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第18話「煉獄のオフィスと、脱走してきた幽霊」

三十三日目の朝、好代はバックヤードの廊下で世達ちゃんに呼び止められた。

世達ちゃんはいつも通り黒いスーツ姿で、眉間に少しだけ皺が寄っていた。片手に書類の束、もう片手に日本刀を抱えている——刀は鞘に入っているが、移動中も手放さない。

「好代さん、今日の午前、空いていますか」

「訓練は午後なので、空いています」

「タワーに行く用事があって。少し手が足りないので、同行してもらえると助かります」

「タワー、というのは」

世達ちゃんが廊下の天井を指さした。ぱんでむの建物はいつも上がどこまでも続いている感じがする。

「パンデモニウム・タワーです。ぱんでむと繋がっているんですが、上層の管理局まで書類の提出がありまして。今日は署名が必要な案件なので」

「……上層、というのは」

「無限オフィスです」と世達ちゃんが言った。少し声のトーンが変わった。「あまり好きじゃない場所なんですが、月に一度は行かないといけないので」

好代は少し考えた。

「行きます」

「助かります」と世達ちゃんが言った。「にぎやかな場所ではないですが——好代さんなら大丈夫だと思ったので」

「にぎやかな場所ではない」という前置きが、少し引っかかった。



第一章 「パンデモニウム・タワーへ」



◆ タワーへの入口



エレベーターに乗った。

前回は渾沌ちゃんに連れられて屋上に行ったが、今回は世達ちゃんが「EXP」と書かれたボタンを押した。

扉が閉まって——感触が変わった。

上下でも横でもない。空間が薄くなっていく感触だ。どこか別の場所へ接続されていく感じ。好代はにおいを確認した。ぱんでむのにおいが薄くなって、代わりに別のにおいが来た。

紙のにおい。インクのにおい。冷却された機械のにおい。古い空気のにおい——窓がない場所のにおい。

扉が開いた。



廊下があった。

天井が高い。照明が白くて均一で、温かみがない。床はグレーのタイルで、壁は白い。遠くまで廊下が続いていて、終わりが見えない。窓は一つもない。

人影がいた——何十人もいた。みんな同じような服装だ。白いシャツに黒いスラックス。書類を抱えている。歩いている。でも——顔がない、のではなく、顔があるが表情がない。目が動いていない。ただ歩いている。

「……あの方たちは」と好代は小声で世達ちゃんに聞いた。

「幽霊社員です」と世達ちゃんが普通の声で言った。「この階層に勤め続けているうちに実体を失った方たちです。今も業務を続けています」

「……ずっといるんですか」

「この階層で死んだか、あるいはこの階層が自分の「場所」になってしまった方たちです。私も——長くいると、そうなりかねないので、月に一度来て月に一度帰るというルールを自分に課しています」

世達ちゃんの声が、淡々としていた。怖がっているのではなく、ただ事実として把握している感じだ。

好代はにおいを嗅いだ。幽霊社員たちのにおい——薄い。存在のにおいが非常に薄い。でもゼロではない。かすかに、それぞれ違うにおいがする。



◆ 無限オフィス、管理局



廊下を歩いた。

世達ちゃんのあとについて、無数の幽霊社員をすり抜けるように進んだ。幽霊社員たちは好代たちを認識しているのかしていないのか、ぶつかりそうになっても直前で自然によけていく。

「何をしているんですか、あの方たちは」と好代は歩きながら聞いた。

「全宇宙のカロリー計算です」と世達ちゃんが答えた。

「……カロリー計算」

「全ての世界線で消費されたカロリーの総量を計算して、バーガーの製造数に反映させるための作業です。終わりがないので、ずっとやっています」

「……終わりがないのにやっているんですか」

「終わりがないからこそ続く、という種類の業務があります」と世達ちゃんが言った。「ここはそういう場所です」



管理局のカウンターに着いた。

カウンターの奥には、一人の幽霊社員が座っていた。他の幽霊社員より少しだけ存在感がある。名札に「主任」と書いてある。

「ぱんでむから世達です。今月分の書類の提出と署名をお願いします」

主任が書類を受け取った。ペンを取り出して、署名した。機械的な動作だ。でも手の動きだけはなめらかだった。

好代は主任のにおいを嗅いだ。ごくかすかに——コーヒーのにおいがした。

コーヒー。この階層にコーヒーがあるとは思えない。どこかから来たにおいだ——もしかしたら、ずっと昔に飲んだコーヒーのにおいが、今もかすかに残っているのかもしれない。

「……コーヒーが好きですか」と好代はつい言った。

主任が止まった。

表情がないはずの顔が、ほんのわずかに動いた。

「……コーヒー」と主任がかすれた声で言った。「……どこかで、飲んだことが、あります」

世達ちゃんが好代を見た。「何か感じましたか」

「においがしました。コーヒーの。すごくかすかですが」

世達ちゃんがカウンターの主任を見た。「……確かに。気づかなかった」



署名が終わって、好代と世達ちゃんはカウンターから離れた。

「主任があんなに反応したのは初めて見ました」と世達ちゃんが言った。「いつも何も言わないんです」

「……においが残っていたのかもしれないです。体に。どこかの世界線で飲んだコーヒーのにおいが」

「そういうものが残るんですね」

「残ると思います。においは最後まで残る気がします」

世達ちゃんが少し間を置いてから「……そうかもしれないですね」と言った。その声は少し、いつもと違う温度だった。



第二章 「脱走してきた幽霊」



◆ フロアへの来客



タワーから戻って昼前、フロアに客が来た。

無常ちゃんが対応しようとして——少し止まった。

好代もフロアにいたので、見た。

客は、タワーで見た幽霊社員に似ていた。白いシャツ、黒いスラックス。でも少し違う——表情があった。疲れた顔だが、表情がある。目が動いている。

「……ここが、ぱんでむ、ですか」とその人が言った。声がかすれていた。

「そうです」と無常ちゃんが静かに言った。「どうされましたか」

「……逃げてきました」

「どこから」

「……上から」

無常ちゃんと好代が目を合わせた。



◆ 三番テーブルで



三番テーブルに案内して、お茶を出した。

その人は——人、と呼んでいいのかわからないが——ゆっくりお茶を飲んだ。飲み方が、久しぶりにお茶を飲む人の飲み方だった。

「……上にいたんですか、長く」と好代は聞いた。

「わかりません。時間の感覚がなかったので」

「名前は」

「……あったと思いますが、覚えていません。書類の束が私の名前だったような気がします」

好代はにおいを嗅いだ。さっきの主任より存在のにおいが濃い。それから——草のにおいがした。植物のにおい。タワーの中にはありえないにおいだ。

「……草のにおいがします」と好代は言った。

その人が顔を上げた。目に、少しだけ光が戻った感じがした。

「……草。そうか。私の世界線には、草があったんです。庭があって。草を踏んだ時の感触が——好きだった」

「……どんな草でしたか」

「夏の終わりに、少し乾いた感じの草です。雨が降った後よりも、晴れた日の午後の草のにおいが——一番好きでした」

好代はその話を聞いた。

夏の終わりの午後の草のにおい。

好代には、そのにおいが少しわかった。においの知識の中に、「乾いた植物の気配」という系統のにおいが入っている。

好代は棚を静かに開いた。においの知識と、植物対話の知識と、「気配感知」の知識を少し混ぜた。

好代の手のひらに、かすかに何かが来た。草の記憶——この人が覚えている草のにおいの「輪郭」のような感触が、にじむように来た。

好代はその輪郭を、手のひらから少し出してみた。

においが出た。夏の終わりの午後の草。乾いていて、少し甘い。

その人が静かに息を吸った。

「……ここにある」とその人が言った。「このにおいが、ここにある」

しばらく沈黙があった。

無常ちゃんが厨房に消えて、少し経ってから戻ってきた。白い包み紙のバーガーを持っている。

「これを」と無常ちゃんがテーブルに置いた。「草のにおいと、夏のにおいと、乾いた午後の記憶——それに近いバーガーです。食べると、その記憶の知識が入ってきます。体に変容はしないタイプのバーガーです」

その人がバーガーを見た。しばらく見ていた。それから一口食べた。

表情が、少し変わった。

「……庭に、いる」とその人が言った。「草を踏んでいる。この感触がここにある」

好代は黙ってそれを見ていた。

その人は少し泣いた。涙が出るということは——まだ人間の部分が残っていたのだと思った。



◆ 世達ちゃんの処置



食事が終わった後、世達ちゃんが来た。

書類を一枚持っていた。

「タワーから脱走した幽霊社員の方の場合、本来なら帰還手続きが必要なんですが」と世達ちゃんが言った。「ただ、自発的に意識を持って行動できる場合は——一定期間の猶予があります」

「……帰さないといけないんですか」と好代は聞いた。

「規則上は、そうです。ただ」と世達ちゃんが少し間を置いた。「今日の書類には「自発脱出・意識保持・庇護申請受付」という欄があって。それに記入すれば、しばらくはここに置いておける」

「……記入するんですか」

「しました」と世達ちゃんが言った。「上から帰ってきた時に、好代さんがにおいを感知していたのを見て、この人はまだ人間の部分が残っていると思ったので。確認してから判断しようと思っていました」

その人が世達ちゃんを見た。「……なぜ、してくれるんですか」

「私も、ああなりかけたことがあるので」と世達ちゃんが静かに言った。「他の世界線での話ですが。だから、帰せないです」

その人が「ありがとうございます」と言った。声がだいぶしっかりしてきていた。



第三章 「事象の地平面ドライブスルー」



◆ タワーの帰り道



午後、世達ちゃんに「一つ別のルートで帰りましょう」と言われた。

「別のルート」

「タワーの外を少し通れます。見ておいたほうがいいものがあるので」

世達ちゃんに連れられて、タワーの外回廊に出た。

空が——空、と呼べるのかわからないが——広がっていた。黒い。星が見えない。でも遠くに光が点在している。銀河のようなもの、あるいは消えていく世界線の光のようなものが、遠くにある。

下は見えない。上も終わりが見えない。タワーが成層圏の向こうまで続いている。

好代はにおいを嗅いだ。

何もない。においがない場所だ。世界線の「外側」のにおい——ほとんどゼロに近い、でも完全にゼロではない。かすかに、古くて遠い何かのにおい。



◆ 事象の地平面ドライブスルー



回廊の途中に、開口部があった。

そこから下を見ると——列があった。

長い列だ。数百メートルはある。列を作っているのが、バラバラだった。宇宙船のようなもの、タイムマシンのような形をした乗り物、馬車、あるいは完全に形容できない何か——全部が一列に並んで、ゆっくり進んでいる。

列の先頭に、注文口があった。マイクのようなものの前で、何かを注文して、受け取って、次に進んでいく。

「……あれは何ですか」と好代は聞いた。

「事象の地平面ドライブスルーです」と世達ちゃんが言った。「過去・未来・別次元から直接バーガーを注文できる設備です。宇宙船でもタイムマシンでも、並べば注文できる」

「……注文口が一つですか」

「一つです。注文口と受け取り口の間が数光年離れているんですが、ここの時空では問題なく機能しています。ただし——列が非常に長いので、注文から受け取りまで現地時間で千年かかることもあります」

「……千年」

「別の時間軸から来ている方は問題ないそうです。千年後に受け取りに来れるので」

好代はドライブスルーの列を眺めた。宇宙船の後ろに馬車が並んでいる。馬車の後ろに、形の定まらない何かが浮いている。みんなのんびり並んでいる。

「……バーガーを食べるために、千年待つんですか」

「そのくらいの価値があると思っている方たちです」と世達ちゃんが言った。「ぱんでむのバーガーは——どこで食べても、それだけのものがあるということだと思っています」

好代はその列をしばらく見ていた。

千年待ってバーガーを受け取りに来る。

好代は十七年間、においだけで生きてきた。それが「長い」と思っていたが——千年の方が長い。でも、同じ気持ちなのかもしれない、と少し思った。

食べたいから、待つ。それだけのことだ。



第四章 「夕方のバーガーと、連携の感触」



◆ 帰還して、新しいバーガー



ぱんでむに戻って夕方、秩序ちゃんに呼ばれた。

「今日のタワー行きについて記録しました。主任の反応についても追記済みです」と秩序ちゃんが言った。「それと——新しいバーガーが届いています」

「何ですか」

「「残留するものバーガー」です。世界線が終わった後も、何かが残る——その「残るもの」に関する知識が入ってくるバーガーです。今日見てきたものと、少し関係があるかもしれない」

秩序ちゃんが包み紙を渡してくれた。暗めのグレーの包み紙。においを嗅いだ——コーヒーのにおい、草のにおい、古い紙のにおい、それから——本当にかすかに、何かを好きだったことのにおい。

「……これは」

「残るもの、です。においが一番わかりやすいと思って、あなたに届けました」

好代は一口食べた。

知識が入った。

「残留」の知識——世界線が終わっても消えないもの。においが残る。感触が残る。誰かが覚えていた場所が残る。名前が消えても、コーヒーを好きだったことが消えない。

好代は棚を開けた。

今まで入っている知識が、少し揺れた。

植物対話の知識、においの知識、気配感知の知識——全部に「残留」の概念が混ざった。においが「今あるもの」だけでなく「かつてあったものの残り」を感知できる方向に、精度が伸びた感じがした。

「……においの感知が、少し広がりました。今あるにおいだけじゃなくて、かつてあったにおいの痕跡も感じられるようになりそうです」

「それは記録しておきます」と秩序ちゃんが言った。「今日、タワーで主任のコーヒーのにおいを感知したのも——その方向性があったからかもしれません」

好代はそれを聞いた。

今日の朝、タワーに行ったこと。主任のコーヒーのにおいに気づいたこと。脱走した幽霊社員に草のにおいを届けたこと。ドライブスルーの列。

全部が「残るもの」の話だった気がした。

偶然ではなく——このバーガーが今日届いたのは、今日のことを見越していたのかもしれない。ぱんでむはそういうところがある。



◆ 世達ちゃんと帰り際



夕方、廊下で世達ちゃんと会った。

「今日はありがとうございました」と世達ちゃんが言った。「助かりました」

「私は何もしていないです。においを感じただけで」

「そのにおいを感じることが——今日は必要でした」

世達ちゃんが少し下を向いた。

「……私は、タワーに行くたびに少し苦しくなります。あそこは、私がなりかけた場所なので」

「……別の世界線で、という話ですか」

「はい。別の世界線で、私は一度タワーの業務に飲み込まれました。今の私はその世界線から「抜けた」んですが——今日の方を見て、少し当時のことを思い出しました」

世達ちゃんが書類を少し抱えなおした。

「……でも、今日帰ってきた方には草のにおいが残っていた。私の時はにおいが残っていたのかどうか、覚えていないんですが——おそらく残っていたんだと思います。私がここに来たのも、何か残っていたからだと思うので」

好代はその言葉を聞いた。

「……世達さんのにおいは、今も残ってます」と好代は言った。「黒いスーツのにおいと、街のにおいと、少し刃物のにおいが混ざっています。それが世達さんのにおいです」

世達ちゃんが少し止まった。

「……そうですか」と世達ちゃんが言った。「刃物のにおいが混ざっているのは——やめたくてもやめられない感じがして、少し複雑ですね」

「でもちゃんとあります。今も」

世達ちゃんが「……ありがとうございます」と言った。その声は、さっきとまた少し温度が違った。



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◇ クルー視点モノローグ —— 世達 ── 三十三日目の記録



今日、好代さんをタワーに連れて行った。



主任がコーヒーのにおいに反応した。あの人が反応するのを初めて見た。

好代さんがにおいを感知したから——そのにおいが届いたから、反応した。



私はタワーが苦手だ。業務は続けているが、好きではない。

あそこは「終わらない」場所で、私は「終わらない場所」が怖い。

でも今日は——主任がコーヒーのにおいに反応した瞬間、少し怖くなくなった。



終わらない場所でも、においは残っている。

残っているなら、消えてはいない。

消えていないなら、まだ何かがある。



そういうことを今日、好代さんに教えてもらった気がする。

刃物のにおいが残っているというのも——複雑だが、好代さんは「ちゃんとあります」と言った。

それでよかったのかもしれない。

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◇ クルー視点モノローグ —— 無常 ── フロア記録



今日のタワー脱走者の方。



世達さんが「庇護申請受付」に記入した。

私は対応しながら——この判断が正しいかどうか、少し考えた。



幽霊社員は規則上、タワーに戻さないといけない。でも世達さんが書類を書いた。

私は「常識人」だから、規則と現実の折り合いを考えることが多い。



今日の折り合いは、こうだった。

草のにおいが残っていた人には、草のにおいを届ける方が正しい。

規則よりそっちが先。

それが今日の答えだった。

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◇ クルー視点モノローグ —— 摩天 ── 訓練記録・補足



今日の訓練では、好代が「残留するものバーガー」を摂食したと報告があった。



においの感知範囲が「今あるもの」から「かつてあったものの痕跡」まで広がった。

これは予想していなかった方向の拡張だ。



通常、においの知識は現在の情報を取得するために使う。

だが好代の場合、複数の知識を組み合わせることで——においを「時間軸に沿って」読む方向に拡張している。



昨日の訓練では空間を読んでいた。

今日は時間を読んでいる。



次の訓練では、両方を同時に使う練習が必要かもしれない。

空間と時間を同時ににおいで把握できるなら——その精度は相当なものになる。

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エピローグ 「三十三日目の夜、においの層」



夜、「黄昏」でお茶を飲んだ。

郷愁ちゃんがカウンターにいた。今日もいつも通りだ。

「今日は上に行ったんですね」と郷愁ちゃんが言った。「においが少し違う」

「タワーに行きました。無限オフィスに」

郷愁ちゃんが少し黙った。「……あそこは苦手です。懐かしいにおいがない場所だから」

「でも、コーヒーのにおいがしました。ほんの少しでしたが」

郷愁ちゃんが「……そう」と言った。少し驚いた顔だった。「……あそこにも、残るものがあるんですね」

「そうみたいです」

お茶を飲んだ。今日の「残留するものバーガー」の知識がまだ棚の中で少し揺れている感じがした。

世界線が終わっても残るもの。においが残る。草が残る。コーヒーが残る。刃物のにおいが残る。

好代も何か残るだろうか、と少し思った。十七年間ハンバーガーのにおいを嗅いでいた人間が残すものは、におい以外に何があるだろう。

わからない。でも今は、残るものが多い方が——なんとなく、いい気がした。

お茶が少し冷めていた。でも飲んだ。郷愁ちゃんが新しいお茶を入れてくれた。

窓の外はいつも通り夕暮れだった。

前が広い。

それは今日も変わらなかった。


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