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邪神の誕生

 西の塔は、一辺が三十メルの立方体の形をした建物を土台にして、その上に生えた巨大な石筍のような形をした塔で、最下部の直径は二十五メル、上にいくにしたがって塔は徐々に細くなり最上部の直径は十五メルほど、高さは五十メルある。四角い黒砂岩を積み上げて建てられ、白光石の粉をドロウルシに混ぜた白漆喰で外壁部分を塗り固めた西の塔は、外光を反射して白く輝いていた。塔の内部は五層に分かれていて、それぞれの階は塔の内壁に設けられた螺旋階段で繋がっていた。

 塔の土台となっている建物はゴルム宰相の公邸で、城の東側にあるアマテス女王の聖堂と対峙するように城の西側に建てられたものである。ゴルム宰相の公邸の玄関広間には、聖堂にあったアマテス女王の像よりも二回り小さいゴルム宰相の像が立っていた。その像の顔は、聖堂で仮面を外してチラリと見せたゴルムの顔と驚くほどよく似ている。

 ギギルたちはゴルム宰相の公邸の入口でドルジと別れ、公邸の執事だと名乗る労働種のオトコに先導されて西の塔の最上階の部屋に案内された。直径が十五メルほどの円形を半分に間仕切りした半円形の部屋で、天井の高さは三メルあり、壁面には透明な水晶が嵌め込まれた東向きと南向きのふたつの大きな丸窓があった。最上階の残りの半円形の部分は階下に繋がる螺旋階段とそれに附属する踊り場となっていた。

 部屋にはオニシダの板を組み合わせた古い寝台がひとつと、うっすらと埃を被った机と椅子があるだけで、床は黒砂岩の敷石がむき出しになっていた。踊り場と部屋の間の壁には、分厚いオニシダの板で作られた頑丈な扉が付いていて、扉の外側にはまるで監獄のように大きな閂が付いていた。扉の上方に開けられている小さな四角い窓にはクロムの格子が嵌め込まれている。部屋の天井にはコハクニウムの入った水晶玉がひとつぶら下がっていて、青白い光をボンヤリと放っていた。大陸の最上部に位置するからだろう、暖房器具のない部屋の中は震えるほど寒かった。

 ギギルたちが部屋に入ると、入口の扉が乱暴に閉められ閂が下ろされた。

「なんだこりゃ、まるで囚人の扱いじゃないか。というより、ここは監獄じゃないのか」

 ギギルは部屋の中を見回して呆れたように言うと、入口の扉をドンドンと叩き、扉の上方の四角い窓に顔をつけて怒鳴った。

「オーイ! 案内する部屋を間違えているぜ、女王候補者をお迎えする部屋に案内しろ!」

 扉の向こうで執事のオトコが声を荒げた。

「うるさい! 静かにしろ。お前たちはゴルム様から西の塔に行くように命じられたのだろう? ここが西の塔だ、間違いはない。ゴルム様からお呼び出しがあるまで、そこで静かにしていろ、いいな」

 執事のオトコはクルリと背を向けると、螺旋階段を足早に下りていった。

「何てこった、ふざけるにもほどがあるぜ」

 怒りが収まらないのか、ギギルは入口の扉のドスンと蹴飛ばした。分厚いオニシダの扉はビクともしない。

「ギギル、そんなに怒っちゃ身体に毒だよ。女王候補者は数百トングも現れなかったんだ、女王の城でもきっと戸惑っているんだよ。手違いだってあるさ」

 シンは達観したような顔をしている。そして机の上の埃を外套の裾でサッと払うと、ドルジから渡された籠を置いた。イオリがニコニコしながら早速机に近づいた。籠の中から漏れている美味しそうな匂いを嗅ぎつけて、イオリの鼻がヒクヒクと動いている。

「とにかく、ドルジから貰った食べ物で腹ごしらえをしようよ、夕食時までまだしばらくあるでしょ。あたしお腹がペコペコなんだ」

 イオリは机の上の籠の中に手を突っ込んだ。そして、薄く伸ばしたククにリマの挽肉を詰めてキバナ油で揚げた『ギョズ』を摘まむと、あっという間にパクリとかぶりついた。シンもどれどれと籠の中を覗き込んでいる。

「お前さんたちふたりはほんと気楽でいいや・・・こうなると、夕食時に料理が出てくるかどうかも疑わしいがな。こうなりゃあ、ジタバタしても始まらん、どれ、俺はヴォルトでも飲んで身体を温めるか」

 ギギルはヤレヤレと首を振りながら、籠の中のチウシの胃袋の水筒に手を伸ばした。そういうギギルも結構お気楽なのだ。


 女王の城の執政区にある宰相の執務室の中の、白光石の大きな会議机の前で、ゴルム宰相は七人の元老院議員と向き合っていた。ゴルムの背後の壁に設えてある大きな黒砂岩の暖炉には、コハクニウムがクロムの桶の中に山のように積まれていて、執務室の中は汗ばむほど温かい。会議机の上には冷たいチャルが入った水晶の椀が、元老院議員たちの前に配られていた。元老院議員たちは、白光石の大きな椅子の背もたれにドッカリと身体を預けて、天井を見上げたり、目を瞑ったり、隣同士で談笑したりして、全くやる気が感じられない。

 女王の城の最高意思決定会議は、玉座の間において女王の臨席を賜った上で、宰相、七人の元老院議員、監督使総長が出席する御前会議である。しかし、アマテス女王が七百トング前から姿を見せなくなって以降は、一ギグに一度、宰相の執務室に宰相、七人の元老院議員、監督使総長が集まって行われる執政会議がその役割を担っていた。ただし、執政会議自体が形骸化していて、重要な案件がその場で議論されることはなく、全て宰相に一任されていた。元老院議員は女王の城に代々住む貴族種の主だった家の家長が世襲的に任命される名誉職的称号で、元老院自体が実体のない機関となっていた。

 ゴルムは仮面の下から七人の元老院議員をジロリと見渡してから、おもむろに口を開いた。

「それでは執政会議を始める。定例の執政会議は半ギグ先だが、キョウはやんごとなき事態が発生したため、みなに集まってもらった。監督使総長のロドンは不在だが仕方がない」

 ロドンがステアの手に掛かってガンデラで命を落としたことを、ゴルムはあえて伏せているようだ。

 ゴルムが話を続けようとすると、機先を制するように元老院議長のサイカが右手を上げた。

「先程の地震により発生した被害に関する修繕工事であれば、ゴルム宰相に一任しますぞ」

 サイカがいかにも面倒くさそうに言うと、残りの六人の元老院議員は興味がないような顔をして「異議なし」と頷いた。

「地震による被害のことではない。地震の起こる少し前、女王候補者を名乗るオンナとその巡礼者が、アマテス女王の聖堂の中に突然現れた。そして、地震によって東の塔が崩れたことによって、アマノイワトの参道が姿を現したのだ」

 ゴルムの説明を聞いて、七人の元老院議員は椅子から身を乗り出すと、口々に驚愕の声を上げた。

「女王候補者ですと! 数百トングも現れなかったのに、今になって?」

「アマテス女王の聖堂の中に現れた? いったいどこから聖堂の中へ入ったんだ、衛兵は何をしていた」

「アマノイワト? そんなもの伝説じゃなかったのか」

「それをいうなら、女王候補者も・・・いや、アマテス女王の話も伝説だろう」

 ゴルムは両手を上げて七人の元老院議員を静めると、椅子から立ち上った。静かになった執務室の中に、ゴルムの声が朗々と響いた。

「古来より、女王候補者が現れれば、巡礼者の道の『終着の祠』のある上層帯の街シリバスからデンショツバメによる報があり、加えてシリバスより我が城に対して監督使の派遣要請が行われる。女王候補者とその巡礼は、我が城から派遣された監督使により護衛されて女王候補者の道を進み、女王の城の正門から入城することがしきたりだ」

 ゴルムはそこでひと呼吸置いて元老院議員たちを見回した。議員たちは理解したと頷いた。ゴルムが続けた。

「然るに、本件については、シリバスの街より女王候補者が出立したという報も監督使の派遣要請も受けておらぬ。更に、正門から入城することなくアマテス女王の聖堂に突然現れたことも、古来よりのしきたりに反する」

 元老院議長のサイカが思わず声を上げた。

「それでは、その女王候補者と名乗るオンナは偽物・・・」

 ゴルムはゆっくりと首を振った。

「そのように断定するのはまだ早い。イオリという名の女王候補者を名乗るオンナは、翡翠色の瞳、金色の髪、白い肌という伝説に言われる女王候補者の姿をしているのだ。

 イオリとその巡礼者がアマテス女王の聖堂の中に突然現れたのは、今は使われていない秘密の通路を通ってきたのだろう。監督使による護衛がなかったため、女王候補者の道の途中でその通路に迷い込んだのかも知れん。何しろ、聖堂の中のアマテス女王の像の台座に隠されていた秘密の通路の扉は、女王候補者を導く巡礼者にしか開けることができないと言い伝えられているからな。

 それに、イオリが現れた途端に、数百トングもの間、所在の分からなかったアマノイワトに向かう参道が姿を現した。これは偶然ではないかも知れぬ」

 元老院議員たちは隣同士で額を寄せ集めて、一斉に何やらヒソヒソと話を始めた。やがてザワザワという喧騒が静まると、サイカが議員たちを代表するように口を開いた。

「そうすると、アマテス女王もお姿を現されると・・・アマテス女王が本当に千トングも生きておられるというのか」

 サイカの声には信じられないという響きが含まれていた。ゴルムは再び首を横に振った。

「アマテス女王のことはいま考えても仕方がない。とにかく、イオリが本物の女王候補者かどうかを確認することが先決だ。シリバスのユタ街長に、イオリという名の女王候補者が現れたのかどうか、現れたのならなぜ古来のしきたりに従ってその旨をデンショツバメで知らせなかったのか、なぜ監督使の派遣要請をしなかったのか、確認している最中だ。

 その結果が出るまで、イオリは私が西の塔で預かる。それと、アマノイワトの参道には私の許可なく近づくことを禁ずる。女王候補者が現れたという噂は、衛兵を通じて既に城内に広まっているだろうから、城内の住民にはこの旨を厳命する。これでよろしいな」

 サイカがオズオズと尋ねた。

「仮に、その女王候補者が偽物だった場合には・・・」

「禁忌を破って許可なく女王の城の領域に入った者は罰を受けねばならん。執政会議による裁判に掛けた上で、死をもって償ってもらおう」

 元老院議員たちは当然だと頷いた。サイカが再びオズオズと尋ねた。

「もし、本物なら・・・」

 ゴルムはサイカの顔をジロリと見た。ゴルムは声を潜めた。

「七百トングも女王不在のまま、この城で何ごともなく暮らしてきたのだ。今更女王の交代でもあるまい。アマテス女王の存在も女王候補者の存在も、我々にとっては迷惑なだけ。ずっと伝説のままであればいいのだ」

 囁くようなゴルムの声は氷のように冷たかった。ゴルムの言葉の意味を悟ったサイカは、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

「それでは密かに命を・・・」

 サイカは恐ろしくてそれ以上口にすることはできなかった。残りの元老院議員たちの顔は青ざめ、声を失っていた。女王が交代して新しい御代が始まれば、宰相はもとより元老院議員や城の高官たちの多くは、新しい統治組織にその地位を譲ることになる。今の満ち足りた生活が脅かされるのだ。そんなことは願い下げだと、元老院議員たちの顔に書いてある。ゴルムは七人の元老院議員をひとりひとり見回してから、決定したとばかりに無言で頷いた。


 ゴルムは宰相の執務室を出ると、中央階段を上り玉座の間に入った。久しく使われていない玉座の間は空気が澱み、白光石の化粧板が敷き詰められた床にはうっすらと埃が積もっていた。玉座の間の正面奥には周囲の床より一段高いひな壇が設けられていて、その上に巨大な白光石の塊から彫り出した玉座が据えられていた。

 玉座はヒト族に伝わる巨人伝説を裏付けるかのように、座席の幅は五メル、背もたれの高さは十メルもある巨大なもので、ひじ掛けや背もたれには女王の花であるシダレバラの花冠の精緻な文様がびっしりと浮き彫りにされていた。しかも、玉座に用いられている白光石は、淡い翡翠色を帯びていた。極めて希少な翡翠白光石である。

 ゴルムは仮面を外し、玉座の横を足早に通り抜けると、その奥にある扉を抜けて女王がお住まいになる奥宮に通じる長い廊下に出た。奥宮は女王の城の背後に聳える円錐形の山の中腹に建てられていて、城から見上げると山肌に横たわった繭のような形をしていた。女王の城の上層階にある玉座の間と奥宮の標高差はそれほど大きくなく、なだらかな傾斜の隧道通路で繋がっていた。隧道通路の中央には白光石の平たい敷石が一本の帯のように敷かれていた。女王はこの隧道通路を通って奥宮と城を行き来するのである。奥宮に入ることができるのは、宰相のゴルムと女王の世話をする女官だけだった。

 隧道通路を抜けたゴルムが奥宮の扉を開けると、ムッとする生暖かい空気が流れ出てきた。蜜のような甘い香りの中に微かな腐臭が混じっていた。奥宮の中央を貫くように設けられた広い廊下の左右には大小の居間、寝室、食事室、図書室などに通じる扉が並んでいて、廊下の突き当りには歴代の女王を祭る礼拝所の扉があった。

 廊下の途中には、女王の身の回りの世話をする女官たちの暮らす階下の女官室に下りる階段があった。女官は女王の城に住む貴族種の中でも、元老院議員の地位に就くことができる名門家に生まれたムスメの中から選ばれる。女官に選ばれたムスメは体形変化期を終えるとすぐに奥宮に入り、生涯そこから出ることはない。女王のお世話をして一生を終えることとされていた。

 しかし、アマテス女王がアマノイワトに隠れて以降、七百トングという長い期間の経過とともにその慣習は失われた。女王の世話をすることのなくなった女官たちは奥宮の掃除をするためだけに集められ、三トングの間、奥宮で生活すれば次の女官と交代することが認められていた。

 このため、女王のいない今でも、奥宮には常に二十名の女官が暮らしているはずだった。しかしなぜか、奥宮には女官の姿が見えなかった。

 ゴルムは身体にまとわりつくような甘い香りに気を止める様子もなく、また、女官の姿が見えないことに不審を抱く様子もなく、足早に廊下を歩いた。そして、ゴルムは廊下の突き当りの礼拝所の扉を開けた。

 礼拝所は十メル四方の小さな部屋で、正面に台座の上に置かれた女王像が立っていた。女王像は永いトキを経てすっかり摩耗していて、ヒトの型を模したのっぺりとした白光石に、顔の輪郭や服の形状がかろうじて判別できる程度に残っていた。その女王像の後ろの壁にクロムで作られた小さな扉が付いていた。

 ゴルムがクロムの扉に穿たれた小さな穴に、右手の中指の宰相の指輪にはめ込まれた赤い宝石を当てると、扉は音もなく開いた。

 扉の奥には黒い岩肌がむき出しになったままの隧道が口を開けていて、女王の城の背後に聳える円錐形の山の山頂に向かって延びていた。隧道の床にも白光石の平たい敷石が帯のように敷かれていた。ここも女王がお通りになる秘密の通路なのだ。壁面にはシダレバラの油が入った水晶の椀が十メルごとに吊り下げられていて、椀の先から伸びるシダレバラの花びらを模した水晶の先で、チラチラと炎が揺れていた。

 隧道の壁面や天井にはびっしりとオニウツボカズラが繁茂していて、至る所でユラユラと触手を動かしていた。ヌタリと開いた花弁から漂う蜜のような甘い香りが更に強くなった。

 ゴルムはオニウツボカズラなど目に入らないかのように、平然と隧道に足を踏み入れた。オニウツボカズラの触手は、ゴルムが近づくと礼をするかのようにスッと先を丸めた。

 隧道を二ギールほど進むと、そこには岩盤の中に掘られた直径が百メルもある巨大な空間が広がっていた。

 ここは歴代の女王と宰相、女王候補者と巡礼者しか足を踏み入れることのできない、アマノイワトの大広間である。

 大広間の床は平らで天井は椀を伏せたように中央部分が高くなっていた。壁面や天井は隧道と同じく黒い岩肌がむき出しのままで、壁面には大広間をグルリと取り囲むようにしてシダレバラの花冠を模した照明器具が吊り下げられていた。照明器具の中心部分に嵌め込まれた水晶の壺の中にシダレバラの油が入っていて、その油が水晶で造られた沢山の花びらの先に流れて小さな炎を上げている。床にはシダレバラの花冠の文様が彫られた白光石の四角い板が、寄せ木細工のようにピッチリと敷き詰められていた。

 大広間の壁面には東西南北の四方向に幅五メル、高さ十メルの四角い穴が開いていて、そのうちの東南北の三つの穴の入口は翡翠白光石でピッタリと塞がれていた。

 東の穴の入口の翡翠白光石にはシダレバラの花冠が浮かし彫りで描かれていた。これがアマテス女王のお隠れになったアマノイワトである。

 北の穴の入口の翡翠白光石には四角錘の建造物が浮かし彫りで描かれていた。その先には女王の城の背後の山の山頂に向かう通路が隠されていた。

 南の穴の入口の翡翠白光石には兵士の剣と盾が浮かし彫りで描かれていた。その先には兵士の間があり、更にその先は参道に通じていた。

 西の穴の入口は開かれたままで、ポッカリと穴が開いていた。奥宮から通じる隧道の先は西の穴に繋がっているのである。

 東の壁の穴を塞いでいるアマノイワトには一面にオニウツボカズラの蔓がウネウネと繁茂していて、大広間の床も半分ほどが蔓に埋まっていた。至る所から触手がイワヘビのような鎌首を持ち上げてユラユラと揺れていた。そしてその中心で巨大なオニウツボカズラの花弁がヌタリと開き、蜜のような甘い香りを大広間の中に漂わせていて、その下で捕虫袋が禍々しい口を開けていた。サリー教の女神ヴァリである。

 隧道を抜けたゴルムはアマノイワトの大広間の西の穴から姿を現した。ゴルムは大広間を横切ってサリー教の女神ヴァリの前に立ち、深々と礼をすると、神官の呪文をブツブツと唱えた。

 アマノイワトの前には黒砂岩で造られた大きな寝台のような祭壇が置かれていて、祭壇の上にはガンデラの憲兵隊長ソトルが横になっていた。ソトルの胸は血で真っ赤に染まり、祭壇に敷かれたキヌグモの敷布は血でぐっしょりと濡れていた。祭壇の周りには表情を失くした四人の女官が虚ろな目でソトルを見下ろすように立っていた。

 サリー教の女神ヴァリへの礼拝を終えたゴルムはソトルの枕元に立ち、ソトルの頭を優しく撫でながら言った。

「ソトルよ、気分はどうだ。お前の心臓はここにおられるサリー教の女神ヴァリ様に捧げた。その代わりにお前の身体に粘菌を埋め込んである。粘菌の菌糸が身体中に伸びてお前を支配すれば、お前は永遠の命を授かり、不死の戦士としてよみがえるのだ・・・サリーオンバヤクヤムニスンソヤカン、サリーオンバヤクヤムニスンソヤカン・・・」

「私はいったい・・・不死の戦士?」

 ソトルは呻くように言った。ソトルの額はザックリと割れ、右目はギギルの一撃を受けて潰れていた。

「ガンデラで傷を負ったお前は、監督使によって私の元に密かに運び込まれたのだ。生死の境をさまよっていた前を不死の戦士にしてやったぞ、感謝せい。ソトルよ、お前はこれから、私の僕としてサリー神に仕えるのだ。最初の仕事を与える、よく聞け。女王の城の西の塔にいる女王候補者を殺せ、巡礼者と護衛も一緒にな。監督使としては果たせなかった使命を改めて果たすのだ。ひと眠りして身体が動くようになったらすぐに取り掛かれ・・・サリーオンバヤクヤムニスンソヤカン、サリーオンバヤクヤムニスンソヤカン・・・」

 ゴルムは神官の呪文を唱えながらヴァリの雄蕊を一本引き抜くと、掌の中で潰し、ソトルの鼻と口を覆うように当てた。ソトルは痛みを忘れてドロリとした深い眠りに落ちた。

 ゴルムが祭壇から離れてアマノイワトの大広間の西の穴に向かおうとすると、壁面のヴァリの花弁がザワザワと揺れた。

 ゴルムはヴァリに問いかけた。

「ヴァリ様、いかがされました・・・女王の城に?・・・かしこまりました、仰せの通りに・・・」

 ゴルムはヴァリに向かって恭しく一礼をすると、アマノイワトの大広間から出ていった。


 ゴルムはアマノイワトの大広間を出て、奥宮から女王の城に戻ると宰相の執務室に入り、入口の扉にしっかりと鍵を掛けた。そして執務室の壁一面に施されたザドラの浮かし彫りの文様に隠された取っ手を回した。壁に埋め込まれた隠し扉が開き、ゴルムの前に城の最下層に向かう急勾配の古い石の階段が姿を現した。埃ともカビともつかぬ臭気が冷気とともに階段の下から吹き上がってきた。ゴルムはコハクニウムの入った水晶玉を首から下げて胸の前に垂らすと、その灯りを頼りに階段をゆっくりと下りて行った。

 階段は途中から垂直に延びる梯子に変わり、更に螺旋階段に変わり、また石の階段に変わった。女王の城が建て増しされて宰相の執務室が上へ上へと移動するにつれて、最下層に通じる秘密の通路も順次伸長されてきたのだ。

 やがてゴルムは黒砂岩を積み上げて造られた狭い部屋にたどり着いた。そこは女王の城の最下層に位置していて、極めて初期の女王の城の遺跡の中にあった。ゴルムの正面にはクロムの大きな一枚板の古い扉があった。年代を経たクロムの表面はくすみ、所々から茶色をした錆が浮き出ていた。

 ゴルムはクロムの扉に穿たれた小さな穴に、右手の中指の宰相の指輪にはめ込まれた赤い宝石を当てた。クロムの扉は一瞬ブルリと振動した後、ゴロゴロと音を立てて横に開いた。

 そこは歴代の宰相が眠る霊廟だった。

 大陸の岩盤をくり抜いて造られた幅三十メル、高さ五十メルの空間が果てしなく続いていて、先のほうは暗くて見えない。左右の壁面には四角い穴がびっしりと掘られていて、壁面を覆うように縦横に整然と並んだその穴のひとつひとつに宰相の棺が安置されていた。延々と続く霊廟の壁や床には、所々にヒカリゴケが自生していて薄緑色の光を放っていた。

 ゴルムは霊廟の中をゆっくりと歩いた。ひんやりとした霊廟内の空気には、微かにカビの臭いが混じっている。先に進めば進むほど年代が古くなり、棺が朽ちて中に納められた骨が露出しているもの、原形を留めないほど崩れているもの、骨すら崩れて小さな砂山のようになっているものまでが現れた。

 ゴルムは足を止めた。ゴルムの十メルほど先で霊廟の壁面が大きく崩れ、床に深い亀裂が走っていた。何度も繰り返し襲ってくる地震によって、大陸の岩盤に亀裂が入ったもので、東の塔が倒壊した先程の地震によってその亀裂は更に大きく深くなっていた。

 ズルリ・・・ズルリ・・・

 床に生じた亀裂の奥底から、何かが這うような音が聞こえてきた。亀裂の縁から一本の触手が顔を覗かせた。その触手はイワヘビのように禍々しい鎌首を持ち上げると、ユラユラと揺れた。もう一本の触手が後ろから伸びてきて鎌首を持ち上げると、更に二本三本と触手が伸びた。床にできた亀裂が無数の鎌首に埋め尽くされると、ズルリズルリと音を立てながら蔓を蠢かして巨大なオニウツボカズラの蕾と捕虫袋が姿を現し、軟体動物のように身体を揺らしながら床の上に這い出てきた。

 そしてオニウツボカズラは霊廟の壁面に蔓を伸ばして、立ち上がるように壁面に貼り付くと、蕾がゆるりとほころんで花弁がヌタリと開いた。ゴルムの鼻に痺れるような甘い香りが漂ってきた。

 サリー教の男神ヴァーラムである。

 トキオンのサリー教の神殿に鎮座していたヴァーラムは、トキオンを襲った大地震の後、大地震により生じた大陸の裂け目を伝って女王の城までたどり着いたのだ。

 ゴルムは霊廟の床にひざまずいた。

「サリーオンバヤクヤムニスンソヤカン、サリーオンバヤクヤムニスンソヤカン・・・」

 ゴルムは神官の呪文を唱え終えると、顔を上げてヴァーラムを見上げた。

「はるかトキオンより、ようこそおいで下さいました、サリー教男神ヴァーラム様。私はサリー教の神官ゴルムと申します。我がサリー教の女神ヴァリ様が奥宮でお待ちかねでございます。ヴァーラム様をここより奥宮へお連れすることはかないませんので、男神ヴァーラム様と女神ヴァリ様がひとつとなるため、ヴァーラム様の雄蕊を頂戴いたします」

 ゴルムはヴァーラムに近づき雄蕊を一本引き抜くと、キヌグモの布で丁寧に包み、長衣の内懐に入れた。

「ヴァーラム様はお役目を果たされました、ここでごゆるりとお休みください。サリーオンバヤクヤムニスンソヤカン、サリーオンバヤクヤムニスンソヤカン・・・」

 ゴルムは呪文を唱えながらヴァーラムに恭しく一礼をすると、ヴァーラムに背を向けてしずしずと霊廟から出ていった。


 ゴルムはヴァーラムの雄蕊を持ってアマノイワトの大広間に戻った。

 大広間の東の壁で巨大なオニウツボカズラの花弁が待ちかねたようにヌタリと開いた。

 ゴルムは大広間の床にひざまずいてヴァリを見上げた。

「サリー教の男神ヴァーラム様と女神ヴァリ様がひとつとなられることを、心よりお慶び申し上げます。謹んでこれを奉り申しあげます」

 ゴルムは長衣の内懐からキヌグモの布で包んだヴァーラムの雄蕊をうやうやしく取り出すと、ヴァリの花弁の上に捧げるように置いた。ヴァリの花弁の奥からヌラヌラとした黄色い舌のような雌蕊がゆっくりと伸びてきて、ヴァーラムの黒い雄蕊を巻き取ると、花弁の奥に戻っていった。それに合わせて花弁がゆっくりと閉じていく。

 口を閉ざした花弁は力なく萎れて首を垂れ、それと共に花弁や茎や蔓の色が瞬く間に茶色く変化した。至る所でウネウネと鎌首を上げていた蔓から伸びる触手は、しんなりと床に倒れて動かなくなった。花弁の下についていた捕虫袋がドシャリと床に落ちて潰れ、中に入っていた茶色い消化液が床に流れ出した。破れた捕虫袋から未消化のヒトの骨が何体も床に転がり出た。ゴルムによってヴァリに捧げられた、奥宮に暮らす女官たちの成れの果ての姿である。

 大広間の中に鼻を刺す強烈な刺激臭と嘔吐を催す腐臭が広がった。

 ゴルムはその中で顔色ひとつ変えずに、床にひざまずいて呪文を唱えながら、サリー教の女神ヴァリが変化していく様子をジッと見つめていた。受粉を終えたオニウツボカズラの雌株が種子を宿す神聖な瞬間である。

 茶色く萎れた花弁が首元からポロリと取れて床に落ちた。花弁の落ちた茎の先にはヒトの頭ほどもある真っ赤な色をした種子嚢がついていた。ゴルムは枯れた女神ヴァリの前に進み、種子嚢に手を伸ばした。ゴルムの指先が触れた途端、種子嚢はポタリとゴルムの手の中に落ちた。

 ゴルムは産まれ落ちた卵を天に示すかのように、種子嚢を頭上に掲げた。

「サリー教の男神ヴァーラム様と女神ヴァリ様がひとつとなり、新しいサリー神ヴァイム様がお産まれになった。偉大なるサリー神ヴァイム様よ、我らをこの世の迷いから解放し、永久の命を授けて下さいますように・・・サリーオンバヤクヤムニスンソヤカン、サリーオンバヤクヤムニスンソヤカン・・・」

 ゴルムの祈祷が終わらぬうちに、頭上に掲げた種子嚢がバサリと割れた。割れた種子嚢から綿毛のような細い種子がゴルムの頭上に降り注いだ。ヴァイムの種子はゴルムの皮膚に付着すると猛烈な勢いでゴルムの体内に根を伸ばした。そして、ゴルムの体内に宿る粘菌と融合すると、瞬く間に巨大なオニウツボカズラに変態していった。ゴルムの皮膚のいたるところからオニウツボカズラの蔓が芽を出し、皮膚を突き破ってウネウネと伸びていく。ゴルムは生きたままヴァイムの苗床となり、ゴルムの体内に宿るアマテスの血の力はヴァイムをさらに進化させた。

 枯れたヴァリの体を押しのけるようにしてヴァイムは触手を伸ばし、ゴルムの上着とズボンを纏ったまま壁に巨大な蕾をつけた。蕾はゴルムの上着の首の部分から生え出ていて、まるでゴルムの顔のように見えた。ゴルムの上着の胸の部分を突き破って捕虫袋が飛び出してくると、メキメキと音を立てて膨らんだ。蕾がゆっくりとほころび、二枚の肉厚の花弁が上下にヌタリと開くと、雄蕊が舌のようにだらりと下がった。花弁の中心を彩る色素の濃淡や斑点が、光の加減によってゴルムの顔を浮き上がらせた。床にはシワシワになったゴルムの顔の皮膚が落ちていて、その横に宰相の仮面と赤い宝石をつけた宰相の指輪が転がっていた。

 ゴルムはヴァイムと一体化し、粘菌と同化した不死のヒト食い植物に生まれ変わった。

 祭壇の横に立っていた四人の女官はゴルムの伸ばす触手に絡み付かれると、巨大な捕虫袋に次々に引きずり込まれた。

「ああ、血が欲しい、女王の血が。千トング前に舐めたアマテスの僅かな血では足りぬ。我が身が神の力を得るには女王の血が必要だ・・・アマテス・・・イオリ・・・ふたりの血を吸いつくしてやるわい」

 鎌首をもたげてユラユラと揺れていた触手がスルスルと収斂してヴァイムの本体の中に入っていく。花弁は蕾となって捕虫袋と共に胸の中に吸い込まれていく。

 ヴァイムの姿が消え、身体の中にヴァイムを宿したゴルムが元の姿で立っていた。ゴルムは床に落ちている顔の皮膚を拾い上げると、頭の部分に被り、その上に仮面をつけると、宰相の指輪を指に嵌めた。

 祭壇の上で意識を失っていたソトルは目を開けた。頭の中は靄がかかったようで何も考えられない。身体中の皮膚の下を何かが這い回るように動いている。心臓に埋め込まれた粘菌が身体中に菌糸を伸ばしているのだろう。痛みは感じない。上体を起こすと、仮面を被ったゴルムの顔が見えた。

「不死の戦士ソトルよ。使命を果たせ。女王候補者イオリは西の塔の最上階におるぞ。そうだ、女王の城の宰相の霊廟にヴァーラム様がおられる。お前の力になって頂けるだろう」

 仮面の下からくぐもったゴルムの声が響いた。

 ソトルはその声に操られるかのようにユラリと起き上がると、熱に浮かされたような虚ろな目をしてアマノイワトの大広間から出ていった。

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