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盟約

 結局、俺はあのストロベリーソーダというやつを無事に飲み切った。

 飲み切ると、どうしてなのかはわからないが、少し寂しい気持ちになるのが不思議である。

 そろそろ暑くなる頃だからか、最後まで行くとその涼しさが身に染み渡るような気がして、正直、心地よかった。

 人間にとって、こういう「味わう」行為は娯楽でもあるが、生きる上の知恵でもあったのだろう。

 口の中に残る炭酸の弾ける感覚と果実の甘酸っぱさが、なぜか暑い日々を生き残る力にもなってくれる気がした。


 で、今の俺は、クロのやつとハナさんと共に昼ごはんを食べている。

「えっと、今日は野菜が多い気がしますね」

「はい、今日は少しだけ、ベジタブルな昼ごはんを用意してみました」

 今、食卓にはハナさんの用意した昼ごはんが並んでいる。色とりどりの野菜で出来たサラダ、まん丸の白いパン、そしてきのこの入ったスープがそれだ。

「ハナさん、野菜好きですからね。僕も何度かお世話になりました」

「ふふっ、もちろん肉なども好きですよ。今日はこっちの気持ちだっただけです」

 眼の前にあるサラダは、あまりにも知らない野菜が多すぎて、じっと見つめていると目が回りそうだった。どちらにせよみな色鮮やかで、新鮮なものだということがすぐわかる。

 パンはさっきハナさんが焼いていたものなのだが、真っ白でまん丸で、人間にとっては憧れになるのかもしれない、と思わせる出来である。

 隣のスープも温かそうで、これらを口にすると心地良いのだろう、と自然に感じさせるものだった。

 実はハナさんは以前にもパンやスープを出してきたことがあって、あの時の俺には「味」というのがわかりづらく、あまり味気ない食事をした覚えがある。

 さて、今回はどうなのだろうか。

 そんなことを思いながら、俺はポークを手に取った。


「……っ」

 試しにサラダを口にした俺は、その「味」の情報に驚く。

 今までは何も思わずに口にしていた食べ物が、途端に色鮮やかになったような気持ちだった。

 口にした感覚は、あのソーダのように酸っぱい。だが、そのシャキシャキとした独特の味わいは、飲み物では感じられなかったものだった。

 ――これが、「噛む」感覚の楽しさというものなのだろうか。

 サラダを口にしながら、俺はパンとスープにも視線を落とす。こちらの組み合わせは、俺がここに来てから、ハナさんがよく食事として出してくれたものでもある。

 いつもながら、パンはホクホクしていて温かそうだ。一口噛んでみると、やはり中も柔らかくて、どこかいい匂いがする。以前には気にも留めなかった感覚だ。

 その柔らかい味を吟味しながら、今度は隣のスープを一口飲んでみる。これも適切な温かさで、思わず心が暖まるようだった。キノコの柔らかさも相まって、非常に噛み心地のいい飲み物である。

 人間の食事というのは、こういう感覚だったのか。

 今までの食事とは違う、どこか不思議な感覚が俺を襲った。


 そうして食事を終わらせると、ハナさんはこんなことを口にしてくる。

「あ、そうだ。今日はデザートも作ってみたんですよ」

「ほ、ホントですか?!」

 こちらが目を丸くしていると、ハナさんはキッチンの奥からその「デザート」を持ってくる。どうやら、朝からキッチンの奥でバタバタしていたのは、このデザートのためだったようだ。

「そろそろ夏ですし、果物のデザートが欲しくなりまして。はい、どうぞ」

「いや~ハナさんの作るデザートは久しぶりですね。今日の僕はツイてるなぁ」

 ハナさんから出されたものを見てみると、それはタルトのようだった。ただし、普通のタルトとは違って、上に桃と思われるカットされた果実が置かれてある。

「あ、ひょっとして気づいたのでしょうか? あれは桃の入ったタルトなんです」

「こりゃまた珍しいものを入れてきたんですね。僕は好きですが」

 ……そう言えば、デザートって一体どのような理由で口にするものなのだろう。

 機械にとって、「エネルギーが不足してないのに」何かを取り入れることはまったくないため、俺はそう考え込まざるを得なかった。

「さあ、チサさんも一口どうぞ。自信作なんです」

「は、はいっ。いただきます」

 そう会釈して、俺はタルトを手にとってから、ゆっくりと口にする。

 一口噛んでみると、サクッとした食感と共に、今まで味わったことのない酸っぱい味が口に飛び込んできた。確かに果実の味もするのだが、それだけではなく、パンのような味や、どこか甘くて柔らかな味も感じ取れる。

 ……タルトであるわけだからパンのような味はともかくとして、この柔らかな味は何なのだろう?

「あっ、ちなみに今回のタルトには、カスタードクリームも入ってるんですよ。どうでしょうか?」

「いや~文句なしですね。最高です」

「ふふっ、クロさんったら、いつもそんなことばかり口にするんですよね」

 つまり、さっき俺が味わったあの柔らかな味は、カスタードクリームのものだったらしい。

 ……カスタードクリームって、こういう味がするのか。

 機械の身としては体験する方法がなかったため、そのような事実も、今、初めて知った。

「あれ、チサさんは今回も複雑な顔ですよね」

「あっ、はい。その、味が新鮮で……」

「おやおや、ひょっとしてチサさん、デザートを口にしたのが今回で初めてなのでしょうか?」

「は、恥ずかしながら、そうなりますね」

 非常に情けないと思いながらも、俺はそう答える。

 ……さすがに、事実を言われると否定することはできなかった。


「でも、今日のチサさんは以前と違って、表情がコロコロ変わってて安心しました」

 俺のことをじっと見つめていたハナさんは、そう言いながら微笑む。

「ひょ、表情ですか?」

「はい。以前まではほぼ無表情だったから心配だったんですけど、今日は全然違ったんですから」

 ……やはり、これもあの炭酸の影響なのだろうか。

 ハナさんを悲しまずに済んだのはいいが、やはりどこか恥ずかしい。

 だが、なんとなく、どうして人間がわざわざ食事の後にデザートを口にするのかはわかった気がする。

 要するに、これも一つの娯楽なのだ。

 濃い食事をこなしてから、軽い食べ物で口直しするという、実に人間らしい「気分的」な理由である。

 今までの自分なら、そういう感情など、到底理解できないものだったはずだが……。

 なぜだろう、今の俺には、なんとなくそれがわかりそうな気がした。


「いや~。やっぱりハナさんの作る料理は美味しいですね」

 昼ごはんを食べ終わってから、俺とクロはハナさんの家を出て、そのすぐ横で話を交わした。こちらとしてはあまり嬉しくない状況だが、なぜかこんなことになってしまったからには仕方ない。

「そうですね。自分もそうだと思います」

「ええ。こちらとしては、どうしても肉が恋しくなりますが……ハナさん、肉はそこまで口にしないんですよね」

「そうなんですか」

 確かに、今までハナさんは肉の入った料理を出してきたことがないように思える。

 別に肉のことは嫌っていないようだったので、何かしら理由があるのかもしれない。


「それはそれとして、昨日は大丈夫だったんですか?」

 その時、急にクロのやつが、そんなことを言い出してきた。

 ……とは言え、昨日の俺のことを見ていたあいつなら、そんなことが気になるのもおかしくはない。

「あ、えっと、だ、大丈夫です」

「ならよかった。昨日はいきなりチサさんがああだったんですから、こちらも驚いたんですよね」

 あいつのああいう申し訳なさそうな顔は、初めて見たような気がする。

 だが、よく考えてみると、今はそれより、重要なことがある。

 ……やはり、ハナさんに昨日のことは、知られたくなかった。

 あまりにもつまらないプライドではあるが、それだけはクロにも確かめておきたい。

「あの、昨日のこと、ハナさんには……」

 俺がそう言い出すと、クロは一気にこちらの意図がわかったという顔をした。こいつのこんなところは、こちらとしてもかなりありがたい。

「もちろんです。あの日のことは、ハナさんには決して話しませんよ」

「ほ、本当なのでしょうか?」

 こちらの態度があまりにも真に迫っていたのか、クロのやつはくすりと笑う。

「嘘なんかつきません。何なら、指切りげんまんでもしましょうか?」

「い、いえ。結構です」

 クロのやつのことを信じられないのは確かだが、そこまで子供っぽい保証まではいらない。

 ……まあ、今の態度で、あいつからは十分子ども扱いされているような気がするが。

「僕だって、チサさんの嫌うことはしたくありませんよ。だから、信じていただけると助かります」

「は、はい。……信じます」

 そこまで言うなら、こちらもこう答えるしかない。

 なぜか、今の雰囲気のあいつは信じても良さそうな気がした。


「ありがとうございます。これで、約束は成立しましたね」

 そう口にしてから、クロのやつはいつものように、にっこりと笑ってみせる。

 ……こいつにとって、今の「約束」はどんなイメージなのだろうか。

 こちらにとっては、この約束は盟約みたいなものであって、それこそ男同士の重大な誓い、だと思ってもらいたいわけだが。

 もちろん、向こうはまったくそんなふうには思っていない。

 っていうより、もし俺が後ろにあるあの「巨大なもの」であることがわかったとしても、こいつにとって、自分は「男」として扱われそうになかった。

 そもそも、機械に「性別」なんていうものは存在しない。

 自分が「そうである」と信じているだけのものに、価値など、あるのだろうか。


「ところで」

 そんなことを思っていた時に、急にクロがそんなことを言い出す。

 なぜだろう。いつもの奴とは、声の調子が違った。

「これが、いきなり倒れてたと言われる『巨大なもの』なのですね」

「……あっ」

 そこで俺は、クロのやつが何を話したがっているのか、ようやく気づく。

 そう、この後ろにある「巨大なもの」は、紛れもない「本物」の俺、ギガントの残骸だ。

「そ、そうですね」

「不思議なんですよね。どうしてここまで巨大なものが、音もなくハナさんの家に倒れてたのでしょう?」

「そ、それは……」

「あっ、そういや、チサさんもここに倒れてたところを、ハナさんに見つけてもらったようですね」

「は、はい。そうなります」

 いきなり自分の話が出てきて、俺は何度もそう頷く。もちろん「巨大なもの」も自分の話ではあるが、さすがにそれをこいつの前で語るわけにはいかなかった。

 そもそも、当事者である俺すら、未だに「この」現実が信じられない。

 こちらがそう思っているというのに、目の前のクロが、そのように事実を信じてくれるわけがなかった。


「チサさんは、この『巨大なもの』に覚えがありませんか?」

「……ありません」

 だから、俺はやつの前でそう首を振る。

 ここで複雑な思いを抱かなかったとすると、もちろん嘘になるのだろう。

 自分のことを「知らない」と答えなければいけない、その気持ちは口にできないものであった。

「まあ、それもおかしくはありませんね。チサさん、記憶が不明瞭だと仰っていましたし」

「ご、ごめんなさい」

「いえいえ、謝る必要はまったくないですよ」

 そんなことを口にしながらも、クロのやつは、視線を「俺」から離さない。まるで興味深いものを眺めるような、そんな眼差しで「俺」を見上げていた。

「でも、よく見るとこの『巨大なもの』、形が変わってますね」

「そ、そうなんでしょうか」

 あいつにジロジロ見られるのが照れくさくて、俺はそっと視線を逸してしまう。

 もちろん、今のあいつが眺めているのは「ギガント」としての俺なのだが、自分のことを未だにギガントだと思っている方としては、どちらにせよ恥ずかしい。

「はい、どこかでよく見たような形ですが……おや」

「は、はい?!」

 クロの声の口調がまた変わった気がして、俺は肩が震えるのを感じた。

 ――どこかで、よく見たような形?

 そう言えば、俺が今人間といて存在するこの世界に、「ギガント」たるものはあるのか?

「そういや『これ』、アレとよく似てますよね」

 こちらのことは振り向くことすらせずに、クロのやつは話を続けた。

「その、なんだ、子供の頃に僕が憧れてた、ヒーローの巨大ロボットみたいな――」

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