権現の慈悲(ごんげんのじひ) その3~竹丸、もう一人の菩薩に会う~
巌谷が怯まず睨み返し
「つかぬ事をお聞きしますが、ここ一年以内に波唯虚寺に立ち寄ったことは何回ぐらいおありですか?」
本地阿闍梨はボリボリと無造作に伸びかけのゴマ塩坊主頭を掻き
「さぁ?数えておりませんが、修行のために西の山へ度々出かけるものですから、波唯虚寺はその途中にあるでしょう?何度も通りがかってはおりますなぁ。
だが波唯虚寺周辺は住民も絶え、住職として寺に住む者もいなくなって以来、すっかり荒れ果てて見る影も無くなりましたな。
惜しい事です。」
若殿が
「妙吉丸という少年は菩薩の生まれ変わりとあなたが予言されたのでしょう?
なぜ放逐されることになったんですか?」
本地阿闍梨が不愉快そうに口をへの字に曲げ、
「菩薩というのは凡百の月並みな人間とは凡そ違うものでしょう?
そういう意味では私の予言は正しかった。
ただ変わり者ゆえに、我が寺にはそぐわなかったというだけのことです。」
呟くとグッと引き結んで口を閉ざした。
本地阿闍梨との面会を終え、帰るのかと思ったら、若殿は次に八王丸を引き留め、話を聞きたいと言った。
八王丸は了承して、運命診断を待つ人々の間を抜け、御簾で隔てた北廂に私たちを導いた。
若殿が
「あなたの師である本地阿闍梨は信頼のおける人物ですか?」
八王丸は目を丸くして
「もちろん!
山での修行が嘘だと思ってるんですか?
私もお伴したことがありますが、短くて一週間、長い時はひと月も山に籠って、一日中ただひたすら経を唱え、山中を歩き続けるという修行をなさっています。
仏の道に暗い人々にも分かりやすく丁寧に教えを説いてくださる、立派な方です。
もちろん、私も師や兄弟子僧たちに身を捧げ献身的にご奉仕して、徳を積んでおります。」
う~~~~ん。
せっかく美しく生まれついても、置かれた環境が悲惨なら気の毒としか思えない。
若殿が八王丸を鋭く見つめ
「妙吉丸は文殊菩薩の生まれ変わりだそうですね?
なのになぜ寺から追放されたんですか?」
八王丸は思い出すだけでゾッとする!とでもいうように、ブルッ!と身を震わせ
「あんなヤツ菩薩の化身なんかじゃありませんっ!!
文字もろくに読めず、経を憶えることもできず、何かの拍子に突然怒りだし、奇声を発して物を壊して暴れまわる『猿』です。
挙句の果てに、大事な観音菩薩に汚らわしいイタズラをして冒涜したんです。
追放されて当然です!
歳が近いので、幼いころから何かと比べられましたが、不愉快でたまりませんでした。
あいつは生まれつき尊いとみなされてましたから、好き勝手なことをしても周りから叱られもせず、もてはやされていましたよ。
私は今の地位を築くまでに、あんなに苦労したのにっ!!」
歯ぎしりして悔しそうな恨めしそうな表情。
次に、私たちは妙吉丸の住まいを訪れた。
殊室利寺から近く、朽ちた板塀に囲まれた一棟の高床の建物だった。
御簾の中に向かって巌谷が弾正台の役人だと名乗ると、御簾を押して中年女性が出てきて、オドオドと
「は、はい。ではどうぞおあがりになってください。」
階段を上がり、母屋の中へ通してくれるかと思ったら、そのまま南廂に座るように促され
「何の御用でしょう?」
おっかなびっくりに問いかける。
若殿が
「妙吉丸と面会したいのですが」
と言ったとたん、ドンドンと足を踏み鳴らす音がして、御簾が跳ね上がり、南廂に筒袖・袴姿の男が出てきたと思ったらドスンと庭に飛び降り、裸足のまま私たちの方も見ず、門の外へ走り去ってしまった。
あまりにも一瞬のことにあっけにとられていると、追いかけるように御簾の中から十四才ぐらいの少女が飛び出し、庭に飛び降りた。
沓脱にある自分の草履をはき終えると、一回り大きい草履を手に取った。
不意に私たちに気づいたようにこちらを見て、目があうとペコリと頭を下げ、中年女性に向かって
「兄さんを追いかけてきます。またいつもの散歩だと思うけど。」
と言い放つと、男と同じ方向へ走っていった。
中年女性は『はぁ~~~~~っ』と深いため息をつき
「あれが妙吉丸です。追いかけたのは妹です。
昔、あれがまだお腹にいるときに本地阿闍梨に運命診断を受けました。
その時
『あなたは文殊菩薩をこの世に産み落とす宿命がある。その腹の子はまさに、文殊菩薩の化身である。』
と予言され、バカなことに、それをすっかり信じてしまいました。
生まれてみれば、まるで獣のように暴れまわる、知恵の足りない子で・・・・・。
言葉も上手く話せず、奇声を発するのがやっとなのに、最近は力だけはどんどん強くなって。
一度暴れ始めると妹だけでは抑えきれず、本当に困っているんです。
このままではいつか誰かに大きな迷惑をかけるかもしれないと心配でたまらず、夜もゆっくり眠れません。
もう一度、殊室利寺であずかって欲しいとお願いしているんですが、本地阿闍梨には冷たく断られました。
予言したのならちゃんと責任を取ってほしいのにっ・・・・。
まったくっ!信じられません!
あぁっ!!!
生まれるまでは、あんなに楽しみだったのに・・・・。
あんなのが生れるなんてっ!!
もうどうしたらいいか・・・・・」
もう一度『はぁ~~~~~~~っっ』と深いため息をつき、床を見つめジッと黙り込んだ。
(その4へつづく)