第十五話 話をしよう
「鬼見月……どこ? いるんだろ?」
真っ暗な中で起き上がった僕は、彼を探す。
「なつき……」
少し先から、掠れて弱々しい彼の声が聞こえた。
僕は走り出す。
「鬼見月!」
うつ伏せに倒れる彼の姿は、あの日と全く同じだった。初めて会った時の、鬼の姿だ。この姿だとやっぱり、僕がいつも見てた学生の鬼見月より背が高いみたいだ。
「大丈夫?」
彼にそう声を掛けはするけれど、とても弱っているのが分かる。
どうしたらいい? 僕はどうしたら……。
「なつき、お願いがあるんだ。手を貸して」
「うん、いいよ貸す」
うつ伏せから横向きになった彼が差し出した手に、前のめりになって自分の手を重ねる。
「ありがとう。それから、ごめん。私はもっと早く夢を解くべきだった。それに、君に憑くべきじゃなかった。騙したし、君に迷惑をかけた。君が離れるんじゃないかと怖がれば怖がるほどそれが大きくなって、本当の君が遠くなって、私は狐に縛られた。気を食われて、あれを振り払えもしない程に……。君に執着なんてしなければ、こんなことにはならなかった。君が君を忘れるようなことにも。それにだって、今やっと気付いたんだ。大馬鹿者だ私は」
ぽたぽたと雫が僕の手の甲に落ちる。
……分かるよ。君がずっと、仮の姿で僕の隣にいた理由も、いなくなるんじゃないかって怖かったのも。だって、僕もそうだったよ。君と同じように……。
「僕も願ったよ。一緒にいたい、いなくならないでって。君が一等輝いているのが心地いいって思ってしまった。僕の世界に君しかいらないとさえ。……いつからだっけ? 分かんないけど、そうやって僕は君と憑き合った。そして僕は僕を忘れて夢に溺れたんだ。僕だって大馬鹿だ。君がこんなに衰弱して、狐に食われて……そうだって分かってたら……」
もっと早く目覚めようとした。
気付かなかったのは狐に夢を見せられていたからだとか、狐が鬼見月の陰に隠れて分かりにくかったからだとか、そんな言い訳はしたくない。僕が目を閉じなければよかった話だ。
何にせよ、これは僕が、僕達が選んでしまったんだ。今更、あの夏の日みたいな過去に書き換えられはしない。
あの日、僕は夏だった。彼は光だった。
とても綺麗な彼に心惹かれて近付いて、彼もそうやって、僕に近付いたんだろう。
「ねえ、僕を食べる?」
鬼見月に言った。
僕は夏だ。その僕を食えば、彼はきっと元気になる。狐には渡さなかった、渡さずに済んだ僕の命。彼にならあげてもいい。僕がここで終わっても。
でも、彼は
「食べない。いらないよ。愛しい人の命を食いたくはない」
「……」
僕が心配しているのを分かってだろう。鬼見月は微笑む。
「私なら大丈夫だ」
優しい声が痛くて、僕は首を横に振った。
「強がりなんだろ? 見てれば分かる」
起き上がれもしないで、相変わらず横たわったまま彼は苦笑した。
「……鬼見月、僕思い出したんだよ。ちゃんと、僕が誰か。鬼見月が望まないなら命は渡せない。でも、気ならいいでしょ?」
僕は重ねていた手を結んだ。
夏に思いを馳せ、鬼見月に渡す。
ほんの思いと、エネルギー。
「……夏の匂いだ」
「うん、そうだよ。夏だ」
自分でも久しぶりに匂った気がする。ずっと忘れていた。
鬼見月が僕の手に擦り寄って、泣きそうな顔で笑った。
「そして君だ。君は、夏気だった」
久しぶりに、ちゃんと名前を呼ばれた気がした。
「うん。そして君は鬼見月だ」
「そうだね。忘れてた。君に、呼んでほしかった名前だ」
繋がれた手が温かい。
一番初めのあの日、彼の指先に触れたのと同じように。
「本来は、手の温もりだけで十分だった。……ありがとう、夏気。私を夢から救ってくれて」
「それは僕も同じだよ。ありがとう、夢から覚めてくれて」
僕は自分を、そして彼を見た。
虹彩まで、髪の毛の一本まで鮮明に映る。
君が生きているだけでこんなに嬉しい。
あぁ、これが本当の僕だよな。彼だよな。
「鬼見月」
「うん?」
「かえろう」
「ああ」
彼が起き上がるのでそれを手伝う。
世界の黒が消えていく。狐に掛けられたあの暗い夢も、僕達の闇も。
朝日より、ずっと眩しい白だ。




