第3章
「片山先生!あなた、自宅謹慎処分を受けて――」
「分かっています。でもどうしても、提出しなければならないものがあって」
「提出?何かの書類ですか?」
「…まあ、そんなところです」
翌日、私は学校へ出向き、校長に話を持ち掛けていた。
私が辞表を差し出すと、彼女が息を呑んだのが分かった。
それから、しばらくの沈黙が落ちる。
ふと時計に目をやると、文字盤は午前八時を回ったところだった。
時間がない。
私がそう思うのとほぼ同時に、彼女は一言、分かりました、と言った。
私は少し驚いたけれど、すぐに頭を下げ、校長室を後にした。
本来ならば正式に辞任の意を表明しなければならないのだろうが、そんなことをしている暇が、私にはなかった。
事後処理に関しては、辞表に全て記してある。
申し訳ないという気持ちもあったが、私はそれを振り払うように、帰路を急いだ。
アパートの前には予定通り、モスグリーンの軽が停まっていた。
私はそれに乗り込み、運転席に座っている融に声をかけた。
「ありがとう、融」
「うん。もう行ってエエか?もっかい家ん中確認せんでも――」
「大丈夫、行って。もう、時間がないから」
「よっしゃ、分かった」
そう言うと、彼はアクセルを踏み込んだ。
私たちを乗せた車は、ゆっくりと発進する。
私が大学に入ってから今までの十余年間、ずっと暮らしてきたアパートが、どんどん遠ざかってゆく。
昨日の晩、慌てて荷造りをしたので、もしかすると、融の言うように何か忘れてきているかもしれない。
けれど、私にとってそんなことは、もはやどうでも良かった。
私には、たった一つだけ、あればいい。
一つ、というより、一人、のほうが正しいかもしれないけれど。
私には――融さえいてくれれば、彼の存在さえあれば、もう、それで十分なのだから。




