石龍の花嫁(せきりゅうのはなよめ) その7
善女龍王の屋敷につくと、従者で僧侶の白陀が侍所で対応してくれ、弾正台の役人の代わりに捜査したいという若殿の申し出を渋々承知したようにみえた。
白陀は善女龍王の死にショックを受け憔悴しているように見え、屋敷内を勝手に調べまわってくれと投げやりに言い捨てた。
若殿が善女龍王の屋敷の主殿へ向かう途中の廊下から、庭が見え、普通の貴族の庭と違って遣水も池も山を模した大きい岩や木すらなく、ただの砂利を敷いた広い庭に一抱えの大きさの石が十数個渦巻状に並べられていた。
廊下から見て南に庭があり、渦巻状列石から一つポツンと東に離れた場所には、円盤の中心に棒を刺した独楽のような石造物が置かれていた。
「あれが善女龍王が言ってたxx古墳の渦巻状列石とコマの石ですね!何の意味があるんでしょうか?石の形は全部バラバラだし凸凹してるし大きさも違うし、石と石の間隔は狭いですよねぇ。渦巻が龍がとぐろを巻いてる姿で石が鱗を示しているなら同じ大きさの石にするでしょ?渦巻の円の両端に二つだけ背が高い石がありますね~~?渦巻の中心の石はほぼ球ですし。どういう意味があるんでしょう?」
と興味津々。
善女龍王の遺体はもう片付けられていたが善女龍王が書き残した文は文机に置きっぱなしになっており古文書は棚にあった。
若殿は片っ端から目を通した後、文を数枚選び出し、自分の袂にしまい込んでた。
長櫃や厨子棚や塗籠内にある箱類や色々全てを開けてみて中身を調べてたがとくに蓋のついた小瓶に入った白い粉っぽいものの匂いを嗅いでウンと独り合点してた。
若殿がウロウロして調べまわっている間、私は善女龍王と白陀が研究してた古文書と思われる巻物を読んでるいると、庭に再現された渦巻状列石は一つ一つ図示されていて、前・横・上方向から見た形と長さが細かく書かれているので石一つを加工するにも銭と時間がかかってるのかぁと感心した。
渦巻の大きさやそれぞれの石の間隔も細かく指示されていて、東に外れて置いてある独楽型石もその寸法とその置く位置がキッチリと記してあった。
独楽型石には円盤の下半分に等間隔に十二本の中心から放射状に延びる筋が刻んであり、一本の線ごとに『卯・辰・辰・巳・巳・午・午・未・未・申・申・酉』と文字が刻んであった。
独楽の棒は北を向いておかれている。
北側からみると時刻を表す図になっているが南側からみると時刻を表す図とは左右逆になっているし朝から夕までの時刻しかない。
その古文書には善女龍王が言ってた
・龍頭は水を操る
・龍頭は能登より出づる
・春分の辰 寅より昇り四海(東西南北四方の海)を統べる
という文言もあった。
『龍頭は水を操る』
・・・・確かに龍は水を操り雨を降らしたり止ませたりする神様。
『龍頭は能登より出づる』
・・・・龍が能登で生まれたの?これは知らない。
『春分の辰 寅より昇り四海(東西南北四方の海)を統べる』
・・・・龍は秋は淵に潜み春は天に昇るというからそのこと?だから何?寅は何?
これらは何を意味してるんだろう?と頭が謎でいっぱいになった。
(その8へつづく)