2-18:北方商圏
領主様に招かれるまま、私はお屋敷へ向かった。
応接間に通されて、ダンヴァース様と共にランプやロウソクに火を移す。まだ外がうっすらと明るいこともあって、話すのに不自由しない程度の明るさになった。
魚油が香る薄闇の中、立っている私達の影がぼうっと壁にかけられた地図に浮かび上がる。
まさに魔女の部屋――そんな失礼すぎる言葉が過ぎった時、領主様が口を開いた。
「シェリウッドを経て、いくつか手紙を受け取りました」
「え、はっ」
驚いて口を真四角にした私を、領主様が不審げにみる。
私は咳払いした。
「……なんでもありません」
「あなたが王宮で行ったこと、貴族の反応、気になっていた色々なことに裏がとれた。ですから、こうしてお話をすることにしたのです」
私達の目は、壁際の地図へ向かう。
両腕を軽く広げたほどの地図は、広大な領域を納め、そして精巧だ。
交易商人らが商品を扱う時の日数計算に使用していたものだろう。王国全体だけでなく、遥か西に点在する自由都市群、南に広がる大陸まで描き出していた。
「北方商圏――シェリウッドでその言葉を聞いた、と言っていましたね?」
ざわりと胸に不安が広がった。
『海の株式会社』を経営する中で、何度か商圏という言葉を意識している。
「クリスティナ。『商圏』とはどのようなものを指すか、わかりますか?」
「……商いをするうちに、取引が広がって、銀貨や商品の流れで結ばれた地域ができあがる。それが商圏だとは、存じています」
「よい回答です。授業は無駄ではなかったようですね」
頬を緩めて、ダンヴァース様は促した。
「では、今まで北方商圏という言葉を聞いたことは?」
「……それが、シェリウッド以外では、特に記憶にないのです」
なのに、どこか聞き覚えがある。
領主様は深く息をついた。
「そうですか、今の人はもう知らない……それだけ長い時間が経ったのですね」
杖を鳴らして、領主様は右手を地図の上――王国北の海域へ伸ばす。
寂しげな目もあって、まるで手放した何かを掴もうとするかのように見えた。
「幻の商圏とも言われています。20年以上前、この国の北方には商いで結ばれた商圏ができるといわれていました」
地図で見る神聖ロマニア王国は、北側を海に面していて、角が突き出たような半島を持つ。根元から先端部までは馬車で10日ほどというかなり大きな半島だ。
半島の北端から、数日かけて横断するような海峡を越えれば、その先は北方の国々。海峡の東側には無数の小島が蓋をするように存在し、複雑な海流と、小島同士が小競り合いすることもあって、船の行き来を制限している。
私達の海は、巨大な半島と、行き来の難しい海峡によって、東西に隔てられているのだ。
そして楽園島は、半島の街から西側に数日航海した先にある。
この半島が『神聖ロマニア』の最北端だから、島はやはり最果てだ。
ダンヴァース様は、地図の半島部を指す。
「北方商圏は、この半島の北側に生まれつつあった商圏です。海峡内の島々、そして海峡の先にある陸地と、大型の船を使って交易する」
領主様には悪いけれど、眉をひそめてしまった。
「……難しいときいています」
「かつては、不可能とされていますね」
領主様は口元を引きつらせるように笑った。
「しかし、不可能とされたのは、海峡が航海の難所だから。よく考えて下さい、遠方から別大陸の作物が入ってくるほど、今は航海技術が洗練されています。遠くの大陸へいくための技術が生まれたというのに、身近な海峡を越える技術が未発達など、おかしいとは思いませんか?」
試すような口調に、心に火が付いた。
「幻の商圏……つまり、実現しなかったということですか?」
私は地図に一歩近づいた。
領主様は何もおっしゃらない。なら、今ある情報からだけで、答えが出せるということだろう。
「ここ、ですか?」
直感的に、私は半島の根元を指さす。
「……船で海峡や、島嶼部を越えられないなら、この陸路を使うしかありません」
「そうですね。神聖ロマニア王国は、運河と交易路を整備し、大陸商圏と呼ばれる交易圏を作り上げました。その商圏が、海路の代わりに――陸地を通じて東西の海を結んでいます」
東西を結ぶ海峡が通れないなら、陸路を使うしかない。
たとえば東から西へものを運ぶ場合、品物は半島の東側で陸揚げされる。そして陸路を伝って半島を横断、西側の港で下ろされるのだ。
「海の東西を、陸路が結ぶ――そんな、やや歪な構造です。しかし、陸揚げされる港や交易路では、莫大な通行税と商取引が発生しています」
ぱちん、と頭の中で算盤の音が鳴る。
「神聖ロマニア王国の商人や貴族は、この状況を維持したい。彼らの街を、膨大な物資が通るからです。あなたが売ってきたニシンや、ワインなど、この交易路では大海の一滴にも満たない」
幻の商圏と領主様が呼んだのは、そういう意味もあるのだろう。
「北で商いが活発になり、海路が開かれれば――陸路は使われなくなりますわ」
「大がかりな輸送は船が有利ですからね。そうなっても、半島は神聖ロマニアの土地なのですから、海域の富はきちんと国を潤すはずですが……」
領主様は杖をつき、息を落とす。
「北方商圏は、有望でありながら、王国の都市達の利益と相反する。ですから、王国はあまりこの商圏を喜ばない――もっとありていにいえば、妨害したことさえあるのです」
「……ダンヴァース様、話が見えません」
私は眉を曇らせた。
「商圏が幻に終わった理由はわかりました。ですけれど、私がこの地に追放されたことと、その商圏が関係あるのでしょうか?」
「2つの理由で関係があります。一つは、あなたが王子殿下と行っていたいくつかの施策が、海路を利するものだったこと」
「……それは」
「船員の病、壊血病の治療方法など、まさにそのことです。他に、半島へも荒れ地に強いイモを広げたり、見舞いにいったりしたでしょう。あなた方フェロー家の領地も沿岸、つまり国の北側にあるのもよくなかった」
心臓が凍りそうだった。
「あなたは目の前の課題、そして困った人を助けたつもりだったでしょう。しかし、クリスティナ、あなたにはあなたが思う以上の商才がある。古狐は新参者の才能に敏感なの」
薄闇の中、領主様が私を見る目はなおも暗い。
「北の商いが奮い立てば、消えたはずの北方商圏がまた持ち上がるかもしれない――そう恐れた人もいたでしょう」
「私、そんなつもりは……!」
「それは、新たな商圏など作りたくない人達を恐怖させた。だからあなたの追放は婚約破棄である以上に、失脚――あなたは気付かない間に、多くの人の政敵になっていたのです」
本日は、もう一話投稿いたします。
次で第2章の終わりです。




