148.仕返し
ついに突入した【天界への扉】の中は、周りが虹色に輝くトンネル状のダンジョンでした。
少し離れたところには、数十万を超える大量の亡者たちがうじゃうじゃといます。全員が不快な魔力──【悪魔力】を発していて実に不愉快ですね。
……それにしても力が出ません。
理由は明確。エルマーリヤに魔力やギフトを明け渡したからでしょう。
手に魔力を込めようとしても、以前のように癒しの力は出てきません。エルマーリヤの固有魔術を使えるようになっていたのも、今となっては遠い昔の話。
やはりこの程度の魔力では、たいした力は出せないというのでしょうか。
──そのときです。
私の手を握り締めたまま空間を移動していたエルマーリヤがふと動きを止めます。
……どうしたのでしょうか。
「……エルマーリヤ?」
振り返ったエルマーリヤは、何とも言えない表情を浮かべていました。
悲しいような、寂しいような、嬉しいような。
たくさんの感情が入り混じった彼女の口から漏れ出た言葉は──。
『フランケル、あなたとはここでお別れです』
「……え?」
『あなたにはこれ以上は危険ですから』
エルマーリヤは一体なにを言っているのでしょうか。
『ここから先はわたくしが一人で行きます。フランケルはここで引き返してください』
「なぜですか? どうしてそんなことを言うのですか?」
『それは──今のあなたでは、クオリアたちと対峙できないからです』
……なるほど、私の魔力が弱まったから、もはや用済みだということですか。足手まといは邪魔だというのですね。
『そうではありません。あなたをこれ以上巻き込みたくないのです。ここから先は──わたくしたち過去の存在が解決すべき問題なのですから』
「過去も未来もへったくれもありませんわ。だって……私はあなたを支援すると決めたのですから」
『……あなたは本当に変わりませんね。だからわたくしは──』
そこまで口にしてエルマーリヤは黙り込みます。
……ぎゅ。
「あっ……」
包み込むような、柔らかい感触。
気がつくと私は、エルマーリヤに抱きしめられていました。
『……──き』
「えっ? 今なんて──」
返事の代わりに返ってきたのは、強烈な魔術。
エルマーリヤは私から身を離すと、《癒しの右手》を前に差し出しながら私に向かって魔術を放ちました。
私の周りにプリズム状の強力な魔法結界が張られます。
「これは──《聖域》?」
『フランケル、あなたはここまでです』
ここまで?
どういう意味ですか?
『あなたの気持ち、本当に嬉しかった。だからわたくしは──あなたを失いたくないのです』
え?
『フランケル──いいえユリィシア。あなたは元の世界に戻るのです。そして……これから先の世界の人々を導く光となってください。救世の英雄──【癒しの聖女】として』
癒しの聖女ですって?
それってまさか……。
「エルマーリヤ、あなたはそのために私を──あのように晒し上げる形までして聖女認定したのですか?」
『だから言いましたよね、仕返しだって』
またしても悪戯っぽく微笑むエルマーリヤ。
生気すら感じられる彼女の笑みは、なんと素敵で可憐なのでしょうか。
『あなたはわたくしを勝手にアンデッドとして蘇らせて、わたくしの唇を奪って胸を触って、挙句、手に負えないからと放置して──勝手に死んでしまいました』
「うぐっ」
まだその話がぶり返すんですかね。案外エルマーリヤも根に持つタイプなのでしょうか。
『それだけではありません。あなたは転生した後も、わたくしのわがままで渡したギフトを使いこなし、日々魔力を研鑽し、たくさんの人々を救いました。そして最後には──その全てをわたくしに渡してくれたのです。いっさい躊躇することなく──あっさりと』
おや、なんだか話の流れが変わってきましたね。
これは……。
『わたくしはあなたに、たくさんのものを与えてもらいました。だから今度はわたくしが返す番。ユリィシアには生きて──戻ってもらいます』
「そんなのイヤだ!」
到底受け入れられません。私は──あなたと行くと決めたのだから。
ですがエルマーリヤは首を左右に振ると、そっと私の体を結界ごと押します。
ゆっくりと出口に向かって動き出す私と《聖域》。彼女の作った結界は強力で、簡単には壊すこともできません。
必死にもがいているうちに、エルマーリヤとの距離がどんどん引き離されていきます。
「エルマーリヤ!」
『異論は受け付けませんよ? これは──わたくしのささやかな仕返しの続きなのですからね』
「なっ!?」
『だからわたくしは、あなたが嫌がる【聖女】の称号を与えて──現世に戻します。抗議も受け付けませんよ? だってあなたは口も聞けないわたくしに、あれやこれや好き放題したんですからね?』
「うぐぐ……」
それを言われると、何も言い返せないではありませんか。
私の反論を封じ込めて満足したのか、エルマーリヤは──最高の笑みを浮かべながら、最後の別れを告げてきます。
『さようなら──ユリィシア。元気でね』
◆
エルマーリヤが飛び去った後、私は《聖域》によって守られながら、ふわふわと出口に向かって【天界への扉】の中を漂っていました。
「……なんということでしょう」
ぽつんと一人。完全に置いてけぼりです。
遥か遠方では激しい戦闘の光が見えます。
時々レーザーのように乱舞する閃光は、ドラゴンボーンスケルトンと化したギュスターヴが暴れて放ったドラゴンブレスでしょうか。
さらには最奥──回廊のようになった異空間の終着点には、亡者たちが幾重にも折り重なっている様子が見えます。おそらくあそこにファラロンやマリスがいるのでしょう。
そこを目指して進む彗星のような白い光はエルマーリヤに違いありません。
……私はこのまま、元の世界に戻されてしまうのでしょうか。
そんなの──受け入れられません。
受け入れられるわけないではありませんか。
私は──守られるためにこの場にやってきたわけではありません。
私は──聖女となって敬われるために、生まれ変わったのではありません。
私は、死霊術師。
アンデッドたちを操り、導くもの。
私は──。
「……私をみくびるなよ、エルマーリヤ」
どうやらエルマーリヤは、私という存在の本質をまったく理解していないみたいです。
ならば一度、ちゃんと判らせる必要がありますね。
……あぁ、そういうことですか。
これが「相手を知る」ということなのですね。
たしかに、自分のことを理解してもらえないまま何かをされるのは、たとえそれが善意に基づくものだとしても納得できないものなのですね。
私はエルマーリヤに対抗するために、彼女のことをたくさん知りました。
だから今度は──彼女に私のことを知ってもらう番です。
そうと決まれば、こんな場所で道草を食ってるわけにはいきません。
「──迸れ、《鑑定眼》」
私が起動したのは、前世から引き続き私の中にまだ己に残されているギフト──《鑑定眼》。
私の右目には、エルマーリヤによって施された《聖域》の術式が映し出されます。
通常であればこれほどの大魔術を解析することなど不可能でしょう。
ですが私はつい先日《聖域》を使用しており、術式は把握しています。
そこにこの《鑑定眼》があれば──。
「ここっ!!」
私は指先に魔力を集中させ、術式の機構の中枢部にくさびを打ち込みます。
一発、二発、三発……。
──パリ――ン!!
よし、割れましたね。かなりの魔力を消費しましたが、なんとかエルマーリヤの《聖域》を破壊することに成功します。
「はぁ……はぁ……」
再び七色の異空間に放り出された私は、乱れた息を整えながら胸元に手を当てます。
ポッカリと空いた穴。僅かに残された能力の一つ、【体内ダンジョン】です。そこに手を突っ込んで取り出したのは──大小様々な形をした指輪。
【万魔殿】の鍵となる、五つの指輪です。
これを身につけていると亡者たちを自然と呼び寄せてしまうため、ずっと体内ダンジョンの中に封じていました。
ですが──今は違います。既に癒しの力はエルマーリヤに全て返却済み。であれば使用しても問題ないはずです。
魔力が弱まっているのに、呼び出すことができるのか?
そんなの愚問です。残存魔力など関係ありません。
だって【彼ら】とは──前世から続く、長い付き合いなのですから。
私は五つの指に全て指輪を嵌めると、手を天に掲げます。
「我が呼びかけに応じて、今こそ開け──【万魔殿】の扉よ!」
────ゴゴゴゴゴゴゴ……。
ここが異空間であろうが次元門であろうが、関係ありません。
国宝級魔法道具であるこの五つの指輪──【フランケルの指輪】は、世界中のどこであろうと、とある特定の場所と繋がるゲートを作り出す力を持っています。
ゲートの先にあるのは──天空を舞う『月』の洞穴に存在する秘密の場所【万魔殿】。
かの地に居るのは、空気すら存在しない『月』においても存在することができる〝特別なもの″たち。
私の呼びかけに応じて現れたのは──。
「さぁ……解き放たれよ。私の愛しい──【不死の軍団】たちよ」
『『『ギャァァァーーーーーース!!』』』
──【不死の軍団】。
私が前世を賭して集めた、大切な宝物たち。
ちょっとした城くらいの大きさがあるドラゴンボーンスケルトンのエシュロンを先頭に、私の可愛いアンデッドたちが続々と門をくぐり抜けて姿を表します。
バッグベアードの〝ベア吉″、ロイヤルスペクターの〝ロイス″、あちらには師匠から引き継いだスケルトン・ソードマスターの〝ムサシとコジロー″。
はたはたとマントをはためかせているのは、フランケル・スケルトンではありませんか。
なんだか私は嬉しくなって、思わず彼とハイタッチを交わします。前世の自分の骨とハイタッチなんて、なんだか素敵ですよね。
「「キシャーーー!!」」
7人の聖導女も健在です。横に立つヴァンパイア・ゴーストは……シャプレーですか? おやおや、居なくなったと思ったらあなたゴーストになってたんですね。
私のハンドサインに応じて、ここ異空間でも整列するアンデッドたち。その数──数百体。
あぁ……またお会いできましたね、私の愛する軍団員たちよ。
彼らの姿を見るだけで私は力が満ち溢れてくるのを感じます。
「……仕返しだ、エルマーリヤ」
私はドラゴンボーンスケルトンのエシュロンの頭蓋骨に乗りながら、遥か遠方に見える輝く白い流星のようなエルマーリヤに向かって呟きます。
「私を邪魔者扱いしやがって……。舐めるなよ、誰が真の主人であるか──魂の瑞まで思い知らせてやる!」