天真爛漫の黒漆(てんしんらんまんのくろうるし) その3~竹丸、艶めく装いに隠された本質を知る~
嬉河原は関白家を訪れた時のように、パリッとした高級そうな水干・袴・烏帽子姿で、妻も貴族の奥方が着るような、重ね色目が美しい単姿。
対面して座ると、若殿がすぐに口を開いた。
「娘さんが毒を飲んだのは、なぜですか?」
嬉河原は昨日ほどビクついてはおらず、硬い表情のまま、若殿をジッと見つめ
「じ、実は、娘は私の目の前で、自ら毒をあおったのです。
止めればよかったのですが、あっという間の出来事で、間に合わなかった。
今でも後悔しています。」
若殿が妻に視線を移し
「あなたも同じ意見ですか?娘さんは自殺したと?」
妻はビクッと肩を震わせたが、ゆっくりと頷いた。
若殿が静かに続ける。
「大和国から生漆を運ぶ行商の拿冶使夫妻とは家族ぐるみで仲が良いそうですね?」
嬉河原が頷くと、続けて
「あなた方の娘の潤朱さんは、拿冶使夫妻とともに大和国まで長旅をしたと聞きましたが、そうなんですか?」
嬉河原は無言で頷く。
若殿は嬉河原をジッと睨み付け
「拿冶使さんの奧さんは、あなたが潤朱さんに毒を飲むことを強要するのを見たと証言しています。
娘さんはあなたに毒を無理やり飲まされたのか、自ら進んで飲んだのか、どちらかが嘘ですよね?」
嬉河原はジッと固まったまま空の一点を見つめ黙り込んだ。
若殿が睨み付けながら
「娘さんは大和国までの長い道のりを苦にもせず同行するほど健康で拿冶使夫妻に惚れ込んでいるうえ、荷を市で高値で売り、銭を稼ぐことができるほど有能な娘さんだ。
自ら毒をあおぐとは思えない。
そして、拿冶使さんが嘘をついて、商売相手のあなたを破滅させても利点はない。
ということはあなたが娘に強要して毒を飲ませたのが事実ですね?」
ひと呼吸おいて、二人の反応を確かめるように視線を動かした。
嬉河原夫妻が無反応でも、気にせず若殿が続ける。
「ではなぜ、あなたは、愛する娘に毒を飲ませたのか?
潤朱の持ち物の中に、黒ずんだ刀子と漆壺があった。
市での売り上げの一部を銭で受け取り、懐に余裕のあった潤朱は酒をヒョウタンで購入した。
大和国で漆掻きを体験し、身につけた潤朱は毒の木を・・・・症状から考えて夾竹桃だと考えられるが、その幹や枝を傷つけ樹液を刀子でかき取って漆壺に蓄えた。
何度も繰り返し、殺すのに十分な量の夾竹桃の樹液を集め終わるとヒョウタンの酒に混ぜ、憎い相手を殺そうとした。
その相手とは?
あなたがた両親?には有り余るほどの愛情を注がれており、不満は無い。
とすると・・・・」
いきなり嬉河原が若殿を遮り大声を出した。
「拿冶使の奧さんです!
潤朱は拿冶使と恋人関係にあり、邪魔になった妻を抹殺しようと企んだのですっ!
我が娘ながら恐ろしいっっ!ひとでなしの鬼だっ!!
拿冶使夫妻に四六時中べったりだったのは拿冶使を愛していたからですっ!
いつごろから二人が関係を持ったのかは知りませんが、あの日、潤朱がヒョウタンを私に見せ
『拿冶使さんの奧さんにお酒をあげるの!いつもよくしてくれてるお礼!あの人お酒が好きだから!』
と言ったのですが、その前に、漆壺から白い液体をヒョウタンに入れているところを見た私は
『何をしたんだ!ヒョウタンに何を入れた?!』
と叱ると、黙り込んで何も答えないので
『お前が飲め!今すぐ飲めっ!飲まないとどうなるかわかってるな?』
と脅しました。
すると娘は私にあてつけるように、ヒョウタンを飲み干したのです!
苦しみだした娘を見て、本当に毒が入ってたと知りました。
愕然としました。
娘が、手塩にかけて大事に育てた娘が!人殺しを企むような人間だったなんてっ!!
一体どうすればいいのか・・・・!!ああっっ!!!」
嬉河原はワナワナと両手を震わせ、顔を覆うと、『ううっ・・・』と低く呻いた。
妻も涙を袖で拭っている。
後日、若殿が拿冶使の夫を問い詰めると、以前から潤朱と恋人関係にあったことを認めた。
潤朱が拿冶使の妻の殺害を企てたことを告げると、拿冶使は驚いたように目を丸くし
「まさか・・・・!」
と呆然とした。
帰り道、すっかり日が落ち真っ暗になった夜気には、夏至前だというのに、熾火のように、昼間の灼熱の余韻があった。
商売上手で働き者!甘え上手で天真爛漫!の完璧な娘の、裏の顔が妻帯者とのドロドロ不倫!からの邪魔妻の毒殺未遂!という『鬼』だったことに衝撃を受け
「漆器って黒漆で上から塗りつぶしてしまえば、下地が汚れてても隠せますよね?
潤朱は周囲の人に表面の美しい部分しか見せてなかったんですね~~~!漆器みたいに!」
若殿は漆黒の闇の中に潜む、魔物を見極めようとするかのように凝視し、
「最近開発された技法の研出蒔絵では、塗り重ねた漆を削って出てくるものは、金や螺鈿の美しい紋様だが、潤朱の場合、有能・善良・無邪気という上塗りを剥がして出てきたものは、略奪不倫や殺人未遂という、穢れた欲望による悪行だけ、だったな。」
ポツリと呟いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
『漆は一旦硬化すると熱や湿気、酸、アルカリ、アルコール、油にも強い。腐敗防止、防虫の効果もある』って今でも十分な性能の塗料って、天然スゴイ!の一言です。
時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。