天真爛漫の黒漆(てんしんらんまんのくろうるし) その1~竹丸、陰気な漆器売りを気にかける~
【あらすじ:時平様の母君がひいきにしてる漆器売りは、商談なのにいつもの調子が出なくて、上の空で沈みがち。その漆器売りが娘を毒殺しようとしてたとの目撃談を聞いたからには、時平様が腕を鳴らして真相解明に乗り出した。漆器よりも器の中身に興味がある私は、従者のプライドにかけて、どこまでもネバネバまとわりつく!】
私の名前は竹丸。
歳は十になったばかりだ。
平安の現在、宇多天皇の御代、日本で権勢随一を誇る関白太政大臣・藤原基経様の長男で蔵人頭兼右近衛権中将・藤原時平様に仕える侍従である。
私の直の主の若殿・時平様はというと、何やら、六歳ぐらいの小さな姫に夢中。
宇多帝の別宅に訳アリで、隠し育てられている姫を溺愛していて、周囲に気づかれていないと思っているが、使用人はじめ母君・大奥様にもバレバレ。
若殿いわく「妹として可愛がっている」。
でも姫が絡むと、はたから見てもみっともないくらい動揺する。
従者としては、たかが小さな女の子に振り回されてる姿はいかがなものか。
今回は、漆って塗料として優れてたんですよね!というお話・・・・ではありません。
数日前までの、ジメジメ続いた曇り空に、『お願いだからもう一度戻ってきて~~~!!』と懇願したくなるほど、晴れて、灼熱が地上を焼き尽くす六月のある日のこと。
関白邸に、大奥様が贔屓にしてる漆器売りが商品を持って訪ねてきた。
いつものように大奥様が、漆器(今回は飯椀)を何点か買い、買い物高揚のウキウキと浮かれた声で、
「次回は奮発して蒔絵(漆で描いた模様に金粉や銀粉を蒔き付けて定着させるもの)の硯箱でも買おうかしら?お手頃なのを見繕ってくださる?」
漆器売りの顔を覗き込むように微笑むけど、その漆器売りは沈んだ表情で大奥様を無視して俯き、黙り込んでた。
え?
若殿の第一の従者である私が、なぜ今、大奥様の室にいるかって?
それはさっき、私が侍所でゴロゴロしてると、漆器売りが大奥様を訪ねてやってきて、北の対へ案内したついでに、暇だからそこに居座って大奥様の買い物を見てたからってだけ。
漆器売りは、富裕な貴族に高級品を売りつける『御用聞き商人』ならではの、血色のいい肌と、愛想笑いしすぎて痕の付いた口の端・目尻の皺、が特徴的で、高級そうな水干・袴と烏帽子にいい匂いの香を焚き染めてる。
四十前半ぐらいの物腰の柔らかい男性だけど、目の下がたるんで隈ができてるところだけは、陰気な雰囲気を漂わせてた。
話しかけても無視された大奥様が、怪訝そうに見つめてると、漆器売りがハッ!と気を取り直して
「はいっ?!ええっ!もちろんですともっ!
蒔絵の硯箱ですね!ご用意しますともっ!
当方は木工寮の漆工出身の職人を抱えた工房とも多数、取引がございますので、そちらに確認いたしまして、ご用意できましたら、すぐにお持ちいたします。」
手をこすりながら、満面の愛想笑いで大奥様のご機嫌をうかがった。
そこへ、御簾越しの南廂に人影が見えて
「母上、来客中失礼します。竹丸はそこにいますか?」
遠慮気味の若殿の声。
大奥様が
「まぁ、太郎なの?竹丸?ええ、ここにいますよ。漆器を買ったのよ!見せてあげるから、あなたもお入りなさい。」
上ずった嬉しそうな声。
まぁね~~~~。
世の大半の年頃の息子同様、十九歳で男盛りの太郎君と、息子大好き!溺愛!母君が、面と向かってまともに会話する機会なんて滅多に無い!から、大奥様的には若殿と話したくてウズウズしてるようだ。
御簾を押して若殿が入ってきて、大奥様の後ろに控えてる私を見つけて
「長居するつもりはありません。竹丸を伴に連れていきたいところがあるんです。」
大奥様は引き留めるためか、慌てて立ち上がり、若殿の袖を引いて座らせ、購入したばかりの漆器の椀を押し付けるように手渡した。
若殿は渋々、それらの出来を隅々まで点検するように眺めながら、漆器売りに何気なく話しかけた。
「研出蒔絵という技法が最近開発されたと聞きましたが、どんなものですか?扱っていますか?」
漆器売りはまたボンヤリと物思いにふけってたらしく、若殿の質問をガン無視した。
今度は私たち三人の怪訝な視線がつき刺さってることに、しばらくしてから気づきビクッ!と体を震わせ、私たちを見返した。
若殿が
「何か心配事があるんですか?心ここにあらずでは、商談も捗らないでしょう?」
・・・・いや。少なくとも大奥様はフツーに買い物してた。
漆器売りは、今度は落ち込んだ表情を取り繕わず、項垂れ、
「・・・・はい。
実は、娘が、・・・まだ十五の娘が、病の床に伏してしまい、いつ目覚めるかもわからない状態なのです。」
若殿が眉を上げ、興味を示し
「症状はどんなものですか?医師を紹介できるかもしれません。」
漆器売りはゴクッ!と喉を鳴らし、ためらったあと、
「ええっと、確か、腹痛があり、嘔吐・下痢したあと、全身に痙攣が起きました。
医師に脈を見てもらったところ、速くなったり遅くなったりと一定せず、危険な状態だと言われました。
その後、ぐったりして、呼吸が微かになり、眠ったような状態が続いています。」
若殿がキラッ!と目を光らせ
「毒を飲んだ時のような症状ですね?心当たりは?」
漆器売りはギクッ!と焦ったようにブンブン首を横に振り
「いいえっ!まさかっ!ありません!
ではこれで失礼しますっ!
次のお客様との約束がありますので!」
慌てて立ち上がって、挨拶もそこそこに、逃げるように立ち去った。
次の日の午後、弾正台の巌谷が若殿を訪ねてきて、出居で対面するなり開口一番
「『娘が実の父親に毒を飲まされたところを見た』と訴えた女性がいるんですが、ご興味がおありですか?」
太い眉の下のギョロッとした目を剥いて身を乗り出した。
う~~~ん。
毒・・・?
どこかで聞いたような・・・・
「あっ!その父親って、もしかして漆器売りをしてますか?
昨日、ここにきた漆器売りの様子が変でした!
娘が毒を飲んだ症状が出て、意識不明になったって!」
巌谷が驚いたように眉を上げ、頷き
「そうだ。嬉河原という漆器売りの男だ。」
(その2へつづく)