをはっきりと瞳に写した。


「貴殿が命を捨てた娘に請うか?」

「・・・・・・私は・・・」

「国の存続のためならば、何でもするのであろう?どうする?」


カナスの体に半身を預けさせられているシェーナは、ようやく彼が何を言いたいのかを悟った。

彼は、父にシェーナに頼らせることで、復讐をしているのだ。

必要ないと捨てた娘に、国を救われる屈辱を味あわせるという。


シェーナは小さな小さな声でカナスの名を呼んだ。

そんなことはしなくていいのだと言おうとしたシェーナの首に腕を回し、彼はその進言を拒んだ。

彼はシェーナを見ていなかった。ただ、青い炎のような瞳で、リガードを睨んでいる。

まるでこれは彼の問題だというかのように。


「・・・・シェーナ」


そんなカナスを見つめていたシェーナは聞きなれぬ呼びかけの音に、びくっと体を震わせた。

カナスの腕の間からそろそろと視線を動かす。石灰色の瞳がシェーナをまっすぐに見つめていた。


「シェーナ、分かるであろう?民を守らなければならないことが。そのためにお前をアキューラにやった。必要なことだったとお前も納得しているだろう?」


けれどその瞳は何の感慨も浮かんではいない。

いつもと同じ、ただの空虚があるだけだ。シェーナ自身には興味も持っていない。国王の義務として与えられる言葉。


「思いがけず、お前は国王陛下に見初められたが。だが、だからといってフィルカを見捨ててよいものか。お前はよく考えることができる子だ。神のお心に反する振る舞いは、神がお嘆きになる」


だがそのお決まりの言葉を、カナスの苛立った声が上塗りした。


「随分だな。貴殿は請い願う自分の立場をまだわかっていないらしい。シェーナ、結局その男はその程度の者だ。お前が許してやる必要はない」

「陛下、何をおっしゃいます!」

「お前が今までされてきたことを考えろ。神の名の下にお前を縛り、痛めつけ、存在を無視した。どれだけお前は傷つけられてきた?どれだけ恐ろしい思いをしてきた?もうお前は自分で選べるはずだろう?ここで見捨てても、誰もお前を責めたりしない。むしろ当然だと思うだろう」

「陛下!・・・シェーナ、誰がここまでお前を育ててやったんだ。それを忘れるではない」

「まだそんなくだらないことを言っているのか。見下げ果てた輩だな。もういい、シェーナ。俺の言葉に頷け。それだけでいい」


リガードに最後の愛想をつかしたカナスが、もはや彼から視線をはずし、シェーナを見下ろした。


「フィルカなど、お前にとっては何の思い入れもないだろう?」


シェーナはぼんやりと、青い瞳に写る自分の姿を見上げた。黒い瞳に黒い髪。

フィルカでは一度として受け入れてもらえなかったその姿。


「お前がいるべき場所はこのアキューラだけだ。つらい思いだけを強いたフィルカのことなど思い出したくもないだろう?」

「・・・・わた・・・しは・・・」

「シェーナ!お前は我が娘であろう?神に仕える“白の神官”の娘であろう!?」


シェーナはその言葉に瞳を見開いた。

ぎこちなく振り返れば、リガードは頷く。


「私の娘であれば、分かってくれるはずだ。お前は昔から信心深い、よい娘であった。民のためによく歌い、尽くしてくれた。そのような子であれば、我が国を見捨てはしまい」


リガードの口から、直接我が娘と聞いたのは初めてだった気がする。

いつも怒られていた。すがりついた手を一度としてとってくれたことはなかった。


「私は、お前のような気の優しい娘を持てたことを、心の底では誇らしく思っていたのだ」


16年だ。16年で、初めて、父はシェーナの存在を肯定する言葉を口にした。


「だから、分かってくれるだろう、シェーナ。お前のように信心深い娘ならば、お前に対する振る舞いも仕方なかったと許してくれるだろう。お前は頭のいい、聞き分けの良い子だからね。そんな娘が罪もない我が民を見捨てるはずはないであろう?」


けれど、望んでいたはずの言葉は、シェーナの表面をすべり落ちていく。

結局、その言葉は国のためにある。リガードに見えるのは、父としてではなく、王としての表情。


「どうか、陛下に我が国をお許しくださるよう頼んでくれるな?」


きっとリガードにしては、最大限の譲歩だっただろう。

シェーナを娘と呼び、シェーナを褒め、シェーナに願う。分かっているのに、心は凍ったように冷たくなった。


「滑稽な」


カナスが表情をゆがめた。


「シェーナ、これ以上は聞かなくていい。この男にかすかな期待でもした俺が愚かだった。これ以上、傷つくことはない」


彼はシェーナの耳をふさぐように頭を自分の胸に抱きこんだ。


「分かっただろう、この程度の男だ。お前を苦しめていたのは。もう見切りをつけていいだろう。もう、お前は何にも怯える必要はない。フィルカのことなど、考える必要はない」


そうしてシェーナに自分の囁きだけを与える。それはどこか苦さを含んでいた。

決して変わらないフィルカの迷信が、カナスは悔しかったのだ。


「・・・カナス様・・・」

「もう、忘れろ。俺がいるから。もう許さなくていい。許さないでくれ」


フィルカを許せばシェーナの心から凝りが消えることはない。

それを恐れたカナスは、懇願するように呟いた。

罪も非難も全て自分が負うから、もう許さないでほしいと真摯な声で言う。

けれど、シェーナはそっと彼の胸を押し返す。

そして、苛立ちと悔しさと悲しみがない交ぜになったカナスを見上げた。


「カナス様、言わせてください。私の気持ちを、ちゃんと言葉にさせてください」


その言葉に、ぴん、と緊張が走った。


「そうしなければ、私はここで立ち止まったままです。だから・・・言わせてください」


ゆっくりとシェーナを囲っていた腕が離れる。複雑そうなカナスに微笑んで、シェーナは彼の腕に手をかけたまま、リガードに正面から向いた。まっすぐ顔をあげていた。


「おとう・・・いえ、“白の神官”様」


お父様、と人前でそう呼びかけていいものか悩んだシェーナは、結局、幼い頃から命じられていた呼び名を口にした。


「私は・・・フィルカに生まれてきてはならなかった人間です。それでも、貴方様は私の命を救ってくださいました。“歌使い”とはいえ、シャンリーナの命を奪わぬことに多くの反対がありましたのに。その寛大なご処置、本当に心から感謝をしております」


ぴくり、とカナスの手が反応したのが分かった。

不愉快そうに眉を上げた彼はシェーナの横顔を注視している。

言いたいことは、分かる気がした。

慈悲で命を助けたわけではない。ただ、都合よく利用しようとしただけだ、と。

けれど、シェーナは続けた。


「生きていたから、この方に出会えました。こうして今、ここにいて、身に余るほどの幸福をいただいています。だから、ありがとうございます。助けてくださって、ありがとうございました」


深々と頭を下げ、しばらくそれをあげようとしなかったシェーナに、じっと父親の視線が向けられていた。

シェーナに向けていた今までの表情とは、わずかに違って見えたのは、カナスの願望だったのだろうか。

結局リガードが何も言わないままにシェーナは顔を上げ、くるりとカナスを振り返った。真剣な彼女の言いたいことは、もう分かっていた。


「カナス様、どうかフィルカのことをお許しください。お願いします」


カナスは、足もとに跪こうとしたシェーナを止め、その一回り小さな手を掌に握った。

そして、フィルカ王ではなく、そばに立つシェーナだけを見つめて言う。


「お前がそう望むなら叶えよう」


それは、国の運命を決めるのは、王ではなくシェーナだという意思表示だった。

そして、虐げてきた王女がそれでも国を思う優しさを持ち続けているのだということを見せ付けてやりたかった。


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