権現の慈悲(ごんげんのじひ) その4~竹丸、慈悲の意味を考える~
生まれてみると、想像通りにいかなくてガッカリしたんだろうけど、責任を妹や本地阿闍梨に丸投げするのはいかがなものか。
その後の妙吉丸母の話を要約すると、妙吉丸の父親は川で魚を獲り、母親は縫物をして銭を稼いでいるが、妙吉丸が稚児だった頃は寺が三食付きで面倒を見てくれたからまだやっていけたが、一年半前に寺を追放されてからは、狭い建物に、体格が大人に近い少年が力任せに暴れまわるのをなだめるだけでも大変なのに、その上、食費もかさみ生活が苦しいとのこと。
予言を聞いた直後は、『妙吉丸が偉大な阿闍梨になり、大きい寺を任されるような大出世を遂げる』と想像して期待して、生まれるのを待望してたのに、現実は正反対ですっかり絶望しているとのこと。
足を荒々しく踏み鳴らし、近くにいる私たちのことが、まるで見えてないかのように無視して走り去った、妙吉丸の姿を思い返した。
同じ世界の同じ時に、手の届く距離にいるのに、妙吉丸とは意思疎通もままならない。
そんな相手を、無理やりこちらの世界の規則に従わせようとするのは困難だと思う。
異世界に生きる妙吉丸とこの世界との接点を作ろうと、板挟みになって奔走する妹の健気な姿に、尊く気高い菩薩の魂を垣間見たような気がした。
関白邸への帰り道、若殿と巌谷が妙吉丸の処遇をどうするかについて話し合ってるのを聞いて
「え?じゃあ、妙吉丸が連続強姦未遂事件の犯人なんですか?」
若殿が振り返り、険しい表情で頷き
「そうだ。
殊室利寺の仏像にしたイタズラとは、仏像を女体に見立て、己の精液をこすりつけるという冒涜行為だった。
連続強姦未遂事件の被害者にしたのと同じ方法だ。
それに殊室利寺で汚された仏像は波唯虚寺に移されたそうだから、そのことを知った妙吉丸はその仏像への執着を捨てきれず、波唯虚寺に通ううちに被害女性たちを見かけ、衝動が抑えきれず生身の女性への犯行に及んだんだろうな。」
その数週間後、弾正台がいよいよ妙吉丸の逮捕に踏み切ろうとしたちょうどその日、妙吉丸が死亡したという報せが届いた。
詳細を記した巌谷からの文によると、妙吉丸は数日前から局部が腫れ、高熱に浮かされ寝込んでいたが、衰弱が進み死亡したという。
それを知った若殿が、無言でどこかへ出かけようとするので慌ててついていった。
行先は波唯虚寺で、若殿は、噂通りの朽ち果てた蜘蛛の巣だらけのお堂に入り、安置してある仏像の背中を調べた。
調べ終えるとまた無言でスタスタと歩き出すので、説明してくれないことにしびれを切らし思わず
「待ってくださいよっ!!
一体なぜ、妙吉丸が執着して汚した仏像を調べたんですか?
すでに妙吉丸は死んでしまったし、強姦未遂犯として逮捕もできませんよね?
調べて何の意味があるんですか?」
若殿は無表情のまま歩き続けながら
「被害女性たちはなぜ波唯虚寺にいるところを襲われた?」
「え?
運気が上がるって言われて、お参りにきたとき、偶然、妙吉丸に見つかって、じゃないんですか?」
若殿はその問いを無視して
「妙吉丸の死因は波唯虚寺の仏像にこすりつけていた局部から入った、菌や毒が原因で高熱が出たことによる。」
「はぁっっ??!!
そうなんですかっ??!!
じゃあ自業自得ですよね?
そんなことやめればよかったんですからっ!!
仏罰があたったんですか?」
若殿がギュッ!と眉根を寄せ、吐き捨てるように
「稚児灌頂という邪な理屈による理不尽な凌辱に耐えていた『観音菩薩の化身』である八王丸は、波唯虚寺に女性たちを誘導することで、妙吉丸に餌を与え、本地阿闍梨を強姦犯に仕立てあげ、復讐したかったのかもしれない。
また、予想の付かない暴力的な行為におびえつつ、毎日の世話を押し付けられていた妹は、妙吉丸の行動パターンを把握しており、その死によって最も救われるのは、彼女だ。
理不尽な苦労を強いられる現状を、菩薩のような慈悲心により乗り越えていたように傍からは見えるが、現実はそれほど甘くなかった。
彼女はとっくに我慢の限界を超えていたのではないか?
だから、仏像に毒や汚物を塗りつけるという細工をして、妙吉丸を死に追いやったのかもしれない。
困難の実像も知らず蚊帳の外にいる我々が、彼女を非難する資格があるとは、私には到底思えない。」
と呟いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
何が『善』で何が『悪』か、何が『正しく』て何が『間違っている』のか、誰にとっての『慈悲』で、誰のための『無慈悲』なのか、立場が変わると感じ方も意味も変わり、『最善の策』とは単に『最大多数にとって都合の良い解決策』、というだけのことだと思います。
時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。