第八話
ポルスカ共和国の小さな村の中心部。
小さな広場にはかがり火が焚かれて、夜の闇を払っている。
静かなはずの農村の夜は、お祭り騒ぎとなっていた。
「『討伐』依頼とは言っておらぬ。決して騙していたわけではないのじゃ」
「そうは言っても、この様子じゃ村長どころか村中知ってただろ」
浮かれる村人たちをよそに、サトルは広場の端のベンチに座り込んでいる。
ぼんやりと広場を眺めながら、木製のコップに入ったエールをちびちび舐めていた。
プレジアはベンチに座ったソフィア姫をかいがいしく世話している。
「これが身分証で、これが冒険者のシルシ……アタシが冒険者、サトル様と同じ冒険者……」
ベスタは首にかかった冒険者証を手に、確かめるように表を見ては裏を見て口元を持ち上げる。
「ふふ、よかったですねベスタさん」
嬉しそうに目を輝かせるベスタを見て、ソフィア姫は微笑んだ。
人化したベスタの藍色の髪が、かがり火を反射してきらめく。
「はあ。ここまできたら受け入れて、ベスタの身分証問題が解決したことをプラスに考えよう。プラスに考えるしかない」
「まあ! ありがとうございます。では早速いただいてもよろしいでしょうか? ちょうど後ろには水路もありますもの」
「それは受け入れてないしプラスに考えられないから。はあ、先が思いやられる……」
隣に座る村長のさらに隣から、ウェーブがかった濃緑の髪を揺らして、女性がサトルの顔を覗き込む。
サトルは片手で顔の半分をおおった。
女性を視界に入れるのが嫌なのではない。
むしろ、申し訳程度の布で胸元と腰まわりしか隠していない美しい女性と、双丘の盛り上がりは視界に入れたかったことだろう。
正体が、サハギンでなければ。
サトルは視界に入れるのが嫌だったのではなく、サトルのサトルが反応することを恐れたのだ。
肉感的な美女の正体がサハギンなので。
「これが身分証で、冒険者証。これでわたしは、お強い方の旅についていけるのですねえ。そうして、惚れたオスと結ばれて子をなして――」
「結ばれないから。しかも魚スタイルの産卵と放出って絶対しないから」
これから四人と一体となる旅路を思ったサトルが、がっくりと頭を抱え込む。
自分に言い寄ってくる肉感的な女性と、長い旅路をともにする。
しかも、求められるモノがモノなため、一人で解消するのも危険だ。
30歳の独身男性には過酷な旅である。
「冒険者、サトルさんと言いましたな。まあ、覚悟を決めれば一瞬のことですわい」
「むしろ一瞬の気の迷いと後悔が問題なわけで、っておい待てジジイ、その言い方は」
「儂は若いうちに嫁をもらいましたがのう。ウチの村にも何人か――」
村長の言葉を耳にするやいなや、サトルがバッと広場に目を向けた。
広場に集まった村人は楽しそうに飲み食いしている。
老若を問わず、やけに見目麗しい女性が多い。
「お、おい、まさか」
「中にはこの娘の父親、儂の息子のように出ていく男もいますがの」
村長は寂しそうな目をしていた。
裏を知らなければ、「我が子が生まれ故郷の村を捨てて都会に行った」ことを嘆く老人である。
「ざっと見た感じそれっぽいのは10人以上いるぞ?……なあジジイ、うすうす、うすうす気づいてるんだが、この国の『共存してる水棲種族』ってひょっとして」
「わたしたちですよ、お強い方」
恐る恐る口にしたサトルの問いかけは、隣の隣に座ったサハギンから応えがもたらされた。
「やっぱり……で、でも、首都の広場には人魚の銅像が」
「あれはわたしたちが人化した時と魚人形態、二つの姿を一つに合わせた像だそうです」
「そんな……じゃあ人魚は……」
「少なくとも、この国にはおらん。魚人は『モンスター』と思われかねんからのう、他国の人間には明かさぬのじゃよ」
落ち込むサトルを慰めるように、村長がサトルの肩に手を乗せた。
持っていた壺を傾けて、サトルのコップにエールを注ぐ。
「こうして共存しておるから、この村も平和なのじゃ。……人化した魚人にハマる男が多く、子供が少なくなりがちなことを除けばの。なにしろ生まれるのは魚人のメスじゃから」
「ああ、だから俺みたいな旅人が犠牲になって……待て。ハマるって業が深すぎだろ人間」
平凡で平和な小さな村の内情を聞かされて、サトルはエールごと嘆きを飲み込んだ。
「そうか、この村出身だっていう身分証も、冒険者証もやけに作り慣れてたのは」
「人化した魚人のためじゃな。村にいる時はともかくとして、中には産卵期に人化したまま他の村や街、首都に向かう魚人もおる。そうした時は村で身分証を作っていたからの」
「マジか。んじゃこの国でときどき見かけた美人さんは、サハギンの可能性があるのか……」
他国には知られていない『平原と大河の国』ポルスカ共和国の秘密である。
口外したところで罰則はないが、男たちは一様に口をつぐんでいた。
黒歴史を自分から明かさないのと同じである。
変わり者が他国の人間に言ったところで、与太話だと思われるのがオチだろう。
「ほら旅人さん、これでも食って元気だしな! お嬢ちゃんや騎士さんもよかったら食べとくれ」
落ち込むサトルの事情を理解しているらしい村人が、木の器を手渡してくる。
先ほどから村の広場の一角で煮込まれていた振る舞い料理だ。
「わあ、ありがとうございます。野菜を煮込んだスープでしょうか」
「知らない料理に顔をほころばせる姫様の微笑みは木漏れ日のようだ! ありがとう神様! ありがとうおばちゃん!」
「あいかわらず大げさすぎるだろプレジア。野菜、それに肉? モツかな?」
木匙で軽くスープをかき混ぜると、短冊状の肉らしきものが見えた。
「うむ、よくわかったのう。それはこのあたりの名物、牛の胃袋を煮込んだスープじゃ。今日はあっさり目の味付けじゃな」
お手本か毒味のつもりなのか、村長がスープをすくってパクッと口に入れる。
同じ料理でも味付けは様々なパターンがあるらしい。
「むっ、なんだかムニュムニュして味が染み出してくる! これは楽しい食感だな!」
「内臓なのに臭みを感じません。丁寧に下処理されて、香草は何種類も使われているのでしょう。野菜の旨味が染み込んですごく美味しいです」
「姫様がどんどん評論家っぽくなってる。あー、たしかに美味しい。こっちでモツ料理って食べる気しなかったけど、これはなかなか」
「サトルさん? ティレニアでも内臓の煮込み料理はありましたよ?」
「ああ、姫様が食べる料理は手をかけて作られてるんでしょう。街中だとピンキリで、ヒドい店のモツ料理は本当にヒドいものでした」
ソフィア姫とプレジアの出身地であるティレニア王国は食が発展している。
内臓の煮込み料理も存在したが、当たり外れが大きかったようだ。
振る舞われたスープほど美味しいものは珍しく、サトルの手が止まらない。
「ふむ、まだわずかに臭みが残っておるがのう。本来ならもっと煮込むのじゃが、先ほど潰したばかりでな」
「あー、さっき聞こえた動物の悲鳴はそれですか。俺たちのためにありがとうございます」
煮込み料理に使われたのは、締められたばかりの新鮮な牛の内臓らしい。
下処理は簡略版で、煮込みも足りないため、村長に言わせれば若干臭みが残っているようだ。
「なあに、構わぬわい。この料理は『精がつく』と言われておるからのう。たっぷり食べて、これからがんばってもらわねば!」
「うふふ。お強い方は、これで悶々としてしまうのではないですか? 眠れない時はすっきりした方がよいと思いますの」
いつの間にか立ち上がっていた元サハギンが、サトルの後ろにまわりこんで耳元で囁いた。
サトルはビクッと反応して、危うく木皿を取り落としそうになる。
慌てて掴み直したものの、わずかにこぼれたスープがズボンにかかる。
「あらあらあら、大変ですわ、拭いて差し上げなくては。お強い方、動かないでくださいね、いま脱がせて―――」
「大丈夫、自分でやるから! 他人事みたいに笑うなジジイ、『精がつく』ってなんだよそんな親切心はいらない、ああくっそ、俺だけ旅の難易度上がりすぎじゃないですかねえ……」
人化したサハギンを止めてサトルが嘆く。
プレジアは牛の胃袋を煮込んだスープをおかわりして、ソフィア姫はサトルの嘆きを聞いてオロオロしている。
人化したベスタは、口いっぱいに料理を詰め込んでもぐもぐしていた。
ポルスカ共和国の小さな村。
難事を解決したサトルたちは、明日この村を発つ予定だ。
新たな仲間を一人加えて。
サトルたちがティレニア王国を出てからおよそ三ヶ月。
日の本の国は、まだはるか先である。




