7 蓮は、俺の母親になれる人
「じゃあ、それって他の人にはどんな影響があるの?」
最初に考えていた通り、俺はその答えを蓮に尋ねた。
「影響、か。この世界はこんなにも複雑なんだよ。ひとつの行動の結果を全部見通せる人なんて、いると思う?」
蓮は少しだけ視線を逸らしてから続けた。
「例えばさ、可哀想な物乞いを見て、同情したあなたがまとまったお金を渡したとする。でもそのことを他の物乞いたちが知って、数人でその人を襲って、わずかな持ち物まで全部奪ってしまったら? その場合、あなたの施しは正しかったのかな?」
俺は首を横に振った。答えられない。
そんな問題は俺には難しすぎる。
今日まで、舞や夙、そして赤尾小隊のみんなが向けてくれた善意は、確かに俺を助けてくれた。だから俺も、彼女たちに善意を返したいと思っている。
でも、その善意がもっと悪い結果を招くかもしれないなら……それでも俺はやるべきなのか?
「正しいか間違っているかなんて、その問い自体に答えはないんだよ。」
蓮は穏やかな声で言った。
「さっきの例で言えば、それは偽善かもしれない。人を助けているようで、結局は自分の同情心を満たしているだけ。でもね、たとえ予測できる結果を全部考えた上で、本当に誰かの助けになる“本当の善意”だったとしても、それだって自分の人生の基準を守っているだけ。本質はやっぱり“自分のため”なんだ。」
「自分のためが悪いって言いたいわけじゃないよ。むしろ、あなたには優しい人になってほしい。たとえそれが自分のためだったとしてもね。
ただ、覚えておいてほしいのは——あなたも、そして誰も、行動の結果を完全に予測することなんてできないってこと。」
「だからね、後悔しなくていい。」
そう言いながら、蓮は両手で俺の顔を包み込み、まっすぐに見つめてきた。まるでその言葉を頭の奥に刻み込もうとしているみたいに。
「それから、あなたには優しい人になってほしいけど、どうやるかまでは言わない。そんなことをしたら、それはただ私の欲望を満たすだけになるから。厳密に言えば、“私の望む通りに動け”って言わないのも、別の形の欲望かもしれないけどね。でも、それでもあなたには、自分で答えを見つけてほしい。」
「その間、私はずっとそばにいて助言してあげられるわけじゃない。取り返しのつかないことをするかもしれない。それでも……自分の行動を悔やまないでほしい……それと……」
蓮はいつもこうだ。話し出すと、まるで終わりがないみたいに言葉が続く。
俺は、提案を受け入れた場合の結果が分からなくて、蓮に相談しに来た。
けれど今のところ、彼女は他人にどんな影響があるのかについては何も言っていない。
でも、無駄ではなかった。
少なくとも、誰も行動の結果を完全には予測できないと分かった。蓮は俺よりは多くを知っているかもしれない。でも、こういう時に毎回誰かに頼るわけにもいかない。
それから、自分の生きる意味を見つけること。
今の俺の行動原理は単純だ。善意を向けてくれる人には善意で返す。悪意を向ける相手には報いる。
それは「なぜ生きるのか」という問いには答えてくれない。でも、少なくとも“今どうするか”は教えてくれる。
いつか生きる意味を見つけたら、もっとちゃんと答えられるのかもしれない。でもそれはあまりにも遠い話だ。今はこのやり方に従うしかない。
後悔するな、と蓮は何度も強調した。
でも俺にはまだ分からない。後悔ってどんな感情なのかも、どんな時にそれを感じるのかも。
色々考えた末、俺は機関の提案を受けることに決めた。
結局、力が必要なんだ。誰にも頼らずに済む力。赤尾小隊や舞に恩を返すための力。いざという時、夙を救える力。
俺みたいな人間がそんな重要な役目を担って、誰かに迷惑をかけるかもしれない。
でも、蓮が言った通り、俺には分からない。もしかしたら他の誰にも分からない。なら、それは俺が考えるべきことじゃないのかもしれない。
それに、ほとんど接点のない大多数の人たちよりも、俺のそばで助けてくれた少数の人たちの方が、ずっと大事なんだ。
「うん……どうすればいいか分かった気がする。ありがとう、蓮。」
考えがまとまったところで、俺は蓮の言葉を遮り、礼を言った。
「うん……まだまだ言いたいことは山ほどあるけど、あなたが納得したならそれでいいわ。」
蓮は両腕を広げた。抱きしめてくれるつもりらしい。
俺もそれに応え、胸の中の温もりと、馴染みのある香水の匂いを確かめる。
なぜか分からないけど、俺の方が少し背が高いのに、頭を彼女の胸に埋めたくなる衝動に駆られる。
「レイア、今回別れたら、あなたはきっと忙しくなる。私たち赤尾小隊もしばらく前線を離れるし、解散する可能性だってある。だから……しばらくは会えなくなるね。」
「俺から会いに行くよ。」
「え? はは、本当に成長したね。」
成長、か。
今の俺は、死や別れ、戦い……色んなことを前より理解している。感情も含めて。
赤尾小隊のみんなも、舞も夙も好きだ。
でも、その“好き”は同じじゃない。
蓮に対する気持ちは、もっと特別だ。
「全部、蓮のおかげだよ。蓮は俺にとって、母親みたいな存在だから。」
そうだ。この感情はきっと依存に近い。
雛鳥が母鳥の羽の下に身を寄せるみたいに、俺は蓮を母親のように慕っている。
彼女の胸に寄り添いたい。導いてほしい。離れたくない。
「は? あはは。確かにずっとあなたを子ども扱いしてきたけど、さすがに母親になれる歳じゃないわよ。」
蓮は明らかに驚いていた。
「プロポーズされる覚悟までしてたのに、まさか“母親として好き”だなんてね。」
「でも俺にはもう舞っていう彼女がいるから、蓮にプロポーズはできないよ。」
「今のは冗談よ。」
「そうなんだ。」
「でも、本当に雛原のあの子があなたの彼女だって、確信あるの?」
「分からない。記憶を失う前から付き合ってたって言ってたし、その後も別れてないなら……今も恋人なんじゃないかな。」
「もし嘘だったら?」
「舞が嘘をついてるの?」
「分からない。ただ可能性の話。だって、過去のことをあまり話してくれてないでしょう?」
「うん。でも大丈夫。舞は俺を騙さない。」
「そんな簡単に人を信じちゃダメ。」
「舞は他人じゃない。蓮も、他人じゃない。」
「じゃあ、もし私があなたを騙してたら?」
その言葉に、俺は黙り込んだ。
蓮は嘘をつかないと思っている。でも、もし彼女が嘘をついていたなら、“嘘はつかない”というその言葉もまた嘘になる。
「それでもいいよ。蓮は俺を害さない。
それに、たとえ害したとしても構わない。蓮はもう、俺に十分すぎるほど与えてくれたから。」
「本当に……あなたは人を信じすぎる。このままじゃダメよ。」
「蓮は他人じゃない。」
俺はもう一度、繰り返した。
黄昏が迫るころ、ようやく俺は蓮と別れた。
その後、地下室で責任者に返事を伝える。ほんの数言交わしただけで、手続きもなく、あっさりと解放された。
地下室を出ると、空はすでに急速に闇に覆われていた。




