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ガート国の第二王女、アテナ・ガートは獅子獣人族の少女として生まれた。
父である国王レオによく似た黄褐色の髪に、金色の瞳。
獅子獣人の王族に相応しい特徴をすべて持ち合わせたアテナは、強く、美しい少女へと成長していった。
本来ならば、誰よりも敬われ、親しまれ、羨望の眼差しを向けられるはずの王女。
けれど、現実は違った。
父レオにとって、アテナは愛情を向ける必要すら感じない娘だった。
その扱いは当然のように周囲にも伝わり、いつしか家臣たちまでもが「末姫アテナ」を軽んじるようになっていた。
なぜ父は、自分に愛情を向けてくれないのだろうか。
その理由を知ったのは、アテナが王女として過去の歴史を学ぶようになってからだった。
「運命の番」
それが、すべての始まりだった。
獣人には、たった一人の運命の相手を感じ取る本能がある。
そして、その相手を番と呼ぶ。
獣人たちにとって、番との出会いは特別なものだった。
特にアテナの父、レオの世代は、番という存在に強い憧れを抱いていた。
番を見つけることこそ、最高の愛。
運命に導かれた相手と結ばれることこそ、至上の幸福。
そんな価値観が、獣人社会には深く根付いていた。
ただし、誰もが自由に番を探せるわけではない。
一般の貴族にも番を探すこと自体は認められていたが、家を継ぐ嫡子以外が自由に旅へ出ることは難しかった。
王族には、さらに厳しい決まりがあった。
王族の嫡子、それも王太子だけが、成人してから五年間、番を探す旅に出ることを許される。
それ以外の王族は、政略結婚によって家同士の繋がりを守る。
なぜ、そんな決まりがあるのか。
それには長い歴史があった。
かつて獣人族の中には、番を求める本能を恐れ、旅に出ることそのものを拒んだ王族がいた。
また反対に、番を求めるあまり、五年という期限を過ぎても国へ戻らない者もいた。
獣の血が濃く、力の強い者ほど、本能に引きずられる。
理性よりも本能を優先する姿は、時に「獣そのもの」と見なされる。
それは、獣人族としての誇りを揺るがしかねない問題だった。
さらに、番を求める本能を抑え続ければ、獲物を追うという獣人本来の能力まで衰えるのではないか。
そんな説を唱える学者まで現れた。
実際には、当時生まれた王族の子が偶然弱かったことから生まれた、後付けの理屈とも言われている。
それでも、獣人にとって「武」は誇りそのものだ。
本能を抑えることが、獣人としての力を失う一因にならないとも言い切れない。
だからこそ、番を探すことを完全に禁じることもできなかった。
しかし、誰もが本能のままに旅へ出てしまえば、王族としての責務を果たす者がいなくなり、国そのものが立ち行かなくなってしまう。
そこで設けられたのが「五年」という期限だった。
王太子には五年間だけ番を探す権利を与え、その後は国へ戻り、王族としての務めを果たす。
そうしてようやく、獣人族は本能と理性の折り合いをつけたのだ。
けれど、その制度は皮肉にも、王太子だけが特別扱いされる結果を生んだ。
王族の中で番を探すことを許されるのは、王太子だけ。
その他の王族は、王家を支える予備として政略結婚を求められる。
そして同じ考え方は、貴族にも広がっていった。
番を探すことを望んでも、家を継ぐ嫡子以外は簡単に旅へ出ることができない。
家を守るために残る者が必要だからだ。
それが、獣人族を守るために作られた約束事だった。
そしてアテナの父、レオは第二子だった。
つまり、本来なら番を探す旅へ出ることなど許されない立場だったのだ。
だからこそなのかもしれない。
レオの番への執着は、異常なほど強かった。
兄が王太子として旅へ出ると決まった時、レオは喜ぶどころか、憎しみに近い羨望を向けていたという。
自分も番に会いたい。
自分も運命の相手を手に入れたい。
幼い頃から用意されていた婚約者にも、レオは最低限の交流しか持たなかった。
いつか出会う番のために、自分の愛情を他の女性へ向けたくない。
そんな身勝手な考えを抱いていたらしい。
そんな父の姿を知るほど、アテナは「番」というものに嫌悪感を抱くようになった。
だが、父たちの世代は、それを美しい愛だと言う。
けれどアテナには、とてもそうは思えなかった。
そして運命は、皮肉な形でレオに微笑んだ。
番を探す旅へ出た兄が、旅の途中で命を落としたのだ。
歴史には「事故」と記されている。
けれど、本当の理由は違った。
兄は旅の途中で番と出会ってしまった。
しかし、その相手にはすでに夫がいた。
番を手に入れられないと知った兄は、絶望のあまり自ら命を絶ったのだという。
獣人は番と出会えば、狂おしいほどの執着に襲われる。
手に入らないと知れば、生きることすら苦痛になる。
それが獣人にとっての「番」、運命の相手なのだ。
それでも、番至上主義の者たちは、そんな姿さえ「美しい愛の証」だと語った。
一人の人間が恋に狂い、命を絶つ。
それすらも、運命の番に殉じた美しい愛だと……
アテナには理解できなかった。
そんなものの、どこが愛なのだろう。
一体どこにロマンがあるというのだろう。
ただ兄が亡くなったことで、レオは王太子となった。
そしてようやく、番を探す旅へ出ることを許された。
「私は必ず番を探し出し、この国へ連れて帰る!」
出発の日。
そう宣言したレオは、勇ましく、王太子に相応しい姿だと称賛された。
けれどアテナには、ただ自分勝手な言葉にしか聞こえなかった。
相手の気持ちも、立場も考えていない。
ただ「自分のものにする」と決めている身勝手さ。
しかもレオは、番のために幼い頃からの婚約者との婚約まで解消していた。
相手の令嬢の気持ちなど、最初から考えていないのだ。
王女として歴史を学べば学ぶほど、アテナは「番」というものを好きになれなくなっていった。
自分は、父のようにはならない。
幼いアテナは、そう心に決めた。
そんなレオが五年の旅の果てに訪れたのが、人族の国スムズだった。
そこでレオは、幸運なことに運命の番と出会った。
アテナの母、リーナ。
彼女はスムズ国の王女だった。
人族であるリーナには、獣人のように番を感じる本能などない。
だからレオと出会っても、何も感じなかった。
しかもリーナには、幼い頃から決められた婚約者がいた。
そして二人の仲は良好だった。
獣人国の王太子を歓迎する夜会にも、リーナは婚約者とともに出席していたという。
けれど――。
レオは、そんな二人を見てしまった。
番だと感じた瞬間から、リーナを自分のものにすると決めていたレオにとって、彼女に婚約者がいることなど受け入れられるはずがなかった。
レオはスムズ国の王を武力で脅し、リーナを連れ帰った。
リーナには、自分と結婚しなければ婚約者を殺すと告げた。
そして婚約者には獣人の力を見せつけ、その実家にも圧力をかけた。
そうして、リーナは故郷も、愛する婚約者も捨てるしかなくなったのだ。
何という自分本位な行動なのだろう。
けれど、それをレオは「番との愛」と呼んだ。
アテナには、とてもそうは思えなかった。
幼い頃の記憶に残る母の笑顔。
その笑顔が、なぜかいつも寂しげだった理由が、今なら分かる。
母は、父を恐れていたのだ。
心の底から……。
そしてアテナは、その事実を知った日から、番という制度そのものに嫌悪を抱くようになった。
これは愛なんかじゃない。
ただの執着だ。
そう思わずにはいられなかった。
そんな二人の間には、三人の子供が生まれた。
長子はリアム。
次期王として育てられた男児だ。
父と母、双方の血を絶妙な形で受け継いだ、獣人としては珍しい子供だった。
異種族の子供は、どちらか一方の血を強く受け継ぐことが多い。
だがリアムは、父に似た顔立ちを持ちながら、髪と瞳は母に似ていた。
獣人としては小柄で力も弱い。
それでも、人族と比べれば十分に大柄で逞しかった。
そんなリアムを、レオは愛した。
自分とリーナの愛の証。
そして、自分の後継者。
リアムは父から惜しみない愛情を注がれて育った。
第二子は、娘のニーナ。
ニーナは母リーナによく似ていた。
人族の女性らしい細身の身体に、か弱ささえ感じさせる容姿。
思わず守ってあげたくなるような娘で、レオが溺愛するのも当然だった。
髪色だけは父に似たものの、それ以外は母そのもの。
まるでリーナがもう一度生まれ変わったかのような娘だった。
だからこそ、レオはニーナに婚約者を作ることすら嫌がった。
兄リアムが王太子となる直前まで、婚約者を決めることを許さなかった。
それはきっと、母を失ったことによる歪んだ愛情だったのだろう。
愛している。
けれど、その愛はニーナにとって決して幸福なものではなかった。
そして、末娘がアテナだった。
アテナは、獣人の女性そのものとして生まれた。
まだ幼かった頃でさえ、三つ年上の姉ニーナよりも身体が大きかった。
そして何より、顔立ちも髪も瞳も、父レオによく似ていた。
だからなのだろう。
父は、アテナに興味を示さなかった。
でも母リーナは、アテナを愛してくれた。
それだけは間違いない。
けれど、アテナを抱きしめるとき、母はほんの一瞬だけ躊躇うことがあった。
幼いアテナには、それが辛かった。
どうして、お母様は私を抱きしめるのをためらうの?
どうして私は、お父様に似てしまったの?
幼い頃は、そんなことばかり考えていた。
けれど今なら分かる。
母はきっと、いつまでも父を恐れていたのだ。
自分を故郷から奪い、脅し、自由を奪った男。
その男と同じ顔をした娘を見れば、恐怖が蘇ることもあったのだろう。
母が悪いわけではない。
そう理解できるようになった今でも、幼いアテナが傷ついた事実だけは消えなかった。
そして三人の子供たちには、それぞれの名前にも、両親の思いの違いが表れていた。
父に似た名を与えられたリアム。
母に似た名を与えられたニーナ。
そしてアテナ。
アテナは獣人族の女性にはありふれた名前だった。
それだけでも、親から向けられる愛情の差が分かるような気がした。
リアムには父の血を誇る名を。
ニーナには母を思わせる名を。
そして自分には、ただ獣人の娘としてありふれた名を。
父に抱きしめられた記憶など、アテナにはほとんどなかった。
母リーナは、そんな中でも三人の子供を産み、王族としての務めを果たした。
人族の女性であるリーナの身体は、獣人の女性よりもずっと細く、か弱い。
それでも三人もの子供を産んだ。
アテナは今でも、そのことを母の強さだと思っている。
だが同時に、それが母の身体を蝕んだ原因でもあった。
妊娠するたびに弱っていく母。
それでもレオは、母を求めることをやめなかった。
それも「番だから」という理由で、母の身体を酷使した。
愛しているという言葉を免罪符にして、自分の欲望を優先したのだ。
父は母の身体も、心も顧みなかった。
そしてリーナは、レオと出会ってからわずか十年で命を落とした。
三十にも満たない、あまりにも若い死だった。
もし父に見初められなければ……
もし故郷スムズで、愛する婚約者と生きていれば……
母は、こんなにも早く死ぬことはなかったのではないか。
アテナは、そう思っている。
母は、大切な故郷と愛する人を守るために、自分の命を父に差し出したのだ。
政略結婚が当たり前の王族でさえ、これほど酷い結婚はない。
選ぶことさえ許されなかった母には、同情しかない。
母を殺したのは、父だ。
アテナは、そう思っていた。
そして……
母が亡くなったことで、レオの歪みはさらに深くなっていった。
最初に変化したのは、ニーナへの態度だった。
母に似た娘を、以前にも増して手元に置こうとするようになった。
婚約者を王城へ近付けさせず、娘の周囲から男を遠ざける。
まるで、亡くなったリーナの代わりをニーナに求めるかのように……
やがてレオは、取り返しのつかないことを考え始めた。
最愛の番だった妻を失った今、その面影を持つ娘に、妻の代わりを求めるようになっていったのだ。
こんばんは、夢子です。
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五話完結のお話です。
最期までお付き合いいただけると有難いです。




