救済の思惟像(きゅうさいのしいぞう) その2~竹丸、件の予知診察に立ち会う~
巌谷がベタっとした真黒で太い眉をひそめ
「布袋どのの話によると、子供の頃、母と大和国へ出かけた時、ある寺で弥勒菩薩半跏思惟像を見て感銘を受けたらしい。
母の死後、その姿を思い浮かべながら毎夜『突然死を防ぎ、人々を救いたい』と一心に祈っていると、あるとき弥勒菩薩が夢に現れ、ある診察方法を教えてくれたという。」
「へぇ~~~!そんなことがあるんですか!
でもその診察方法はホントに役に立ったんですか?
今までは上手くいってたんですよね?」
巌谷が険しい顔つきで
「それはどうだろうな?
仏の加護?で病の予知ができるなんて、正直、胡散臭いと思っている。
もし多額の銭を要求されていれば、私も両親の診察を断るところだ。
だが、彼らは健康診断で銭をとる事は無く、病になりそうだと予知した場合のみ、予防的な薬草を処方され銭を支払っている。
信じたくなければ薬を飲むことを拒否したっていいし、無理強いはしないから、彼らが善意の人だと私は信じている。」
う~~~ん。
でも、予防で薬を飲むのは難しいよね!
死ぬほど苦しんでいるなら、薬で治ればありがたいけど、まだ症状が無いうちに、苦い薬と引き換えに銭を払うのは、ちょっと損した気分。
でも、気の弱い心配症の人なら、嘘で不安にさせて無駄な薬を飲ませることも可能??
悪用もできそう!!
「立て続けに死んだ三人は予防の薬を飲んだのに、甲斐なく死んでしまったから、家族が『毒を盛られた』って怒ったんですか?」
「おそらくそうだ。
布袋どの曰く、
『初めて診る患者さんで、症状が進んで手の施しようが無かったが、何もせずにはおけず、家族をなだめるためにも薬を処方したが、間に合わなかった。』
らしい。
不運にもその事例が三人続いたそうだ。
阿逸多先生の名声が高まり、症状の進んだ重い病の患者が訪れることが増えたらしいな。」
家族にしてみれば、名医だと思ってわざわざやってきたのに、やっぱりダメだった!となると、怒りの矛先をどこへ向ければいいかわからないよね~~!!
いよいよ、その阿逸多先生の営む私的施薬院に到着し、門から中に入ると雑舎のような建物には、外まで溢れるくらいたくさんの人々が詰めかけてた。
老人や顔色の悪い病人が多く、建物の外においてある木でできた長椅子に腰かけて待っている人が多かった。
布袋が建物の中に入り呼び出そうとしたとき、ちょうど阿逸多先生と思われる老人が出てきて、外で腰かけて待つ患者を診察し始めた。
手首を握り、脈を診たり、べぇっ!と舌を出させてみたり、質問したりしている。
若殿が布袋に
「ではあなたの診察方法を見せてください。その弥勒菩薩に教わったという」
布袋が真剣な表情で頷き、阿逸多先生の診ている患者に近づくと、阿逸多先生がその場を譲った。
その患者はけっこうなお年寄りで痩せているがそれほど腰も曲がって無いし、見た目は普通の顔色。
何をするの?
ドキドキしながらみてると、布袋はおもむろに患者の手首に、人さし指と中指を当て、脈を診る。
ここまでは阿逸多先生と同じ。
そして、顎のすぐ下の頸にもう片方の手を添え、ジッと空を見つめ何かを計測しているように見えた。
『?』
が頭の中一杯に湧き、若殿に
「何してるんですか?頸と手首で同時に脈をとってるんですか?何のために??」
若殿が腕を組み、顎の下に指を添え、考え込む。
布袋が診察を終えると阿逸多先生に
「少し心悸(心臓の鼓動が乱れること。動悸の症状を指す)があります。
段階で言うと、上の下でしょうか。
まだむくみは無いようですが、早めに対処したほうが良いかと思います。」
阿逸多先生はウンと頷き
「息苦しさ・めまいも頭痛もないようだし、呼吸数も多くない。
まだ腰痿(腰から下がだるく力が入らない状態)・腎虚(腰や膝のだるさ、尿の量の変化、倦怠感、疲労、)・胸痹(胸のつかえ、痛みをともなう症状。狭心症や心筋梗塞)・気虚(息切れ・だるさなど)という症状が無いうちに対処しよう。
もちろん暴厥(突発的に気を失う、呼吸・脈が止まるような状態)や卒中(突然気絶・意識を失う発作)を防ぐためにもな。
ではそれほど重篤ではないので、茯苓(マツホドというキノコ)と沢瀉(オモダカという水生植物)を中心に利水(尿を出すこと)する程度にしよう。」
というような会話を交わし、布袋が患者を建物の中に案内し、薬を処方する手配をしたようだった。
病名をたくさん並べられてもサッパリなので若殿に
「どういう意味ですか?どんな病気を予言したんですか?」
(その3へつづく)