龍との遭遇
バスを降りるとむわっと暑さが襲ってきた。
私は持っていた日傘を、急いで広げる。
やはり杖を持たずに家を出て正解だった。
杖と日傘を同時にさして、そのうえ荷物まで持つのは老体には至難の業なのだ。
その代わりに注意深く歩かないと、転んでしまっては大変な事になる。
この間も転んで前歯を折ったばかりなのだから。
難病持ちだから病院通いを辞める訳にはいかないが、真夏はやはりきつい。
一歩、一歩。確かめるように丁寧に歩く。
年をとると外出すること自体がサバイバルになるなんて、若い頃は想像もしなかった。
じりじりと照り付ける太陽を、黒い日傘で遮ると、視界はかなり狭くなる。
それでなくともかなり見えずらいのに。
しかしさすがの私にも、その異様な光景は目に入った。
いきなり痴ほうが始まってしまったのだろうか?
空に龍が悠々と飛んでいる。
白昼夢?蜃気楼?
そんな言葉が浮かんだが、それどころではなかった。
その物体は、何故か急降下して私と接触したのだ。
若い子なら避けられたと思う。
龍の着地に巻き込まれただけで、龍とぶつかった訳ではない。
けれどその僅かな空気の圧力が、私を地面に叩きつけた。
まずい。かなりまずい。
もし骨が折れていたら、そのまま寝たきり一直線になってしまう。
5年前に夫を亡くし、ひとり暮らし。
どうすればいいのだろう。
私は、身体を叩きつけられた痛みに起き上がることも出来ずに、そんなことを考えていた。
「ごめんなさい。大丈夫ですか?」
子供らしい声がする。
ここは都下でもかなり不便な場所。
その昔の開発で、駅からかなり遠い場所に作られた住宅地。
山を切り崩したこの場所は、今ではすっかり人も減って、住むのは老人ばかりだ。
いくらかいる子供達はバスで小学校に通っている。
だから真夏の昼下がり、人はほとんど通らない。
「すまないね、坊や。悪いけれど救急車を呼んでくれるかい?
携帯電話なら、その辺りにバックが落ちているだろうから探しておくれ。
119番だよ。お願いできるかね」
「ごめんよ。何を言っているのかよく分からない。
記憶を読ませてもらってもいいかな?」
奇妙な事を言う子供だね。
でも私は頷いた。
「なんでもやっておくれ。とにかく助けを呼んで欲しいんだ」
もう十分に生きたから、命は惜しくはないが、コンクリートの上で干物みたいになって、死にたいわけではなかった。
そこまでが限界だったのだろう。
私の意識はそこでブラックアウトした。
次に目が覚めた時、私は清潔な服に着替えて、ふかふかのベッドの中にいた。
おかしなことに、どこにも痛みはなかった。
てっきり骨が折れたと思ったのに。
ここは何所だろう?
病院にしては、部屋が立派過ぎる。
「目が覚めたの。ごめんね。僕のせいだね」
あぁ、この声には聞き覚えがある。
きっとあの時の少年が助けてくれたのだ。
「御親切にありがとうございます。
助けて頂いたのですね。
こちらは坊ちゃんのご自宅ですか?
ご両親はいらっしゃいますか?
お礼を申し上げたいのですが」
「ここは僕の部屋だけれど、謝るのはこっちなんだ。
僕が吹き飛ばしてしまったのだもの」
そう言う少年をまじまじと見ると、なんと青い髪に青い目をしているではないか!
外国人かしら?それでも青い髪は無いわよね。
染めているのね。今時の子供だもの。
目だってカラーコンタクトかも知れないわ。
「信じられない事を言うようだけれど、私を吹き飛ばしたのは龍だったの。
坊や、あなたに責任はないわ」
「だったら、やはり僕のせいだよ。僕は龍なんだ」
そう言うと少年は小さな龍に姿を変えた。
青い小さな龍。私がみたのは巨大な龍だったのに。
「大きさは変えられる。人間の姿もとれるよ」
そうして龍は15~16歳位の少年の姿に戻った。
「ごめんなさい。坊やという年齢ではないのね。
なんと呼べばいいのかしら」
「僕の名前はセレスタイト 青龍セレスタイト。セレスと呼んで」
「セレス君ね。私の名前は篠原七海。おばあちゃんでいいわよ」
「七海。良い名前だね。ナナと呼んでもいい?」
「おやまぁ、こんなおばあちゃんをナナと呼んでくれるのかい?
主人が生きていた時には、ナミと呼ばれていたんだよ」
「御主人がいたのですか?」
「ええ、もう亡くなって5年になるわ」
「そう、なら今はフリーですね。ナナ」
「セレス君、あんまり年寄りをからかうんじゃないよ。
ケガも無いようだし、そろそろお暇するわね」
私はそう言ってベッドから立ち上がった。
驚いたことに、すっと立ててしまう。
しかも、手足も軽い。体中にまとわりついていた痛みすら無くなっている。
手をしげしげと見る。
美しい手だ。水仕事ひとつしていないような若々しい手。
私が驚いているとセレスは、私の手をとって大きな鏡の前に連れていってくれた。
信じられないことに、そこに立っている私は中学生の時とそっくりだった。
白髪だった髪も、艶やかな黒髪に。しかも肩位まで伸びている。
中学生の頃は身軽で、木登りもすればバク転までやった。
悪戯心がおこって、その場でバク転をしてみたら、見事に成功した。
ちゃんと身体が覚えているのだ。
「セレス君。これは一体どういうことなの?」
「ナナは大けがをして死にかけてたんだ。
青龍が無辜の民を殺す訳にはいかないからね。
治癒の魔法をかけたら、少し効きすぎたみたいなんだ」
「何やってんのよ!
こんな姿でどうやって家に帰ればいいの?
おばあちゃんじゃなく若い娘が暮らし始めたら警察を呼ばれるわ。
下手をしたら殺人犯にされてしまうかも。
だっておばあちゃんが消えて、そこに小娘が現れたら」
「そこは任せてよ。ほら、見てごらん」
セレス君が見せてくれた鏡に、今度は私の家が映った。
驚いたことに、そこに私がいた。
私そっくりの老婆は、当たり前の顔をして、私の家で暮らしていたのだ。
私が驚きのあまり、声もだせないでいると、セレス君が私をテーブルに案内してくれた。
そこには美味しそうなお料理が並んでいて、はしたなくも私のお腹がグウとなった。
きちんとお腹がすくなんてどれくらいぶりだろう。
この頃は食欲がなく、義務感で何かを口にしていたのに。
「とりあえず、説明は食べながらにしないか。
ナナは回復に随分体力を使ったから、何か食べないといけないんだ」
「せめてセレス君の御両親に、ご挨拶をしてから……」
私がそう言いかけると、セレス君はにっこりと笑った。
「父上も母上も久しぶりにプロイセン王国に行っているんだ。
父上はプロイセン王国の守護龍だからね。
きっと王宮は大騒ぎだろうな。今頃」
「もしかしてここは日本ではないの?」
「君が死にかけたって言ったろう?それよりほら」
セレス君がスープを私の口に押し込んだので、零したくなくて飲み込んだらとても美味しい。
「美味しい~、なにこれ?凄く美味しいんですけど」
「それじゃぁ、たっぷり食べて。説明を聞きたいんだろう」
わたしはこくりと頷いて、猛烈な勢いで食べ始めた。
若い身体は凄い!
いくらでも食べられるのだ。
一通り食べてひと息ついたら、なんとケーキと紅茶が出てきた。
そうだった。
若い頃は、甘いものは別腹と言って、食事の後にスイーツを食べていたっけ。
それでも太らなかったのは、代謝が良かったのと、よく運動したからだろ。
ケーキは小さくカットされている。
と、言うことは、もしかして全種類制覇できるかも。
せっせとお皿に取り分けていると、セレス君がケーキを口元に持ってきた。
ケーキに罪はない。
私は、勿論パクリと食べてしまった。
そしたら、セレス君が面白がって、次々とケーキを食べさせてくれる。
私は途中で紅茶を飲みながら、せっせとケーキを食べていった。
「セレス君。ギブ。もう入らないよ」
「ナナ、僕がナナって呼ぶのだから、ナナもセレスって呼んで!」
成る程。年配者から敬称を付けられたくないとは、セレス君はなかなか真面目な少年のようだ。
「分かったわ、セレス。これからはセレスって呼ぶね」
「いい子だね、ナナは」
セレス君はそんな事を言う。
しかたがない。大人ぶりたい年ごろなのだ。
「それで、セレス。これからどうすればいいのかしら。
私の身体は元に戻るの?
日本に帰れるのかしら?」
「ごめんね。ナナ。ナナの身体は魔法で治癒しているから、帰れないんだ。
帰ったら死んでしまうからね。
申し訳ないけれど、ここに住んでくれるかな」
「でも、子供達や孫たちが心配するわ」
「それは大丈夫。あのオートマタには君の記憶を植え込んであるからね。
何も問題は起きないよ」
「そうじゃないわ。セレス。
私が子供達に会いたいって話をしているのよ」
セレス君は私の身体をギュッと抱きしめた。
おかしい。私はこんなに感情的じゃなかった筈なのに。
どうやら身体が若返ったせいで、感情まで子供の頃に戻ってしまったみたいだ。
落ち着かなきゃ。
私はれっきとした大人なのだから。
「ごめん、セレス。命を助けてくれたんだよね、
どうせ向こうの世界にいても長くない命だった。
今更、もう責めたりしないよ。
この話は終わりにしよう」
セレス君は嬉しそうににっこりと笑った。
きっと余程、気にしていたに違いない。
可哀そうに。




