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結論を出したあたしの行動はそりゃもう素早かった。
もともと、三年になって短縮授業になった恭介と、帰宅が被ることはない。
さらに、ひと月後になった文化祭と、その先にある調理部で参加する料理コンテストを大義名分にして、朝の通学時間を一時間切り上げた。
とどめとばかりに、恭介からは来訪禁止令が下っている。
となれば。
あらびっくり。すでに二週間は顔も合わせない日々の出来上がりだ。
あれほど毎日会っていたのは、ひとえに一緒に登校する時間のせいだと証明されてしまった。
いや、時々奴がこっちの教室に来ることもあったかも。それもなくなったから、さらに条件が良くなったのだ。
うーん。思っていた以上に、べったりな幼馴染じゃなかったかも。かなりドライ? みたいな。
「んなわけないっしょうが」
「んべっ」
べしっと後頭部をチョップされて、あたしは机に沈んだ。隣で里奈が苦笑している。あたしは後ろをぎりっと睨んだ。
「いきなりなにする、春日さん」
「時々口に出てんだよ、恵眞。ど・こ・が、ドライな関係だ。どー見てもべったりだったわ」
「でももう、二週間顔見てないけど」
「そりゃ彼女が出来れば……って。あんた、さ」
「うん?」
「本当にいいのかい? このままで」
曇った表情で、春日さんが遠慮しながら訊いてきた。
「そんなに、心配? あたし変?」
「いや。そーでもなさそうに見える……だから、心配してる」
「恵眞、無理してないの?」
本当に? と重ねられると弱い。痛い。辛い。確かに身に覚えがあって、時々しくしくと体を食む。でも、薄れて変わっただけであって、あたしは別に、恭介を失ったわけじゃない。
きっともっと辛かったはずだ、小さくて、何の知恵も力もなかった小学生の恭介。
奴は全部が全部突然で、唐突で、予測のできない中で……片割れが消えたのだ。
それに、あたしにとって恭介の一番のパートナーが存在するのは、それこそ「今更」なのだ。
それが当然だった。
それが常識だった。
元に戻っただけ。ずっと、立ち位置は変わらなかったのだから。
その代わり、と言ってはなんだけど。
「あの~すいません。渡來さん、いますか?」
里奈と春日さんが同時に入口の方を見て、そしてあたしに横目を向けてきた。またか、と。
「別にあたしが悪いわけじゃないですけど」
「別に悪いとは言ってないよ、恵眞」
「あの虫除けがいかに強力だったか、思い知っているだけでね」
そう、そうなのか、なあ? よく分からない。確かに虫除け効果があったようだけど、そこまで恭介が意図していたのか謎だ。
「謎じゃない……と断言したいところだけど。今はデキないねえ」
「ちょ、春日さん、思考読んだでしょ」
「顔に出てる。割と出るよ、恵眞って。とりあえず、行ってきたら。初めてじゃないんでしょ」
「むしろ付き合ったらいいんじゃない?」
里奈が嬉しそうにそそのかす。間違っているかな、この日本語。里奈は彼氏がいるから、きっとダブルデートとかできたらいいなあってお花が咲いたのが分かる。さすがに、あたしでも分かる。
「考えてる。一応、今までもちゃんと考えたよ?」
「分かってる。恵眞って割と几帳面で真面目だから、告白の間にちゃんと考えてるって信用してる」
それはすごい信用度だ。そんな発言した春日さんには悪いが、そこまで真面目だろうか、あたし。
***
「つ、つ……付き合って、下さいっ」
今回そう言って頭を下げたのは、知らない人だった。同学年。特に委員会部活等でつながりなし。なんでも、調理部に知り合いがいて、その時に見かけたのだそうな。誰だろう? その知り合い。
最初はクラスメイトだった。次は委員会の先輩。その次は調理部によく来るサッカー部の人。それから……誰だっけ。とにかく、彼――水野君で七人目。二週間で七人。多い、よね?
自慢じゃないが、これが人生のモテ期、だろう。なんでも、あたしは可愛い、らしい。
もちろん、それなりに努力している。茶髪に憧れはないので、染めはしないけど、アイロンやドライヤーを使い、トリートメントで艶も出している。化粧はそんなに。でもリップグロスには気を使っている。
それぐらい? 体重は標準。落とそうかと思うけど、まだ考え中。
ちょっと小さめで、目が大きくて時々あらぬ方を見ているのが儚げで、守ってあげたい、とか。
料理が出来て、にこって笑ってくれて、一目惚れ。とか。
英語の発音がすごくきれいで、思わず見惚れたんだ、とか。
いろいろ。うん。ホント、自分でビックリするぐらい、いろいろ。
ただ……どうしても。どうしてもちょっと思ってしまうのが。
――そんなに……弱っちいか、あたし。
自分の知ってる自分と、ちょっと反りが、意見が合わないのだ、見た目の自分って。そんなんだったっけ? と疑問が湧く。
嬉しいこと言ってくれて、って照れる自分のいるのにね。
ではなく。今回の水野君だ。同学年で、まだ肩が細い。慎重は、頭一つ分くらいしか違わない。優しそうな、男の子だ。
ただ……今は、一人でいたい時の方が多い。彼の告白を受け入れて、なのに帰宅もデートも一緒にできないんじゃ、失礼だ。
「あの……友達からじゃ、駄目ですか?」
きっぱり断らないのは、さっきの里奈ちゃんの台詞のせい、だけじゃない。なんとなく馬が合いそうな気がして、そう言った。
水野君が、ゆっくり頭を上げる。
「それはつまり……ちょっとは期待してもいいですか」
「……あたし、知らない人といきなり手をつなぐとかは無理なんで。まずは、知り合いとか友達から?」
「それで、その後ってことですか」
「えーと」
急き込まれて、一歩体が近づく。思わず下がっていた。
「えーとえーと。まあの、断言はしかねるけど、いい友達になれれば、その」
「関係を変えてくれるんですねっ」
いや、ちょっと結論急がないでほしい。だけど、あたしよりも先に水野君が動いた。あたしの手を……両手をぎゅっと握る。
「俺、頑張りますっ」
「え、あの……」
両手、が動かせない。そう認識した途端に、逃げ出したくなった。逃げたい。なのに、出来ない。
――見誤った! と後悔した。
当たり前だ。ただの印象論なんだから。草食系に見えた水野君はかなり押せ押せで強引なタイプだったらしい。嫌いじゃないんだが……今はちょっとついていけそうにない。
そのままグイッと引かれた。えええええーって驚いている間に、水野君が目の前にいた。あの、目の色、違わない? ちょっと、ヤバくない? れ、あれ? れれれれ?
「ちょっと、ま」
「渡來さん」
ちょっと、待て――! 付き合うっていたわけでもなんでもないぞ水野!
「ふっ――」
ざけるな! と続くはずだった。予定では。
が、その前に。
きえた。水野が。あたしの目の前から。
その代わりに、ジャージが見えた。学校指定の、紺のジャージ。校章と、学年と名前の刺繍入り。
その苗字に、見覚えが……あった。
「女の子の表情も心も読めない男なんて、嫌われるだけだよ、水野君?」
声にも、聞き覚えがあった。
「えっちゃんは断ったでしょ、君のこと。『友達から』なんて常套句じゃん。なんで脈なしって読めないかなぁ?」
懐かしい、呼び方も。
「ほんっと、最低だね。許しもないのに、女の子のファーストキスを奪うなんて……コッチ的には死んでもいいくらい」
「……じゃあ、ヤルか?」
ぼそっと後ろから来たっ。聞いたことある声、パート2!
「そうだね。いいよね別にきっと誰も困らないよこんな最低男が一人二人三人消えたくらいで問題――」
「あるに決まっているでしょ! 駄目よ、駄目。ぜったいに、ダメ!!」
暴論が結ばれる前に、慌てて割って入った。なんてまあ、懐かしいタイミングなんだ。
「駄目だって恭介。えっちゃんが言うなら仕方ないよね。でも、君は早めに消えてくれる? じゃないと……」
どんなふう凄んだのか、視界の端の水野君の顔色が一気に悪くなった。多分、恭介にも同じように睨まれたはずだ。ちょっとかわいそうになる。
ぐいっと胸を押す。細くて白い腕が、すっと解かれた。
きらきらと透けるような色素の薄い髪。日本人離れした、榛色の目。えへっと無邪気そうに笑う顔。
覗き込まれるのは、ずいぶんと身長に差があるから。多分、恭介と同じくらいだろう。スラリとした体つきが、綺麗だ。
ただのジャージもこういう奴が着ると、なぜかラフに着こなしているように見える。びっくりだよね。
「怪我は、ない?」
指が目元に伸びてきた。いつ間ににじんだのか、涙の粒をそっと拭われる。
「ない。何にもされてない。未遂。だから、なにもしちゃだめよ」
仕返し防止のため、じっと二人を睨む。
後ろの恭介が、しぶしぶ頷いた。あんたは、とそっちを見れば、満面の笑みが帰ってきた。何も言うまい。
大人びて、あの子供のころに持ってた誰もを魅了するあどけなさの代わりに、絶対的な美を備えてそこにいたのは。
「ひっさしぶりー。えっちゃん」
「まったくね。晶」
ずいぶん前にいなくなってしまった、牧瀬晶だった。