2-17:新しい恵み
慈善市で、計20樽の塩漬けニシン、そして物々交換で手に入れたワインは全て売れた。収入は13万ギルダーほど。塩漬けニシンの生産コストは7万ギルダーなので、3割で上々と思った利益率が、なんと5割に近い。
物々交換で得た高級ワインが、収入を押し上げたのだろう。貨幣以外の対価は『得たものを自分で換金しなければいけない』というリスクがあるけれど、今回はいい方に働いた。
オリヴィアさん達にはちょっと申し訳なくて、値段の引き下げを申し出てみたけれど、笑われただけである。『あなた、街でしたことに比べたら、お安いくらいよ?』――と。
結局、ありがたく頂戴する。
島に帰着したその日に帳簿を締めて、ハルさんとログさんに1万ギルダーずつ渡した。
丁度、銀貨1枚である。
「これ……ハルに!?」
「俺ももらっていいのか?」
「ええ。『海の株式会社』、まずは上々の船出ですね」
ちなみに、船に相乗りさせてくれた漁師さん達にも、お礼としてワイン樽を渡した(2日で飲み干したと聞いて、私は唖然とした)。
働いてくれたみんなに、まだ大したお返しはできない。それでも、『お返しができる』ということが大事だ。
利益が出たということなのだから。
試作品販売の報告はまずはダンヴァース様に伝わり、そして島中の噂になってゆく。
――塩漬けニシンは、本当に儲かるのではないか。
怪しまれていた『海の株式会社』も立場がよくなった。協力してくれた漁師さん達が、ハルさんの食堂で市場の大賑わいを話したおかげだろう。
魚を買って欲しい、塩の買い付けも頑張ってほしい、そんな声が増えてくる。
一方、お父様は私の無事をまず喜び、次に事業の成功に目を丸くした。天国のお母様にも、きっと胸を張って報告できる。
聖フラヤ修道院からオリヴィアさん達がやってきたのは、帰って10日ほどが経った午後だった。
「全能神のご加護がありますように」
そんな挨拶と共に、オリヴィアさんと数名の修道士たちが島に降りる。
来島の目的は、今後、修道院も交易に協力をしてもらいたいから。
つまり商談目的なのだけれど――港は人だかりができるほど大賑わいになる。
「今年のツキを占ってくれますか!」
「この子にお祈りをみせてやってくれ!」
「薬草があるってのは本当ですかい!?」
そんな歓声が港に満ちる。島に信心深い人は多いけれど、教会の人が来たことは今の領主様になってから一度もないと聞いた。
私とオリヴィアさん達が呆気にとられていると、ログさんが大きな体で防壁になってくれる。
「こんなにいちゃ、お客さんが動けないだろっ!」
私に向かって苦笑するログさん。
「みんな現金なもんだ――ほら、道を開けてっ」
私はログさんにお礼を言ってから、オリヴィアさん達を領主さまのお屋敷に案内する。
長い坂を上りながら、修道院の方々へ詫びた。
「ごめんなさい、みんなに来島は伝えてあったのですけど……」
「いいえ。この島には、ずいぶん長いこと、教会は来ていなかったようですし……」
負い目を感じているのか、オリヴィアさんは目を伏せた。
「クリスティナさん、今まで、島の儀式はどなたが?」
「交易船に乗っている神父様が、代わりをしていたようですね」
「なるほど。副院長は、まだ商いに抵抗があるようですけれど……院長は、行くなら司牧や儀式もしてきなさい、と。流刑地というだけで恐れて、疎遠になっていたのは、よくないことでした」
彼らが来たことで、予想以上に島の人は喜ぶかもしれない――私はそんなことを思った。
島の暮らしにも、漁にも、不安は多い。教会がきちんときてくれることは、島の人の安らぎにも繋がる。
「――私も、よかったですわ」
「もちろん、本題もきちんと詰めますよ」
オリヴィアさんはそこで商人の目になる。
歩きながらですけれど、もう商談が始まりそうだ。
「当院のワインも、あなたがたのニシンも、保存のために『樽』を使う」
そこが協力のポイントだ。
気持ちを切り替えると、ぱちんと算盤の音が頭に響く。
「ええ、修道院の皆さんには多めに新品の樽を仕入れてもらう。そして私達は、修道院で空樽とニシンを交換する。樽を売りに来るシェリウッドの商人は、修道院に来た時に新品の樽を下ろして、代わりにニシンとワインを街へ持って帰る」
樽とワインについては、似たような取引をすでに行ったことがあるらしい。そこにニシンも混ぜて、まずはうまくいくか様子見だ。
修道院を中間点として、ニシンとワイン、そして空樽が行き交うのである。
月に1万尾の生産なら、少なくとも10樽が必要だ。今の段階なら、修道院の倉庫でも十分に間に合う。
もっと数が増えてきたら、シェリウッドで材料を買い付けて、島での内製を考えなければいけない。
オリヴィアさんが尋ねた。
「そちらの領主様はなんと?」
「感触は、よさそうでしたけれど……」
領主様を交えて、島と修道院の約束という形にするのが、来島の目的である。
館について交渉が始まると、事前に確認しあっていた条件を、追認しあう流れとなった。領主様と私、そしてオリヴィアさんの3人は樽とニシンの交換比率についていくつか意見を交わし、交渉はすんなりまとまっていく。
領主様は言った。
「クリスティナ、そしてオリヴィア殿。交易に中継地を設けることは、よいご判断だと思います」
そう私達の案を褒めてくれた。
ただしダンヴァース様は、定期的に単価を見直すこと、樽の保管状況をワイン用と同等に保つことを釘差しする。この辺りはやっぱり経験豊かな感じがした。
羊皮紙に清書した契約書は、領主様、私、そしてオリヴィアさんがそれぞれ持つ。
ほっと安堵する私に、領主様は微笑んだ。
「よくやりましたね」
鼻が高かったのは、言うまでもない。
◆
そうした商談を終えると、私はオリヴィアさん達に島を案内する。
修道院の方達は、やはり菜園、特に珍しい野菜トマトには熱心だ。魚の粕を使ってできる肥料も、修道院で試してくれるらしい。交易品に、一つ追加だ。
やがて、歓迎の宴が始まる。
オリヴィアさん達は美味しいお魚や貝に驚き、島の人達は修道院が醸したワインを楽しむ。
みんなの顔が赤いのは、陽気な雰囲気のせいか、それとも夕日のせいか。
島と海がゆっくりと色づいていく。
私はそんなみんなの様子を、椅子に腰かけて遠目に眺めていた。
商談を終えた疲れと、事業がうまくいきそうな安堵が、胸で心地よく混ざっている。
お父様の声がかけられても、ぼうっとして最初は気づかなかった。
「クリスティナ、みんなと話さないのかね」
「お父様……って」
お父様は、すでにかなり顔が赤い。
しばらく控えていたお酒を、これを気にかなりお召しになったようだった。漁師さんの衣服が、すでにとっても似合っている。
「行ってくるといい。君はすごいことをやった」
「……はい」
そう答えてはみるけれど、どうしてか、椅子から立ちあがる気にはなれない。
少し前にも、こういう光景があった。でもそれは……婚約破棄と裏切りという形で、消えていった。
今度は、失いたくないなぁ。
「……そうか、そうだよな」
お父様は首を振る。温かく目を細めた。
「無神経なことをいった。父を許してくれ」
お父様は話すのをやめて、じっと海の方を見つめる。夕日が波の形を描き出し、海面は一幅の油絵のようだ。
「……この海は、母さんのことを思い出すよ。あの人も海が好きだったから」
お父様が去ったのと入れ違いに、ログさんとハルさんがやってきた。
「ここにいらっしゃったのですね」
「ハルさん……」
「クリスティナ様は頭がとってもよろしいです。でもその分――時々、考え過ぎです」
ログさんが目線で篝火を示す。
「あっちでみんな踊るみたいだ。クリスティナ、君は――」
ふっと頬が緩んだ。
「あら、ダンスは得意なんですよ?」
久しぶりに体を動かした気がする。島の踊りは軽やかで、陽気で、王宮とは違ったリズム。
ログさんとも踊って、互いに手を取り合ってくるりと回る。足を踏みそうになったのは内緒だ。でも踏んだところで、ここでは笑いが起きるだけだっただろう。
――楽しい。
時間が、あっという間に飛んでいく。
輪から離れてほてった体を休めていると、かつん、かつん、と杖の音が坂から聞こえた。
「クリスティナ、ありがとう」
ダンヴァース様は仰った。すでに陽は沈んで、宴もたけなわといったところ。
焚火の周りにまだ多くの人が残っているけれど、女性や子供は家に戻ったようだ。
髪を結い上げた首筋を夜風が冷やして、心地よい。
「あなたはたった2月も経たぬ間に、島民に返しきれないほどの恩をくれた」
「……まだ、始めたばかりです」
領主様は口元を緩め、首を振った。灰色の目は優しい。
「最初の成功こそ、もっとも得がたい成功です。私が彼らに、ずっと持たせられなかったもの――自信を与えてくれました」
領主様は杖をついたまま、海へ小さな体を向ける。
「少し、私の館にこれますか」
背を向けたまま、ダンヴァース様は言った。
「そろそろ、伝えましょう。あなたが冤罪を負わされ追放された、『本当の理由』を」
……本当の、理由?
ざわりと夜の冷たい風がやってきた。




