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一章 二

一章 二




「樹宝さん」

 真っ青な空と春のまどろむような陽の匂い。そこに突如割り込んできたのは声と焦げ臭だった。

 声に振り向けば、相変わらず薄気味悪いくらい細った小娘が両手に焦げ臭の元を持って駆けて来る所だ。

「嫌な予感しかしねぇ」

 まさかそれ、食いモンじゃねぇだろうな……。

 ぶっ倒れた次の日、小娘は熱で一日寝込んだ。んとに何で人間はこんな面倒なんだよ。熱で寝込んだ小娘を、俺はただ見ていただけだったのに、何故か起き上がれるようになった小娘は前以上に俺にひっついてきやがる。

「きゃっ!」

「げ」

 小娘の身につけている服は先日の市で買ってきた古着。田畑を耕す人間の女が着るようなもんで、最初に着ていた白くて薄い足首まで隠れる服は着ていない。にも関わらず、空色の膝が隠れるくらいのスカートから出た自分の脚に小娘が躓いて転んだ。 どんだけ鈍くさいんだよ!

 べしゃっと地面に倒れこんだその両手から、焦げの原因とそれを乗せていた黄色いハンカチが飛んで地面に転がる。

 青々とした草の上に投げ出された手足は白くて、本当にこれくらいでも折れたんじゃないかって思うくらいに細い。

「何やってんだ小娘。おい、どっか折れてないだろうな」

 近づいて白金の髪を避けながらその首根っこを掴んで持ち上げた。どうやら見たところは変な方向に曲がっているとかはないな。

 猫の首根っこを掴んだような形になった小娘の顔を見る。

「何だその間抜け面は」

「ふふ。樹宝さん、優しい」

 手ぇ放していいか?

「そーかそーか手足は無事でも、頭は壊れたか」

「心配してくれて、ありがとうございます」

 青白い雪みてーな顔で、へにゃっとしまりの無い笑みを浮かべる小娘は、きっと頭のネジが転んだ拍子にどっかに落ちたに違いねぇ。

「あ……」

 けど、その一言を言って笑み崩れていた顔が途端にしおれていく。

「今度は何だ」

「クッキー……」

「…………」

 クッキーつーのは、確か人間共が作る菓子の一種だったよな。小麦を挽いた粉とバターっていう牛の乳の固形物とかを混ぜて捏ねて焼いたもんのはずだ。どこにそれがあるのかと小娘の視線を辿って俺は愕然とした。

 この小娘、あの漆黒の塊を見てる……だと?

 ある意味で戦慄を禁じえない俺は小娘を下ろして手を離す。

「樹宝さんに食べてもらおうと思って作ったのに……」

 しかもそれを俺に食わす気だったとか聞こえるんだが。

 正気かこの小娘っ? やっぱりどっかに頭のネジ落としてんだろ!

「……」

「…………」

 落ちた焦げ臭のする漆黒の塊複数形の前に座って、寒さに震える小動物みたいな目で小娘がこっちを見てくる。冗談じゃねぇ。落ちて無くても食えるかそんなもん!

「……~~っ! どけ!」

「え。樹宝さ」

 ガリって音がする。苦い。いや、苦いってレベルかこれ?

 小麦色の目を見開いて、小娘が俺を信じられないもんでも見るような目で凝視する。

「文句でもあるのか。なら最初から持って来るな……っ水!」

 じゃりじゃりする。不味い。何だコレ。やっぱ味まで焦げ臭い。

 落ちて無くても食えねぇなら、落ちたもんでも大差ねぇ。そう思って口に入れた事を、即効で俺は後悔した。これは食うもんじゃない。

 じゃりじゃりと不快な噛み応えのそれは無理やり飲み下して喉に降りれば今度はへばりつくような感覚で、噎せさせようと暴れる。何だコレは毒か。

「早くしろ!」

 脆いくせに噛めば噛むほど細かく、しかも破片みたいになって口の中を突き刺してくる。この小娘、まさか俺を毒殺する気じゃないだろうな?

 壮絶な不味さに思わずのた打ち回った俺の目の前に、小娘が両手のひらで作った器に満ちた水を差し出してきた。何を考える暇もなく、その水を啜り、どうにか口と喉の異物を飲み下して排除することに成功する。

 味に体力を奪われるとか有り得んだろう……。

 座り込んでまだ残る後味に顔をしかめていたが、ふと気付いて俺は顔を上げた。

 目の前には、まだ両手で器を作って立ち尽くしている小娘の姿がある。それが何故か強張ったような表情で目を瞠っているのだが、恐らく目は開いていてもどこも見ていない。

 こっちは不味さで気絶するかと思ったってのに、目を開けて眠れるとか人間て何考えてるか本当にわからねぇな。

「おい」

 声を掛けると、小娘の細い肩がびくんと跳ねた。のろのろと小麦色の瞳が俺に向く。

「不味かった」

 精霊は嘘をつけない。人間ならここで義理だろうが何だろうがとりあえず「美味かった」とか言うんだろうが、俺には出来ん。つーか、俺が人間だったとしてもこれを美味いとか言えるわけが無い。

 不味いものは不味いんだ。

「食ったぞ。これでいいんだろう」

 俺の方が座り込んでいるから、どうあがいても見上げる形になるのは致し方ない。見上げた小娘の顔は表情こそそのままだったが、何故か変色していた。

 顔を真っ赤にして怒るくらいなら普通に食えるもの作れよ!

 白い顔が赤くなって、小娘が自分のスカートをぎゅっと握り締めた。

「おい……って、一体今度は何なんだ!」

 声を掛けた瞬間、小娘が身を翻して逃げ出しやがった。

「訳わかんねぇな本当に!」

 つーか、あれまた転ぶんじゃないか?

「……やっぱりな」

 走り出して程無く、小娘は青い草の上にダイブしていた。




「くふん。樹宝さんどうだったぁ? リトさんの初手作りクッキー」

「ビオルさん、俺を殺す気ですか。そんなお気に障る事、何したんでしょうか?」

 大樹の下で輪になって座り、昼食を口に運びながら俺は心の底から問い掛ける。

 今日の昼食は米粉のパンに山鳥のたれ焼きと葉もの野菜、茸を挟んだもの。

 甘辛いたれと野菜や茸が絡み合い、それを優しくまろやかに包み込むぷりっぷりの鶏肉ともちもちパン。臭み消しとアクセントに入れられた香辛料が絶妙だ。ちゃんと主張するところは主張して、主役を立てる所は立てる文句なしの美味さだった。

 これが食事ってもんだろう。

 ちらりと横に距離を置いて座る小娘を見遣る。

 何故か派手に草の上にダイブしてから小娘は一度もこっちを見やしない。つーか、そんなに不味いって言葉に腹立てるならこれくらいのもん作って出せ。

 引っ付かれんのもあれだが、これはこれで腹が立つ。

「おい、小娘」

「樹宝さぁ~ん?」

 俺の名を呼ぶビオルさんの声が一段低くなった。やばい。

「どぉして何度言ってもそういう呼び方するのかなぁん……。リトさんはちゃぁんと樹宝さんの名を呼んでるのに、失礼だよぉ」

「小娘は小娘でしょ……痛い痛い!」

 太腿思いっきりつねられた!

「まったくぅ……どうしてこんな口も態度も悪くなっちゃったのかねぇ…………」

 おろろん、とさも悲しそうにビオルさんは口許を覆う。

「あ、の」

「ん?」

 俺から目を逸らしながら、小娘が口を開く。

「そんな事、ないです」

「…………」

 小娘の言葉に、ビオルさんはぴたりと動きを止め、俺と小娘を交互に見た。

 一体、何だって言うんだ?

「へぇ……。うふ。そぉ……。くふふ」

「ビオルさん?」

「うん。リトさんがぁ、そう言うならまぁ、いいけどねぇん。本当に樹宝さんは幸せ者だよぉ」

「いや、意味がわかりません」

「あは。リトさんや、デザートに林檎があるよぉ」

 一転して上機嫌になったビオルさんは、切り分けた林檎の一切れを小娘に差し出した。それを嬉しそうに受け取って、小娘はちらりとこちらを見る。

「!」

「おい……」

 目が合った途端、ぱっとまた目を逸らされた。

 文句があんなら言えば良いだろうに訳がわからん。

「あ、そうそぅ。窯は出来たしぃ、あと数日あれば完成するんだけどぉ、まだかかるからぁ今夜は雨もきそうだし横穴の方に寝てねぇ。樹宝さんも一緒にぃ」

「何で俺まで」

「あらん。この間も一緒にいたじゃないぃ」

「あれはこの小娘がぶっ倒れて熱出したからでしょう」

 流石に病もちを木の上に寝かせるのはよろしくないと、山の斜面にできた洞窟へと運び、そこに寝かせておいたのはまだ記憶に新しい。

 熱があるのと、野生動物が入ってこないとも限らないからという、ビオルさんの言で仕方なく俺も一緒に居たのだ。

「俺は雨も嵐も関係ない」

「樹宝さんは平気でもぉ、リトさんは無理だよぉ」

「何でそこで小娘が出てくるんです」

「はぁ……どうしてここまで鈍く…………。いいからぁ、リトさんと一緒に、ね」

 溜息までつかれた。釈然としないながら林檎を齧っていたが、ビオルさんの次の言葉で俺は林檎を喉に詰まらせそうになる。

「初めてお嫁さんとちゃんと過ごせる夜なんだから、しっかりねぇ」

「げほっ」

 何処で何がどうなってそうなるんですかっ!

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