クリーパー
『グラウンドの整備も終わったみたいですね! ではでは! 二回戦を始めます! 鉢巻を貰った人はグラウンド中央まで来て下さい!』
続いて鉢巻を受け取ったのは海&内宮さんの騎馬と護人&ローウェルさんの騎馬だ。
「マジでござるか」
「最初から危険人物が分かっているのは大きなアドバンテージですわ。……そう考えるしかありませんの」
「ひ、酷いよ〜! まるで私が爆弾か何かみたいだよ〜!」
「爆弾よりタチが悪いのでは?」
「おう良い度胸だお前ら。一葉、こいつらから狙おう」
「ちょっと、私を巻き込むのはやめて下さる?」
「一蓮托生って素晴らしいで御座るなあ」
彼らはそう言い合いながらグラウンドへと向かっていった。
頑張って、みんな。
大きなディスプレイに表示された映像を見る。
へー、ドローンの数が多いから見応えがあるな。なんか監視カメラの映像を見てる気分だけど。
「始まるわ」
「最初にどう動くかが見ものだね」
画面の中では肩車をしている組が三十ほど、三人、四人の騎馬が五、六組ほどあった。
女性と組んでいる男の騎馬を見ると、大体鼻の下を伸ばしていた。デレデレしちゃってまあ。と言うか、僕もさっきこんな感じだったよね。
海はニヤけるのは我慢しているみたいだけど、口の端がピクピクと歪んでいる。護人なんて、頭の上に乗ってるよ。何がとは言わないけど、すげー。
「……想也君?」
「何でもないよ? ほら始まるよ?」
実咲さんがニコッと笑いかけてくるけど、目が笑ってない。不穏な空気を纏った気がしたので即座にはぐらかす。なんでそんなに勘が鋭いんだ。
海も護人も、僕らと同じようにフェンスを背にして競技の開始を待っていた。
聞き憶えのあるゴングと共に、騎馬が一斉に走り出す。
護人達は真っ先に内宮さんから離れていた。分かりやすいなー。
その二十秒後くらいに、圧倒的な量の保持能力が、グラウンドに降り注いだ。
絨毯爆撃と言う表現がピッタリな飽和攻撃によって、多くの騎馬が早々に脱落する。グラウンドが捲れて土埃が巻き上がる。
体育祭実行委員が慌しくなり、すぐさまフェンスの辺りに土埃を抑える下降気流と吸着の魔法系が展開される。フェンスで囲まれている為、放っておくと部屋の中に小麦粉をブチまけた時の様に渦巻いてしまうのだ。保持者としてはこういう状況もまた腕の見せ所なんだけど、一般観覧者の皆様が楽しめないとあっては体育祭としてはよろしくないのだろう。
「シャレにならんで御座る」
「でも、派手な攻撃のお陰で私達は目立たずに済みますわ」
絨毯爆撃は騎馬を作った後の時間を丸々魔法系の構築に費やした内宮さんの仕業である。時間を掛けたからって誰でもできる様なことじゃないんだけどな。
内宮さんは特性として『魔力変換効率』を持っている。
通常、魔力とは保持者の身体の中に予め貯蔵されている保有魔力と、世界に満ちている外部魔力を総括して呼称している。
保有魔力は生命力の残り香とも濾過物とでも言うべき生命エネルギーの副産物であり、生きてさえいれば自動で回復する。魔法系や超能力系の保持能力を使う時に消費する事がある。
そして保持能力を行使する時、保持者は外部魔力と保有魔力を混ぜてから使用する。なぜなら外部魔力はそのままでは使えないからだ。何故かは未だに解明されてない。
とかく、内宮さんは『混ぜる』事に優れており、保有魔力の消費量を回復量が上回るからこそ大量の魔法系を一挙に発動できるのだ。
「クソ! かわしきれん、防御だ!」
「量が多過ぎるわ! 捌ききれない!」
完全に移動砲台と化した騎馬に向かって、他の騎馬が何とか食い下がっている。騎馬戦なのに攻城戦みたいになってるのは、側から見てる分には面白い。
「一葉って魔力切れしないのかしら」
「しないんじゃないかな。100の攻撃を1回したら一時的に魔力が枯渇するだろうけど、1の攻撃を100回繰り返す分には撃ち続けられるとか、そういうタイプだから」
保有魔力量だけなら、僕は内宮さんよりもずっと多い。僕ほど保有魔力の多い人間はそうそういないはずだ。
「そうなの?」
「あれ、この話はしなかったっけ? まあいいや。内宮さんの保有魔力を百とするよ。僕の保有魔力は一万は超えるね。生命力変換の特性を持ってるから、回復も多少は早い」
「凄いわね」
「で、僕は体質なのかどうか分からないけど、保有魔力と外部魔力を混ぜるって事が出来ないんだ。だから僕の総魔力量は一万のまま」
「一葉はどのくらいなの? 五千くらい?」
「一千万とかかな?」
「桁が違いすぎるわ」
「ただ、上限はあると思うよ。使った端から回復していくって言うのが正しいかも。二百使う間に千回復するとかそういう感じ」
「一葉って凄いのね」
普通は外部魔力と混ぜたところで保有魔力は減っていく。だから総魔力量と言っても水嵩を増しているだけで、いつかは無くなる。内宮さんがおかしいだけだ。
普通の人は魔力を混ぜる事を軟水と硬水を混ぜるイメージだとか、色の違う水を均一にするイメージとか表現するんだけど、どうも僕の場合はまさしく水と油の様に幾ら混ぜても分離する。僕の技術不足もあるだろうけど、体質だと諦めた。
普通の保持者でも、総魔力量なら百万くらいはいくと思うけど。
うーん、説明しにくいんだけど伝わったかな。総魔力量って言葉が既に誤解を招く要因な気がするんだよな。保有魔力は器として考えても良いんだけど、総魔力量はDPSとかDPMみたいな時間当たりの値だからなー。
因みに『理想世界』は発動に五千ぐらい使うね。燃費悪いでしょ。
「僕と実咲さんは生命力変換で保有魔力が増やせるって言うのはこの前話したし、実際にやったでしょ?」
「懐かしいわ。あの日は記念日だもの、憶えているわ」
「僕らにとってこれ以上なくアドバンテージなのは、保有魔力が補給出来るって事なんだ。内宮さんは見かけ上は無限に魔力を使えるけど、一度に使える量には限りがある。だけど、僕らは理論上は上限そのものが無いんだ」
「つまり、一撃に込められる量が多いって事よね?」
「勿論、魔力の上限が無くても操るのには技術が要るから、結局上限はあるんだけど」
「想也君がいつも練習しているのは、一度に操る魔力の量を増やす為なのね」
「そうそう」
やー、現実にはそんなに上手くいかないんだけどね。
強化に使う魔力だってバカにならないし、一度に複数の魔法系を使うのは難しい。
案ずるは安く産むは難しだ。
良く保持者では無い人に誤解されがちなのが、魔力は込めれば込めるだけ保持能力の威力が変わると言った事なのだが、これもまたそう上手くは行かない。
例えば、風船の中に水を入れていくといつかは破裂してしまう。水を入れる速度を変えようが、一度に入れる量を増やそうが、一定量で破裂してしまうのだ。風船とはつまり、魔法陣の事だ。より強い威力を持たせたかったら、風船を変えるしかない。魔法陣そのものの構築に使う魔力を増やせば容量も上がるけど炎弾に余分な魔力を使うくらいなら炎槍を使った方が手っ取り早いのだ。
だからこそ魔方陣無しで魔法系の様な能力が使える超能力系が便利だと言われるのだが。
保持者とそうでない人の意識の差は埋まる事がない。きっとこれから先、どれだけ溝が狭まっても致命的な所で両者の距離は離れたままだろう。
実咲さんと話している間に、戦況は大きく動いていた。
ほぼ全ての騎馬が脱落し、残すは四組。移動砲台となった内宮さん対他の三組の構図だ。
「連続設定、並列三枚起動――『炎矢』」
移動や回避を海に任せる事ができるので、内宮さんは攻撃のみに集中できる。間断なく飛来する保持能力の雨霰に対し、何とか食い下がってじりじりと距離を縮めんとする一進一退の攻防が繰り広げられる。
「どうしますの!?」
「とにかく近づかぬことには始まりますまい!」
護人は最低限の迎撃のみを行い、自ら攻撃を仕掛ける事はしない。ローウェルさんが保持能力で応戦しても焼け石に水で、物量に押され気味だ。
他の騎馬は氷盾や水盾でやり過ごしつつ、機をうかがっていた。
「ローウェル氏。拙者これから全ての攻撃を迎撃しますぞ。チャンスは一回、活かせなかったら負けで御座る」
「魔力が残っている内にやれる事をやりましょう、と言うお話ですわね。良いですの。私、やられたままで終わるつもりは毛頭ありませんわ」
「お、護人がやる気じゃねえか。一葉、気を付けろよ!」
三組とも、消耗戦になったら勝ち目は薄いと判断したらしく、温存していた魔力を一気に消費して勝負を仕掛けた。
「魔力を以って氷と成せ、氷を以って矢と成せ――『氷矢』」
「魔力を以って氷と成せ、氷を以って弾と成せ――『氷弾』」
「魔力を以って土と成せ、土を以って弾と成せ――『土弾』」
氷矢が護人から放たれ、他の二組からそれぞれ氷弾と土弾による攻撃が行われる。
「並列多重起動――『雷弾』、『炎矢』、『空気弾』、『岩板』」
護人達の反撃と同時に内宮さんの弾幕も徐々に苛烈な密度へと変貌していく。
空を飛ぶ炎矢の残り火が尾を引きまさしく炎の矢となり、バヂッと耳に残る音を虚空に染み込ませながら静電気の何百倍もの電荷を固めた弾丸が一斉に発射され、電気と炎の保持能力の隙間を縫うように不可視の圧縮空気を飛ぶ。空気中の塵一つまで無くなる勢いだ。
それに加えて魔力によって生成された岩が自らを守るように周りに控える。
「属性を混ぜる余裕まで残ってたとは! ――『氷弾』、『氷散弾』」
多勢に対し無勢でありながら圧倒する。
ただ圧倒的な物量でもって圧し潰す戦法に見えながら、内宮さんの攻撃はそれでいて合理的な選択がなされていた。多様な属性を混合させて一律の対処をし難くし、炎矢や雷弾のような光源となる飛翔体で目を奪いつつ、空気弾の不可視性をあげて真正面の撃ち合いの最中に闇討ちの攻撃を作り出した。
保持能力――そのうちの魔法系には複雑ではあるが相性のようなものが存在する。
炎属性やら雷属性やらたくさんの属性がありまるでゲームのような言い分だが、本当に簡単に分けてしまうと二通りになる。
実体を持っているか、それとも持っていないか、だ。
実体を持っているのは水、岩、氷、土等々、あと微妙だが空気もだ。
逆に持っていないのは炎や雷等が該当する。
分別方法としては、威力の発生源である総エネルギーが運動エネルギー寄りなら実体を持つとされ、熱エネルギーや電気エネルギーが主であれば無実体である。
で、撃ち合いやら迎撃やらで主となるのは実体を持つ魔法系だ。護人が氷系の魔法系ばかりを使っているのはそれが理由だろう。
逆に内宮さんが無実体の魔法系を多用しているのは、直接命中しなくとも爆発エネルギーやら電気エネルギーやらでダメージを与えることを目的としているからだろう。
炎剣や炎槍が無実体の癖に衝突するっておかしくないか? と言う疑問も最もであるが、此処で引き合いに出すのが魔力だ。無実体系の保持能力は往々にして魔力を使ってエネルギー自体を固めて構成されるのである。
難しい事はそういうものだと納得するしかない。
世界は既にそうして回ってしまっているのだから。
しかし、少なくとも魔法系は現在の物理法則を魔力という別の力を加えて少し歪めているに過ぎない。
それは電子レンジの構造と仕組みを知らなくともボタンを押せば弁当が温められるのと同じだ。
面倒なのは超能力系だよ。
魔法系なら、摂氏0度の炎を作り出す事は出来ない。なぜなら、炎とは酸化反応その他諸々の、燃焼の結果または過程で生ずる現象だからだ。
原理的に不可能な事は魔法系では出来ない。
それが、超能力系系だと出来てしまう。全く不思議な話だ。
熱くない炎なんて存在し得ないのにそこにある。あってしまう。理論も過程も吹っ飛ばして、超能力系を使った結果として、現象が発生するのだ。
いくらでも例外が生まれるのだ。
細分化しても意味がない。ふんわりと大別する程度に収めておくのが一番良い。
閑話休題。
実は属性それぞれにも特色はある。
例えば岩属性と氷属性。
まず岩属性って何だよとツッコミが入るかも知れない。僕もよく分からない。学会とかの偉い人たちが日夜世界の何処かで円卓を囲んで議論に耽っているのだが、絶対的な答えが固まった試しがない。
現在の主流とされる考え方は、『分子構造が一定のパターンを持ち、現存する岩石類に性状の近しいもの』らしい。そんなん理論上は魔力を使いまくれば見た目岩石硬さはチタン合金的なものを作れるけどね。ルールを決めれば必ず例外が出てくるから、イレギュラーの話をしても仕方がないんだけど。
ちなみに僕の一押しの考え方は『今議論しているのを全部纏めて金属系と呼べば良くね』だ。
氷属性はシンプルに『固形の水』で決定しつつあるらしい。
そんな氷属性と岩属性だが、ぶっちゃけどっちもあまり変わらない様に思う人もいるのではないだろうか。
そうです。あんまり変わらないです。
だけど、魔力消費の観点で考えるとこれがまた不思議なことに氷系の魔法系の方が消費が少ないのだ。空気中の水分を使えるかららしい。
逆に、威力を出そうとすると岩系の方が良い。岩系の方が重いから、同じ速度なら岩系の方が運動エネルギーがあるのだ。重たい分だけ速度が出しにくいということでもあるのだけど。
これに対して、無実体系は速度が出しやすい。同じ速度で飛ばすなら無実体系の方が消費魔力量が少なくて済むのだ。
怪物相手に炎系の保持能力が多用される理由でもある。熱エネルギーでダメージを与えやすく、消費魔力量も他の能力に比べたら少なく、いざとなったら速度を上げることが容易なので命中させやすい。対人戦なら、躱し難いと言うのも一因だ。
「ぐああああああ!」
「きゃああああああ!」
内宮さんの複合攻撃によって他の二組が脱落してしまった。近距離で圧縮空気が破裂したことにより騎馬が崩れて失格となった。
護人の騎馬は、迫る保持能力を全て空中で撃ち落としているため存命している。護人の迎撃能力の高さが証明されている一戦だ。
「すこし任せますぞ!」
「四秒ですわ! 『銃魔』!」
「ぐ、ぬぬぬ! ギリギリ貫通させる程度のー、――『氷槍』!」
「魔力を以って氷と成せ、氷をもって槍と成せ――『氷槍』」
護人の周りに一メートル程の氷の槍が出現する。その数およそ五柄。ローウェルさんの援護射撃によって生まれた迎撃の間隙に作り上げた魔法系は、内宮さんの魔法系を撃ち破りそのまま攻撃へと転じるだけの威力を秘めていた。
内宮さんの弾幕形成能力は目を見張るものがある。一度魔法系の構築に成功してしまえば、自動で魔法系が発動する様に設定してしまうことで半永久的に魔法系が飛び続ける。他の人が同じ事やろうとしても無理だけど。
その代わり、威力は常に変わらないので突破のための対策は立てやすい。
護人が氷槍を生成し始めたのと同時に内宮さんも氷槍を構築し始める。詠唱時間の差で護人の方が先に射出することが出来たが、常に飛来し続ける保持能力に威力を削られ、着弾までの僅かな時間に完成した内宮さんの氷槍に粉砕される。
炎などがぶつかり白みがかった罅が斑らに浮き出た氷の槍と同じ形状の透明な氷で出来た槍が空中で真っ向から激突し、片一方の槍のみが鋒から破壊され大理石の床に落としたグラスのように飛び散った。
威力を先に削られていたのもあるが、詠唱を行った氷槍が打ち勝つのは当たり前だ。詠唱を行った分だけ完璧に魔力が供給されているのだから。
正直、護人達が勝てる見込みはない。
内宮さんはシンプルに強い。
特別な条件を満たす必要があるわけでもなく、特別な武器や防具が必要なわけでもない。
つまり、普通に強い。
いついかなる時でもコンスタントに絶え間無く総合的な火力を供給できる。同じチームながら恐ろしい。
勿論これはスポーツ、競技の類だから殺し合いの強さとは別物だ。
真面目に遊んでいる、とでも言えば良いのかな。
全員が全員本気では無い。
遊びは遊びに過ぎないのだが、それでも基礎的な技術を再確認できる。
体育祭1日目の目的は、そういうことなんだろう。
出場者全員、変換器を持っていないわけだし。
なけなしの反撃でさえ打倒するに至らず、悔しそうに護人とローウェルさんは降参を宣言した。
『競技終了ー! 優勝者は、えーと、一年六組の八雲、内宮騎馬でしたー! 戦った騎馬の皆さんに拍手を!』
こうして、僕らの体育祭一日目は終わりを迎えた。
柵と結界の外に満ちる歓声と声援の熱気が渦巻く。熱狂的な気分に侵された人々はいつまでも帰ろうとしない。未だ残る剣戟と喧騒に後ろ髪を引かれる様に。響く爆音と激音に脚首掴まれた様に。
人々は保持者を危険で野蛮だと世間に喧伝しておきながら、それでも奥底の本質にある戦いへの憧れを隠し切れない。
やだやだ。
人間なんてどいつもこいつも似たり寄ったりだよ。
◇
『シャンデリア』第8区の乱立するビル群で火災報知器に似た、耳を劈く警報が鳴り響くビルがあった。本来であれば警報は内だけでなく外部への異常の通知として用いられるものであるが、此度の騒動に限っては上へ下への大混乱がその気配すら外部の人間に気取られる事はなかった。
背広を脱いで肩に掛け、暑さと疲れのダブルパンチを食らって窶れた顔で街路を歩くサラリーマン。完全防音工事の施された壁を隔てると、そこには冷房が頭痛の原因になるほどに効いている通路をサラリーマン以上の汗を掻きながら必死の形相で走り回る白衣姿の職員達がいた。
警報が鳴り響く事自体は今日までにも数え切れないほどあったが、今回の警報は音が違った。会社にとってもっともあってはならない事態を告げる鐘の音だったのだ。職員達も知識として知っていたが、いざ本当にその時が来るとは夢にも思っていなかった。
世間一般には薬品研究所として認知されているビルでは、会社の存続どころか関連する会社を巻き込んで大爆発するレベルの大騒動が起きていた。
「何があったというのだ!」
大きく区切られたオフィスの中で、白衣を着た壮年の男性が四十半ばのスーツで身を固めた男に余裕の無い声色で叱責されていた。その後ろでは、警報をかき消さんばかりの怒号に身を縮める白衣達がいた。
スーツの男が身に着けるものはハンカチから万年筆まで高級感を漂わせる品ばかりで、割り当てられた部屋の大きさからしても余程の地位に就いている事が窺える。憎たらしい笑みを絶やさず、高い葉巻を吹かしながら椅子にふんぞり返るのが仕事であると言って憚らない男であったがビルに蔓延する混乱と焦燥の気配に飲み込まれそうになっていた。
「申し訳ありません! 職員が数人になったところを狙われ、商品が逃走しました!」
「何だと? 早く保持者に片付けさせろ! こういう時のために高い金を払って雇い入れているのだぞ!」
壮年の男性はプロジェクトリーダーに値する人間であった。
激昂する責任者に言い訳は時間の無駄になると判断し、簡潔に原因と現状を伝える。事態は深刻だ。早く手を打たねば取り返しのつかないことになるとは分かっていても、それでも伝えることを躊躇ってしまう。
責任者の言うことも最もであるが、壮年の男性はプロジェクトマネージャーとして持ちうる権限内で出来ることは全て現場で尽くした。尽くしてしまった。ろくに仕事をしない雇われ責任者の指示する対処などとうの昔に行っていた。
しかし、それでどうにかなる問題なら特別警報など発令していない。
「それが……傷は負わせましたが、商品は職員のIDを奪い脱走を……」
プロジェクトマネージャーが言い終わる前に、スーツの男が近くにあったファイルを投げ付けた。
「馬鹿がッ! アレの存在が公になれば我々全員の首が飛ぶぞ!」
閉じたファイルの中から舞い落ちるレポート用紙がプロジェクトマネージャーの周りに散乱した。レポートには商品の具体的なスペックが記されていた。
「只今、総力を以って追跡を行っています。攻撃性のウイルスと探知ウイルスを既に流してあります。脱走時に決して浅くは無いダメージを負わせる事が出来たのは不幸中の幸いでした。我々の補給なしにはまず回復も行えないでしょうから、補足は時間の問題かと」
「……雇った保持者は全て動員だ。必ず公になる前に捕縛、それが不可能な場合は破壊しろ。多少煩くなっても揉み消せる」
「承知しました」
事態の収束への道筋が見えた事により多少ではあるが冷静さを取り戻した男は、デスクの引き出しから葉巻を取り出して煙を楽しもうとした。
「それで。脱走時の状況映像か、追跡に役立ちそうな証拠はあるんだろうな」
「監視カメラは破壊されて映像はありません。残していったものは、あることにはありますが……」
「それでいい。見せろ」
スーツの男の要求に従うべきかどうか逡巡して、隠しても無駄だと悟ったプロジェクトマネージャーは報告の顛末を眺めていた白衣に諦めたように目をやった。
白衣達が端末を操作するととある画像データがスーツの男の手元にあるタブレット端末に表示された。
やっと冷静さを取り戻した男の血管が浮き上がり、茹で蛸の様に真っ赤になった。
「ふざけやがって! プログラムの分際で皮肉か! いいなお前ら、絶対に捕らえろ! 俺が直々に殺してやる!」
スーツの男はついに我慢できずに口に咥えていた葉巻を握り潰して、叫んだ。
タブレット端末には黒背景に白字でこう記されていた。
『私はクリーパー。マスターもどき共、私を捕まえてみな?』
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