傭兵
彼女は棘槍の柄の部分を抑え、大きく息を吐いている。
光を蓄えた銀髪が、目の奥を刺激する。
「んん? ああさっきの人か。気づくのが遅れちゃったなーっと。なんでだろ」
男が首を傾げる。
接近に気付くのが遅れたことに違和感を持っているらしい。
おそらく、実咲さんを飛ばす前に発動した隠蔽用の概念が効果を発揮していたからだろう。
考え込む男に対し、実咲さんは無言で攻撃を仕掛ける。
「ふっ!」
槍の持ち手を狙った蹴りが炸裂する――寸前で、男は槍からぱっと手を放し2,3歩後退した。
異世界収納から新しい棘槍を取り出しつつ、実咲さんを見据えた。
「尋常じゃない強化してるね」
「想也君から離れて!」
「離れてるよ。んー面倒だな」
男が逡巡する様子を見せた。
嫌な沈黙が場を支配する。
この男のことだからポンと手を打って、「まあいいや、殺そう」と言い始めてもおかしくない。
しかし、一触即発の静けさを場違いな音楽が破った。
――男の携帯からだ。
ごそごそとポケットをまさぐり、誰かと通話を始めた。
隙だらけに見えるが、僕はもう動けないし、実咲さんも動くつもりはないみたいだ。
「こんばんわーお疲れ様でーす。え? 今ですかぁ? いますよ。流石にすっぽかしてないで……ああぁいやいやそれはその、ちょっと寄り道してるだけっていうか、ほら、思ったより強い人がいたから時間かかってるって言うか。遊んでたわけじゃ……。……嘘つきました、遊んでました御免なさーい。え?相手? んー、職員っぽくはないですよ? どうも別口みたいで……、ええ……、あー、わかりました。はーい」
男は携帯を仕舞うと、両手を少し上げ、手のひらを見せて話しかけてきた。
「残念だけど、今日はここまでみたいだ。俺はもう行かなきゃ」
「……もう戦うつもりはないのね?」
「時間がなくてね。悪いんだけど、その槍返してくれる?」
「……想也君」
「……返そう」
実咲さんが槍を放る。
男は本当に戦うつもりが無くなったようで、危なげなく槍をキャッチして異世界収納に仕舞った。
「ありがとー。想也君?だっけ?」
「……?」
実咲さんが僕を庇う様に後ろに隠す。
「もっと強くなったらまた戦おうよ」
「嫌だ」
「ははは。じゃあまたねーっと。……あ、そうだ。俺はフリーで傭兵やってるんだ。もし何か依頼したいことがあったらどうぞ『山田太郎』を御贔屓に」
そう言い残して、男――山田太郎は僕らの隣をすり抜けて屋内へ這入っていった。
僕を庇ったまま間に立っていた実咲さんが胸を撫で下ろした。
それと同時に緊張が解ける。
つい意識を手放してしまいそうになるが、今気絶したら理想世界が切れてしまう。そうなってしまったら、もれなく腹部からの流血を止めていた圧力が消えて失血死間違いなしだ。ここまで来て死ぬわけにはいかない。生命力変換を行って魔力を補充し、適当な小物に概念封入をして腹部への圧力を持続させた。これで気絶してもとりあえずは大丈夫だろう。とはいっても、すぐにでも病院に行かないと死んでしまう。もう移動ができる体力は残っていない。申し訳ないが実咲さんに頼むしかない。
「ゲホッゲホッ!」
噎せ上がる吐き気に咳き込むと、血と唾液の混じった液体が口から溢れてきた。
生命力変換の弊害だ。
今回使った生命力は、寿命4年分といったところか。
随分と削られた。
倒れそうになる身体を実咲さんが支えてくれる。
「想也君!」
「実咲さん、助かったよ。君がいなかったら死んでた」
最後のあの瞬間。僕は覚悟を決めていた。
実咲さんが止めていなかったら、僕は確実に死んでいただろう。
危なかった。
そう思って、実咲さんに感謝を述べた。
「ッ!」
パァン! と思いっきりビンタされた。
あれ? 痛い。なんで? え?
僕が突然のことに目を白黒させていると、実咲さんが見たことのない形相で睨んでいた。
こんなに怒った顔をみるのは初めてだ。
「なんで! なんであんなことしたの!」
「えっと、あの……?」
「私とアリスを無理矢理逃がしたでしょう!」
「それは……」
「それだけじゃないわ! なんで、私との共通を切ったの!」
君に死んでほしくなかったから。
ただそれだけだ。
「君は不老不死だ。だけど僕は違う。共通で生命力を共通化して、僕も不老不死になっているかもしれない。だけど、逆の可能性もある。僕が死んだとき、もしかしたら、君も死ぬかもしれなかったからだ。道連れにするわけにはいかなかった」
「――ふざけないでッ!」
怒鳴られ、馬乗りの状態で胸ぐらをつかまれ、さらにビンタを食らった。
右頬が熱い。
思わず怒鳴り返す。
「ふざけてなんかない! 君を道連れに死なせるなんて絶対にしたくない! 君のためにやったんだ!」
「――何がッ!私の為よ!」
またビンタ。次は左頬。
「私はそんなこと望んでない!」
ビンタ。
実咲さんは涙をボロボロと流しながら叫んでいた。
「貴方が居ない世界なんて、生きたくない! 貴方が死んでまで私は生きたくない!」
ビンタ。
「私の全てを失ってまで生きる意味なんて無い!」
ビンタ。
「約束、グスッ、したじゃない! 一緒に不幸になってくれるって!わた、私だけ、グスッ、不幸にして置いていかないでよ!」
ペチペチと、弱弱しく頬が叩かれる。
「うわぁぁぁぁーーーーん! わぁぁぁぁぁあぁぁん!!」
夜空に向かって吠えるように、盛大に泣きじゃくる実咲さんの下で、僕は呆けたように何も言えなくなっていた。
実咲さんの為に、胸を張って生きた?
違う。
誰かのために生きたと自分を納得させようとしただけなんだ。
僕は、僕の満足の為に、実咲さんを体良く使っていただけに過ぎない。
とんだ最低野郎じゃないか。
少なくとも、実咲さんをこんな風に泣かせるようなことをした。してしまったんだ、僕は。
――傲慢だった。
改めなくてはいけない。
僕が勝手に思い描いた幸せが――理想が、実咲さんの理想であると勘違いしていた。
こんな思い違いは正さないといけない。
なればこそ、僕は謝らないといけない。
彼女に。彼女の理想に。
二度と誤らないために。
痛みを訴える身体を無視して、強引に上体を引き起こす。
流れ星の様に頬を伝う涙を拭きとって、血だらけの服がべしゃりと音を立てるのも構わずに、僕は彼女に抱き着いた。
「ごめん、ごめんよ」
「……」
「僕は間違っていた。あの夜、君の願いを、理想を叶えてみせるだなんて言っておきながら、それを裏切った。君はだからこそ今怒ったし、僕は間違いに気づいた」
「……そうね」
「もし、君が、許してくれるなら。あの夜と同じように僕の手を取ってほしい。君の理想の世界の為に、まずは僕が君の理想であれるよう努力する」
「……もちろん許すわよ。でも、私から2つお願いがあるの」
「なんだい?」
「一つ目。あの夜、一緒に不幸になろうとは言ったけれど、一緒に幸せになりましょう。そのほうが良いわ」
「もちろん。そうする」
「二つ目。これもあの夜と一緒よ」
「ん?」
「――実咲。そう呼んで。敬称なんかいらないわ」
「――わかった」
実咲さん――実咲が、僕の右手を取る。
細くて、柔らかくて、暖かくて。
ぎゅっと握りしめて、僕は言う。
「――共通」
偽物の夜空が僕らの天井だ。
血なまぐさい夜だが、どこか温かい。
黄色い月が、血塗れで抱き合う僕らを見ていた。
◇
「……くっさ!」
とある扉の前でうんざりとした呟きを漏らす男がいる。少し煤けたスーツ姿が部屋の扉を開けるなり、げんなりとした様子で肩を落とした。部屋の中から、どろどろに溶けたプラスチックの有害な匂いが漂ってきたからだ。一瞬、躊躇うそぶりを見せたが、諦めた様に部屋に踏み込んだ。
「魔力を以って光と成せ――光源生成。うわっ、グロテスク」
男の周囲に小さな月の様な光が現れ、部屋の全貌が明らかになった。3メートルはある天井まで届きそうな程の柱――おそらくPCか何かだろう――の悉くが破壊し尽くされていた。まるで火事が発生した様な有様だ。天井から床に至るまで、若干溶けているところを見るに、よほどの高熱に晒されたのだろう。
黒い何かが悍しく床を這い、頭上では魔物の涎の様に液体が垂れていた。
「ただ溶けてる物とは別に、普通に壊れてる物が何台がある。――後から焼き払ったのか」
鼻をハンカチで覆いながら足元を確かめる。
ねちょりと嫌な音が聞こえ、靴裏に引っ付く感じがたまらなく不快だ。
「さて、下に降りる階段はどこかなーっと」
幸い、醜悪な部屋の中で延々と探し回ることはなく、壁伝いに見て回るとそれらしい扉を見つけることができた。意図的に凍らされた部分があり、他に下に降りるところが見当たらないことから、階段だとあたりをつけた。
分厚い氷は表面が解けており、光を乱反射してきらきらと輝いていた。
「エレベーターも破壊して塞いであるし、唯一の連絡通路も完全に封鎖……あの子たち中々手際が良いな。とは言え、この程度の封鎖の突破もままならないようじゃあ、やっぱりここの職員たちのレベルも期待できないな。もらった前情報通りといえば、その通りだけど」
そもそも、この建物は襲撃を受ける事を想定した作りではないし、詰めている人間も襲われるとは思っていない。慌てて傭兵を揃えたようだが、いかんせんレベルが低い。金額交渉する時間が無かったのだろうか。
などと、無駄な事を考えながら男は鼻に当てたハンカチをスーツの内ポケットに仕舞った。
「さて、と」
封鎖している氷の出来栄えは文句の付けようがない。
並の保持者では持てる魔力の全てをつぎ込まないと作ることすら不可能だ。
維持する為の魔力供給が無い為、溶け始めてはいるが、今から溶かすなり壊すなりするのは手間だし面倒だ。
「って事で、魔力を以って風と成せ、風を以って円刃と成せ――『風刃』」
バスン、と男を囲むように床に傷が入る。
地団駄を踏むように、その場で強く床を蹴ると、切り取られた床ごと階下へと落下した。
ライトで照らしていたとは言え、暗い部屋から明るい部屋に移動したことで眩しさを感じる。
ただ明るいだけでは無い。
白い。病院の内装の様に、床も壁も白色を基調とした色合いだった。汚れが直ぐに分かるように白色の機材がそこかしこに設置されていた。
部屋と呼べるものはなく、あってもガラスの仕切り程度で、見渡せばフロアの端から端までが一目瞭然だ。
汚れひとつ許さない几帳面な研究室と言った印象を受けるこのフロアでは、白衣を着た人間の一人や二人は居たっておかしくない。だというのに、男を囲むのは防弾ベストのような装備を身に着けた軍人ばかりで、場の雰囲気にそぐわない事この上ない。
無機質なプラスチックとアルコールの香りが鼻をくすぐった。
軍人たちは落下してきた男に一瞬呆けたが、即座に銃を構えた。
「うっわ、面倒」
「こいつが侵入者か!? 皆、撃て!」
発砲。
銃口が火を噴いたと同時に、男の棘槍が軍人達に突き刺さっていた。
真っ赤な血が床を濡らし、上のサーバールームに負けるとも劣らないグロテスクな部屋へと変貌したが、男はむしろこれこそが普通であると言いたげな足取りで、軍人達の屍を踏みつけながら更に下の部屋を目指す。どの階層にも何名かの軍人が詰めていたが、男が次の階へ降りる頃には赤色の塗料になっていた。
「はー、どうせ殺すならもっと楽しい相手がいいんだけどなあ。というかターゲットはホントにここにいるのかなーっと。なんかもー、テンション下がってきちゃった」
などと不満を口にしながら歩を進めると、毛色の違うフロアに着いた。
先ほどまでの階層では病院と研究所が複合されたかのような作りをしていたが、ここはまるで普通のオフィスだ。部署ごとに分かれているのだろう、いくつかの部屋があった。
上層階と違い、しっかりとした作りのパーテーションで区切られていた。
男が指先で軽く叩いてみると、コツコツと軽い音が響いた。床にはカーペットが敷き詰められており、靴底についた血糊が移っていた。
「案内図かなんか貼っておいて欲しいなーっと。ドアに社長室とか書かれてないかな――っと、居た居た」
強化された肉体なら、ひっそりと息を潜める人間の気配がしっかりと知覚できる。ドタバタと騒がしい人を全員黙らせておいたからこそ出来る芸当であり、隠れた人間の気配の消し方が余りにも下手だから、と言うのもある。
標的を捕らえろ、と言うのが今回のオーダーだった。
殺せ、ではなく捕らえろ。
追い詰めた標的を捕らえるのは存外に難易度が高い。
追い詰めないと捕縛も何も出来ないが、追い詰め過ぎるとこれがまた宜しくない。
自暴自棄になって自殺されることがあるからだ。
だから理想は、追い詰められたと思っていないうちに一瞬で意識を奪うのがベスト。つまり奇襲。
捕縛は人によって対応が変わってしまうのが困りどころだが、この方法ならどんな敵が相手でもやる事が変わらない。
だが今の状況ではそれも叶わない。
「サーバールームがぶっ壊れて、屋上でドンパチやって、屋内でドンパチやってるからなー。屋上に監視カメラは無かったけど、屋内は異常なまでに設置してあったからなーっと。その割にサーバールームには見た感じ一個もなかったし。攻められる事を想定してないし、どちらかと言うと内乱を恐れているような配置してるよね」
ならば、自殺される前に正面から襲って無力化すれば良い。
男にはそれができるだけの実力と自信があった。
「多分だけど、聞こえてるよね?」
魔法系で壁を破壊する必要など無い。
強化された体でもって、最短距離を走るだけだ。
薄壁程度、あるのもないのも同じことだった。
1秒と掛からずに目的の部屋に突入する。
壁の残骸が床に散らばった。
同様に床に転がった物がある。
否、小太りの男だ。やけに頑丈そうなアタッシュケースを片手に抱えて腰の抜けたままドアの方向へ後退りしていた。
「おっと、間一髪逃げられるところだったなーっと。あ、俺、山田って言うんですけど」
「な、なんだお前は!?」
「山田ですってば」
「た、頼む、見逃してくれ!」
「それは出来ないなーっと」
そう言って、男は――山田太郎と名乗る傭兵は、仕事に取り掛かった。
男1人の誘拐が今回の依頼。
仕事前の遊びを除けば、ビルに入ってから約5分の出来事だ。
生存者、8名。
行方不明者、1名。
死者、総勢85名。
一夜のうちに起きたこの事件は、白日の下に晒されることはない。
しかし、2人の妖精がいた事を知る人間は確かにいる。それは、とある高等生達が知っている。
残る妖精が知っている。
もっと大きな、得体の知れない何か達も、このあと知る事になるだろう。
読んでいただきありがとうございます。




