救済の思惟像(きゅうさいのしいぞう) その3~竹丸、予防により悲しみは減るのかを考える~
若殿が顎に添えた指を離し、まだ『心ここにあらず』のような声で
「おそらく、血の巡りが関係する病の危険度を予測したんだ。
『段階が上の下』ということは、危険度は高いが、それほど程度は進んでないという事だろう。
脈は、心臓から全身に送り出されるとき、血が管の中を通り、その管を押すことで起きる。
その脈を、頸と手首の二カ所で測るということは・・・・・あっ!そうかっ!そういうことかっ!」
何かをひらめいたよう。
「何ですかっ!?教えてくださいっ!!」
若殿は快活な笑みを浮かべ
「なるほどっ!布袋さんっ!!少しいいですか?」
布袋が次の患者に取り掛かろうとするそばに近づき、
「あなたは頸と手首の脈の時間のズレを測っているんですね?
頸の方が少し脈打つのが速く、手首が少し遅いというような?」
布袋が驚きの表情で
「そうです!まさに!頸と手首の脈には、ほんの、細心の注意を払わなければ気づかないほどの、わずかな時間差がありますが、その差が小さければ小さい程、血管が硬く、『血の巡りが関係する病』が進んでいる事に気づいたんです!
逆に差が大きい程、血管は柔らかく、健康なのです!」
「弥勒菩薩が思惟像で頬に指を添える姿を見て、頸に手を当てて脈をとることを思いついたんですね?」
布袋はウンと頷き
「そうです。お告げだと思いました。そして上手くいったのです!
その差に気づいたとき、その後の患者の経過を観察すると、頸と手首の脈に時間差が無いいわゆる『血管が硬い』患者は肝陽上亢(怒りっぽい、めまい、頭痛、顔が赤い)や胸の痛み、卒中や腎虚・水腫の症状が多い事を発見しました(*作者注:いずれも高血圧によっておこる病)。
ですから、脈で『血管が硬い』症状が出た患者に、予防的に治療薬を与えると、重病になる割合が下がったのです!」
(*作者注:「心臓が拍動した瞬間、血液が大動脈から末梢へ向かって圧力の波(脈波)として伝わっていきます。この脈波が、首の頸動脈に現れるのは早く、手首に届くのはわずかに遅れる。この 到達時間の差(≒脈波伝播時間)と、血管の硬さ・圧力には密接な関係があるため、・ 時間が短ければ血圧が高い傾向・ 時間が長ければ血圧が低い傾向という相関があります。」これを使って血圧を測ったことにしました。)
なるほど~~~!!
『血管が硬い』という兆候をいち早くとらえることができれば、最悪の事態になることを防げるというワケかぁ~~~!
すっかり感心してスゴイっ!と思った。
その後、若殿は
「布袋どのが患者を毒殺したという噂を広めた人を見つけたなら弾正台に届け出るように」
と集まった患者たちに言い渡し、弾正台は噂の出所となる犯人に聞き取り調査するという結論になった。
でも、今も阿逸多先生の私的施薬院には健康診断を待つ人々があふれていて、そんな不穏な噂などすぐに消えてなくなりそうな気配。
眩しい夕日が橙色に霞んだ空を染めるのを見ながら、トボトボ帰宅する途中、イヤな想像をして寂しくなり、若殿に
「布袋さんの母君のような突然死(心筋梗塞、脳梗塞)を防げるなら、あの『弥勒菩薩式脈診』が世の中に広まり、予防的に薬を飲めたらいいですよね~~~!!
だって、好きな人が突然いなくなるって悲しすぎますっっ!
想像するだけで耐えられませんっ!泣きそうになりますっ!!」
若殿は眩しい夕日を手で覆いながら
「私は可能なら卒中や発作で、誰にも知られず突然、死にたい。
死期を知りながら苦しんでいる姿を眺めるだけで救う手立てもなく手の尽くしようもない、という地獄の苦しみを、愛する人々に与えたくないからな。」
ポツリと呟いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
苦しむ姿は、見るのも見せるのも嫌です~~!
時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。