第20話「フロアの夜と、指名と、渾沌ちゃんの担当外」
三十五日目の朝、秩序ちゃんに呼ばれた。
「今日からフロア業務を本格的に覚えてもらいます。ただし、昨日の説明では伝え切れていないことがあります」
「何ですか」
「バーガーの扱いについてです」秩序ちゃんが手元の書類をめくった。「ぱんでむのお客さまにバーガーを提供する時、通常のお客さまは——食べると変容します」
好代は少し止まった。「……変容、というのは」
「バーガーの世界線の情報が体に吸収されます。程度はバーガーによって異なりますが、軽いものは数時間で戻る。重いものは不可逆です。だからこそ、お客さまはメニューをよく選ぶ必要があるし、クルーはきちんと説明してから提供する必要がある」
「……では、フロアの接客は」
「お客さまの状態と希望を聞いて、適切なバーガーを提案する仕事です。バーガーは単なる食事ではない。世界線の一部を体に受け入れる行為です。それに見合うだけの——トークが必要になります」
好代は少し考えた。バーガーを食べると体が変わる。だから、ただ出すだけでは足りない。話して、聞いて、この人に何が必要かを確認してから出す。それがフロアの仕事だ。
「あなたは食べると変容しませんが」と秩序ちゃんが付け加えた。「それはあなたの体が十七年間バーガーを拒絶し続けた結果です。情報を受け取るが、吸収しない——だから変容ではなく、知識として棚に積まれていく。この特性はフロアでも活きます。お客さまのバーガーを一口試食して、何が入っているかを確認する、という使い方が可能です」
「……お客さまの前で試食してもいいんですか」
「むしろ、そうしてほしい。私たちが「このバーガーは大丈夫です」と言うより、あなたが「食べてみました、こういう感触です」と言う方が——お客さまに伝わりやすい」
それは確かにそうだと思った。
【第一章】フロアの構造と接客の流儀
◆ 無常ちゃんから聞く
「基本的に、一人のクルーが一テーブルにつく」と無常ちゃんが言った。フロアの準備をしながらだ。今日の色は水色と橙。「お客さまが来たら声をかけて、テーブルに案内する。席についたら話す。バーガーは話の中で決まることが多い。なんとなく話していたら「じゃあそれを」ってなるのが一番うまくいく」
「……最初から注文を聞かない方がいいんですか」
「最初から聞くと、お客さまが困る場合が多い。ここのメニューは普通じゃないから。最初は話す。どこから来たのか、何があったのか、今何を感じているのか。そういうことを話しながら、自然に「今のあなたにはこれがいいかもしれない」と出せる方がいい」
「ガールズバーみたいですね」と好代は言った。
無常ちゃんが少し笑った。「そうも言える。実際、お客さまはバーガーより話しに来ている場合も多い。常連さんは特に。バーガーを食べると変容するから、毎回来るたびに「何を食べるか」は真剣な話だ。食べる前に、十分話す必要がある」
「……常連さんというのは」
「ぱんでむに定期的に来るお客さま。世界線が安定していると、同じ場所に繰り返し来られる。常連さんはクルーを指名することができる。「あのクルーと話すと決まりやすい」とか「あのクルーが選んでくれたバーガーが好き」とか——そういう理由で。指名料は別に入る」
「指名料、というのは」
「お客さまが指名クルーに直接払う。ぱんでむの通貨じゃなくていい。その世界線の何でも受け取れる」と無常ちゃんが言った。「渾沌ちゃんは知らない世界線のガラクタを集めるのが趣味だから、ガラクタで払ってくれる常連さんがいる。郷愁ちゃんは「懐かしい場所の空気を瓶に詰めたもの」でよく払ってもらってる」
好代は少し考えた。「……私が指名してもらえることはありますか」
「まだ知らないから、まだいない。でも」と無常ちゃんが言った。「においで話すクルーは今まで誰もいなかったから——たぶんそのうち出てくる」
◆ サイドメニューの説明
開店前に、無常ちゃんがサイドのショーケースを開けた。
「サイドとドリンクも覚えておいて。バーガーほど変容は大きくないけど——全くないわけじゃない。軽い感触が来る。短時間で抜けるが」
「……どんな種類がありますか」
「今日は五種類。全部、世界線の何かを使って作ったもの」
好代はケースを見た。においを嗅いだ——複数の系統が来た。甘い系、重い系、冷たい系、古い系。全部まとめて「世界線の欠片」という感触がある。
「【終末フライ】——悲鳴蒸留所の残滓油で揚げた暗い橙色のポテト。食べると「終わりの手前の感触」が数分来る。泣く人もいるし、すごく落ち着く人もいる。体への変容はほぼない」
「【概念ナゲット】——六個入りで、一個ずつ別の概念が入っている。今日の六個は「静寂」「待っていた時間」「初夏のにおい」「名前を呼ばれた記憶」「何かが終わった瞬間」「明かりが点く感触」。食べると一個の概念が数分間動く」
「【世界線シェイク】——今日は三種類。「滅亡前夜のベリー」「一万年後の草原」「全部混ぜ」。シェイクは少し変容が起きる場合がある。軽いけど。時間感覚や視覚に影響が出ることがあるから、事前に説明してから出す」
「【深淵コーラ】——ぱんでむの地下空間から汲んだ水に、炭酸と「ゼロの概念」を溶かした黒いコーラ。飲むと数分間「何もなくてもいい」感触が来る。常連さんに一番人気」
「【記憶のアップルパイ】——世界線の記憶を林檎の形に固めて焼いたパイ。食べると「知らない誰かの記憶」が薄く来る。食べる人によって来る記憶が毎回違う」
好代はそれを全部聞いた。においをそれぞれ確認した。全部、確かにそれぞれの「系統」がある。
「クルーも食べていいんですか」
「テーブルについていて、お客さまと話が弾んだら一緒に食べる。お客さまがご馳走してくれることもある。そういう時は遠慮しない。断ると気まずくなる場合がある」
【第二章】本日のフロア
今日のフロアには好代の他に、無常ちゃん、涅槃ちゃん、妄執ちゃん、安寧ちゃんが入った。
フロアが開くと、最初の三十分で五組が来た。
「涅槃ちゃんが一組目と二組目、妄執ちゃんが三組目、安寧ちゃんが四組目、五組目をあなたに」と無常ちゃんが言った。「私は全体を見る」
好代は五組目のテーブルへ向かった。
◆ 五組目・初対面のお客さま
白い毛並みと六本の細い腕を持つ、鳥に近い何かだった。テーブルに静かに座っていて、六本の腕のうち二本が膝の上で組まれ、残り四本はそれぞれ別々の方向を向いていた。
「いらっしゃいませ」
「……来たのは初めてです」とその方が言った。声が、複数の高さが同時に出ている。和音みたいな声だ。「ここは、何でも食べられると聞いた」
「ぱんでむのバーガーは、食べると変容します」と好代は言った。秩序ちゃんに言われた通りに、最初にそこを伝えた。「軽いものは数時間で元に戻りますが、重いものは不可逆のものもある。だから、何が起きるかをきちんと話してから選んでいただきます」
その方が、六本の腕のうち一本を持ち上げた。「……変容してもいいです。変わることを求めて来ました」
においを嗅いだ。焦げた何かのにおい——長い間待っていたにおい、と言った方が近いかもしれない。疲弊している、というよりは、熟成している感触だ。何かを待ち続けた末にここに来た。
「……変容したいのは、どんな方向ですか」と好代は聞いた。
「…軽くなりたい。今、六本の腕があるが、全部で違うものを持ち続けていて——一本か二本だけでいい気がしてきた」
「……腕の数が減るバーガーは、少し確認が必要です。でも「持っているものを手放す感触」に近いバーガーなら、いくつかあります。一口試食してみてもいいですか」
「試食?」
「私はバーガーを食べても変容しない体質なので——お客さまの前で食べて、何が入っているかをお伝えできます」
その方が少し動いた。六本の腕のうち二本が、ゆっくり胸の前で組まれた。「……それはありがたい」
好代はカウンターで二種類のバーガーを少しずつ試食した。一つ目——情報が入った。何かを置いていく感触、手を開く感触。悪くない。二つ目——こちらはもっと急だった。剥ぎ取るに近い。今のお客さまには、一つ目の方が合う。
テーブルに戻って説明した。
「一つ目は「置いていく感触」のバーガーです。食べると、今持っているものの一つか二つを、自然に手放せる感触が来ます。持っているものがなくなるんじゃなくて——持ち方が変わる、という感じです。体への変容は、おそらく軽い。でも確実に変わります」
その方がゆっくり一本の腕を伸ばした。「……それを」
バーガーを持っていった。食べてもらった。
三分ほどして、六本の腕のうち二本が、ゆっくりと折り畳まれた。消えたわけではない——収まった、という感触だ。その方が「……軽い」と和音の声で言った。「少し、軽い」
◆ フロアのにぎやかさ
しばらくすると、全テーブルが埋まった。
涅槃ちゃんのテーブルでは、棺桶型のバッグを持った骸骨のような客が静かにバーガーを食べながら「……死というのは、こういう味がするんですね」と言っていた。涅槃ちゃんが「そうですよ、美しいでしょう」と答えていた。話が弾んでいる。
妄執ちゃんのテーブルでは、三つ目の客が「あなた以外には頼みたくない」と言っていた。妄執ちゃんが「当然ですわ」と答えながらバーガーを選んでいた。
安寧ちゃんのテーブルでは、なぜか客も安寧ちゃんも両方うとうとしていた。でもバーガーの注文は入っていた。どこで決めたのかは不明だ。
無常ちゃんが好代のテーブルをちらと見てうなずいた。「……いいペース」と小声で言った。
◆ 常連さんと指名
昼過ぎ、一人のお客さまが来た。
無常ちゃんが「常連さん」と小声で言った。「もう三十回以上来ている。今日は指名がある」
「……誰への指名ですか」
「郷愁ちゃん。でも今日は郷愁ちゃんが不在だから——郷愁ちゃんが担当していた今日の引き継ぎを確認してから案内する」
常連さんはカウンターにいる女性で、ぱんでむのお客さまにしては珍しく、人間に近い見た目だった。薄い霧のような衣をまとっていて、足元がわずかに浮いている。
「……郷愁ちゃんは今日いますか」と常連さんが言った。
「申し訳ありません、本日は不在で」と無常ちゃんが言った。「引き継ぎは受けています。どうぞ」
常連さんが少し止まった。「……郷愁ちゃん以外に話したことがないので」
好代が一歩前に出た。「いらっしゃいませ。今日はよろしければ、私がお話しします。郷愁さんから、いつも何のバーガーを飲んでいたかは引き継いでいます」
常連さんが好代を見た。少し間があった。「……においが、郷愁ちゃんに似ていますね」
においが似ている。好代は少し考えた——郷愁ちゃんのバーガーを複数食べている。そのにおいが棚に積まれていて、今も出ているのかもしれない。
「……郷愁さんのバーガーを何度か食べたので、におい移りしているかもしれないです」
常連さんが、少し表情を緩めた。「……座ってもいいですか」
◆ 常連さんとの時間
テーブルについた。
常連さんは長い時間をかけて話す方だった。どこの世界線から来たか。今そこで何が起きているか。自分がどうなりたくてぱんでむに来るのか。
好代は聞いた。においを読みながら聞いた。
「……郷愁ちゃんに何度も来ているということは——バーガーは毎回同じものですか、それとも変わっていますか」と好代は途中で聞いた。
「変わります。でも毎回、郷愁ちゃんが選んでくれる。私はここに来るたびに少し違う状態だから、その時の状態に合わせたものを出してくれる」
「……今日の状態は?」
常連さんが少し考えた。「……今日は、何かを懐かしむより、今ここにいてもいいと思いたい気持ちが強い」
においを嗅いだ。懐かしい系のにおいではなく——確かに「いまここ」のにおいがした。郷愁系のバーガーより、現在に近い系統の方が合う。
「……少し確認します」と好代は言ってカウンターへ向かい、二種類を試食した。一つ目——「今があること」の感触。静かで、重くない。これを持っていった。
「これは「今ここにいる感触」のバーガーです。懐かしむのではなく、今を受け取る感触が来ます。郷愁ちゃんが選ぶものより、少し違う方向かもしれないですが——今日のあなたには、こちらの方が合うと思いました」
常連さんが受け取った。食べた。少し間があって、「……そうですね。今日はこっちがよかった」と言った。
食べ終わる頃、常連さんが「あなた、においで選ぶんですか」と言った。
「……はい。においで状態を読んで、試食して確認しています」
「郷愁ちゃんは「感触で選ぶ」と言っていた。あなたは「においで選ぶ」。違う方法だけど、同じことをしている感じがします」
好代は少し考えた。確かにそうかもしれない。
常連さんが帰り際に、薄い霧の一かけらをテーブルに置いた。「……次も来ます。あなたがいれば、あなたでも大丈夫です」
無常ちゃんが後ろから「それ、指名料」と小声で言った。「あの方の世界線の、霧の欠片。郷愁ちゃんも何回かもらってる。あなた、初日で指名もらった」
好代は霧の欠片を見た。冷たくて、でも少し温かかった。
【第三章】渾沌ちゃんの担当外
夕方、フロアが落ち着いた頃、バックヤードから音がした。
何かが倒れる音と、渾沌ちゃんの「あっ!?」という声が聞こえた。
好代が様子を見に行くと、バックヤードの廊下で渾沌ちゃんが壁に手をついて立っていた。足元に包み紙が落ちている。
「……渾沌さん、大丈夫ですか」
「うんうん! 全然!」と渾沌ちゃんが言ったが、目が少し泳いでいた。「ちょっとミスった」
足元の包み紙を見た。ぱんでむのバーガーの包み紙だ。渾沌ちゃんの担当のものではない——においが違う。凪のにおい、静かなにおい。これは秩序系の——。
「……担当外のバーガーを食べましたか」と好代は言った。
渾沌ちゃんが少し黙った。「……ちょっとだけ。一口だけ」
「なぜ」
「おなかすいてたし、なんか好奇心で」
好代は渾沌ちゃんを見た。見た目はいつもと同じだ。でも——渾沌ちゃんのにおいが違う。いつもの「乱れる系、混沌系」のにおいではなく、少し整いすぎたにおいがしていた。
「……何か変な感触はありますか」
「んーと」と渾沌ちゃんが言って、少し止まった。「……なんか、あたまの中が整理されすぎてる。いつもはもっとぐちゃぐちゃなのに、全部きれいに並んでて——なんか気持ち悪い」
渾沌ちゃんが「きれいに整理されている」のが気持ち悪い。確かに、渾沌ちゃんは混乱と破壊が担当だ。それと真逆の「秩序系」の感触が入ったら——。
「秩序ちゃんを呼んだ方がいいですか」
「呼ばないで! 始末書が増える!」
好代は少し考えた。「……自力で戻りますか」
「……うん。でも今、なんか自力でなんとかしようとするのが面倒な気がしてて」
「渾沌さんらしくないですね」
「そうなの! なんか全部合理的に考えたくなっちゃって——これが一番気持ち悪い。私、合理的じゃないのが取り柄なのに」
そう言いながらも渾沌ちゃんはどんどん喋っていたし、廊下を歩き回っていた。好代が「動き回っていると元に戻りやすいかもしれないです」と言うと、渾沌ちゃんが「確かに!」と言って廊下を端から端まで走り始めた。
十分後、渾沌ちゃんが戻ってきて「なんかまた頭がぐちゃぐちゃになってきた! よかった!」と言った。においが元に戻っていた。
「……自然に戻ったんですか」
「たぶん、担当外でも渾沌は渾沌だから、整理された状態を維持できなかったんだと思う」と渾沌ちゃんが言った。「でも一時間くらいは気持ち悪かった。担当外はやっぱりやめた方がいいな、って勉強になった」
「秩序さんには言いますか」
渾沌ちゃんが少し考えた。「……様子を見る」
好代は「わかりました」と言って、この件は一旦自分の中だけに留めておいた。
【第四章】今日のまとめと、次のイベントの話
フロアが閉まった後、無常ちゃんが好代に今日の振り返りを話した。
「全体を通して——バーガーを出す前の確認が丁寧だった。変容することをきちんと伝えてから選んでいた。それが今日一番よかったこと」
「……秩序さんに言われた通りにしました」
「言われた通りにすぐできる人は少ない。覚えておいて」と無常ちゃんが言った。「あと、指名料もらってた。初日で」
「……霧の欠片は、どう扱えばいいですか」
「自分で保管していい。指名料はクルーの個人資産」と無常ちゃんが少し笑った。「あなた、においで選ぶの、お客さまにも伝わってたと思う。「においでわかる」というのは、ここのクルーの中でオリジナルだから」
好代は少し考えた。
「……無常さんはどんな基準で選びますか」
「空気感。その人が今どこにいるかを読んで、次にどこに行くかを考えて出す。においじゃなくて、流れで読む」
「……流れ、というのは」
「今がどこで、どこへ向かおうとしているか。バーガーを食べると変容するから——変容の方向が今の流れに乗っているかどうかを確認する。流れに逆らう変容は、お客さまが辛くなることが多い」
好代はその話を聞いた。においで「今」を読む。無常ちゃんは「流れ」で「次」を読む。同じフロアで、方法が違う。
「……一緒にテーブルについていいですか、今度」
「いいよ」と無常ちゃんが言った。「来週、少し大きめのお客さまが来る予定がある。そのテーブルに二人でついてみよう」
帰り際、郷愁ちゃんに「今日、あなたの指名が入りました」と伝えた。
郷愁ちゃんが少し止まった。「……誰ですか」
名前はわからないが、霧の常連さんのことを話した。郷愁ちゃんがゆっくりうなずいた。「……あの方は今日来たんですね。よかった。あなたに対応してもらえてよかった」
「……あなたに似ているにおいがすると言われました」
郷愁ちゃんが少し微笑んだ。「……そうですか」
【クルー視点モノローグ】
──────────────────
無常 ── 三十五日目
今日の好代さんのフロアを見ていた。
変容することをきちんと説明してから出していた。最初に秩序から指導を受けたらしい。でも「言われた通りにする」というのは、実際にはかなり難しい。とっさに省略したくなるから。省略しなかった。
においで選んで、試食して確認して、それをお客さまに話す。試食して説明するというのは、今まで誰もやっていなかった方法だ。
「食べても変容しない」という体質がそのままフロアの武器になっている。
初日で指名料をもらっていた。あの方はかなり長い常連さんだ。郷愁がいない日に来て、初めて別のクルーで満足した。それは珍しいことだ。
──────────────────
渾沌 ── 担当外のこと
一口食べた。秩序ちゃんの担当バーガーを。
ちょっとだけのつもりだったが、頭の中がきれいになりすぎた。すごく気持ち悪かった。全部が整理されて、優先順位がついて、無駄がなくなって——それが一番無理だった。
私の仕事は混乱させることだ。混乱するのも仕事の一部だ。
整理された頭で「効率的に何かをしよう」と思った時、そこに自分がいないことに気づいた。体は自分のものだが、考えている主体が自分じゃない感じがした。
怖かった、というより、気持ち悪かった。
担当外のバーガーを食べると「大変なことになる」とずっと知っていた。
「大変」というのは、外から見てわかることだと思っていた。
違った。内側から、自分が自分じゃなくなる感触の方が——ずっとひどかった。
好代ちゃんが見ていてくれたので、言い訳ができた。よかった。
次はやらない。たぶん。
──────────────────
郷愁 ── 霧の常連さんについて
あの方は今日来たんですね。
私がいない日に来て、好代さんに対応してもらえた。
好代さんが「においが似ていると言われました」と話してくれた。
私はにおいで選ぶのではなくて、感触で選ぶ。でも——好代さんは私の担当バーガーを何度か食べている。そのにおいが体に残っている。
においが似ている、というのは——好代さんの中に、私の担当した世界線の欠片が入っている、ということだ。
それは、少し嬉しいことだと思った。
──────────────────
【エピローグ】夜の「黄昏」で
夜、「黄昏」でお茶を飲んだ。
郷愁ちゃんがカウンターにいた。渾沌ちゃんも来て、ソファで「今日頭の中がきれいになりすぎてやばかった」と大きな声で言っていた。
秩序ちゃんが横で「何があったんですか」と聞いていた。渾沌ちゃんが「なんでもない!」と言った。
好代は霧の欠片をポケットに入れたまま、お茶を飲んだ。
フロアは、一テーブルについて、話して、においを読んで、試食して、説明して——それで一人のお客さまが変容する。バーガーを食べると体が変わる。だから話す時間がいる。バーガーがもたらすものについて、ちゃんと伝えてから渡す。
十七年間食べられなかった自分が、今は「食べても変容しない体」を使って、他の人が変容する前に確認している。なんか変な話だな、と思いながら、お茶を飲んだ。
渾沌ちゃんが「すきよちゃん、今日どうだった!?」と叫んだ。
「……指名料をもらいました」
「えー!! 何もらったの!?」
「霧の欠片です」
渾沌ちゃんが「やばすぎる!!」と騒いだ。
秩序ちゃんが「記録します」と言った。
郷愁ちゃんがお茶を足してくれた。
前が広い。今日も変わらなかった。




