第九話
大河の横で、馬を連れた旅人が立ち止まっていた。
「村長に聞いた通り、ここで道が分かれる。俺たちは姫様がトモカ妃から聞いたルートを行くことになるけど……本当にいいんだな?」
これまで、サトルたちはダナビウス国の森を源流とする大河の横の道を進んできた。
サトルたちが立つこの場所は、道が二つに分かれる分岐点だ。
一方の道はこのまま大河に沿ってポルスカ共和国の港町へ続く。
もう一方は大河から離れ、北東から東寄りに進路を変えて、隣国へ続く街道となっている。
分岐路に立って、サトルは一人の女性に問いかけた。
「はい、もちろんですわサトルさん。人化しているわたしは、水がなくても生きていけますもの」
ウェーブがかった濃緑の髪を風に揺らして、女性はニッコリと微笑んだ。
水車小屋のある小さな村を出てから、すでに三日が経っている。
人化して人間の女性に見えるサハギンは、この三日間、特に問題もなくサトルたちとともに旅をしていた。
問題があるとすればサトルの方だろう。
申し訳程度に布をまとったその格好では連れていけないというサトルのクレームを受けて、村長は身分証と冒険者証だけでなく、服や靴、水筒、バッグなど、旅に必要な日用品を用意した。
小さな村ゆえ新品の服ではなく中古の生成りで、靴はサンダルだが、布面積の小さい扇情的な服装よりマシだ。
まるで村人のような格好だが、手にはサトルと戦った時に使っていた三叉の槍を持っていた。
「それに、必要であればスキル【水魔法】で水を創り出せますもの。いつでも言ってくださいね? なんでしたらいまでも」
「必要ないから離れてくれ。はあ、なんでこう、俺のまわりには変わり者ばっかりなんだろ……」
ずいっと迫る女性から身を離して、サトルは額に手を当てた。
女性の豊かな双丘の間で、日を反射した冒険者証がキラリと光る。
「もう、サトルさんったら、名前を呼んでくださいませ。お祖父さまから『シファ』と名付けていただいたんですのよ?」
そう言ってサハギンは、もとい、シファと名乗った女性は、父譲りだというブラウンの瞳を輝かせる。
もっとも、シファの父はサハギンの娘を受け入れられずに出奔したのだが。
「はいはい、そのうちな」
新たに旅の仲間を加えても、サトルは変わらない。
いつもと同じ革鎧に厚手のマント姿で、杖を手にしている。
戦闘時は腕に固定する円盾と、偽装のためリュックに入れたマジックバッグは馬に載せている。
新たに旅の仲間を加えても、サトルは変わらないように心がけていた。
サイズが合わない中古の服でシファの体のラインがくっきり見えても、歩くたびにシファの胸がふよふよ揺れても、サトルは変わらないように心がけていた。
正体は冒涜的な見た目のサハギンなのだ。
サトルが平静を保とうとするのは当然だろう。理性の勝利を願うばかりである。
「行きましょう、サトルさん。わたくし、次の国は湖と森がとても美しいとお母様に聞きました」
「あのサトル様、進んでいいですかね? なんだったらソイツは置いていってもいいと思うんです水中ならアタシが戦えますし船だって引っ張れるし」
「国境が近いということはモンスターが出てもおかしくないということだな! サトル、戦闘は私に任せてもらおう!」
ぐっと拳を振り上げて、張り切るプレジアが歩き出した。
かっぽかっぽと蹄を鳴らしてベスタと、上に乗るソフィア姫もついていく。
小さな村の小さな冒険者ギルドで、サトルとプレジアとソフィア姫は冒険者証を更新し、ベスタとシファは新たに冒険者として登録した。
村長もギルド職員も申し訳なく思ったのか、一人分ではなく二人分の新規登録と三人分の更新である。
もちろん、秘密にする条件はそのままだ。
「ふふん、だからアタシはサトル様の次に最強だって何度も言ったわけで、くふふ、アタシはレベル43でサトル様の次に最強。くふふふふ」
冒険者として新規登録した際に、ベスタのレベルとスキルが判明した。
サトルのレベル65には及ばないが、一流冒険者や騎士団トップクラスのレベル43。
スキルは、ブレスや身体強化の原因であるらしい【龍魔法】、それに【変化の術】。
馬のままでもドラゴンブレスを吐けることを考えると、戦闘時の立ち位置は後衛だろうか。
ドラゴンの姿に戻れば充分前衛もこなせるはずだが、サトルが許可するのは人目がない時だけだろう。
「くっ、まずはベスタ以上のレベルにならねば! 姫様の騎士として! いずれはサトルよりも強くなってみせる!」
プレジアは一つ上がってレベル39となっていた。
スキルは変わらず【八戒】だけだ。
『八つの戒め』を守れば徐々に身体能力が上がってレベル以上に強くなるはずなのだが、ちょいちょい破って弱体化するのは変わらない。
サトルはもはや『八つの戒め』を守らせることを諦めていた。
タワーシールドと両手剣を片手に、前衛の務めを果たしてきた信頼の現れだろう。だいたいサトルが戦っている気がするが、きっとそうだ。
「ふふっ、頼もしいですプレジア。わたくしもがんばります!」
ベスタの背で、ソフィア姫も拳を作ってふんす、と気合いを入れている。
ソフィア姫はレベル28、サトルはレベル65のまま上がっていなかった。
サトルは高レベルゆえ上がりにくく、ソフィア姫はダナビウス国に入って以降、戦闘に参加せずスキル【回復魔法】も使っていないからだろう。
攻撃手段を持たない後衛・回復役のツラいところである。
8歳の美女児は、もっと役に立ちたいらしい。
「わたしもレベルを上げるべくがんばりますわ。そうすればサトルさんを押し倒すこともできるようになりますもの。水辺に引き摺り込んで……うふ、うふふ」
含み笑いして口の中でモゴモゴ呟くシファはレベル32だった。
推定レベル30と予想したサトルの読みはほぼ当たっている。
スキルは【水魔法】と【人化の術】で、「船を作る」「同格以下の水棲種族を従える」という発言に該当するスキルはない。
そのあたりは種族の特性なのだろう。
サトルもプレジアも、水棲種族と共存している村長もギルド職員も、そのあたりのことは知らなかった。
四人と一体の中では、遠距離は【水魔法】で攻撃し、戦況によっては三叉の槍で前衛をサポートする中衛となるのだろう。
「うわ、なんか寒気した。これ油断しないで俺もレベル上げた方がいいかもなあ。身の危険を感じる」
プレジアが前衛、シファが中衛、後衛にはブレスで攻撃するベスタと回復役のソフィア姫。
前衛が少ないためバランスが悪いように見えるが、問題はない。
いざとなればレベル65のサトルの【分身術】があるのだ。
しかもサトルのメインウエポンであるニョイスティックは伸縮自在である。
斥候、前衛、中衛、【風魔法】を使って後衛まで、サトル一人でこなせることだろう。
というか疲労とケガと死と魔力消費の追体験を覚悟すれば、レベル65のサトルの集団だけでたいていのモンスターに対処できる。
「あと三日か四日ぐらいで国境。もうすぐ六ヶ国目か」
張り切る三人と一体に遅れて、サトルも大河を離れて歩き出した。
ティレニア王国を出発して山岳連邦のルガーノ共和国・ボーデン公国を経て、ダナビウス国を抜けて、ポルスカ共和国の旅も間もなく終わる。
次は六ヶ国目。
「元の世界でいうとウクライナやバルト三国、美人が多いって言われてたあたりか……でももう美人な彼女が欲しいとか二度と言わない。どうか次の国は普通でありますように」
ボソリと呟いて、サトルは歩くスピードを上げた。
先頭に戻ろうとシファを追い抜く際にお尻に目がいきそうになって、ぶんぶんと頭を振る。
旅に出て上がっていくレベルとは逆に、理想はどんどん下がっているらしい。
東の果て、日の本の国を目指して、遣東使の旅は続く。




