邪神の最後
玉座の間の奥にある扉を抜け、隧道通路を走り抜けたステアとイオリは、奥宮に入った。奥宮の礼拝堂の奥にあるクロム製の扉は、宰相の指輪を当てるまでもなく、イオリが近づくと音もなく開いた。
「シンが助けを連れてギギルの所に戻ってくるの。扉は開いたままでありなさい」
イオリが扉に向かって呟くと、どこからかリンという鈴の音が響いた。
クロム製の扉はステアとイオリが通り過ぎた後も閉じられることはなかった。
ステアとイオリは、扉の先の隧道を通ってアマノイワトの大広間にたどり着いた。奥宮からアマノイワトの大広間に通じる隧道には、枯れたオニウツボカズラの残骸がいたるところにへばり付いていた。サリー教の女神ヴァリが種子を宿した後に枯れたことで、ヴァリ株より派生して繁茂していたオニウツボカズラの群生も同様に枯れたのだ。
ステアとイオリは西の穴からアマノイワトの大広間に入った。正面の壁面には翡翠白光石で塞がれた東の穴があり、その前の祭壇の上にギギルが横たわっていた。
イオリがギギルに走り寄った。
「ギギル、ギギル、イオリだよ・・・ねえ、ギギル、生きているよね、返事をしてよ」
ギギルにすがり付いたイオリが涙声で語りかけた。ギギルは仰向けに寝かされたまま、血の気の失せた青白い顔をしてピクリとも動かない。ステアはギギルの横に立つと胸に耳を当てた。ドクリドクリという鼓動が聞こえ、弱々しい呼吸音とともに胸がかすかに上下している。ステアはイオリに向かって大丈夫だというふうに首を縦に振り、それからギギルの左腕の傷をあらためた。上腕を縛って止血しているが、左肘の傷口からはじわじわと出血が続いていた。縛っている部分から先の腕は血の気を失って変色していた。
ソトルとの戦いの中で、致命傷を避けるために、自ら左手のカギ爪を切り放したとイオリから聞いて、ステアは信じられないという顔をした。
「何だって、自分でカギ爪を・・・大したものだ。きちんと治療しないと、このままでは命が危ないが、もうすぐここにゴルムがやってくる。とにかく、ここに寝かせていてはまずい。ギギルをどこかに隠さなければ」
ステアは大広間をグルリと見回した。枯れたオニウツボカズラの残骸で覆われた大広間には、ギギルを隠せるような場所は見当たらない。ステアは顔を曇らせた。
「ねえ、ステア、宰相の指輪があるんでしょう。アマノイワトを開けてアマテス女王にギギルをかくまってもらおうよ」
「ダメだよイオリ。ゴルムはアマテス女王の血を欲しがっているんだ。ゴルムを倒す前にアマノイワトを開けてはいけない。アマテス女王をそんな危険な目に遭わせる訳にはいかない。イオリ、他の穴は開かないのかい」
イオリがパッと顔を輝かせた。
「南の穴だ! あたしたちは最初、アマノイワトの参道を抜けて、女王の兵士の像の横を通って南の穴からここへ入ったんだ」
イオリは南の穴の前に走って行くと、翡翠白光石に両手を当てて小さな声で「開け」と言った。
どこからかリンという鈴の音が響いた。穴を塞いでいる翡翠白光石が、スッと質量を失い、淡い翡翠色の光の幕のようになった。
「これは・・・何が起こったんだ。穴を塞いでいた白光石が消えた。いったい、どうやって・・・」
さすがのステアも目を疑った。しかし、直ぐに、そんなことを考えている場合ではないと頭を切り替えた。
「イオリ、手を貸して。ギギルを運ぶんだ」
ステアはイオリの手を借りてギギルを背負うと、ソロソロと南の穴に向かった。イオリは焼け崩れた粘菌の塊に墓標のように突き刺さったままのギギルの長剣を拾い上げると、ステアの後を追った。
ステアが歩いた際の振動が傷に響いたのだろう、ステアの背中でギギルがウウンと唸った。
「ギギル、気が付きましたか。ステアです。もう少し辛抱して下さい。すぐに下ろしますから」
「・・・ステアか・・・俺は・・・生きているのか・・・。ステア・・・俺のことには構うな・・・放っておいてくれ・・・たのむ・・・」
ギギルの声は弱々しく掠れている。ギギルは生きる気力も目的も失っているのだ。
「そうはいきませんよ。もうすぐゴルムがここにくるんです。ギギルはイオリと一緒に隠れていて下さい」
「ゴルムがここへ?」
ギギルはゴルムがサリー神ヴァイムと同化して、ヒト食い植物人間と化したことを知らなかった。
「ええ、ゴルムはオニウツボカズラと一体となって、とうとう化け物の本性を現しました。ゴルムはアマテス女王とイオリの血を求めているのです。神の力を得るためにね。私がやつを倒して見せますよ」
「ステア、お前さんひとりでゴルムと・・・」
「ええ、いまのところ、ここにはゴルムと戦えるのは私しかいませんからね。ハハハ、ギギルの得意な行き当たりばったり作戦ですよ」
ギギルを背負ったステアが南の穴の通路を通り抜けた途端、ズルズルという床を這い回る音が西の穴から聞こえてきた。
「ゴルムがきた。イオリ、ギギルを頼んだよ。ああ、イオリにこれを渡しておこう、宰相の指輪だ」
ステアはギギルを兵士の間の床の上に下ろすと、上着の小物入れから宰相の指輪を取り出してイオリの掌の上に置いた。そして、イオリの顔を無言でジッと見つめると、不意にイオリの頬を右手で優しく撫でた。ステアの目を見つめ返したイオリが、スッと瞼を閉じた。ステアはイオリの唇に顔を近づけたが、そこで思い止まると、イオリに背中を向けて走り去った。
「ステア!」
イオリが呼ぶ声にステアは振り向きもせずにアマノイワトの大広間に飛び込んだ。
ステアが大広間の中央に立つと、西の穴からゴルムが姿を現した。ウネウネとした蔓を床の上にくねらせて軟体動物のように這っている。太い茎が何本も捻じり合うように絡まり、ヒトの背骨のように垂直に立っていた。その背骨のような柱から何本もの蔓が枝分かれして四方八方に伸びていて、蔓の至る所からイワヘビの頭のように膨らんだ触手が生えている。背骨のような柱の中央部分にヌタリと開いた肉厚の花弁と捕虫袋がぶら下がっていた。花弁の中にゴルムの顔が見える。そこがゴルムの本体部分である。
ステアの姿を見つけると、花弁の中のゴルムの顔が引きつるように歪んだ。笑っているのだ。大広間の中に甘く微かに腐臭を纏った香りが漂い始めた。メキメキと蔦が伸びて瞬く間に床や壁に繁茂面積が広がった。無数の触手が鎌首を持ち上げてユラユラと揺れている。
ステアは少し腰を落としてやや半身になり、右手を腰の剣の柄の上においてゴルムを観察していた。
・・・巨大なヒト食い植物だ・・・こいつの急所はどこだ?・・・花弁か、捕虫袋か、それとも・・・粘菌? ゴルムは粘菌がオニウツボカズラと共生したと言った。こいつの実体は巨大な粘菌の塊なのか・・・
ステアの左右から触手が襲ってきた。ステアの身体がその場で舞うように回転した。ステアの腰から放たれた銀の流星が二本の触手を切り払った。床にポタリと落ちた触手は、切り口から白い粘液を垂らしながらウネウネと動いている。ステアの剣は眼にもとまらぬ速さで腰の鞘に収まっていた。
ステアはやや半身の体勢で右手を腰の剣の柄の上においたまま、猛然とゴルムに向かって走った。ゴルムとの間合いを一気に詰めたステアは、右と左に大きく身体を捻った。地上から天空に向かって伸び上がるような銀の流星がキラリキラリと二度閃いた。
オニウツボカズラの花弁を支える根元の軸が切り放たれて、首が落ちたかのように花弁が床の上にボタリと落ちた。それに合わせて捕虫袋がザックリと割れて、内臓が飛び出たかのように消化液とヒトの骨が床の上にドシャリと流れ出た。周囲に鼻を刺すような刺激臭と耐えがたい腐臭が広がった。
ステアは流れ出る消化液を避けるようにして後方に跳び退くと、再びやや半身の体勢をとり右手を腰の剣の柄の上においた。
背骨のような柱から枝分かれして生えている蔓のひとつが、鎌首を持ち上げたように正面を向き、その先端が見る見るうちに膨らんでいく。先端の膨らみは更に大きくなり、薄っすらと赤紫の色を帯び始めた。そして、ヒトの頭ほどの大きさにまで膨らむとヌタリと花弁が開いた。花弁の中でゴルムが笑っている。捕虫袋の切り口から白い粘液がヌメヌメと滲み出て切り口を覆うと、ザックリと裂けていた捕虫袋は瞬く間に元の形に戻った。
ゴルムの再生能力を見て、ステアは驚愕した。
・・・剣で身体を切り裂くことは効果がないのか。こいつを倒すにはどうすればいいんだ・・・
ゴルムの伸ばした蔓が大広間の半分近くまで広がり、ステアの身体を取り囲むように、無数の触手が鎌首を持ち上げるようにウネウネと立ち上がった。ゴルムの再生能力に一瞬気を取られたステアは逃げ遅れた。
・・・いけない、囲まれた・・・
ステアは前後左右から迫る触手に向かって剣を振るいながら、触手の囲みから逃れようと身を翻した。首と腕に絡み付こうと伸びてきた触手を切り払ったトキに、左足首に触手が絡みつき、ステアは床に引きずり倒された。あっという間に両腕と身体に触手が絡みついた。ステアは必死に身体を捩り、床を転がるようにして逃れようとしたが、両足にも首にも触手が伸びてきた。
・・・クソッ、身体が動かない・・・
触手に絡み付かれて身動きができなくなったステアは、ゴルムの捕虫袋に向かってズルズルと床の上を引っ張られた。
「ステア!」
大広間に走り込んできたイオリは、護身用の短剣をヒュンヒュンと振り回してウネウネと立ち上がる触手を切り払いながら、床に倒れているステアに近づいた。イオリの足首や腕に絡みつこうとした触手は、イオリの長靴や外套に触れた途端、焼けた石に触れたかのようにビリリと振動して縮こまった。西の塔の上で服に塗り込んだクロドクダミの汁がまだ効果を保っていたのだ。イオリはステアの身体にすがり付くと、ステアに絡み付いている触手を短剣で切り払った。
「イオリ・・・どうして・・・」
ステアはイオリの顔を見て驚いたような声を上げた。
「だって・・・ステアがゴルムにやられそうだったから・・・あたし・・・」
イオリの翡翠色の大きな瞳が揺れている。
ステアは身体を起こしながら、身体に絡み付いている触手を払いのけた。そうしている間にも新しい触手がイオリとステアに向かってウネウネと伸びてきた。ステアとイオリはその場で背中合わせになると、ふたりに向かって伸びてくる触手を手当たり次第に切り払った。
切っても切っても新しい触手がウネウネと伸びてくる。ステアとイオリの剣さばきが徐々に乱れ始めた。イオリの服に塗りつけたクロドクダミの汁の効果も薄れ始めて、イオリの身体にも触手が絡みつき始めた。ステアとイオリは触手に囲まれて、剣を構えたまま肩で息をしている。
疲れの見え始めたステアとイオリに向かって、ゴルムがズルズルと近づいた。ヌタリと開いた花弁の中のゴルムの顔がイオリの血を欲しがって歪み、捕虫袋の口からボタボタと消化液が溢れ出ている。
とうとうゴルムがステアとイオリの前に立った。花弁の中のゴルムの顔が禍々しい笑いを浮かべた。甘い毒香が吐き出されると、ステアとイオリの動きが止まった。
ステアは痺れる頭を必死で振りながら、イオリを守るようにしっかりと胸に抱いた。
ギギルの意識は濃密な霧の中をさまよっていた。目に映るもの耳に聞こえるものが何を意味するのか、ギギルには理解できなかった。このまま死ねばいい、それでいい。あまりにも罪深い自分は生きている資格がないのだとギギルは思った。
『・・・ギギル! ギギル! あなた、何をしているの・・・』
妻のリリカの声が、ギギルの頭の中に響いた。
・・・ああ、リリカ。俺は、俺は・・・何ということを・・・全てを思い出した・・・許してくれ、リリカ・・・
『ギギル、私の愛しいヒト。そんなに悩まないで頂戴。私はあなたに愛されて幸せでした。あなたが自分は監督使だと打ち明けて、私のために監督使を辞めると言ってくれた。私は本当にうれしかった』
・・・リリカ、俺はお前にそんなことを言ってもらえる資格がないんだよ・・・俺はこの手で・・・お前も俺たちの卵も殺しちまった・・・いや、それだけじゃない。監督使として罪のない多くのヒトを殺しちまった・・・そして今の今まで、そのことを心の奥底に仕舞い込んでいた・・・いや、あえて見ようとしなかったんだ・・・俺は卑怯なオトコだ・・・
『ギギル、あなたは術に操られていたのよ、あなたの意思じゃない』
・・・いや、監督使になったのは、俺の意思だ。ソトルに誘われて、女王の僕になると決めた、その心の中は報酬の金のことでいっぱいだった。親父は俺が体形変化期を迎える前に死に、それ以降はお袋のサユミが俺を育ててくれた。酷い貧乏だった。俺が軍人になると、すぐにサユミが病気で倒れた。軍人になったばかりの俺には金なんぞない。高価な薬を買うために金が欲しかったんだ。いや、そんな綺麗ごとじゃない。俺の心の中には、虚栄心と剣の腕に対する慢心とソトルに対する対抗意識と・・・そんな下らないものが渦巻いていたんだ。全く、どうしようもないオトコだよ、俺は・・・
『そんなことはない。あなたは私を心の底から愛してくれたわ』
・・・だが、俺はそんなお前を殺しちまった・・・
『私の命はあなたが監督使の呪縛から逃れるための代償だったのよ。だからそんなに自分を責めないで』
・・・悪いのは全て俺なんだ。自分を責めるしかない。責めて責めて責め抜いて、苦しんで死ねばいいのさ。それが俺にはふさわしい・・・
『ねえギギル、あなたには与えられた使命があるでしょう』
・・・使命? 俺にはもう生きていく意味が分からないんだ・・・
『しっかりして、ギギル! 私の愛したギギルはもっと強いはずよ。さあ、前を見て、あなたの果たすべき使命は目の前にあるわ』
・・・目の前に?・・・
『あなたと私の間に産まれた卵は、見たこともない綺麗な色をしていたの。卵が生まれたとき、あなたは軍の演習で家を留守にしていたから、見ていないでしょうけど』
・・・見たこともないような綺麗な卵・・・そうだ、ソトルもさっき俺にそう言った・・・それじゃあ俺たちの卵は女王候補者の・・・だからロドンはリリカと卵の殺害を命じたのか・・・
『それだけじゃないわ。ねえ、ギギル。あなた覚えていないの? あなたと私の卵に付けた名前を』
・・・俺たちの卵の名前?・・・
『あなたが軍の演習に出かける間際に、私が言ったでしょう。あなたは出かける準備でうわの空だったけど。産まれてくる卵の名前はイオリにしましょうって』
・・・そんな!・・・そんなことが・・・イオリ・・・ああ、何てことだ・・・
『そうよ、あなたがイオリを守っているのは運命なのよ。イオリは私たちの卵の生まれ変わりだわ・・・お願い、ギギル。イオリを守って。私たちのコドモを』
・・・イオリを守る! 俺たちのコドモを! 俺の命に代えても。それが俺の使命だ!・・・
『さあ、立ちなさい、ギギル! イオリがあなたの助けを待っているわ!』
ギギルはハッと目を開けた。ギギルの目に生気が戻っている。そうだ、死ぬのはいつでもできる。その前にやらなければならないことがある、それがギギルに分かった。
ギギルは身体を貫く激痛にギリギリと歯噛みをしながらヨロヨロと立ち上がった。そしてフウッと大きく息を吸い込むと、イオリが壁に立て掛けた長剣を掴み、アマノイワトの大広間に向かって猛然と走り出した。
悪鬼のような形相をしたギギルが大広間の中に走り込んできた。ギギルはその勢いのままゴルムに向かって跳躍すると、ゴルムの本体に向かって上段から長剣を振り下ろした。
ドウッという音がした。
花弁と捕虫袋が付いたゴルムの本体部分は一刀の下に両断された。ゴルムの本体はメキメキと音を立ててゆっくりと傾くと、床の上にドサリと倒れた。
ギギルはゴルムの本体に馬乗りになると、花弁といわず捕虫袋といわず、狂ったように長剣を叩きつけてズタズタに切り刻んだ。床の上にドロドロとした白い粘液が広がった。
ギギルはヨロヨロと立ち上がると、身体に絡み付こうと伸びてくる触手を長剣で切り払いながら、ステアとイオリに声を掛けた。ギギルの左腕の切断面から再びポタポタと血が滴り落ちている。血の気の失せた青白い顔色をしたギギルだが、目には強い意思の光が戻っている。
「すまん、遅くなっちまった・・・俺が悪人で、生きている資格がないことは嫌と言うほど分かった。そんな俺にもやるべき使命がある、そのために生きる・・・やっと吹っ切れたぜ。ステア、イオリを連れて南の穴に逃げろ。ゴルムはすぐに再生する。こいつは俺に任せろ」
「ギギル!」
ステアが驚いたように叫んだ。あの傷の状態でギギルが動いていることが信じられないのだ。
「でも、ギギル、左腕の傷が・・・ああ、また出血しているじゃない・・・そのままじゃ死んじゃうよ」
イオリが今にも泣きそうな声を出した。ギギルはイオリの目を真っ直ぐ見つめた。
「なあに、ヒトはいずれ死ぬもんだ・・・俺のやるべきことが分かった。イオリを守ることだ。リリカと俺たちの卵と・・・カギ爪に懸けて誓うぜ。おっと、カギ爪はもうないがな」
ギギルはカギ爪を失くした左腕を目の前まで持ち上げると、髭面を歪めてニヤリと笑って見せた。
「しかし、ギギルさん、どうやってゴルムを倒すのです? こいつは・・・」
ステアは周囲を見回した。切り刻まれたゴルムは早くも再生を始めて、蔓が捻じり合いながら本体を形作っている。驚異的な再生能力である。
「不死身でも何でもない、ゴルムはただの粘菌の化け物だ。火だよ。ゴルムを火で焼き尽くしてやる。不死の戦士ソトルを倒したようにな」
「火?」
ステアは首を傾げた。ギギルは指で顎を擦りながら、大広間の壁に吊り下げられているシダレバラの花冠を模した照明器具に目をやった。
「そうはいっても、焼き殺すにはちょっとばかり足りないかも知れないが・・・そうなりゃあ、また何か考えるぜ。行き当たりばったり作戦は俺の十八番なんでね。オルギニウムでもありゃあ良かったんだが、仕方がない。とにかくステア、イオリを連れて南の穴へ逃げろ」
「オルギニウム? ギギル、オルギニウムなら私が持っている。しかし、オルギニウムだけでは・・・」
ステアは上着の小物入れからオルギニウムの入った小箱を取り出した。ギギルの顔に不敵な笑みが広がった。
「よし、ステア。オルギニウムを渡してくれ。それから、イオリ、お前の短剣を貸してくれ」
ギギルは小箱と短剣を受け取ると、ステアの肩に手を置いて、グッと力を込めた。
「俺に任せろ。ステア、イオリを頼む。行け! そして、南の穴に逃げ込んだら、俺に構わず白光石の入口を閉めろ。分かったな!」
ステアはイオリの手を引いて南の穴に向かって走り出した。ギギルの背後ではゴルムの本体が既に再生していて、床の上にユラリと立ち上がった本体に付いた蕾がゆっくりと首をもたげると、ヌタリと口を開いた。上下二枚の肉厚の花弁の中でゴルムが邪悪な笑みを浮かべていた。
ギギルはイオリの短剣をズボンの腰紐に挟み、ステアから渡された小箱を上着の小物入れに入れると、長剣を右手に持ってゆっくりと振り返った。ゴルムの本体部分は床から一メルほどの高さでふたつに枝分かれしていて、それぞれの柱に花弁と捕虫袋が付いている。ふたつの花弁の中に見えるゴルムの顔は双子のように見えた。
「ゴルム、お前さん双子だったのか・・・よく似ているぜ。さあ、これからは俺が相手だ。俺はこの大陸じゃあちっとは名の知られたオトコ、カギ爪の・・・いや・・・これからは片腕のギギルだ」
そう言ったギギルは、ゴルムにサッと背を向けると、大広間の壁面に向かって一目散に走り出した。ソトルとの戦いで負傷した右足を引きずりながら必死で走るギギルの前に、壁面に開いた西の穴が近づいた。ギギルは長剣を振り上げると、床を蹴って跳び上がり、壁に吊り下げられている照明器具に長剣を叩きつけた。
ガシャンという音と共に、水晶で作られたシダレバラの花冠と中心の壺が粉々に砕けて、キラキラとした破片と火の付いたシダレバラの油が床にザアッと広がった。ギギルは大広間の側面に沿うように走り、吊り下げられている照明器具を次々に叩き落とした。
南の穴からステアが飛び出してきた。
「ギギル! ひとりじゃ無理です」
「ああ、ステア・・・。よし、反対側を頼む、照明器具を叩き落せ!」
ステアは頷くと、ギギルと反対回りに大広間を走って、照明器具を叩き落した。
とうとう、アマノイワトの大広間はゴルムのいる東の穴の前を除いて、ぐるりと炎の輪で囲まれた。炎に押されるように、大広間の中に繁茂していたゴルムの蔓は縮んで、東の穴の前にいるゴルムの本体に収斂していった。ゴルムはジリジリと東の壁を這い登り、大広間の東の天井付近に本体を移動させた。東の壁面と天井の半分がゴルムの蔓で覆われている。天井から何本もの触手がブラブラと垂れ下がり、ギギルとステアに向かって伸びた。
ギギルとステアは大広間の真ん中に並んで立つと、天井に貼りついたゴルムを睨みつけた。
「へへへ、炎の輪に囲まれて、ゴルム、お前さんに逃げ道はないぜ。決着をつけてやる、覚悟しな」
ギギルは長剣を床に置くと、ズボンの腰紐に挟んだイオリの短剣を手に取り、柄の部分の先端に付いている玉のような丸い飾りをパカリとふたつに開いた。飾りの内側には、両面をグルリと取り囲むように鏡が貼り付けてあって、その間に口紅が詰まった小さな袋が入っていた。
ギギルは小袋を摘まんでポイと捨てると、上着の小物入れからオルギニウムの入った小箱を取り出し、中に入っていた小指の爪の先ほどのオルギニウムの結晶を摘まんだ。そして、オルギニウムを丸い飾りの内側の鏡の上に置き、飾りをパチンと閉じた。
「ギギル、それは・・・」
ステアの表情が引き締まった。ギギルがこれからやろうとしていることを理解したのだ。ギギルは髭面を歪めてニヤリと笑うと、イオリの短剣を目の前にかざした。
「ああ、オルギニウムの暴走崩壊の光と熱でゴルムを焼き殺してやる」
オルギニウムは丸い飾りの中で周囲を鏡に閉ざされて、自己崩壊で放出した光熱粒子の反射を受けて、限りなく自己崩壊を加速増大させる。そして暴走崩壊が始まれば最後は臨界点を超えて、巨大な火球となって周囲を焼き尽くすのだ。
・・・リリカ、お前の護身用の短剣がイオリを守ってくれる。ありがとう・・・
一瞬の隙を突いて、ギギルの腕ほどもある太い触手がギギルの胴にズルリと巻き付くと、アッという間にギギルの身体を宙に持ち上げた。ギギルは身体を捩り、足をバタつかせて逃げようとするが、巻き付いた触手はギリギリとギギルの胴を締め上げて放さない。
「ギギル!」
ギギルを捕えている触手を切り払おうと、ステアが跳び上がって剣を振るったが、天井近くまで持ち上げられたギギルの身体に届かなかった。
「ステア! 俺に構うな! 逃げろ。いつ暴走崩壊による爆発が起こるか分からん。南の穴へ戻って白光石を閉じるんだ、急げ!」
「そんなことをしたら、ギギル、あなたは・・・」
「オレに構うなと言っただろう。早くしないと爆発に巻き込まれるぞ! ステア、イオリを頼む! 行け!」
ギギルはそう言うと、右手に持った短剣をゴルムの片方の花弁目掛けて投げつけた。短剣は糸を引くように宙を走り、花弁の中央に深々と突き刺さった。反射的に花弁がキュッと口を閉じて、短剣を呑み込んだ。
・・・これでいい・・・
触手はギギルの身体をギリギリと容赦なく締め上げた。肺から空気が絞り出されて息ができない。ギギルの肋骨がミシミシと不気味な音を立て始めた。ゴキリゴキリと鈍い音がして、ギギルの肋骨が二本折れた。
「ぐうう・・・」
ギギルは激しい痛みに身を捩りながら、フッと目の前が暗くなった。ギギルは触手に巻き上げられて宙に浮いたままの状態で気を失った。ギギルの顔には満足気な笑みが浮かんでいる。
ギギルの身体がゆっくりとゴルムの捕虫袋に向かって引き寄せられていく。
「ギギル! あなたを置いてはいけないよ」
ステアは腰の剣の柄に手を置くと、ゴルムに向かって走り出そうとした。
元老院議長サイカの招集を受けて、サリー教の信者たちが新しいサリー神ヴァイムへ参内するために、続々と女王の城の玉座の間に集まっていた。玉座の間はおびただしい数のサリー教信者で埋め尽くされ、信者たちのあげる呪文の声が玉座の間にザワザワと潮騒のように広がっていた。信者たちはいずれも灰色の頭巾付き長衣を羽織り、のっぺりとして凹凸がなく、丸いふたつの目と椀を伏せたような半円形の口の部分だけ穴が空いた灰色の仮面を被っていた。
「これより、新しいサリー神ヴァイム様の元へ参内する。いざ、ヴァイム様の元へ・・・サリーオンバヤクヤムニスンソヤカン、サリーオンバヤクヤムニスンソヤカン・・・」
サイカの先導により、玉座の間の後ろにある扉を抜けて、信者たちは口々に呪文を唱えながら奥宮に向かう隧道通路を静々と進み始めた。
ステアがゴルムに向かって走り出す直前に、西の穴から『ウホホーイ』という奇声を上げながら、炎の幕を跳び越えて三つの影が大広間の中に転がり込んできた。思わず立ち止まって振り返ったステアが眼を剝いた。
「シン! それにテルミとサルサまで・・・」
床の上に重なるようにして転がっているシンたちの髪の毛や上着から薄っすらと煙が上がっている。
「アチチチ・・・」
パタパタと上着を叩いて火を消しているシンの横で、テルミが笑っている。
「だからシンさん、熱いって言ったでしょうが。炎の中に飛び込むなんざ気違い沙汰だ。え? お前もそうだって? ナハハ、そりゃそうだ・・・ん? ヒャァア、何だあの化け物は」
テルミは天井に貼り付いているゴルムの姿を見て、床にペタンと腰を落とした。腰を抜かしたテルミの横で、サルサが天井を指差した。
「ねえテルミ、あそこにギギルさんがいるわ」
「ありゃりゃ、本当だ。何とも物好きな・・・え? 違う? ナハハ、そりゃそうだ。好きであんな所にはいませんわな」
サルサが指差した先には、天井から伸びた触手に吊り下げられてぐったりとしたギギルの姿があった。
シンたちの元にステアが走り寄った。
「みなさん大丈夫ですか?」
「ああ、ステア・・・ねえ、ギギルを助けなきゃ」
「分かっています。でも、天井近くまで吊り上げられていて、助けようにも私では剣が届かないんです」
ステアは悔しそうにそう言って天井のギギルを見上げた。ゴルムの姿をじっと見ていたサルサが、床に座っているテルミの肩をポンと叩いた。
「テルミ、あそこ・・・あの蔓を伝って行けば、ギギルさんの所までたどり着けるよ」
壁から天井一面に張り巡らされた蔓の中に、ギギルが吊り下げられている触手に向かって伸びている太い蔓が見えている。その周囲ではウネウネと触手が蠢いている。
「そりゃそうだが・・・サルサ、あんな気味の悪い化け物の上を?」
テルミは禍々しいゴルムの姿を見て、怯えたように身体をすくめた。目にはありありと恐怖の色が浮かんでいる。サルサはテルミの横で両手を腰に当てて仁王立ちになると、テルミを叱りとばした。
「ゴチャゴチャ言ってないで行くよ! ギギルさんに借りを返さなきゃ。テルミの体重じゃ無理だから、私が行くわ。テルミ、手を貸して」
サルサは床に落ちていたギギルの長剣を拾い上げると、ゴルムに向かって風のように走り出した。ステアとシンは呆然とサルサの背中を見送った。
「サルサ、無茶な・・・ええい、分かったよ。ギギルさんのためだ」
テルミは泣きそうな声を出してから、弾かれたように立ち上がると、吹っ切れたようにサルサの後を追った。
「テルミ」
サルサが走りながらテルミを見た。テルミは口をへの字に曲げて笑った。何だかんだ言っても、テルミとサルサは相思相愛、お似合いの夫婦なのだ。
テルミはおどけたように声を張り上げた。
「さぁーて、お立合い! テルミ一座の一世一代の綱渡りでござーい」
テルミは東の壁の直前でクルリと向きを変えると、両手でサルサの腰を掴み、思いきり放り投げた。サルサはクルリと空中で一回転してから、ギギルの太ももほどもある太い蔓の上にヒラリと下りた。そして、両手を広げて均衡を取りながら蔓の上を風のように走った。ウネウネと追ってくる触手を巧みに躱しながら、サルサはあれよあれよと言う間に蔓の上を走り抜け、ギギルの前まで進むと、ギギルの胴に巻き付いている触手の根元に長剣を思いきり叩きつけた。
バサリと音がして触手が切り放たれて、ギギルの身体が落ちた。
サルサはギギルの身体が落ちるのと一緒に、蔓の上から床に跳び下りた。天井から真っ逆さまに落ちてきたギギルの身体を、ステアとシンが並んで受け止めた。フウと息を吐いてシンが横を見ると、宙返りをしながら下りてきたサルサを、踊っているような足取りでテルミが見事に受け止めた。
テルミとサルサは見えない観客に向かって、どうだとばかりに両手を広げた。曲芸の後に見せる決めの仕草だ。
「サルサ、すごい!」
シンが驚嘆の声を上げた。テルミの腕から下りたサルサが満面の笑みを浮かべて、深々と腰を折ってお辞儀をした。
「え? すごい? ナハハ、商売ですからね。はい、シンさん、お代を頂戴しますよ」
テルミがふざけてシンに手を出した。
「シン、テルミ、サルサ、ふざけている場合じゃないんです。もうすぐオルギニウムが暴走崩壊して爆発します、早く逃げなければ。みんな、南の穴へ! 急いで!」
切羽詰まったような声を出したステアは、シンの助けを借りてギギルを背負うと、シンと一緒に走り出した。その後を追ってテルミとサルサも走った。その後ろからゴルムの触手がウネウネと伸びてくる。
ステアたちは南の穴を塞ぐように立ち昇っている炎の幕の中に飛び込んだ。ゴルムの触手は炎に触れるとキュッと収縮してしまい、炎の幕を越えることができなかった。
ステアは南の穴の通路を走りながら叫んだ。
「急いで! 通路の向こうへ!」
ギギルを背負ったステアとシンに続いて、サルサが通路から走り出た。最後尾のテルミが通路から転がり出た。
「イオリ! 南の穴を閉じてくれ、早く!」
イオリは頷くと、両手を上げて「閉まれ」と念じた。どこからかリンという鈴の音が響いた。
南の穴の通路に満ちていた光の幕が、質量を得て翡翠白光石に変わった。南の穴が翡翠白光石で閉じられた。
翡翠白光石の前で床に倒れて、肩で息をしているテルミにステアが声を掛けた。
「できるだけ南の穴の前から離れて、身体を低く・・・・」
ステアが言い終わらないうちに、床が波打つように大きく揺れ、音の波長を超えたキイインという衝撃波がステアたちの身体を貫いた。咄嗟にステアはイオリを胸の前に庇って床の上に伏せた。シンは床の上に横になっているギギルの肩を抱いて目を閉じた。テルミとサルサは抱き合って床にうずくまった。
衝撃波が通り過ぎた後も、誰ひとり動けなかった。
アマノイワトの大広間の天井に残されたゴルムは、片方の花弁の中に刺さったままの短剣が小さく振動を始め、ほんのりと温かくなったと感じた。
短剣の柄の先の丸い飾りの中で、オルギニウムの自己崩壊で放出された光熱粒子が、合わせ鏡によって反射されて限りなく増幅していく。そして、その光熱粒子を吸収して自己崩壊を加速増大し続けるオルギニウムが、ついに暴走崩壊を始めた。合わせ鏡の間で蓄積され続けた厖大な光と熱の圧力に耐え切れず、丸い飾りに極めて小さな穴が開いた。その途端、合わせ鏡の中で保たれていた力の均衡が一瞬で崩れ、厖大な光と熱は外部にほとばしり出た。
アマノイワトの大広間に光と熱の火球が現れた。
豆粒ほどの大きさの火球は一瞬で膨張して大広間の中に充満し、大広間の中を猛烈な光と熱で焼き尽くした。
ゴルムは火球に呑まれて跡形もなく消滅した。
火球のもたらした猛烈な光と熱は、アマノイワトの大広間の壁面や天井の岩盤をドロドロに融かし、更に、開いたままの西の穴を通ってアマノイワトの大広間から外に向かってほとばしり出た。それは衝撃波を伴って隧道を吹き抜けると奥宮を焼き払い、更に隧道通路を伝って女王の城にまで達すると、玉座の間を焼き尽くし、城の壁面を突き破って空中に吹き上がった。女王の城には直径十メルの大きな穴が開き、そこから天に向かって真っ赤な火柱が立ち昇った。
火球がもたらした衝撃波は大陸を揺るがし、女王の城を地震が襲った。城の基礎部分に大きな亀裂が走り、城の壁面の至る所にメキメキとひび割れが生じると、剥がれた壁面がバラバラと城の前庭に落ちた。城の背後の山肌が崩落して、岩と土が雪崩のように城に押し寄せると、城の西側に建っていたゴルム宰相の公邸を跡形もなく押し潰した。
奥宮の礼拝所まで進んでいたサイカとサリー教の信者たちは、アマノイワトの大広間から奥宮に繋がる隧道を伝って噴き出した光と熱の奔流に呑まれ、声を上げる間もなく命を落とした。




