第1話「交点」
あなたは今、何を思っているのだろう。夕映えにあなたの顔が浮かぶ。今はどんな表情で、どんな声色で、誰と共に喋っているのだろう。
どうであっても、私は心の奥底であなたには独りでいて欲しいと願っている。
決して嫌いなどではない。でも、私を悲しませたから苦しんでほしい。苦しんで生きてほしい。
私にあんな苦渋の判断をさせたんだからそう思うのは当たり前だ。
「らしくない」と、私はあなたにそう告げた。
本当にそう思った。あなたは月日を重ねるごとにいつも通りのあなたじゃなくなっていった。
いやあなたのいつも通りが 〝あれ〟 だったんなら、会うべきじゃなかった。そんな性格のあなたにも、少しでも好意を持ってしまった時点の、昔のあなたにも。
私は静かで囁く恋をしたかった。はっちゃけたくないし、それでいて冷め切っている訳でもない。共に加減を知り、背中を預け、でも敷地に土足では踏み込まない。そんな恋愛をしたかった。
だから静かなあなたを選んだのに。だから優しいあなたを選んだのに。だから、私はあなたが好きだったのに。
らしくないと、感じてしまったから。
「稲吹、帰ろうぜぇ」
「おう……」
あの時、俺は確かに言われた。「らしくない」という言葉。
その言葉で俺は逃げ出した。恋愛なんてしてこなかったから。物語での恋愛しか知らないから。君の好意を下げたくなくて焦っていたから。そんな言い訳をするつもりはさらさらない。
でも確かに俺は焦っていた。君を失うのが怖かったんだ。あまり笑わない君が、本当に楽しめているのか分からなかった。
だから、いつもはっちゃけて何が面白いか探っていた。ときにデパートに行って、ときに水族館へ行って、ときに動物園に行って、スイーツ巡りをして、君の好みがもっと知りたかった。君をもっと知りたかっただけだったんだ。
でもそれは君のためじゃなかった。俺の行動の裏には 〝安心したい自分〟 がいたんだって事を気付かされた。
不安定な精神で恋愛はするもんじゃない。だから別れて正解だったのかもしれない。俺は本当にそう思っている。
「らしくない」と視線も合わせずに言われたあの日、君を切り捨てる判断を、決断をしたんだ。君のためにも、俺は気にしないようにすると決めた。
もう、君を好きじゃないし、好きになることなんてない。それが普通。それが当たり前だ。
俺はそういう当たり前を求めている。そういう人間を目指している。
でも、じゃあなんで時間が経った今、俺は君にまた会いたいなんて思ってしまうのだろう。
もう一度あって、しっかりと謝りたい。いや、会いたいだけなんだきっと。
――らしくない。全くその通りだ
月日が経てば、あなたを忘れられると思っていた。楽しかった日々もあったけど、苦しい日々が続いたんだ。それを忘れたくなるのは必然で、生物学的に当たり前のこと。それが普通。
でも、私はまだ忘れられていない。忘れないといけない記憶なのに、脳裏に焼き付いて離れない。
無邪気な笑顔。私の心をくすぶる言葉。ぎこちない動きの温かい手。私が笑うと足取りが早くなったこと。思い出されることは全て、楽しかった思い出だけ。
こんな思い出、早く消させてほしいのに。
また無視でも何でもして離れてよ……!
「ねぇ香澄。今度さ、勉強教えてくれない?」
私が授業のノートを広げて俯いていたからか、ちょうど勉強でもしているんだろうと勘違いをしていそうな友達が話しかけてきた。
「報酬ははずむよ」
偽りの笑顔。偽りの感情。
今の私にはとても苦しいものがある。
「分かった。トリュッセンの新作でどう?」
「まあ、いいよ」
なんでもいい。とりあえず話を終わらせたい。
「ありがと〜」
高校は楽しい。それなりに友達もできたし、言うことなはない。
でもどこか、隣に誰か立っていて欲しい。そんな気分はする。それは友達としてじゃなくて、自分を一番知ってくれる誰かがいい。つまり彼氏。
今更、復縁しようなんて思うことはない。彼氏なら今度はもっと私の条件に合った人を探したい。いや、忘れたいだけと言われたら否定できない。未練がなくなるわけないから。
次、体育か。つまらないな……
日差しが強い中、運動場に出てサッカーをしようと言うんだから、気に食わない。 仕方ないことではあるし、単位を取るためには出席しなければならないのは分かっている。
でも何血迷ったか、男女混合の時間を取るのはいかがなものか。女子が男子に勝てるわけがないのは至極当然のことで、それを分かってのことだろうか。
はっちゃけた男子のせいで女子が怪我でもしたらどうしてくれよう。
いやだな……
今頃は嫌なこと続きで、すっかりネガティブ思考が根についてしまった。早くなんとかしなければ、家に帰ってから面倒くさいことになる。
着替える最中、上の服の中で顔に笑顔を繕って気持ちを誤魔化した。
運動場に出ると、やはり日差しが強くて肌が焼かれていく感覚がする。
「香澄、パスパスしよ」
思ってはだめなのに、友達の笑顔が眩しくて、心で貶してしまう。
早くどうにかしよう……
「いいよ」
あれもこれも全て”男子”が悪い。手っ取り早く、男子どもから離れなければ、色んな意味での命の保障がない。
対面で笑顔を続ける友達をあまり見ないように移動した。
そもそも、サッカーも気に食わない。
こんなボールを蹴るだけの行動。これの何が楽しいと言うのだろうか。怪我もするし、日焼けもするし、ボールを蹴るのだから無論、足も痛い。
これほどまでの代価を支払っておいて、得られるものは結局少ない。
男子ならモテるだとかはあるかもしれないが、女子は何もないはずだ。それならまだ私は新体操などの方がいい。痛くても、健康には繋がりそうだ。
「香澄!」
「ん?」
友達がこちらに手を伸ばして慌てた顔をしている。 友達が蹴ったボールなら今、コロコロとゆっくりとこちらに向かって転がってきている。何をそんなに慌てているのだろうか。確かに軌道は若干ずれていても、そんなに慌てる必要なんてないはずだ。そもそも、綺麗にパスできる方がめずらしい。
そんな考えを巡らせている頭に突然、物理的な終止符が打たれた。
いたっ……
ボールが私のこめかみ辺りにぶつかった。力量のおかしい、込めているはずがないが、殺意を持ったような強さだ。
こんな強さのボールを蹴れるのは一定数しかいないだろう。
「ちょっ! 男子何やってんの!!」
友達はすかさず、男子の方に突っかかりに行く。 私は脳が震えてしまったようで、力を入れて立とうと奮闘したが膝から崩れた。
大丈夫、すぐ回復する。なんて言えないほどではあったが、まあいずれは回復するだろう。
それよりも今は、授業開始早々に私の危惧していた事を起こした男子が誰かを見てやろう。そう決めて周りを見ると、音が次第に消えていった。
「――、――――……?」
あれ……
「――!!」
おかしいな……
「あ、起きた?」
気づけば私は保健室のベッドの上にいた。
「大丈夫? どこか痛い場所はない?」
先生はバインダーを持って、横のベッドに座った。
「大丈夫です」
そっか、体育でボールが頭に当たったんだったけ……
痛い場所はないと答えたが、まだやっぱり患部がじんじんと静かに脈打って痛む。
その様子を見ながら、先生は微笑んだ。
「軽く脳が震えちゃっただけっぽいから、帰りたかったら安心していつでも帰って大丈夫だからね」
「はい、ありがとうございます」
男子、むかつく……
「あ、でもその様子ならちゃんと氷で患部は冷やしといてね」
「分かりました」
先生が指さすベッド脇の机を見ると、氷が入った袋が置いてあった。
ここはとても静かな場所だ。綺麗な空気と心地よい温度。先生も優しくて包み込むような声を発する。体育のあのむさ苦しい感覚はない。
すべすべしてひんやりした布団。息がとてもしやすくて、いくらでもここにいられるような気がする。
あまり騒がしいのは得意じゃない。色んな情報があるし、長く居ると頭が痛くなってくる。
氷の入った袋の冷たさに驚きながら、何気なく視界に入った時計を確認すると、体育の時間はちょうど終わっていた。
今ちょうど終わったところか……
少しだけ、とベッドにまた寝転ぶと、それを阻止するかのようにチャイムが廊下から響いた。
うーん……
この部屋なら、先生がいるのに静かだし、ネガティブ思想を少し変えられる可能性があったのに、私は今帰れるなら帰れる状態。
つまりは次の授業も多めに見てくれるなんてことは起きないのだ。
やむを得ず、チャイムの最期の音の余韻が鳴り止んだ後、むくりと起き上がり、保健室の先生にお礼を告げて教室に帰った。
まあ、そもそもとして友達も心配するだろう。
「香澄! 大丈夫?」
案の定、友達は心配そうに廊下を走って保健室に向かって来てくれている最中だった。
「大丈夫だよ」
「ならよかった……。いきなり倒れたからびっくりしたよ」
「心配かけたね」
「ほんとだよー……」
友達を慰めながら教室に入ると、数人の男子が駆け寄ってきた。忌々しい元凶だ。
「玉乃さんごめん!」
思った通り、サッカー部だ。どうせ何か起こすとは思っていた。はっちゃけて、人様に迷惑をかけるとは思っていた。だから、嫌いなんだ。サッカー部にいい思い出がない。
「大丈夫です」
そんなことないのに、媚びへつらわないと生きていけない世の中は終わっている。
ねちねちと頭の中で男子に怒りをぶつける。この恨みは元カレに向けてでもある。
全くもって最悪な一日だ。
「ほんと、悪いな。うちの馬鹿が。痛いでしょ」
そう穏やかで、静かな口調の男子が申し訳なさそうに患部に当てている氷に触れた。
「いえ、大丈夫ですよ」
佐江月さんか……
学校内ではイケメンだとか言われている物静かな男子だ。俗に言うクール系イケメンというやつだろう。
私は何とも思っていないが、友達はその美貌に目がハートになっていた。少し、元彼に似ているから変な気分になる。
「つ、次からは気をつけなさいよ」
友達はちらちらと視線を佐江月さんに向けて、ちぐはぐな様子でそう怒った。もはや、怒っているようには見えないとツッコミを入れたかったが、友達にそそくさと席まで引っ張られていうタイミングを失った。
「やばい。佐江月くんと目が合っちゃった」
「それがどうしたの?」
「だって、あんな顔初めてみたし!」
友達はひどく興奮しているようで、足を机の下でばたつかせ、髪をくるくるといじりだした。
そんなにあの人と喋れて嬉しいのだろうか。私にはイケメンだとかに全く興味はない。ただ一緒に居て心地良い人を探しているから、正直言ってどうだっていい。
「よかったね」
淡々と言葉を吐くと、友達は対称にため息を吐きながら片方の口角だけを上げた。いかにも不満感を抱いている様子。
「な、なに?」
今度は口を大きく横に伸ばして、顎と眉を上げて、視線をずらした。
よっぽど癪に障ることを言ってしまったんだろうか。
「謝ったほうがいい?」
「いーや。でも、なんで香澄はイケメンに靡かないかなー」
ご不満な友達から、休み時間いっぱいに佐江月さんの猛アピールを聞かされ続けた。
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