夏の終わり
あの後病院に帰りつき、荷解きも終わり一息ついていたところに小牧先生からの呼び出しがあった。
「失礼します」
「おかえり。楽しかったかい?」
「はい。外泊の許可をくださり、ありがとうございます」
「あぁ、なんてことはないさ。まぁ、彼にはあんな言い方したけど、実際彼になら任せられると思ったしね」
あんな言い方とは、と思ったが、あえて聞くことはしなかった。
「それで、羽田から報告があったことだけどね。最近、痺れが出る頻度も多くなっているだろう?」
はい、とは答えなかった。
「この間の検査の数値自体は良かったんだけど、症状が頻繁に出るようでは、医師としては、学校に通わせることは
できない」
そう言われることを覚悟してはいたが、想像と現実ではやはり衝撃の大きさが違う。
「ここから先は、ご両親にも聞いてほしいから、続きはまた明日。どうせ昨日今日と若干無理をしたんだろうし、今
晩はゆっくり休みなさい」
「…はい」
先生の部屋を出て、後ろ手でそっと扉を閉める。
悔しい。頑張っているのに、治療もちゃんとしているのに。どうして、良くなってくれないんだろう。
数値は良かったはずなのに、どうして症状が出るのか。
「…がっこう、いきたいなぁ…」
ほら、今だってそう。呂律が回っていない。これは、病気の症状だ。
うまく言えない自分が悔しい。うまく動かない手足が悔しい。痺れる体が悔しい…。
その日は夜遅くまで声を殺して泣いていた。
いつ眠ったのかすらもわからない。宗一郎や他の人から来ているメッセージにも返信していない。
看護師さんたちが心配そうに部屋をのぞいていることに気づきもしなかった。
翌朝、パンパンに腫れてしまった目を癒すために羽田に氷をもらった。
10時過ぎ、やってきた両親とともに小牧先生の部屋に入る。
そこで話された内容は、主にこんな感じだった。
今の状態の姫奈を学校に普通通りに通わせるのは難しいとのこと。ただ、事情を知り、補助もでき、いざという時の
対応ができる人が宗一郎以外にもおり、姫奈のそばに着くことができるなら、一週間に数日、体に負担がかからない
範囲でなら学校に行くことを許可できる。病状がこれ以上進行し、日常生活にも支障をきたすようになるレベルにな
ればそれすらも難しくなるとのこと。
確かに宗一郎は補助もでき、対応もできるがそれ以外の人は難しいだろう。
「もし、そういった人物にあてがあるなら、ここに連れてくるといい。私たちが教えよう」
それを聞いて、瑠花や千佳しかいないと思った。二人が受け入れてくれるかは別として。
「わかりました。聞いてみます」
その後、先生と両親は別の話があるらしく、姫奈だけ先に病室に返された。
早速二人に連絡してみる。
二人は二つ返事で了承してくれた。
暇なので、明日すぐにきてくれるらしい。
二人曰く、『学校は明後日からなんだから、明日覚えちゃったら姫奈始業式来れるんでしょ?』とのことだった。
二人にはこれまでのことも含め、感謝しかない。
そのことを後で小牧先生に伝えると、少し驚いた顔をしつつも快く受け入れてくれた。
集合は明日の昼過ぎということになり、先生に宗一郎も呼んでおけと言われたので、宗一郎にも連絡を入れる。
今日は先生との話があったため宗一郎はここには来ないのだ。
するとすぐに既読がつき、わかったとの連絡が来た。それに、なぜかお母さんとお父さんも来るらしい。
普段は多忙なお父さんと会うのはこれが初めてなので、緊張がすごい。また、思った以上に大人数になりそうだ。
そのことも伝えると、病室では狭くなりそうだからと、小さい会議室を借りてくれることになった。
小牧先生はさぁ、明日は忙しくなりそうだと羽田さんとの打ち合わせに行ってしまった。
病室には両親が待っていた。
「明日、私たちも一緒にいていいかしら?」
「でも、お父さんは仕事があるんじゃ…」
「いや、会社の人にさっき相談したら、そんなの仕事より娘さんを優先していい。と言われてしまった」
どうやら、こちらの事情を会社には話しているらしく、快く有給をもらえたとのことだ。
翌日、両親、そして宗一郎一家は早くも午前中から来ていた。
姫奈はやや緊張気味でお父さんにご挨拶したが、厳格そうな見た目とは違い、優しい人だった。
挨拶が終わると、姫奈の両親と宗一郎の両親とで交流が始まり、お父さん同士も仲良くなっていた。
「姫、なんか顔色悪くないか?大丈夫か?」
「あら!大変!もう、あなたが怖い顔してるからよ」
「す、すまん」
そう嫌味を言われながらも謝る宗一郎のお父さんの肩を姫奈のお父さんが励ますようにぽんぽんと叩く。ずいぶん仲
良くなったようだ。
みんなお昼ご飯は持ってきているようで、そのままお昼は姫奈の病室で食べた。
午後、時間通りに瑠花と千佳もきたのだが…、なぜかその後ろには春樹と周防もいた。
「こんにちは〜」
「ごめん姫奈、こいつらに話したら行くって聞かなくて」
「…そうそう、一人でも多い方がいいでしょ…。ね?」
あちゃ、と言ったふうに隣では宗一郎が頭を抱えている。それでも、わざわざ来てくれたのに追い返すのは気が引け
る。それに蘇芳の言うことももっともだ。
その時、病室の扉がまた開かれた。
「おっと、みなさんお揃いで?1、2、3…9?予定の人数より若干多い気もするが…問題ないでしょう。ご案内い
たします。姫奈ちゃんは宗一郎くんと車椅子でおいで。今日はアレなようだから」
そう、今日は朝から若干体調が悪く、と言っても本当に少しなのだが、手足に力が入りづらくなってしまっている。
この部屋にはいつでも使えるように車椅子が常備してあるので、みんなが出た後に宗一郎に押してもらいながら別ル
ートで会議室まで向かう。
姫奈が会議室に入ると、すでに指導が始まっていた。
なんというか、スパルタである。まずは資料を渡し、そこから早口でどんどん説明している。
「要は!」
まとめに入ったようで終わるかと思ったが、今度は実践の説明に入る。
「ここからが本題だ!」
宗一郎のお父さんなどは真剣に聞いているが、じっと聞いておくことが苦手な千佳は若干退屈そうにしているが、真
面目に聞いてくれている。
そして小牧先生が勢いよくこちらを振り向くのが見える。まるで獲物を見つけた獣の目だ。
「うわ…」
隣で宗一郎が嫌そうに顔を歪める。すると次の瞬間。
「ちょぉぉっといいかな?」
一瞬のことだった。目の前に小牧先生の顔が現れる。
「わっ!!」
「先生、姫を驚かさないでください」
先ほどから思っていたのだが、もしかしたら先生は指導が好きなのかもしれない。いつもはみられないほど熱が入っ
てる。
そっと宗一郎が耳打ちをしてくれる。
「どうやら、指導が好きらしい。どっちかっていうと、いじめに近い気もするが。ああやって日々のストレスを発散
しているのだと羽田さんが言っていた」
「なぁにを話しているのかな?」
「いいえ?」
宗一郎がとぼける。小牧先生は特に気にすることもなく、車椅子の姫奈と宗一郎を前に引っ張って行った。
「いいかい?この二人が模範だ!今から…」
そうやって小牧先生の熱血指導により、その日姫奈をサポートする人が増えた。
無事に、と言っていいかはわからないが。
月曜。始業式____。
校長先生のありがたくも長い話も終わり教室に戻ってきた。
今日は姫奈も学校に来ることができた。一応、明日も来る予定だ。
掃除の時間、姫奈は例の熱血指導を受けた人員に見守られながらも掃除に取り組んでいた。
「みろ、姫奈ちゃんが床拭いてる」
「床を拭いてる姿も可愛いなんて…」
「実は、私、姫奈先輩たちに会いたすぎて夏休みが終わる日数カウントダウンしてたんだ」
「え、それ私もやってた!」
「眼福…」
などと、教室内外問わずさまざまなところから姫奈のことを話す声が聞こえてくる。
だが、実際に話しかけてくる人はいない。
なぜなら_______。
宗一郎率いるサポート組と、それらのただならぬ雰囲気を察した姫奈見守り隊の隊員たちがうまく壁を作っているか
らだ。
一度雑巾を綺麗にしようと立ち上がり、バケツのところまで持っていく。が、バケツの元にたどり着いた姫奈の手に
は雑巾が握られていなかった。
「落としたぞ」
そう言って持ってきてくれたのは宗一郎だ。
大丈夫か?とこっそり言ってくる。周りを見渡すと心配そうに見守るみんなの姿があった。
姫奈はここにくるまで、自分が雑巾を落としたことに気づかなかった。明らかに病気の症状だろう。
クラスメイトに病気のことはまだ話していないため、何事かと注目が集まる。
だがその瞬間、見守り隊が動いたようで、別のところで騒ぎが起きた。
そのおかげでみんなの集中がそちらに向く。
その後数日、学校では宗一郎たちのサポートもあり、普通のように過ごすことができた。
だが、疑問が出てくるのは当たり前のことで…。
「ねぇ、なんなの?」
そう言ってきたのは、同じクラスの一軍女子、凛だ。
「え?」
「だから、なんであんたの彼氏でもない春樹に蘇芳まであんたに過保護になってんのかって聞いてるのよ」
さてどう返そうと思っていると、ここで助け舟がきた。
「染島さん、ちょっといい?」
そう言って声をかけてきたのは担任の立花先生だ。
先生が来たとわかるといささか分が悪い凛はちっ、と舌打ちを残して消えていった。
「職員室まで来てくれる?」
そう言われてきた職員室には昼休みということもあり、多くの先生がいた。ちなみに、先生たちには姫奈のことを話
しているので、声を潜めて話す必要はない。
「最近、ああいった光景をよく見かけるのだけれど、大丈夫?」
そう、最近、宗一郎たちサポート隊、さらに姫奈見守り隊の目を掻い潜って嫌味を言ってくる生徒が増えたのだ。
姫奈自身、対応に困っているところだった。
「今日は私がちょうど通りかかったからよかったけれど、毎回そうするわけにもいかないでしょう?何か対策を考え
た方がいいんじゃないかしら?」
それについては姫奈も宗一郎と話していた。いっそのこと全て話してしまった方がいいのではないか、と。
しかし、それを話すには姫奈の心の準備ができないでいた。
「そうですよね。一応、話し合ってはいるんですけど、私の心が…」
「そうなの。考えてるのならよかった。ゆっくりでいいから、ちゃんと考えなさいね」
「はい、ありがとうございます」
職員室を出ると、どこからか姫奈が先生に職員室に連れて行かれたと聞きつけた宗一郎たちが待ち構えていた。
「姫!何かあったのか?」
こうして勢揃いしていると、とても目をひくので、少し離れたところに移動する。
そこで凛との一件も含め、包み隠さず全て話す。
それを聞いたみんなはまたか、と半ば疲れた顔をしていた。その顔を見てとても申し訳ない気持ちになってくる。
どうするか、と悶々と考えていたら気付かぬうちに放課になっていた。
どんな授業を受けたのかもあまり記憶にない。
考えすぎたのか、その夜熱を出して寝込むことになってしまった。
次に目覚めた時、もう見慣れてしまった天井が見えた。
ゆっくり体を起越そうとするも、なぜか力が入らない。
すると、いつのまに入ってきたのか、宗一郎が目を見開いて立っていた。そして姫奈の姿を見た途端、猛スピードで
外に走って出て行ってしまった。
しばらくすると、廊下が騒がしくなり、勢いよく扉が開かれる。
その間も、なぜか姫奈の頭は霞がかったようにふわふわとしていた。
「姫奈ちゃん!」
そう言って駆け込んできたのは小牧先生だ。
先生、廊下は走ったらいけませんよ。
そう言おうとしたが、なぜか声も出ない。
「ここがどこだかわかるかい?私の名前はわかる?」
なぜか声が出ないのでこくり、と頷く。
「そうか、声が出ないか。とりあえず水を飲むといい。話はそれからにしよう。宗一郎くん、手伝ってあげてくれ」
そう先生に言われた宗一郎は姫奈の体を起こし、水を飲ませてくれる。
「…ぅあ…」
喉も潤い、口から出てきたのはそんなか細い声だった。
「…ぁりがとう」
そう言って宗一郎の顔を見ると、その顔には心の底からの安心が浮かんでいた。
「それじゃあ、説明しようか」
「はい」




