待遇の差
聞けば、魔術師が入っていた王国騎士団は、新人に対して酷い待遇だったらしい。入るのに散々苦労した挙句、待ち受けていたのは過酷な生活。それを思い出し、覚悟していたからこそ、魔術師は目の前の部屋を見て安心し、目に涙を浮かべたのだ。
「あそこでの生活は、酷いなんてもんじゃないわよ。窮屈な部屋に、三段ベッドが二つ。それだけで部屋は息もつまるような環境なのに、そこに六人が寝泊まりするのよ?荷物を置くスペースは、自分の枕元だけ。窓は小さく、新鮮な空気を求めて、そこから身を乗り出す事もできない。空気の流れが悪くて臭いし、トイレまでは徒歩五分。それが、毎日、毎日毎日毎日毎日毎日、毎日……!」
「……どうやら、王国騎士団側は、劣悪な環境により指揮が低いようですね」
そんな、魔術師の王国騎士団での暮らしを聞いて、リリが呟いた。魔術師は、慌てて自分が情報を流している事に気づいたが、もう遅いぞ。我とリリは、しかとそれを聞いてしまった。
「私は、そんな事なかった。私は個室だったし、部屋はそこそこ広かったよ」
「それはあんたが、勇者としての素質を持っていたからよ……!私みたいな田舎の貴族は、貴族として扱われずにそんな環境に置かれてたの!だから、あんたは特別!私が普通の扱い!分かった!?」
さすがに、勇者のように、特別な扱いを受ける者もいるのだな。一番の下っ端がそういう扱いを受けるようだが、しかし今の話だけでも、可愛そうになってくる。テレビは、当然ないのだろうな。トイレまで徒歩5分とか、我だったら漏らしてしまうかもしれない。
しかし、今さらっと言ったが、魔術師が貴族だと?確かに、そのキレやすい所とか、残酷なアイディアの数々を思えば、貴族っぽい。
「お部屋の環境は置いておくとして、我が魔王軍はトップから末端まで、最低限の暮らしを保障しています。そのような劣悪な環境にはなりえませんので、ご安心を」
「ほ、本当に良いの?この部屋、私が使って……」
魔術師は、もじもじとしながら、リリに尋ねた。
「勿論です。全て、ご自由にお使いください。ここは今から、貴女のお家なのですから」
「……」
魔術師は、リリの返答を聞き、ベッドに手をのせた。その手に体重をかけてはずませて、ベッドの柔らかさを確認しているようだ。更に、ベランダに出てみたり、壁を叩いてみたり、テレビをつけてみたり、エアコンのスイッチをいれてみたりと、色々な事を試す。
「本当に、良いのよね?こんな素敵な部屋に住んで……?」
大方部屋を見終わった魔術師は、目を輝かせている。まるで、新しい玩具を買ってもらった子供のようで、良い反応である。
「さっきから、リリさんは何度も言ってるよ。ここは、今からロゼのお家。だから、なんでもしていい」
勇者はそう言うと、ベッドに飛び込んだ。うつ伏せに寝ころび、布団の上をゴロゴロとしてから、やがて枕を抱いて落ち着いた。
「なっ……何をしてくれてんのよ、このバカ勇者ー!」
そして、そんな勇者の頭上に、拳が降り注いだ。容赦のない、魔術師の拳骨が、勇者の頭を直撃して、凄い音が響いたぞ。
「さすがに痛いよ、ロゼ」
見事なたんこぶの出来がった勇者がそう訴えるが、勇者は痛いという素振りを見せない。だが、たんこぶを見る限り、本当に痛そうである。本当に、凄い音がしたからな。
「痛いよ、じゃないわよ、バカぁ!」
「お、落ち着かぬか、魔術師。勇者はただ、ベッドに寝ころんだだけだ!」
魔術師が再び拳を振り上げたので、我は慌てて止めに入った。背後から抱き止め、魔術師のそんな行いを邪魔するが、魔術師は暴れて言う事を聞いてくれない。怒り心頭と言った様子で、未だにベッドに寝そべる勇者に対しての怒りが、収まる様子がない。
「寝ころんだだけじゃないのよ!クルスは、今日一日──いえ、魔王の城に辿り着くまで、一週間は着続けた服で、私の新品の布団の上に寝たのよ!?許せない……絶対に許せない!」
一週間着続けた服……確かに、汚い。だが、そんな殴る程の物ではなかろう。あと、そんな悲壮な顔を浮かべる程の物でもない。
「落ち着いてください、魔術師様──あ」
「え」
「う?」
我の援軍に入ろうとしたリリだが、足を躓かせ、そのはずみで魔術師と、魔術師に抱き着いて止めている我ごと押して来て、魔術師と我は、ベッドに倒れこんでしまった。魔術師は勇者の身体の上に倒れこみ、我は魔術師の上に倒れこむ形となった。
リリだけが、押したときにバランスを取り戻し、転ばずに済んでいる。
「大丈夫?ロゼ」
「ご、ごめん、クルス……じゃなくて──!」
「いいから、寝てみてよ。ふかふかで、凄く寝心地がいいよ。ずっと、野宿続きだったし、私もこんなキレイでふかふかな布団を前にして、我慢ができなかったんだ。ごめんね」
勇者はそう言って、魔術師に素直に謝罪の言葉を口にした。それに対して、魔術師は無言になり、勇者に言われた通りに、ベッドに横になる。身体の半分は、勇者の上に乗ったままだがな。そういう我も、魔術師の背中に、うつぶせになって乗ったままだ。
「……気持ち良い、布団」
布団に横になった魔術師は、とても穏やかな顔をしていた。その穏やかな顔が、今までの生活の過酷さを物語っている。
「それに、背中に当たってる魔王の大きなおっぱいも、気持ちいい……」
「ふぇ!?」
突然、そんな感想を述べられて、我は慌てた。確かに、我は魔術師の背中に覆いかぶさり、胸を押し付けている。だが、突然そんな恥ずかしい事を言われたら、さすがに恥ずかしいぞ。
「……魔王様」
そんな我を起こしてくれたのは、リリだ。我を軽々と持ち上げ、そして床に立たせてくれた。そうすると、勇者も魔術師の下敷きになっている状態から抜け出し、同じように床に立った。すると、ベッドに寝ているのは、魔術師だけとなる。
魔術師は、1人になってもベッドに寝続ける。うつ伏せになって、とても幸せそうな表情を浮かべ、足をパタパタとさせてはしゃいだ様子が伝わるぞ。
「あー、もう、あの時の相部屋の連中、全員死なないかなぁ!」
そして、幸せそうな表情のまま、そんな事を口走った。
「急にどうしたのだ!?」
我は、突然叫ぶように言った魔術師に、驚きを隠せない。今の魔術師の幸せそうな表情は、そんな怖い事を口走っても良いような状況にない。笑顔で死なないかなぁとか言える精神状態って、どんな状態なのだ。我には、全く理解できないぞ。
そもそも、死なないかなぁとか、言ったらいけないのだ。
「ロゼは、あまり人に恵まれないから。変な人とばかり知り合って、色々と苦労してるんだよ」
「ええ、ホントにそうね!特に、やっと魔王の下に辿り着いたと思ったら、倒すべき魔王と意気込んでたのが嘘みたいに、魔王を保護するために人類なんてどうでもいいとか言い放つ、バカ勇者とかね!」
確かに、変わってはいるな。間違いなく、この勇者は変人だ。しかし、我から見れば魔術師も、十分変だぞ。可愛い所もあるが、どこか怖くて近寄りがたく、とっつきにくい。つまり、怖い。
「こほん。お寛ぎの所申し訳ございませんが、お二方に、こちらにサインをお願いします」
リリがファイルから取り出したのは、分厚い紙の束だ。紙にはビッシリと文字が書かれていて、我はそれを見ただけで嫌になる。
「サイン?いいけど、何の?」
「雇用の、契約書です。簡単にでもいいので、契約書には目を通しておいてください。そこに、お給料やその他もろもろの事が書いてありますので、大切な事です」
「ふぅん。しっかりしてるわね……。分かった、読んでおくわ。今必要なの?」
ようやくベッドから身体を起こした魔術師が、リリからその紙の束を受け取った。受け取ると、魔術師はそれを興味深げに、簡単にだが目を通す。
一方で、勇者はそれを受け取ると、目を通す事もなく机に置いた。どうやら、こちらは読む気が全くないらしい。その気持ちは、よく分かる。
ちょっとだけ、勇者に親近感がわいたぞ。
「いえ、明日でも、明後日でも構いません。よく、お読みいただきたいので。ですが、なるべく早いと助かります」
「分か──ちょっと、待って」
紙に、簡単に目を通していた魔術師が、そう言って固まった。
「何か、不備が?」
「不備とかじゃなくて、ここの給料の所……本当に、こんなに貰えるの……?」
「……はい。間違いなく、その値段になります」
「私たち、確か三か月の試用期間よね……?それでも、変わらないの?」
「変わりません。しっかりと働いていただければ、間違いなくそのままのお値段となります。正式な契約書ですので、嘘はないのでご安心を。ただ、次のお給料日までの日割となるので……八割程になってしまいますね。それは、あしからず」
「……」
それを聞いた魔術師の手から、紙の束が零れ落ち、床にバラバラになって広がってしまった。
我は、慌てて紙を拾い出すが、魔術師の様子が変だ。自らの顔を両手で覆い、震えている。もしかして、泣いているのか?心配になり、顔を覗くが、違った。魔術師は、笑っていた。だが、泣いていた。
「王国騎士団、滅びないかしら……いえ、滅ぶべきよ。いっそ、この手で……」
そしてまた、そんな怖い事を呟いた。今度は、恨みの籠もった目で殺意をこめ、静かに、呟くように言ったので、先ほどよりも数倍怖かったぞ。
話を聞くと、王国騎士団の時よりも、大分給料が高かったらしい。魔王軍は、その時の5倍とか言っていた。
我は、給料の事はよく分からない。しかし値段に浮かれていられるのは、今の内だけだ。我が魔王軍に入ったからには、勇者にも、魔術師にも、この先過酷な労働が待っている。それは、王国騎士団よりも遥かに辛い労働となるはずだ。我は、2人が音を上げぬよう、せいぜい祈るばかりである。




