2-16:清算
神聖ロマニアの王都は、北の海岸線から馬車で5日ほど南下した場所にある。
大陸を南北に縦断する河川交通、そして東西に走る街道の結節点となる物流の要衝であり、この日も運河を通じて無数の産物が流れ込んでいた。
染色に使うミョウバン。衣服を留めるピン。小麦。塩。鉱石。火薬。香水。ワイン。そして塩漬けニシン。
あらゆるものを載せた船が、今日も波止場に碇泊する。
屈強なワイン積み卸し人が一樽を担ぎ上げ、雑踏の中へ消えた。王都は歴史上でも珍しい、人口10万人を越える都市である。
けれども、大勢の民は気付いていた。
少しずつ――景気が悪くなっている。
戦乱と悪疫、不作の痛みは癒えないまま、商業はゆっくりと活力を失っていた。
商人連合会が、手工業や農業を支えていたのも今は昔。富をたくわえ大商人となった彼らは、毛皮や香水を王侯へ売り始めた。
仕入元は国外であり、平民が払った税は国の外へ消えていく。
掛け買いの代金をまかなうため、領主が税金を上げた領地さえあった。
大商人らはかなりの利益をあげているはずだったが、国内にカネを投じることはない。新たに発見された新大陸に投資をするか、王侯へ貸し付けて関係をさらに太くした。
民へゆく資金が少なくなれば、商人が売るものも少なくなる。税収も減り、王家は慢性的な赤字に再び苦しみつつ、赤字の原因である大商人からカネを借りるという悪循環に陥っていた。
数少ない希望は、中小規模の商人らが活発に動いている点だ。小回りの利く彼らが、安い魚や麦を生産し、あるいは買い集めて平民の暮らしを支えている。
しかし彼らもまた、安い他国産との競争にさらされていた。王国が投資を渋っている間、他国では生産の改善が進んでいる。
それでも一時期、ほんの一時期、王都の商いが湧きたったことがあった。
当時の第二王子、現在の王太子が、商売を奮わせる施策を打ったためである。荒れ地に強い新大陸由来の作物を北部に勧め、一部の運河や交易路にかかっていた高すぎる通行税を調整し、もみ消されがちな中小商人の訴えをよく聞いた。
それは国がよくなるかもしれないという『期待』で、一時的に商いが盛り返したおかげなのだが――施策に助言者がいたことを知る者はごく少ない。
第二王子の側に、常に婚約者候補の少女がいたことは、保守的な王家では伏せられていた。功績は第二王子に帰せられている。
そして、『第二王子はかつての敏腕ぶりを忘れてしまった』と嘆かれている。
陸の巨人とも呼ばれた王国は、ゆっくりと老い、傾きつつあった。
一羽の渡り鳥が飛来し、停泊待ちで渋滞する運搬船にとまった。
悪臭に顔をしかめるように翼で顔を隠すと、羽ばたき、上昇していく。鳥は運河を越え、畑を越え、北へ――海へ向かう。
どこへ向かうべきか、鳥は知っている。
◆
どこからか海鳥が飛んできて、船の舳先に止まる。
慈善市の大商いから3日が経って、私達が街を出る日になっていた。
天気もよく、ちょうど街から離れる方向に風が吹いている。漁師さんに言わせれば、出港日和だった。
私達の船には、いくつもの掛け声が響いている。
「準備はどうだー?」
「おおう!」
塩漬けニシン20樽は全て売れ、スペースが空いた。今は、そこに街で仕入れた大樽が詰められている。
樽職人をオリヴィアさん達から紹介してもらえたのだ。
他にも街で仕入れた漁具に、修道院から産物として取引したワイン、それに――いくつかの手紙。楽園島へ向かう手紙は、一度、このシェリウッドに留めおかれ島の人が来た時に引き取っているらしい。
領主様向けの手紙もあって、これを持ち帰るのも大事な役目だ。
私は右手に帳簿、左手にメモ代わりの木片を持ちながら、荷物を確認する。
資材のチェック表は、島と同じように木片に文字を書き付けたものなのだ。旅路が長引いたので、そろそろ紙に余裕がない。
手伝ってくれるログさんが、にっと笑いかけてきた。
「いいもらいものもあったな」
ログさんの機嫌がいい。これは、予想外の収穫があったからだろう。
今いる船の後ろには、やや小型の船が2隻停泊していた。楽園島から乗ってきた船ではないけれど、こちらでも漁師さんが出港準備を進めている。
私はこほんと咳払い。
指を立てて訂正した。
「もらったんじゃないですよ? 借りたのです」
私達のニシンを見て、使っていない船を『海の株式会社』へ貸してくれる人が現れたのだ。
シェリウッドは人口が減り、遊んでいる船も多い。誰かに貸した方がいいということで、漁船サイズの船を期限を区切って貸してもらえることになったのだ。
教会で支払いや契約期間を詰めたので、滞在が少し伸びてしまったが――出港する時は2隻だった船が、戻る時は4隻になる。
「……まさか、こんなに待遇がよくなるとはな」
「それだけ街は困っていたのだと思います。商人のやり方は、商人にしかわからないこともありますから」
今朝寄ったシェリウッドの市場は、もう価格が適正に戻り始めていた。
「街の参事会は機能を取り戻したようですし……」
ベアズリー商会は、すでに事務所を引き払う準備を始めたらしい。
数人の参事は商会に債務を負っていたようだけど、きちんと返済プランを練れば、数年で完済できる額だった。プランは教会を通して、負債のある参事へ伝えられているだろう。
港にいた交易船は、慈善市の日のうちに姿を消している。利益の出ない市場からはすぐに手を引く――こちらも、やはり強かだ。
「シェリウッドに商人連合会がいたことは、領主様にも伝えないといけませんね……」
あの交易商人が遺した言葉が、頭に引っ掛かっていた。
――北方商圏が甦ることはない。
『商圏』とは、商いが盛んな地域のことだ。王国では陸上交通が旺盛で、全域が大陸商圏と呼ばれている。
ただ、『北方商圏』と名前がついた商圏はどこにもない。なのに、どうしてか記憶が刺激される。
「存在しない商圏……」
領主様なら、ご存知かもしれないけれど。
ログさんが隣の船に声を張った。
「そっちはどうだー?」
問題ない、という声が響いてくる。
隣は聖フラヤ修道院の船で、オリヴィアさんが手を振っていた。
修道院も無事に良質のワインを売って、銀貨を稼いでいる。
オリヴィアさんが両手を口に当てた。
「クリスティナ! また、近いうちに!」
笑みがこぼれた。
「ええ! 近いうちに!」
そう、また近いうちに、会うことになる。
楽園島とシェリウッドの中間に、聖フラヤ修道院は位置していた。そして塩漬けニシンも、ワイン用の樽も、銀貨も必要とする。
もしうまくいけば、修道院は交易の中継地点になるかもしれない。
島に帰った後、ダンヴァース様に修道院のことを話し、オリヴィアさん達を島に招くつもりだった。
私は帳簿を確認して、微笑む。
「……これで『樽』の確保は大丈夫」
次に交易船がやってきたら、ギュンターさん達に生産体制が整った話ができるだろう。
彼らから『塩』を買えば、樽と塩、そしてニシンが揃う。
50尾ずつの試作品ではなく、いよいよ大量生産だ。
舳先で海鳥が飛び立つ。
楽園島に向けて、私達も帆を張った。




