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第22話「流焔ちゃんの世界線と、指名の始まり」

三十七日目の朝、秩序ちゃんから声をかけられた。


「今日の予約に、指名が一件入っています」


好代は少し止まった。昨日の四人組の一人だ、とすぐわかった。


「……あの方ですか、昨夜の」


「そうです」と秩序ちゃんが書類を見た。「お名前は「混在」さんといいます。複数の世界線の端境に生きている方で、体が複数の形を同時に持っています。昨夜の四人組の中で最初に「指名したい」と申請してきました。今日の夕方です」


好代は少し考えた。昨夜、黒いナゲットとマリーゴールドのチキンを喜んでいた一人だ。体の一部が他の世界線の色をしていた方——左腕だけ赤紫だった。


「……何か準備することはありますか」


「指名の場合、そのお客さまの記録を事前に読んでおくといいです」と秩序ちゃんが一枚の紙を渡した。「これが混在さんの来訪記録です。過去三回来ています。毎回違うクルーが担当していました」


好代は記録を読んだ。三回の訪問。それぞれ別のクルーが担当していて、「バーガーを選ぶのに時間がかかる」「何が食べたいか自分でわかっていない」という記録が続いていた。最後の担当クルーのメモに「においで選ぶ担当が合うかもしれない」と書いてあった。


「……誰が書きましたか、このメモ」


秩序ちゃんがわずかに目を動かした。「無常です」


無常ちゃんが書いた。


「……わかりました。今日の夕方に向けて準備します」


「もう一つあります」と秩序ちゃんが続けた。「今日の午前は外業務です。流焔ちゃんとの合同巡回——ダンジョンへの同行ではなく、今日は外の世界線への配送です。流焔ちゃんが担当する世界線の一つに、配送の依頼が来ています。好代さんも同行してください」


昼前まで外業務、夕方から指名の接客。今日は両方ある日だ。




【第一章】流焔ちゃんと外の世界線


バックヤードで集合すると、流焔ちゃんがすでにいた。今日の服装はいつも通りの制服に、焦げた袖のカーディガンを羽織っている。首のスカーフが今日は赤い。


「好代ちゃん! 今日、一緒に来てくれるんだよね」


「はい。配送の同行ですよね」


「配送って言うと地味に聞こえるけど、ちょっと特殊な世界線だから」と流焔ちゃんが言った。「「終末が近い世界線」——もうすぐ滅びる世界線に、最後のバーガーを届ける仕事です」


好代は少し止まった。「……最後のバーガー、というのは」


「その世界線が終わる前に、そこにいる存在にバーガーを届ける。食べると、終わる時に知識として何かが残せる。記録みたいなもの」と流焔ちゃんが言った。「悲しいとは思うけど——私はこの仕事、嫌いじゃない。終わる前に届けられる、というのが、何か意味があると思うから」


においを嗅いだ。流焔ちゃんのにおいはいつも陽気だ。でも今日は少し、しずかな成分が混ざっている。


「……流焔ちゃんはこの仕事を何回やりましたか」


「数えてない。でも多い」と流焔ちゃんが言った。「たくさん行ったけど、慣れない部分と、慣れた部分が両方ある」


「慣れた部分は何ですか」


「行くこと。届けること。帰ること」


「慣れない部分は」


「届けた後に、その世界線が終わるのを見ること」と流焔ちゃんが少し間を置いて言った。「見ない方がいいって知ってるけど、たまに見てしまう。炎が好きだから——終わり方が炎に似てる世界線は、特に目を離せない」


好代はその話を聞いた。何も言わなかった。


渾沌ちゃんが空間を開けた。




【第二章】終末の世界線


出た先は、空が赤い場所だった。


渋谷でもない、霧の世界線でもない——どこか見たことのない地形だ。低い丘が続いていて、丘の上に小さな建物がある。空が赤いのは夕焼けではなく、大気の色が変わっているからだ。においがした——酸化のにおい。世界が少しずつ酸化していくにおい。


「……ここが終わる世界線ですか」


「そう」と流焔ちゃんが静かに言った。「まだ少し時間はある。でも今日か明日か、くらいの感じ」


「……ここに人がいますか」


「一人だけ」と流焔ちゃんが丘の上の建物を指した。「ずっといる人。逃げられる方はもう逃げた。でもこの人は「ここにいたい」と言って残っている」


好代はにおいで確認した。丘の上に確かに気配がある。長い間ここにいた気配——世界線のにおいと完全に馴染んでいる。この場所そのものになっているような気配だ。


丘を登った。建物は古い石造りの家だった。扉が開いている。


中に、老いた人がいた。人間かどうかは判断がつかない。形は人間に近いが、皮膚の色が空と同じ赤みがかった色をしていた。窓の外を見ていた。


「届けに来ました」と流焔ちゃんが言った。


老いた人が振り返った。目が静かだった。怖くない目だ。


「……ありがとう」と言った。「今年も来てくれた」


「今年も、というのは」と好代は流焔ちゃんに小声で聞いた。


「この方、毎年この時期に私が届けに来てた」と流焔ちゃんが答えた。小声で。「本当に終わる年だけ、最後のバーガーを持ってくる。それ以外の年は別のバーガーを持ってきた。今年が最後」


「……何年来てたんですか」


「数えたら七年だった」


老いた人がバーガーの包みを手に取った。においを嗅いだ——この人もにおいで確認している、と好代は思った。


「いいにおいがする」と老いた人が言った。「毎年少しずつ違うにおいがして、今年のは一番遠いにおいがする」


「一番遠い、というのは」と好代は聞いた。


老いた人が好代を見た。「……あなた、新しい子だね。今まで来た子より、たくさんのにおいがする」


「……たくさんの世界線のバーガーを食べているので」


「そうか。なら、あなたのにおいを少し嗅がせてもらえますか。ここを出て行けない分、あなたを通して、色んな世界線のにおいを嗅ぎたい」


好代は少し前に出た。においを嗅いでもらった——というより、好代が棚を少し開けた。においの知識を使って、今まで食べたバーガーのにおいを、少しずつ外に出してみた。


草原のにおい。霧のにおい。ダンジョンの深部のにおい。概念菜園のにおい。夏の終わりの午後の草のにおい。境界の夜のにおい。


老いた人が目を閉じた。「……遠い」と言った。「遠くて、たくさんある。これが全部、どこかにある世界線なんだね」


「そうだと思います」


「……ありがとう。来た分だけ、遠くを知れた」


老いた人がバーガーを食べた。一口ずつ、ゆっくり食べた。食べながら窓の外を見ていた。


好代は黙って待った。流焔ちゃんも黙っていた。


食べ終わった後、老いた人が「おいしかった」と言った。それだけ言った。


三人でしばらく窓の外を見た。赤い空が、少しずつ深い赤になっていった。




【第三章】帰り道の流焔ちゃん


帰り際、流焔ちゃんが丘を下りながら好代に聞いた。


「……においを出してあげた。あれ、自分でできるの知ってたの?」


「その場で試してみました。やったことがなかったですが、できました」


流焔ちゃんがしばらく黙って歩いた。


「……私、今まで届けに行った時、いつも「最後のバーガーを渡す」だけで終わってた」と流焔ちゃんが言った。「渡して、食べてもらって、帰る。それが仕事で。でも今日のあなたのやったことは、渡す前に「ここにないもの」を届けてた」


「……バーガーじゃないものを届けた、ということですか」


「においを届けた。遠い世界線のにおいを。その人が一生行けなかった場所のにおいを。そういうことって、私の仕事には入ってなかった」


「……流焔ちゃんが炎を使う時、形のないものを届けていることはないですか」


「どういうこと?」


「炎は熱を届けますよね。においと少し似ているかもしれないです。形のない、でも確かに届く何か」


流焔ちゃんが足を止めた。


「……そういう言い方したことなかった。炎で熱を届けてる、という考え方」


「違いましたか」


「違くない」と流焔ちゃんが言った。しずかな声だった。「むしろ——そっちの方が本当のことかもしれない。私が炎を使う時、一番したかったのは燃やすことじゃなくて、届けることだったかもしれない」


しばらく二人で歩いた。


「……今日来てよかった」と流焔ちゃんが言った。「あなたと一緒に来てよかった」


「私もよかったです」と好代は言った。




【第四章】夕方、混在さんの指名


ぱんでむに戻って、少し休んでから夕方のフロアに出た。


混在さんが来た。


昨夜の記憶通り、左腕だけ赤紫の方だ。四人組で来ていた時より、今日は一人だった。テーブルに座って、少し緊張しているにおいがした。


「いらっしゃいませ。昨夜はありがとうございました」


「……指名、してもいいんですか」と混在さんが言った。「なんか、大げさなことをしたかもと思って」


「大丈夫です」と好代は座った。「今日はゆっくり話しましょう」


混在さんが少し肩の力を抜いた。


においを嗅いだ。複数の世界線のにおいがする——左腕の赤紫は別の世界線の時間を持っていて、右腕は今この世界線にいる。体の中で時間軸が複数走っている感触だ。


「……体が複数の時間を持っているんですか」と好代は聞いた。


混在さんが少し驚いた顔をした。「……わかりますか」


「においがそういう感触でした」


「そうです。私はもともと、一つの世界線の出身なんですが——ある時から体の一部が別の時間に繋がってしまって。左腕は別の時代にいる自分の腕です。今の私は「今」にいて、でも左腕は「別の今」にいる」


「……それは苦しいですか」


「苦しいというより——混乱します。どっちの時間で何かを判断すればいいかわからなくなる。バーガーを食べると変容するじゃないですか。私が変容したら、どっちの時間の私が変容するのか。それが怖くて、今まで食べられなかった」


好代は棚を開けた。においで読んだ——複数の時間軸が同居している体に対して、どんなバーガーが合うか。


「……一つ確認していいですか。試食してみます」


「はい」


好代はカウンターへ行って、二種類のバーガーを少し試食した。一つ目——情報が来た。「今を選ぶ感触」。これは少し変容が大きい、混在さんには強すぎるかもしれない。二つ目——「重なったものを静かに受け取る感触」。変容はあるが、穏やかだ。強制的に変えるのではなく、今あるものを認める方向の感触。


テーブルに戻った。


「二つ試しました。一つ目は「今を選ぶ」バーガーで、変容が少し大きいです。混在さんの場合、どちらの時間を「今」にするか、を変容として決めてしまう可能性があります」


「……それは怖い」


「そうですよね。だから二つ目の方が今日は合うと思います。「重なったものを静かに受け取る」バーガーです。変容はありますが、穏やかです。複数の時間が自分の中にある、ということを、怖いものではなく「そういうものだ」として受け取る感触が来ます」


混在さんがしばらく黙っていた。


「……試食して、説明してくれる人、初めてです。今まで「このバーガーがおすすめです」って言われても、どう怖くて何が変わるのかわからなかった」


「変容することを怖いと思うのは、わかります。何が変わるかわからない状態で食べるのは怖いです」


「……あなたは変容しないんですよね」


「はい。体がバーガーを吸収しないので」


「……だから試食できるんですね。食べて、何が起きるかを確かめてから教えてくれる」


「そういう使い方が一番役に立てると思っています」


混在さんが少し笑った。「……じゃあ、二つ目を食べてみます」


バーガーを持っていった。混在さんが一口食べた。少し間があった。


「……重なってる」と混在さんが言った。「左腕と今の自分が、重なってる感触がします。どっちかを選ばなくていい。どっちも自分、という感触が来てる」


「どうですか」


「……楽です」と混在さんが言った。「今まで左腕を「おかしいもの」として扱ってた。でもこれを食べたら、左腕も自分の一部として感じられた。変容したのかもしれないけど、怖くなかった」


好代は少し安心した。においで読んで、試食して、説明して——その積み重ねが、今日は機能した。


食べ終わった後、混在さんがしばらくテーブルで静かにしていた。好代も一緒に座っていた。


「……また来ます。次も指名してもいいですか」


「もちろんです」


「……次は友達も連れてきたいです。昨夜一緒にいた四人の。みんな怖くてなかなかバーガーを食べられなかったから」


「いつでも来てください」


混在さんが帰り際に、包みを一つ置いていった。「複数の世界線の土を混ぜて固めたもの」だと言った。赤紫と土色が混ざった、小さな塊だ。


「……私の左腕が存在している世界線の土と、今の世界線の土を混ぜました。どっちも本物です」


好代は受け取った。においを嗅いだ——二つの世界線のにおいが確かにした。どちらも本物だった。




【クルー視点モノローグ】

──────────────────

流焔 ── 三十七日目の配送


今日、好代ちゃんと終末の世界線に行った。


七年通い続けた場所だ。毎年届けていた。


今日は「最後」だった。食べてもらって、見ていたら——好代ちゃんがにおいを届け始めた。今まで行けなかった場所のにおいを、体の中から出して。


私は炎を使って、いつも何かを届けてきたつもりだった。でも実際は「バーガーを渡すこと」が仕事で、「届けること」はバーガーがやっていた。


好代ちゃんは自分自身が届け手になっていた。においが届け手だった。


私の炎も、本当は熱を届けていたのかもしれない——と好代ちゃんに言われた。


そうかもしれない。燃やすことと届けることが、私の中でずっと別々だったのが——今日、少し一緒になった気がした。


七年通い続けた場所が終わった。でも今日は一人じゃなかった。


それが、今日よかったことだ。



──────────────────

無常 ── 指名の記録


混在さんの指名が入った。好代さんが担当した。


過去三回のうち、私が二回担当した。毎回「何を食べたいかわからない」という状態で終わっていた。


好代さんの今日の記録を後で聞いた。試食して、変容の内容を説明して、混在さんが自分で判断できる状態にして出した。


それだ、と思った。


混在さんが食べられなかったのは、変容が怖かったからだ。何が起きるかわからないのが怖かった。「今のあなたには合います」と言うだけでは、「何がどう合うのか」が伝わっていなかった。


試食して説明する。それが混在さんには必要だったことを、私は三回担当してずっと気づいていなかった。


次の担当メモに追記する。「好代さんに引き継ぐこと」。



──────────────────

混在 ── 帰り道の記録メモ


今日、バーガーを食べた。


ぱんでむに来て四回目で、初めて食べた。


食べる前に「何が変わるか」を教えてもらえた。それだけで、怖くなかった。


左腕の話をしたら、「においがそういう感触でした」と言われた。


においで読まれたのは、初めてだった。言葉で「わかります」と言われるより、においで読んでくれた方が——本当にわかっている感じがした。


次は友達を連れていく。四人全員、バーガーを食べたいと思っているが怖くて食べられなかった。


においで読んで、試食して、説明してくれる人がいるなら——食べられるかもしれない。


──────────────────


【エピローグ】夜、「黄昏」で


夜、「黄昏」でお茶を飲んだ。


郷愁ちゃんがいた。


「今日は外の仕事と、フロアの両方でしたね」と郷愁ちゃんが言った。


「……そうでした。終末の世界線に行きました」


「流焔ちゃんと?」


「はい」


「あの子と行くと、燃えて帰ってくるか、しずかになって帰ってくるかのどちらかですね」と郷愁ちゃんが言った。


「……今日はしずかな方でした」


「そうか」と郷愁ちゃんが少し頷いた。「流焔ちゃんが静かな顔をしている日は、届けた先で何かあった日です。ちゃんと届けてきたんですね」


好代は手の中の混在さんの土の塊を思った。二つの世界線の土が混ざって固まったもの。どちらも本物。


「……フロアでも、今日新しいことがありました」


「何ですか」


「試食して説明する、というやり方が——怖くてバーガーを食べられなかった方に届きました」


郷愁ちゃんがお茶を足してくれた。「それはいいことです」


「……そのお客さまが、「次は友達も連れてくる」と言ってくれました」


「口コミですね」と郷愁ちゃんが静かに言った。「ぱんでむの来客が増えるのは、いいことです。特に——怖くて来られなかった方が来られるようになるのは」


渾沌ちゃんが「すきよちゃん! 今日どうだった!!」と入ってきた。


流焔ちゃんも後から来た。いつもより少し静かだったが、渾沌ちゃんが「流焔ちゃん! どうだったの!!」と聞くと、「よかった。今日はよかった」と言った。


四人でしばらくお茶を飲んだ。


前が広い。今日も変わらなかった。



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