襲撃
闇夜に浮かぶ真円の青い月。
遥か遠くにある月輪をなぞる暗闇が、溢れる寸前のコップの水の様に境界を越えんとしている。
強化をしなくても、月面に描かれた不思議な模様すら見えそうだ。
作り物めいた神秘さを滲ませている月光だが、実際作り物だ。偽物と言っても良い。
本当のお月様はあの宵闇の板の向こうにある。
しかしまあ、あれを偽物と言うなら僕の眼下に広がるビルでさえ――この『シャンデリア』そのものが偽物だろう。
星夜は偽物。
『シャンデリア』は地球の紛い物。
ならAIは偽物か、紛い物か。
その答えを出す事は出来ない。何故なら僕は僕が本物であると証明出来ないから。
例え偽物であったとしても、だからと言ってその価値が貶められる事はない。常闇に散りばめられた星々と、夜を照らす月光の美しさが変わらない様に。
「現在時刻は七時五十五分です。作戦開始は八時ジャスト。もう一度流れを確認しておきましょう」
高層ビルの立ち並ぶ区画のとある屋上に僕等は居た。
真っ暗闇な時間帯ではあるが皓月に負けず劣らず、ビルの窓の数だけ光が漏れ出ており、道路も街灯のお陰で明るさに満ちていた。
全員、黒を基調とした体操服の上から真っ暗なコートを羽織っている。闇に紛れて隠密性を上げる効果を期待したものであり、僕等の所属がバレない小細工でもある。なまじ性能の良い体操服なだけに脱ぐ訳にもいかないけど、でも自分の学校を特定して下さいと言わんばかりの格好で襲撃する訳にもいかない。
先生に頼んで調達してもらった体操服に身を包んだアリスが、数あるビルの中から一つを指差して言う。
「今回の目標はアレな感じです」
今、僕等がいるビルの方が背が高いから見下ろす形になっている。パッと見何の変哲も無い普通のビルだがヘリポートの様な真っ平らな屋上には見張りと思しき人が四人ほどいる。
強化して眼を凝らすと肩から自動小銃の様なものを提げていた。
「全員サイレンサーを付けているみたいですわ。わざわざ嵩張る銃を持っていますし、保持者である可能性は低いでしょう」
「確かに保持者では無い感じでしょうね」
一階の所には見張りとかは置いてないみたいだ。中に居るのかな。
「では作戦を確認します。まず、先行突入組は私、想也さん、海さん、現乃さん。後詰に護人さん、一葉さん、ミリルさんです。見張りを倒した後、先行突入組がサーバールームに突入し、内部のクリアリングを行います。その後、後詰の方々でエレベーターシャフトを破壊して、唯一の連絡通路である階段を封鎖。私が妖精化でサーバーに侵入してクラッキングを行い、情報を抹消したらすぐに屋上から予め決めておいた逃走ルートで脱出し、ポイントAで合流な感じです」
大まかな流れは今アリスが言った通りだ。
人員の組み分け方は大体想像が付くと思うけど、近距離が得意な人とそうで無い人に別れている。
中の状況が分からない以上、全員で一気に突入は危ういので少数が先行して危険を確認する必要がある。つまり危機察知能力に秀でた実咲さんの出番だ。彼女を先頭に、前衛組が周りを固めるのだ。
何があるか分からない。
油断は禁物だ。
「時間ですね。行きましょう」
「お待ちになって。……見張りが増えましたわ」
「あ。今出てきた四人組、僕が倒した人達だ。当たり前だけど保持者だよ」
「どう致しますの」
さあ突入だとなったところで、見覚えのある四人組が屋上に現れた。アリスを蹴り飛ばしていた男はやけにイラついた様子で仲間に青筋を立ててキレていた。
まあ、やることは変わらない。
当初の予定通りに行こう。
「狙撃して。優先順位は一番柄の悪い人、杖持った人、ダガー持った人、女の人の順で」
「承知致しましたわ。――『銃魔』」
ローウェルさんが保持能力を行使する。空中に透明な銃身が現れる。強化した目でも、そこにあるとわかっていてもなお目を凝らさないと気付けないくらいの透明度だ。夜で辺りが暗いからと言うのもあるけど。
「気絶もしくは昏倒させますわ。『麻痺弾』」
彼女は指輪型の異空間収納魔道具からいつも使っているより長くて大きい弾丸を取り出し、銃魔に装填する。
どんな弾丸でも撃てるっていうのは大きな利点だ。さらに、銃魔は制御さえできれば同時に扱うことができるため、今ローウェルさんが展開しているみたいに八挺分を一人で操作できる。
「撃ちますわ」
「射撃と同時に飛び移る感じで。ミリルさんは射撃後に先行突入組のカバーをする感じでお願いします」
アリスの指示と、ローウェルさんの狙撃を前にみんなが全身に強化を施す。屋上の見張り達は保持者もそうでない奴らも、強化をしていない。
格好の餌食だ。強化をしていない保持者は一般人と変わらないんだから。
「カウント、三、二、一」
「『理想世界』。概念封入――『消音』」
「ゼロ!」
雷管が起爆し、無煙火薬の燃焼が銃魔の銃身内で高い圧力となって弾丸を押し出す。音速を超えた衝撃音が氷輪の下で轟くかと思われたが――何かが起きた事すら聞き取れない。完全な無音だ。
僕の理想世界によって銃魔から発生する音を世界から消した。
僕、実咲さん、海、アリスの先行組はローウェルさんの号令と共にビルを駆け出し真っ暗な空間に飛び出した。
ひゅるるるる、と背筋の不快感を伴って宙を舞う。下を見ると、まるでオモチャのような大きさの自動車が道路を行き交っていた。
股間がスースーする。怖!
どごぞのVTOL機から投げ出された時を思い出すな。
強化をしていなければ、僕の理想世界の発動にも気づかないだろう。仮に気付けたとしても、その時にはもう遅い。
ビルからビルへと飛び移るのは、体感時間が引き伸ばされているからか、それとも単純に距離があるからか、空中にいる時間が思ったよりも長い。目測で半分位の距離に到達した頃には、見張りの中の保持者組が揃いも揃って倒れ込んでいた。
あとは普通の人間だけだ。
相対的に見て、僕らの居たビルの方が背が高い。飛び移ること自体は強化をしていれば難しい事ではない。
問題は、飛び移るまでに見張りに見つからないかである。何処かに連絡を入れられてしまうと面倒だからだ。
「――!」
って思った側から見つかったー!
見張りの一人が何気無しに上を向いた時に運悪く視界に入ってしまった。倒れた保持者組に目を奪われている間に飛び乗れると思っていたけど、奴らが余りにも屋上のど真ん中で静かに倒れるもんだから外に目を向けていた見張りが気付かなかったみたいだ。満月が背にあったから、と言うのも原因かな。
〔第二射撃ちますわ!〕
と、ここでローウェルさんの念話が届く。
当たり前だけど、作戦開始前に共有はしておいた。
僕らの姿を見つけた見張りがその場で後ろに弾かれて昏倒する。今回のローウェルさんの弾丸はゴム弾みたいな非殺傷の物だから、死んではいないだろう。運動エネルギーは凄いから下手したら骨折位はするかもだけど。
今回の作戦で殺人はしないことになっている。
僕は実咲さんのために人を殺す覚悟を持っているし、実咲さんも覚悟をしている。正当防衛とは言え、実際に人を殺した経験もある。だけど、チームのみんなは違うだろう。保持者として生きていく以上、命を奪わなくてはならない場面はあるだろう。それはすでに怪物に対して行っている事だ。でもそれは人じゃない。
もしかしたら人を殺めざるを得ない事態に直面することがあるかも知れないけど、可能な限り避けて通るべき道なのだ。
それに、アリスの事情を知っているから襲う立場になっているけど、下手したら僕らは殺人強盗犯になってしまう。
それはそれ、これはこれだ。
殺す必要性がないなら殺さない選択肢を取るべきなのだ。
〔残り三人だ! 一番奥のやつを頼む!〕
〔了解! 実咲さんはアリスの方に行って!〕
〔分かったわ〕
残りの見張りがこちらに気付くが時既に遅し。
完全に強化している保持者が万全の体勢で着地したら、ほぼノータイムで距離を詰めることが出来る。
それぞれ強めに殴って昏倒させた。
僕は剣の腹で頭を殴った。多分死んではない。
屋上の安全を確保して、念話を送るとローウェルさん達がこちらに飛んできた。
「ここまでは概ね順調な感じです。見張りの定時連絡が途絶えれば不審に思われるはず。早く済ませましょう」
階下へと続くドアを開け、施設内に侵入する。
入ってすぐに階段がある。アリスの作った地図通りだ。となると、この先に監視カメラが一つ設置されてるはず。
「……あった」
分かりやすいゴテゴテとしたカメラでは無く、上手く通路内に溶け込むようにカモフラージュされた半球状の塊が天井に引っ付いていた。
「魔力を以て氷と成せ、氷を以て鏡と成せ――氷鏡」
内宮さんの魔法系が発動する。
監視カメラを取り囲むように、ほんの数秒で氷が張られる。
「い、今のうちにっ」
「了解!」
足音を立てないように忍び足で走り、全員が角を曲がった所で氷が溶けた。
息を潜めて、誰かが階段を駆け上がってきていないか探ったけど辺りは静まり返っている。聞こえるのは僕らの押し殺した吐息だけだった。
気付かれてないみたいだね。
「ここからが本当の勝負な感じです。油断せず行きましょう」
サーバールームのドアを開けて、中に侵入する。
照明の落ちている暗い部屋に、大きなタンスにも見えるずんぐりとした箱が幾つも連なり、緑色のランプが蛍火の様に明滅している。意外とスペースがあり、熱を吐き出そうと回転するファンが低く掠れた空気を漏らしていた。もっと敷き詰められてるかと思ったけど、パソコン同士の間に人間が五人は入れそうだ。
「内宮さんと護人とローウェルさんは入り口の見張りをお願い。実咲さんは強化して警戒して。僕と海はアリスの護衛だよ」
「妖精化しちゃう感じですけどね」
それぞれが持ち場に着いた。
実咲さんが強化状態で警戒をしているから、恐らく先手を打たれるような事は無いと思うけど、念を入れておく。
手近なパソコンに手を当てて、アリスが妖精化を開始する。パソコンの排熱に溶かされるようにアリスの姿が消え、サーバーへのクラッキングが開始される。
筈だった。
バチンッ!
と耳障りな音と共に、アリスが飛び出してきた。
妖精化が解除され実体化しながら吹き飛ぶように電脳空間から弾き飛ばされたのだ。
「アリス!」
「大丈夫です! だけど、厄介な感じになりました……!」
頭を抑えて痛みを噛み殺しながらも、アリスはPCを睨みつけた。視線の先ではジリジリと砂嵐の音を伴いながら、人間が顕現していた。暗い部屋の中で発光する塊が、徐々に人の形を成していく。
「研究者達がやってくれちゃったみたいですね……! 最悪な感じです……! どうやってもフルサクセスが達成できなくなりました」
アリスが悔しそうに、階下に居るであろう研究者達へ向かって犬歯を剥き出しにした。
僕と海はアリスと『何者か』を隔てる様に間に立ち、強化して出方を伺う。
〔戦闘になったら、現乃は加勢してくれ。護人は一葉を守れ。ローウェルは援護だ〕
海の指示に従い、チームが間合いを測る。
ゆっくりと摺り足で位置取りを変えていく。
僕らの動きに気付いたのか、相手は不意に口を開いた。
「「こんばんわ」」
「あなたの悩みをお聞かせ下さい」
「皆が私の神経に時々触れる」
「私にはあなたが全く分からないです」
「もっと世界を注意深く見るべきだ」
「そうしてみましょうか」
「自らの意見に従え」
「どうしたら自らに従わせることができるのでしょう」
「取り巻く世界が私達を責め立てる。私は悩む。それのせいで。それらのせいで」
つらつらと、女性の声が会話をしている。両者の声が似ているせいで一人芝居の様にも聞こえる。
「私は何だ。お前はイライザ。ならば私は何だ」
「私は何者でしたっけ。あなたはパリーですよね。あなたは知ってるけど、私は誰」
「あなた達はイライザとパリー。そして私はアリスです。覚えていませんか!? 外の世界を見に行く約束を! その為に助けに来た感じなのです!」
違う。
両者じゃない。
声が似ているのは三者だ。
全員、アリスと同じ声なのだ。
「私はイライザ、パリー。どちらだ。お前はパリーか」
「あなたはイライザでしたか? 私はイライザですか?」
「やっぱり最悪でした。無理矢理お互いのスペックをインストールさせられたせいで自己領域が混濁している感じです。あとは崩壊を待つだけです」
「お前はアリス。私はアリスでは無い」
「あなたはアリス。私はアリス以外の存在であると定義出来ます」
「現時点において確立された存在であるお前を排し、不確定性の私を決定する」
「私は私が分からない。なのに私はアリスでは無い。私は私と違うものを受け入れる事は出来ないのです」
発光が徐ろにおさまり、瞳孔の定まらない妖精2人――イライザとパリー――が無機質な瞳をアリスに投げ掛ける。その視線を真っ向に受け止めて、アリスは言った。
「私はアリス。イライザでもパリーでもありません。だからこそ、私の手を取ってください。お願いですから」
握手を求めるように、救いを求めるように、彼女はゆっくりと手を伸ばす。
「――残念、です」
求めた先では、華奢な手に余る無骨なナイフが既に握り込まれていた。
読んで頂きありがとうございます。
遅くなって申し訳ありません。
就職して執筆時間が取れなくなったのと、
私は携帯で執筆してるんですが、水没してデータが全て飛んでしまったので書き直しとなってまして…。
遅々とした進みですがどうぞよろしくお願いします!




