欠如の道理(けつじょのどうり) その3~竹丸、朝廷の闇を知る~
何の商売をやってるのか知らないが、こざっぱりした水干・括り袴に萎え烏帽子と見た目はごく普通の庶民。
顔は日焼けした肌に頬骨がめだつが、目じりの下がった人当たりのよさそうな風貌。
澱みのない『立て板に水』の語り口で、ずっと聞いてると眠くなるような心地いい名調子。
久万に紹介された斗恩が風呂敷包みを開いて、緑色と白が斑模様になった翡翠の丸い玉が連なった数珠を取り出して客に見えるように持ち上げた。
遠目だからあんまりよく見えないけど、何の変哲もない数珠。
斗恩はオホンッ!と喉を整え、次のような長い物語を流暢に話し始めた。
「平安宮の陰陽寮には、時間を測るための巨大な水時計『漏刻』が設置されています。
これは何段もの水槽(漏壺)を階段状に並べ、一定の速度で水を滴らせて浮き矢を上昇させる、現在の最先端精密機械です。
宮中の時刻を司るため、この装置は一日中止まることが許されず、『漏刻博士』と呼ばれる専門技術者が、その複雑な配管と水量の維持を命懸けで点検していました。
ある嵐の夜、点検に当たっていた漏刻博士の若き助手が、密室内から忽然と姿を消しました。
翌朝、水槽の底からは『ガリガリ』という不気味な音が響き、最下段の吐水口からは、赤く濁った水が混じり始めました。
陰陽寮の官人たちは口々に
『時間を司る水の神が、不敬な若者を飲み込んで生贄にしたのだ。』
『嵐の夜に、水槽の中に棲む水霊が異界の門を開いた。』
『清浄な水時計を汚した怨霊の呪いである。』
と噂し、人々は恐怖し、装置の稼働を止めて大規模な祓を行うべきだと騒ぎ立てました。
しかし、主任の漏刻博士は、青ざめながらも『水の動きの道理』に照らし合わせ、起きた惨劇を理解していました。
嵐による大雨で、外部の排水溝が溢れ、装置内の水位が異常上昇しました。
この時、排水効率を上げるために設計された隠し管内で『隙間のない管に液体を満たし、出発点が目的地点よりも高い位置にあるとき、途中に出発点より高い位置があってもその高い地点を越えて液体を低い場所へ流す(吸い上げる)現象』(*作者注1)による猛烈な吸引力(負圧)が発生しました。
助手は、詰まりを確認するために、本来は開けてはいけない『高低差の大きい水槽同士を繋ぐ狭い迂回管』の点検蓋を、独断で開けてしまいました。
水圧がかかった狭い管に、助手の腕、そして身体が、吸い込まれるように引きずり込まれました。
『重力によって落ちる水』が持つ数十石(数トン)の圧力が、彼の身体を複雑に曲がった銅製の配管内へと、文字通り『押し潰しながら』流し込んでしまったのです。
漏刻博士は、装置を止めれば国家の時間が狂い、自身の進退に関わることを恐れ、『これは神隠しである』という迷信をあえて追認しました。
そして、助手の遺骸の一部が詰まった配管を、深夜に密かに清掃し、何事もなかったかのように精密な時間を刻み続けさせました。
漏刻博士は
『精緻な体制・機構を維持するためには、時に人間がその歯車に殺されても致し方ない』
という言葉を残したそうです。
その事故にあった漏刻助手の数珠が、まさにっ!このっ!!翡翠の数珠なのですっ!!」
斗恩が緑の数珠を手に持ち、上に高々と掲げ、それを見た客たちは
「おぉ~~~~っ!」
とか
「はぁ~~~~~っ」
などの感嘆の声を漏らした。
私も思わず
「へぇ~~~~~っっ!!!そうなんだ~~~~っっ!!スゴイっっ!!」
とすっかり感心して声を上げた。
だけど、正直に言うと斗恩の説明は何ひとつ理解できなかった。
う~~~ん?と疑問が湧く。
まず、『漏刻』が高い水槽から低い水槽へと水を流して時間経過を測るための最先端技術であることは分かったが、なぜ大雨で逆流するのか、なぜ『迂回管』や『隠し管』があるのか、数十石もの大量の水をどこからあの大内裏にある陰陽寮へ流し込んでいるのか、が全く理解できなかった。
でも、助手が管に吸い込まれて死んだときの様子をあれだけ詳細に語ることができるなら、きっと事実に違いないっ!!
いつのことか知らないけど、過去に、悲しい、痛ましい事故が起き、それを朝廷が我々庶民にはひた隠しにした!!に違いないっ!!
『精緻で厳格な組織体制の運営』には『理不尽な犠牲がつきもの!』に違いないっ!!
と心の底から信じ、納得した。
斗恩は朗々と皆に語りかける。
「この数珠は亡き漏刻助手の理不尽な死に対する恨みの念がこもっているのです!
私はこの数珠を腕につけている間ずっと、水に溺れる夢を見続け、充分な睡眠がとれません。
いつも水中で息ができないときのように息苦しくなり目が覚めてしまうのです!
この数珠は持ち主を溺死の悪夢へといざなう呪物なのです。」
「ひぃっっ!!!」
「うわっっっ」
「怖いっっ・・・・」
客が口々に恐怖の叫び声を上げた。
その中でも
「キャァーーーーッッ!!」
と悲鳴があがったと思ったら、私たちの斜め前に座ってた二人組の女性のうちの一人が、崩れ落ちるようにして床に倒れ込んだ。
若殿が立ち上がって素早く駆け寄り、鼻の下に指をあてて呼吸を確認し、手首に触れて脈をとって
「大丈夫。気を失ってるだけだ。」
周囲がザワザワし始めると、今度はあちこちから悲鳴があがり
「あっ!あのっ!どうしましょうっ!
ゆ、友人が気を失いました!」
と手を上げる人もいれば
「すいませんっ!隣に座ってる人も倒れましたっ!どうすればいいですかっ?!」
と叫び声をあげる人もいた。
(その4へつづく)
(*作者注1:サイフォンの原理)




