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一章一

一章 一



 人間は面倒で厄介だ。

 いらんもんを勝手に押し付けて自分勝手な要求ばかりしてきやがる。

 俺は生け贄が欲しいなんて一度も言ってねぇっつの!




 萌黄色の長い髪は少し邪魔だが、まあいい。

 白い衣を幾重にも重ねたゆったりとした衣装。

 右の唐紅(からくれ)(ない)、左の(とう)。色彩は違えど見える世界は同じ俺の両目。映る世界は凪のように穏やかだ。時折、風が頬を撫でていく。花は咲き誇り、舞う花弁が蒼天へと吸い込まれていく。

 長閑(のどか)な日だった。この娘が来るまでは。

「お嫁に参りました。末長く宜しくお願い致します」

「帰れ」

 一体何が起こった。どこから沸いたんだこの小娘は?

 真円に近いこの大陸、その中心たる狭間の地にある狭間峰。その峰が腕を広げ護る様に抱く小高い丘、大樹の下で今日も健やかに清々しく昼寝を楽しもうとしていた俺の傍にやって来て、「嫁に来ました!」とか言った人間の小娘に、俺は当然の如くそう返していた。

「嫌です」

 だというのに、こいつ聞いてなかったのか?

 それとも、これは幻聴か。幻聴なのか。

 白に近い金の髪、肌も日の光りと縁遠そうな白さで気持ち悪い。暗所で育った植物みたいなひ弱さとか細い生気。その癖、どこにでもあるような薄茶色の瞳は真っ直ぐに俺を見返してくる。生意気だ。

 身につけているものは花嫁気取りなのか白く薄い足首まで隠れるもの。人間の服装なんて興味がないからよくわからないが、女の身につける服装だってのはわかる。無駄にひらひらして、そんなもん身につけて花にでも擬態する気なのか。

「私はあなたのお嫁になりに来たので、もう帰りません」

「お前の耳は聴こえないのか。それとも飾りか」

「あら。聴こえないならこんな的確な返事はできません」

 どこが的確だ! どこが!

「ミルリトン・マーシュ・マロウ」

「は?」

 何の呪文だと小娘の顔を見る。陽の匂いもしない、暗所の植物の癖にその顔だけはやけにはっきりしていた。真っ暗な中に一つだけ白い花が咲いているようなそんな異質な強さだ。 

 小麦みたいな薄茶の瞳が楽しそうに笑んで、小娘は言った。

「リトって呼んで下さい。精霊王様」

「誰が呼ぶか!」

 誰かこいつをどうにかしてくれ!




「ふくっ、く、くくっ! あ、あはっ」

 千年を超える大樹の下、青々とした草の絨毯の上で木漏れ日と一緒に笑っているのは布の塊……ではなく、俺にとっては兄みたいな人だった。

「ビオルさん、笑い事じゃない」

 その人はいつも全身を薄茶色のローブで包んでいて、今は身体を丸めて笑っているのでまるっきり布の塊にしか見えない。ひとしきり笑った後、ごしごしと恐らく笑いすぎで出た涙を目深に被ったフードの下で拭って、ビオルさんは振り返った。

 俺より幾分背が高い。確か百八十センチくらいだとか以前言っていたはずだ。

 フードから零れた緑青色の髪は木漏れ日に光る。いつもは上質な弦楽器のような声も今日は耳に障った。 

「あーはははっ! いや、うん、そうだねぇ。……くふっ」

「どうにかして下さい。そもそも、何故こんなのがここに入って来られるんです!」

 ビオルさんは「門番(ゲートキーパー)」だ。 

「えぇ~? 別に誰でも此処に入る事はできるよぉ別にぃ、柵も無いしぃ、門があるわけでもなしぃ」

「…………」

「それよりぃ、うふふ。面白い子じゃあないかい。この子なら()(ほう)さんの嫁に相応しいよぉ。良かったねぇ」

 そうビオルさんが声を掛けた先には、あれからいくら言っても頑としてそこから去ろうとしなかった小娘がいる。小娘は我が意を得たりとばかりに頷いた。 

「嬉しいです。よろしくお願い致しますね。お父様?」

「おい!」

 小娘なんて事を言いやがる! そう俺が言うより早く、ビオルさんは片袖を口許に添えて笑った。 

「違うよぉ。私はぁ、樹宝さんの配下みたいなものだからぁ」

 ね? 樹宝さん? そんな声が聞こえそうな仕草でビオルさんは、俺に首を傾げてくる。 

 頷きたくない。俺たち精霊は姿と年齢が釣り合わないなんてざらだ。かくいう俺も外見は人間で言えば二十そこらの男だが、もう千年は昔に超えている。だが、ビオルさんに比べたら俺なんかひよこも同然。 

 そのフードの下にある姿は十八そこらだが、実際の年月は数千数百。 

 そんな人相手に、どうして配下なんて言える? 年功で言えば逆だろう完全に!

「樹宝さん?」

 う。無言の圧力掛けられた。この人、いつも笑ってるけど確実に圧力掛けてる時とそうじゃない時がある。 

「……ビオルさんは、俺の父親(おやじ)じゃねぇ。精霊は人間みたいな両親なんて存在しないからな」

「はぁ……。樹宝さん、また私に『さん』付けてるよぉ? そんなだから誤解されるんだよぉ。樹宝さんはぁ、この大陸の心。樹宝さんより高位のものなんていないのにぃ」

 少し呆れたような仕草で溜息をついてビオルさんはそう言うが、俺にとっては間違いなくこの人は俺よりも高位なんだから仕方ないだろう。 

「……俺は」

「だから、さんづけ禁止ぃ。そういう訳だからねぇ?」

 ビオルさんは片袖を振りながらおどけたような礼を取った。

「私はビオル・サーディガーディ。樹宝さんのぉ、配下ぁ。よろしくねぇん」

「ビオルさ」

「樹宝さんぅ」

「……ビオルは、風の長だろう」

「あは。そうそぅ、代理だけどぉ風の長もやってるよん」

「風の長、ですか?」

「そうそぅ。風の精霊のぉ、代表みたいなものかなぁん」

 この小娘絶対わかってねーだろ! 嗚呼、苛々する!

「小娘、いいか良く聴け。ビオルさ……ビオルは寛容だからお前なんかの戯言にも付きやっているんだ。俺とて同じだが、お前みたいな人間の小娘一人、ビオルや俺にしてみれば命を奪うことなど容易い。風で切り刻んでもいい、この手でその薄気味悪い首をへし折ってやる事も出来る。お前の命など気に入らなければいつでも消せるというのを忘れるなよ」

 だからさっさと失せろ。これだけ言えば流石にわかるだろうと俺は思った。 

「はい。気に入らない時は、いつでもどうぞ」

 だああああああ! 何なんだよこいつは! 馬鹿か。頭悪いのか!

「私は精霊王様のお嫁さんですもの。あなたに嫁いだ以上、もしあなたの気分を害してその罰がそれなら従います」

「こんのっ馬鹿っ! そもそも俺は嫁にした覚えはねぇって言ってんだろうが! 言葉が通じねぇとか人間はいつから言語を忘れやがった?」

「通じてなきゃこんな会話できませんよ?」

 マジでこの小娘どうにかしてくれ!

「いやぁ。仲が良いねぇ。うふふ。お似合いだよぉん」

「ビオルさん!」

「さんづけ禁止だって言ったでしょぉ? 何度言わせる気ぃ?」

「うぐ……」

 理不尽だ! 何で俺ばっかり!

「うふふ。さてぇ、可愛い樹宝さんのお嫁さんやぁ。折角なんだけどねぇ、お嫁さんを貰えるなんてぇ連絡一切貰ってないからぁ、新居の用意がないんだよぉ」

 ハッとして顔を上げると、ビオルさんがすまなそうに小娘にそう言っていた。 

 なるほど、寝る場所もないのだから人間の小娘がいつまでもここに居られる筈がない。ビオルさんはあくまでも穏便に引き取らせる気なのか!

「だからぁ、樹宝さんが用意するまでぇ、雨風しのげる程度の場所で野宿になるんだけどぉ」

「はい。わかりました」

 は? この小娘なんつった?

「幸い、風除けのローブもここに来るまで羽織っていたものがあるので、どうにかなると思います」

 とか言って小娘が羽織っていたという薄水色の畳んだローブを見せる。 

「ごめんねぇ。なるべく急いで用意するからぁ」

「いえ、ありがとうございます」

 いやいやいやいや! ちょっ、待て。待って。ビオルさん!

「ビオルさん!」

 声を上げた俺の方など一瞥もせず、ビオルさんは小娘と話を先に進めていく。 

「本当にごめんねぇ、とりあえずぅ、今夜はお祝いだしぃ、せめて夕食はちょっと頑張って作っちゃうからぁん」

「わぁ、嬉しいです!」

「嫌いなものはあるぅ? 食べられないものとかぁ」

「特には無いです」

「よかったぁ。じゃあ、なるべくぅ暖かくなるものをこしらえるからねぇ」

「あの、よろしければお手伝いさせて頂いてもよろしいですか?」

「くふ。助かるよぉ」

 お願いだから誰か俺の話も聞いてくれ!



 結局、俺の訴えは虚しく、人間の小娘は居座ることになったんだ。 






 朝だ。今日もいい天気になりそうだが、俺の心は昨日から悪天候。

「おい、起きろ小娘。本当に居座りやがって」

「あ、おはようございますー……精霊王様」

 結局、この小娘は居座った。俺としては問答無用でこの地から放り出してやろうと思ったし、実行に移そうとしたんだが、ビオルさんに腕を掴まれて止めさせられた。

『樹宝さぁん? 自分のぉ花嫁さんに何しようとしてるのぉん? そんな子に育てた覚えはないよぉん?』

 マジで威圧された。今まで見た事もない本気の圧力を感じて俺のうなじがぞわぞわしたくらいだ。逆らっちゃダメだと俺の中で警鐘が鳴った。

「ずうずうしい奴だな。いつまでも人の寝床とってんじゃねぇ」

「はい、おかげですっごくよく眠れました。ありがとうございます」

「お前は鳥か。木の上で熟睡とかどういう神経してんだ」

 放り出せなかったが、実際問題、人間の住居なんかここにはなかった。

『うーん。困ったねぇ。こればっかりはぁ、本当にすぐ用意できないしぃ』

『ほらみろ小娘。ここにお前の居場所なんかないん……いだっ!』

『樹宝さぁ~ん? まったくぅ……』

 軽く樹宝さんに俺は肘をつねられた。痺れる様なぴりっとした痛みに俺が悶絶しているうちに、事は進んでいく。

『仕方ないねぇ。本当にぃ、申し訳ないんだけどぉ……。今夜一晩、木の上で寝てもらえるかなぁ?』

『はい。ありがとうございます!』

 かくして俺はお気に入りの寝床を人間の小娘に取られて今に至るわけだ。胸くそ悪い。

「起きたならさっさと降りろ。投げ落とすぞ」

「き・ほ・う・さぁ~ん? 女の子にぃ何て事を言っているのかなぁ~? ん~?」

「痛い痛い痛い! マジで痛いってビオルさんっ」

 音も気配もなかったのにいつの間にか俺の背後に現れたビオルさんが、俺の片腕を捕まえて捻り上げた。マジで痛い! ギブ! ギブアップ!

「まったくぅ……。リトさんは樹宝さんのぉお嫁さんだよぉ? 自分のお嫁さんなんだからぁ、もっと大切にしなきゃダメだよぉん」

「ビオルさん、俺は一度もそれを肯定した覚えはないんですが?」

「私相手にぃ敬語なんか使う子の言葉は聴こえないねぇ。うふふ」

「しっかり聞こえてるじゃないですか」

 そう言っているうちにビオルさんはふわりと、風の長らしい身のこなしで現れた時と同じように音も無く飛び降りた。

「お嫁さんをぉ、ちゃんと降ろしてあげるんだよぉん? 私ぃ、朝ごはん用意しているからぁ」

 風の精霊を束ねて、俺よりも年上の人が人間よろしく家事……。

「小娘……お前が来てから俺にとっては悪夢だ」

「ごめんなさい」

 小麦色の瞳を少しだけ伏せた小娘に、俺は舌打ちをした。俯くと白金の髪がその細い肩からするりと流れる。ひ弱なその姿を見ていると苛立ちを禁じえない。

「来い。あの人を待たせるな」

「はい」

 木の太い枝同士の分かれ目。枝を階段とするならその踊り場のようになっている場所がここだ。

 千年を超えたこの大樹だからこその場所で、上を見上げれば朝日がきらきらと木漏れ日となって降り注ぐ特等席。そこにビオルさんは布を敷いて小娘が誤って落下しないようにと寝床を設えた。

「……っとに、とろいな!」

「きゃっ」

 そこまでされたと言うのに、小娘はそこで立ち上がるのもやっとらしい。生まれたての小鹿のように木の幹や枝を頼って立ち上がろうとしているが、いつになったら立ち上がれるかわかったもんじゃねぇ!

 小娘の折れそうな胴を掻っ攫って飛び降りる。

 そう長くもない落下時間いっぱいを使って、抱えた小娘が悲鳴を響かせた。

 うるさいとは思ったが、俺としては少し今までの溜飲が下がった……んだが。

「何やってるのかね。樹宝さん!」

 ビオルさんに頬を思いっきり引っ張られた。




「多分、しばらくはぁ雨も来ないからぁ、住処の用意が出来るまでぇ、ちょっとあそこで我慢してねぇ」

「は、はい」

「うふ。ごめんねぇ。なるべく早く設えるからねん。で、樹宝さん……わかってるぅ?」

 ビオルさんが用意してくれた朝食のサンドイッチを大樹の下に座り込んで食べる。人間の食物なんて摂る必要はないんだが、人数分用意されたそれは要らないという事は認めないと暗に言われたに等しい。

「わかりま……わかった」

 つい敬語で答えかけた俺に、フードの下からビオルさんが笑顔で圧力を掛けてくる。

 甘酸っぱい果物とクリームのフルーツサンドが口の中で優しく味を広げて、俺の心も少し安らぐ。

「美味しい……」

 当たり前だ小娘。ビオルさん手づから作ってくれた料理が不味いとか言ったら容赦しねぇぞ。

「昨日のお夕食もとっても美味しかったですけど、これも美味しい」

「あらん。ありがとぅ。くふふ。まぁ、これは誰が作っても、失敗しないからねぇ」

 いや、これはただのサンドイッチじゃない。見た目は何てことないフルーツサンドだが、フルーツは丁寧に下処理されてるし、シロップに漬けたやつもある。

 一緒に挟まれたクリームは、そういうのに合うように調整された絶妙なバランス。

 たかがサンドイッチにすげー手間暇掛けてあるのが俺にだってわかるもんだ。

「精霊王様も、お好きなんですね」

「その呼び方やめろ」

「でも……」

「俺はそういうもんじゃねぇんだよ」

「樹宝さぁん? 言い方ってものがあるでしょぉお?」

 ビオルさんが小娘を庇う。くそっ、何で俺が。

「精霊ってのは、自分の眷属内でこそ序列が存在するが、基本的に皆、同格なんだよ」

 小娘がキョトンとした顔をする。言ってわかるのかこの鳥頭?

 馬鹿馬鹿しくて口をつぐもうとした俺に、ビオルさんから無言で圧力が掛かった。どうやら最後まで言えって事らしい。面倒くさい。

「だから、精霊王なんてもんは存在しねぇ。皆が同格なんだからな」

「でも、昨日この人が」

 お前小娘、ビオルさんを『この人』呼ばわりか!

「小娘、口の利き方に」

「樹宝さぁん? 口の利き方は樹宝さんじゃあないかなぁん? うふふ。お嫁さんには優しくぅ」

「俺は嫁なんていらん! 認めてねぇ!」

「まったくぅ……。素直じゃないんだからぁん」

「ビオルさん!」

「あのねぇ、樹宝さんはぁ、特別なのぉん。確かにぃ、精霊はぁ全て司るものが違えば同族内でしか序列はないんだけどぉ、司ってるものがぁ、樹宝さんは特別でねぇ」

「司っているもの?」

「うふ。樹宝さんはぁ、この大陸の心が姿をとった存在なんだよぉん。言うなれば、この大陸全てのものから生まれて司っているって事でぇ、樹宝さんなくしてぇこの大陸は有り得ない。そういう事かなぁん」

 風の精霊ならば風を自在に操り、水ならば水を。

 精霊は司るものを自在に操る存在だ。

 そして俺の場合は、この大陸全て。精霊とは自然の気が凝こごったもの。

「だからねぇん。精霊の『王』ではないけれどぉ、樹宝さんは特別なのぉん。私達のぉ、この大陸で育まれたもの全ての親であり子であり、そして……」

 ビオルさんが唯一見える口許に笑みを浮かべた。それは何だか暖かいんだが、俺には少し居心地が悪い。正直、気恥ずかしいってのが本音だ。

「私達全ての命の映し身でもあるんだよぉん」

「命……」

「っだから! 精霊王じゃねって事だ!」

 気恥ずかしい通り越してやっぱ地獄だ。

「あは。そうだねぇ。だからぁ、名前で呼んであげてぇ。特にぃリトさんはぁ、樹宝さんのお嫁さんなんだからぁん」

 だから! 俺はこの小娘を嫁なんて認めてねぇ! 嫁なんていらん!

「ビオルさん」

「うふ。なぁにぃ?」

「じゃあ仮に、俺が……この小娘を本当に娶って、それで……『ハザマ』が生まれても良いっていうんですか?」

 正直、俺はこの言葉を言うのでさえ喉が躊躇った。けど、ビオルさんは動じず笑みを崩さなかった。

 この大陸で『ハザマ』の意味を知らない奴はいない。

 ハザマは異種族同士の掛け合わせ。人間の中の人種ではない。

 精霊と人間、人間と(あやかし)、妖と精霊それらの掛け合わせだ。

 それらは、約千年前、この大陸ができた頃からずっと忌まれ続けている。

「いいんじゃないかい? だってぇ。好きな人とのぉ子供でしょぉ? 何か問題でもあるのん?」

「っな」

「あはん。樹宝さんたらぁ、気が早いねぇん。熱々でお邪魔かなぁん私ぃ」

「ビオルさん!」

「まぁ、冗談はおいといてぇ。今日はねぇ、どうやら峰の西で市が立つらしいんだよねぇ」

 くるっと話の方向を変えて、ビオルさんが小娘に話しかける。

「リトさんや、寝床は仕方ないにしてもぉ、着替えとか色々必要でしょぉ?」

「あ、はい。できれば欲しいです」

「くふふ。じゃあ、決まりだねぇん。樹宝さんや」

 ニィっといい笑顔でビオルさんが名前を呼んでくる。嫌な予感しかしねぇ。

「ちょっとリトさん連れてぇ、お買い物に行っておいでぇん」




 ハザマ峰は大陸の中心。『何処から見ても』横たわる。

 空の上から眺めたら、きっと中心だけが少し低い菱形に見えるだろう。だから東西南北何処から見ても横たわって見えるのだ。

 拒否権発動など最初から無視されている俺は今、峰の西にあるちっぽけな人間の村にやって来ている。

「あの、旦那様」

「お前を嫁にした覚えはないと言ってる」

「えっと、じゃあ……あなた」

「お前本気で言葉が通じないのかっ?」

 この小娘の買い物に付き合う為に!

「では、どう呼べば?」

 ビオルさんから借りた薄茶色のローブを羽織った小娘は戸惑うような顔で見上げてくる。

「…………」

 このひ弱な姿も表情も俺にとっては無性に気に障った。何で俺がこんな小娘の為に人間の群れに混ざって買い物なんか……。

「少しは自分で考えられねぇのか」

「……え」

「その頭が飾りならもう少し出来の良いのに替えてもらったらどうだ」

 本当になんなんだこの小娘。いきなり押しかけて来て嫁とか名乗った癖に、帰れって言っても頑として拒否しやがった癖に、『自分の意思』が持てる癖に何でこんな事も自分で決められねーんだ?

 頭にくる。苛々して俺は人間でごった返す中へ足早に突入した。

 南の香辛料の匂い、西の楽器の音、東の色鮮やかな布地、北の甘い菓子の香り、そして人間や商品の動物類の匂いがてんでばらばらに騒がしく満ちる市。歩く人種も入り乱れ、商人と買い手の交渉があちこちで行われて声が飛ぶ。

「おっ、そこのお兄さん買ってかないか?」

 客を呼び込む声や視線を変えればこの人ごみでカモを狙っているらしいかっぱらいの姿。善も悪も知った事かの賑やかし。

 俺の姿は髪色や瞳、この尖った耳で人間には見えないだろう。だが、普通の人間は精霊とエルフの見分けなんかつきやしねぇ。

 この大陸で忌まれるのはハザマのみ。妖に分類されているエルフは交流こそ滅多にしないが人間にとってそこまで驚くもんでもない。せいぜい、珍しいな、くらいだ。

「まっ……、き、……」

 ずんずんと突き進んでいた俺の衣の袖が、後ろからの息も絶え絶えの声と一緒に伸びた手に引っ張られた。

 袖を掴んだのは小娘で、片手で胸元を押さえて息を切らせている。

「待って、下さい」

 けほっと咳き込んで背を丸める姿が、人の流れの中で邪魔にならない筈がない。

 川の中で流れを分ける岩みたいなもんだ。本当にとろくせぇ。

「こんな所で蹲るな」

 舌打ちをして仕方なく掴んだ小娘の手首は、骨と皮しかないんじゃないかってくらいに細かった。

「ごめん、なさ」

「……」

 げほげほと咳き込む音が激しくなる前に人の流れから抜け出して、家の影で手を離す。影の中でその皮と骨しかないような手は血管さえ青く透けて見えそうだった。 気味が悪りぃ。何度も思った事を繰り返す。光りの当たる路から影に入れば、その白さはやっぱ異質で。

 けほ、けほ、と何度も咳をして膝を抱えるように蹲る姿。咳のたびに薄くて細い体が跳ね上がりそうに揺れる。

「……は、ぁ」

 やがて咳も収まり、小娘は顔を上げた。そこにあった笑みに、俺はぞっとする。

「ごめんなさい、もう、大丈夫です」

 陽の匂いがしない白い顔は青ざめて本当に雪みてぇな白さ。雪の影は青く、その顔色はまさしくそれ。咳で掠れた声が春の時分とは正反対の枯れ草みたいで、まるで燃え尽きる前の炭みてーだと思ったんだ。

「鏡もってねぇのか。持ってんならもう一度その(つら)見てから言え」

「大丈夫です。行きましょう」

 嗚呼、本当に人の言う事聴きやしねぇ!

「死人連れて歩く趣味はねぇんだよ。そこに居ろ、動くんじゃねぇぞ」

「あ」

 ビオルさんには悪りぃけど、無理だ。こんな小娘の為に何で俺が。冗談じゃねぇ。

 いきなり押しかけて、勝手に具合悪くなって。俺の迷惑なんて微塵も考えてねぇ。

「んとに、人間なんてろくなもんじゃねぇな」

 小娘を置いて人ごみを突っ切る。

「お兄さん! そこの色男! この薬でもっとモテモテになれるよ!」

 ふざけた売り文句の小太り男を睨みつけ、その目の前で足を止めた。俺の不快さが伝わったのか、そいつはひくっと笑みを引きつらせる。蛙みたいと言ったら蛙に失礼だろうな。

「咳止め薬」

「え?」

「無いのかあるのかどっちだ」

 さっさと答えろと睨みつけると、蛙顔の男は慌てて薬の包から抜き出して見せる。

「か、風邪の咳ならこっち。喘息とかならこっちだが……」

「両方」

 あれがどういうもんかわからねぇが、咳は咳だ。代金を支払い、ひったくるように品物を受け取った。

 それから次に足を伸ばしたのは布地を扱う女の店だ。適当に布を買って、引き返す。

 小娘はそこに置いて行った時のまま座り込んでいる。違うとしたら俯いてますます小さくなってる事くらいだろう。小娘の方へと踏み出すと、ようやく気づいたらしく、小娘はその顔を上げた。

「あ……」

「何だその顔は」

 戻った俺を見て、小娘は幽霊でも見たような顔をしやがった。

 しかも、

「おい、何の嫌がらせだ!」

「ごめ、なさっ」

 小麦色の瞳が滲んだと思ったら、いきなり顔をくしゃっと歪めて泣き出してわけがわかんねぇつの!

 嗚咽を漏らしながらボロボロ泣く小娘を引っ掴み、俺は来た時以上の早足でその村を後にした。




 夜になり、星が空を埋め尽くす。

 連れ帰った小娘は今日も俺の特等席を寝床にしている。俺が昼間に買ってきた布に包まって。

「やっぱりぃ、春っていっても寒かったかねぇ」

「ビオルさんは気の回しすぎです」

 木の下に俺は座り、向かいでどうやら薬を作っているらしいビオルさんにそう言った。

 連れ帰る間中、小娘はしゃくりあげながら泣いて。しかも帰ったらぶっ倒れた。俺の買ってきた薬は咳止めで、ぶっ倒れた小娘にはどうみてもそれ以外の病があるように見えて、ビオルさんは薬湯を作って小娘に飲ませたんだ。

「……あの小娘、やっぱり叩き返したほうが」

「樹宝さんや。その事なんだけどねぇ、あの子ぉ、生贄としてぇ、よこされたらしいよぉん」

「は?」

「ほらぁ、大体五百年くらい前にぃ、北側で不作の年があったじゃないかい? あの時もぉ、あの辺の人間がどうにかして欲しくて生贄の儀をやろうとした事があったと思うけどぉ」

「……それは確か、やる前にビオルさんと一緒にふざけんなって殴りこみしたでしょう」

「うん。したねぇ。あの時はそれで収まったんだけどねぇ……ほらぁ、もうその時の子なんかいないからぁ」

 人間なんか生きて百年。もうとっくにあの頃の奴はいない。だが、不作は大地の休憩期間だ。疲弊したら休むのは当たり前で、それは大体同じ周期でやってくる。

「それでまた性懲りもなく? 馬っ鹿じゃねぇか」

「うぅん。でもねぇ、それもちょぉっとおかしいんだよぉ」

「何がです?」

「その村だけどぉ、今までも擬似的な贄の儀はしてたみたいなんだよねぇ。所謂、豊作祈願の春祭りぃ。祭壇にぃ、前年の収穫物やお料理供えてぇ、村で一番綺麗で可愛い子にぃ精霊の花嫁って称号を与えたりとかして」

 最後のが微妙だが、とりあえずは俺たちに無害な儀式で自己満足していたらしい。

「それがぁ、なぁんで今回はまた元に戻りかけてるのかなぁって。まぁ、贄って言ってもぉ、殺すんじゃあなく、ここに花嫁を独りで行かせるってだけ、みたいだけどねぇ」

「それも十分迷惑だっつーの。本当にろくなことしねぇな人間は」

 無意識に木の上へ視線を投げる。だからあの小娘、居座ったのか。

「帰る所が無いってよりぃ、……本当は帰れる予定じゃあなかったのかもねん。あの子もぉ、送り出した方もぉ」

「?」

「あの子ぉ、凄く綺麗な手をしてるんだよぉ。樹宝さんにはぴんと来ないかもしれないけどねぇ、普通に家事してる子とぉ、そんなのしたこと無い子ってぇ全然手の状態が違うんだよぉ。きっとぉ、あの子は後者ぁ。家事なんかした事ないねぇ。おまけにぃ、あの身体だしぃ。本当だったらここに辿り着く前に死ぬだろうってぇ、本人も送り出した方も、思ってたんじゃないかとねぇ」

「なんだ、よ……それ」

 じゃあ何か。死ねずに辿り着いたから嫁とか言って居座りやがったって事か?

 冗談じゃねぇよ!

「人を馬鹿にしてんのかあの小娘」

「まぁ、本人に聞かないと確かな事はわからないからぁ、樹宝さんや」

「…………」

「優しくしてあげてねぇん」

「そんな奴に何で俺が!」

「決まってるでしょぉ? 樹宝さんのお嫁さんだからだよぉ」

「ふざけっ」

「樹宝さんや。お願いするよ。少しの間でいいからぁ、優しくしてあげてぇ。お嫁さんとかそういうのは抜きにして、あんな状態の子がぁ、そんな状況になったって事を考えてあげてくれないかい?」

 そんな義理はないって言うかも知れないけどねぇ、とビオルさんは言った。

「お願いだよぉ。ね? 少しの間でいいからぁ」

 懇願するように、この人に言われたら、俺は断れねぇ。多分、それを知っているのに、ビオルさんは言った。ずりぃと思っても、俺の答えは決まっている。

「…………。どのくらい」

「そうだねぇ、ひとまずぅ、お家を作るまでの間かなぁん。出来上がって、そうしたらもう住処だけ与えて放って置いてもいいと思うからぁ」

 安全な寝床だけは確保してあげると約束したからね、とそう言った。

「わかった」

 ビオルさんの顔を立てて、俺はとりあえず頷いたが、ふつふつと沸いた怒りは当分消えそうに無い。

「ありがとぅ」

 どこかすまなそうなビオルさんの声に、俺はきつく唇を引き結ぶことしか出来なかった。人間なんてろくな奴がいやしねぇ。

 この人がこんな声や表情をするのは、遠い(とき)からいつだって人間の為なんだ。だから俺は、自分勝手で身勝手な人間が好きじゃねぇ。

「ビオルさん」

「うふ。なぁにぃ?」

「俺は、前の奴とは違う」

「そうだねぇ……。くふん」

「人間に思い入れなんか無いんだ」

「…………」

 この人を、他の精霊(やつら)を傷つけて悲しませた人間なんかに掛ける情などこれっぽっちもない。俺は、先代のように―― 人間(ひと)に狂ったりしない。

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