セーブルと虎
「こちらが、バラジャムの製造工場です」
フーを連れてセーブルが向かったのは、先日出来上がったばかりのジャム工場だった。
工場といっても、規模は小さめで、セーブルとしてはまだ物足りないものがある。
元いた世界で工場といえば、敷地も設備もここよりも広く発達していたので、改善する余地が多い。
工場は一階が売り場と製造所になっており、二階に大口の顧客向けの事務所を設けている。
売り場では可愛らしくラッピングされたビンが並び、それに合わせてバラの花をモチーフにしたクッキーや紅茶缶が並ぶ。
当然『生花』バラそのものも販売している。
工場は一般の人でも見学が出来るように、ガラス窓で囲われていて、中にはバラを煮詰める大釜や、奥にはバラを細かくする大型のミキサーなど、機械が多い。
最初は衛生に関する知識がそこまで浸透していなかったので、そこはしっかりと教育し、今では全員が白の帽子に白の作業着姿である。
普通ならば、ここまでの設備を見せると『素晴らしい』や『ぜひこの技術を・・・』という感想を貰えるのだが、どうやらフーは違うようで、何の感想も無く歩いていく。
その歩みはしっかりしたもので、特に関心を持つものが無いのだという事を如実に語っている。
最後の工程までを見学し終えると、ようやくフーがセーブルに問い掛けてきた。
「セーブルさんは、この工場では満足していないのでしょう?」
「それは、どういう・・・」
「そのままの意味です。この工場は、工房といっても差し支えない規模です。あちらの世界で工場といえば、もう少し規模が大きかったように思うのですが・・・どうですか?」
確かに、セーブルはこの規模の工場では満足できていない。
しかし、色々とあちらの世界より遅れていたり、進んでいたりするこの世界では、しょうがないと諦めてもいたのである。
それをフーは何故気付いたのだろうか?
しかも、セーブルがこの世界の人間でない事を何故知っているのか、セーブルは今や当たり前になってしまった頭の上の猫耳をピンと立て、目を丸くした。
「フーさん・・・もしかして、こちらの世界の人ではないんですか?」
セーブルの持っている知識では、数人ではあるが同じ世界、もしくはそれ以外の世界からの人間がこの世界に居るというのはあったが、セルピエンテに、しかも国王の妻となるべき人が同じ世界の出身だとは思えなかったのだ。
それゆえ、初めからフーに対しては他の外交官や領主に見せてきた部分だけの案内で良いと思っていた。
しかし、もしそれが同じ世界の出身だったなら・・・
喜び半分、戸惑い半分という所だろうか。
そんな風に困惑しているセーブルを他所に、いたって普通にフーは返事をしたのだった。
「はい。セーブルさんには隠さなくても良いとロンが言っていましたので、肯定しますが、セーブルさんもそうなのでしょう?私は、中国という国からこちらへと渡って来ました。ロンに同郷の友が居る事は心強い事だろう、と言われ私はこのアストルニアに来たのですが、お話が出来てよかったです。こんなに可愛い人だと思っていなかったので」
「中国・・・ですか。私は日本でした。私も、同じ世界から来た人に会えるだなんて思っていなかったので、とても嬉しいです。私よりも、フーさんの方が可愛いですよ。そうです、折角ですからこちらと元の世界の比較など、色々とお話を聞かせてくれませんか?そして、宜しければ私と友達になってくれませんか?」
色々と話しを聞きたいのは山々だが、こちらに来てから友人といえばトラやリルートと男性しかいなかったのも事実。女性にしか出来ない話というのも多いものだ。
例えば、自分の性癖についてとか。
どこか共感できる部分があったのだろう、フーは手を差し出してきたセーブルを見つめ首を一度縦に振ると、しっかりとその手を握るのだった。
その後『龍の最愛と黒の外交官が二人でいたら、逃げるが得策』という言葉が貴族間で呟かれるようになるのだが、今の二人はそれを知る由は無い。