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血染めの攻略姫  作者: あをい
序章
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生存戦略と紅い拍動.2

 ──1週間が経った。


 相変わらず太陽の下を歩くことは叶わないが、夜間に外に出て水と食料を確保する生活を続けていく中で、いくつか「分かったこと」がある。


 まずは、この森について。

 幸いなことに、水場は歩いて三十分ほどの距離にあった。少女の、それも極限まで削られた体力でこの時間だ。実距離としては数百メートルといったところだろう。徐々に体力が回復してきた今であれば十分程度で辿り着ける。


 次に食料だが、これが問題だった。

 この森には、驚くほど動物の気配がない。鳥の羽音も、獣が茂みを分ける音も聞こえない。聞こえるのは気味の悪い羽虫の羽音だけで、それを食料にカウントするのは、俺の精神衛生上、到底不可能だった。


 二日目。

 餓死の二文字が脳裏をチラついた頃、野苺によく似た赤い実が自生しているポイントを見つけた。毒かどうかも、寄生虫の有無も、考える余裕はなかった。

 思わずありついたそれは、酸味が強く、お世辞にも美味しいとは言えない味だったが、俺の命をわずかに引き延ばしてくれた。


 日が昇ってから落ちるまでの時間は、睡眠と、魔法に関する試行錯誤に充てた。


 驚くべきことに、この少女の持つ『並列思考』という能力は、眠っている間すら機能する。


 意識の半分を休息に回し、泥のような眠りの中で体力回復に努めるのと同時並行で、もう半分の領域では魔法に関するシミュレーションを延々と回し続けることができた。


 元々、格ゲーのトップランカーなので多少マルチタスクには自信があったが、これはその域を完全に超えている。


 だが、それでも魔法の発動には至らなかった。


 少女の記憶の中の母親は、魔法はイメージの固定がすべてだと言っていた。

 イメージなら、嫌というほどできる。手のひらに火球を浮かべる、血を鋭い刃に変える。対戦格闘ゲームのトップ層で戦ってきた俺にとって、技の完成形を脳内に描くことなど、呼吸をするより容易い。


 だが、決定的な何かが足りない。

 形は描けるのに、そこへ至る「魔力」というエネルギーの繋げ方が、どうしても分からないのだ。


 これまで経験してきた事実から察するに、十中八九、俺は今『イリア』という存在としてここにいるのだろう。だが、記憶の中で彼女がいとも容易く成し遂げていたことが、今の俺にはどうしてもできない。


 この世界に関する根本的な"知識"がない俺は、やがて、現時点では魔法の発動は不可能なのだろうと結論付けた。


  *


 収穫はありつつも自分の無力さを突きつけられるような、そんな一週間が過ぎた八日目の夜。

 水場の往復と最低限の探索を終え、疲労の溜まった体を引きずって岩穴へと戻った時のことだ。


(……?)


 入り口付近まで戻ってきたところで、身体の奥底に潜む本能的な五感が、微かな「違和感」を捉えた。

 

 それは意識して拾い上げた情報ではない。だが、俺の脳内に備わった『並列思考』が、それを逃さなかった。


 風の止み方、夜闇の色の不自然な重なり、空気中に溶け込んだ劇薬の臭い。

 バラバラだったパズルのピースが組み合わされ、一つの明確な答えを導き出す。


(――白衣の男たち(あいつら)だ)


 確信が走ると同時に、俺は反射的に近くの茂みへと身を沈めた。


 ──しばらくして、岩穴から二人の影が這い出してきた。


「……クソ、ここにもいねぇ。あの化け物、どこまで逃げやがった」


「……おい、見てみろ。この実の食べかす、まだ新しいぞ」


「チッ、近くに潜んでやがるな。……手分けしてこの辺りを徹底的に探すぞ。見つけ次第、四肢を焼いてでも拘束しろ」


 岩穴から這い出してきた白衣の男たちの言葉に、心臓が跳ねる。


(……逃げるぞ。ここでやり合うのはリスクが高すぎる)


 俺に、他人の命を奪う覚悟なんて、まだどこにもない。気配を殺し、音もなく茂みの奥へと後退しようとした、その時。


(――あ)


 一週間、一度もミスをしなかったはずの足元が、湿った枯れ枝を捉えた。

 パキリ、という乾いた音が、静寂の森に響き渡る。


「……誰だ!? そこかッ!!」


 刹那、激しい光が暗闇を切り裂き、俺の視界を白く染めた。


 奴らの手に浮かぶのは、光魔法の『灯光ライト』。少女の記憶が、瞬時にその正体を弾き出した。


「いたぞ! 被検体あいつだ!!」


 もう、逃げ場はない。

 二人の男が、逃走経路を塞ぐように容赦なく距離を詰めてくる。

 やられる。捕まれば、またあの地獄に逆戻りだ。


(……やるしか、ねぇのかよ……っ!)


 生存本能が恐怖を塗り潰し、俺は無意識に、護身用として携帯していた先を尖らせた二本の木の棒を構えた。


 「逃がすかッ!!」


 左側の男が叫び、その手に歪な魔力の奔流が渦巻いた。


 放たれたのは『岩礫ロックブラスト』。礫状に固められた岩の弾丸が、空気を切り裂いて俺の眉間へと迫る。


 回避は間に合わない――そう直感した瞬間、右手の棒が咄嗟に動いた。

 最短距離で『岩礫』を叩き落とし、その衝撃を逃がしながら一歩踏み込む。


(……軽い)


 驚くほど、身体が軽い。

 この1週間で、自分が思っていた以上に身体は回復していたようだ。──自身のコンディションを今一度確認したその瞬間。


 脳内に強烈な「イメージ」が奔った。頭の中に描いた軌道を、そのまま現実に呼び起こす。


 俺は地面を蹴った。

 吸血鬼の筋力は、小さな体を弾丸のように加速させる。正面から突っ込むと見せかけ、すぐ傍の巨木の幹を垂直に駆け上がった。


「なっ、消えた……!?」


 頭上だ。

 木の枝を足場に、さらに高く。三次元的な軌道を描いて男たちの背後へと回り込む。


 並列思考が導き出す「死角」を、この肉体ならなぞることができる。

 着地と同時に、無防備な背中へ肉薄した。


 喉元、心臓、延髄。

 急所を突く隙は、嫌というほど何度も現れる。


 ――だが。


(……くそっ!)


 最後の一押しで、どうしても手が止まる。

 掌に伝わるであろう肉の感触を想像した瞬間、指先が石のように強張る。


 ──何度もチャンスを見送った。


 いくら身体能力が向上したとはいえ、所詮は幼女の身体だ。

 次第に、急激な機動に心肺機能が追いつかなくなり、肺が焼けるように熱くなる。


「ハァッ、……ハァ、この……ちょこまかとっ!」


「あの傭兵は何をしているっ……!」


 "それ"…は、いつの間にかそこに居た。

 背後で武器を担いだまま、気配を消して戦況を眺める男。その沈黙に、白衣の男たちは焦燥を隠せない。


 やがて白衣の男たちの顔から余裕が消え、代わりに醜悪な殺意が膨れ上がる。


 生け捕りが困難だと判断した男たちは、一人が地面に手を突き、広範囲の『岩礫ロックブラスト』を俺の足元へ叩きつけた。

 狙いは俺じゃない、周囲の木々と地面だ。


 爆破に近い衝撃で足場が砕け、三次元的な機動を支えていた木の幹が次々とへし折れる。滞空していた俺は、逃げ場を失い重力に捕まった。


(しまっ――)


 その隙を、もう一人の男が逃さなかった。

 逃走経路を完全に塞ぐようにハメられ、着地の硬直に鋭利なナイフが迫る。


 死が、目と鼻の先まで迫る。

 鉄の匂いと、男の濁った眼球。


(……あ、――死ぬ)

 

 (…っ嘘っ!?)


 死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくない。


 その瞬間、余裕がなくなった心の奥底で、パリン、と何かが音を立てて砕け散った。


「あ、ぁあああああッ!!」


 喉を裂くような絶叫と共に、手に持っていた木の棒を――全力で、振り抜いた。


 グチャリ、という、生身の人間を壊した嫌な感触が腕を伝う。吸血鬼の膂力を乗せた棒は、男の顔面を容易く粉砕していた。


「……あ、が……」


 絶命の寸前、男が上げた小さく情けない声。

 掌に伝わる、骨が砕け、肉が爆ぜる生々しい振動。

 脳が「人を殺した」という事実で埋め尽くされそうになるが、生きようとする本能は、俺に戦慄く暇さえ与えない。


 ………。


(……次、まだ、もう一人――!)


 動揺、興奮、冷静──並列思考でいくつもの感情が共存している。

 糸を手繰り寄せるように、次の動きのイメージを固めた俺は、一人目の男が膝を突くよりも早く、俺はその肩を足場に、地を蹴った。

 視界の端、『岩礫』を放ったばかりのもう一人の男が、戦慄に顔を歪ませているのが見える。


 着地と同時、最短距離での刺突。

 

 魔法の残光の中で立ち尽くす男の喉笛へ、二本目の木の棒が吸い込まれるように突き刺さった。


「カハッ……!?」


 熱い返り血が、俺の頬に、開いたままの瞳に飛散する。二つの肉塊が、時間差もなく泥のように地面に転がった。

 

 ……静寂。


 主を失った『灯光ライト』が霧散し、森に再び濃密な闇が戻る。自分が何を成したのか、遅れてやってきた理解が、俺の胃の腑を激しく掻き回した。


「……う、……ぁ、げほっ!!」


 震える手で、顔にへばりついた「誰かの血」を拭う。


 手が汚れている。

 心が汚れている。

 

 人を殺した。


 ゲームのキャラじゃない、今の今まで罵倒を飛ばしてきた、血の通った人間を。

 

「はぁ、……はぁっ……、……っ」


 過呼吸気味に肺が空気を求める中、背後の闇から冷徹な拍手が響いた。


「……なるほど。白衣の連中(素人)相手とはいえ、そこまでやれるか」


 闇に溶け込むような黒い戦闘服。男が放つのは、先ほどの連中とは比較にならない、濃密で、吐き気を催すほどの純粋な「殺気」だった。

 

 男は地面に転がる白衣の死体を、ゴミでも退けるように無造作に蹴り飛ばした。仲間が死んだというのに、その表情には微塵の動揺もない。


「依頼主が死んじまったか。……だが、まあいい。予定変更だ」


 男の視線が、俺の全身をなめるように這い回る。それは「被検体」を見る目ではない。市場に並ぶ家畜の、それも極上の「商品」を値踏みする、下卑た色欲と金欲が混ざり合った視線。


「なるほどなっ…!こりゃあいい!」


 男が目を見開き、二刀の剣を引き抜く。その鈍色の輝きは、逃走という選択肢を完全に断絶させる重圧を放っていた。暗闇の中で剥き出しになった「死」が、絶望となって俺の首筋に突きつけられる。


(……っ、!)


 思考と肉体が、急速に冷えていく。

 震える俺の四肢が、迫る死を本能的に理解する。


 一歩、男が踏み込んできた。


 その瞬間――。


 俺の意識の底で、ずっと眠っていたはずの「絶望」が、静かに目を覚ました。

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