東下の讖緯(あづまくだりのしんい) その3
次の日、若殿は大内裏にある民部省を訪れ、役人数人に話を聞いたらしい。
「何を聞いたんですか?」
「民部卿が最近した仕事についてだ。不輸の申請を受けて現地調査に行かせてみると荘園の荘使が申請した四至(境域)と坪付(地積・所在)より現地の田畑が広かったらしい。その無登録の荘園が誰の持ち主かを調べていたようだが。」
となるとその無登録荘園の持ち主が民部卿を黙らせようとして謀反人としてでっちあげた可能性が高い!というかそれしかないのでは?過去に一度犯した不正にクヨクヨするような人に賄賂は効果なさそうだし。
数日後、民部卿をハメた風水師を呼んで屋敷をみてもらうという友人貴族・藤原庸に見学させてもらえることになったから一緒に行くかと若殿に誘われモチロンです!と興味津々で答えたが
「なぜですか?風水に興味あるんですか?」
と言うと若殿はニヤリと口をゆがめて笑い
「民部卿が本当に謀反を企んでいたのを風水師が予言した可能性も捨てきれないからな」
と言ったけど、えぇ~~?だってじゃあ非時の件に関係なくってこと?と半信半疑。
藤原庸の屋敷につくと既に風水師は来ていて屋敷を見て回ってる最中だった。
そこに侍女に案内された我々が合流すると、藤原庸は
「頭中将!今見てもらってるところだ!」
とうりざね顔でちょび髭をはやしたツルっとした顔をほころばせて若殿に挨拶した後、風水師がブツブツいいながら対の屋の真ん中に立ちグルっと周囲を見回しているのを見守った。
その風水師は三十代後半ぐらいの女性なのに唐人の男性が着るような服装で、前開きの長い衣を前で合わせて帯でくくった格好で、白地の衣には袖、裾、衿に紺色で模様の入った縁取りがされている。
おでこが丸見えになるよう髪をあげて後ろで一つに束ね、顔は目が細いので表情がわかりにくい、ふっくらとした頬の顎が二重になったフツーのオバサン。
紙でできた扇を手に持ち冠は被って無いけどどこぞの軍師みたい。
その人がブツブツ言いながら対の屋を見回しつつ廊下を渡って次々と移動するのを我々は大人しくついて回ってみてたけど、行く先々で藤原庸の対の屋は片付いておらず、衣が脱ぎっぱなしになって積み重なってたり、扇や襪(くつした)や烏帽子が脱ぎ散らかしてあったり、文机の上や下には紙や筆や硯が散らかしまわしてたり、褥には読みかけの書や文や巻子本は開きっぱなしだしバラバラに散らばってるし、白湯を飲んだ器や菓子の蜜柑や栗の皮が折敷(四角い盆)をはみでて置かれていたりして一目でわかる『片付けられない人』。
確か宇多帝の姫も使ったものを片付けずに次のことを始めるので琴、双六、貝合わせの貝、書、碁石、が散乱した対の屋だったことを思い出し将来の姿をここに見た!気がした。
その藤原庸が風水師に向かって心配そうに
「あのぉ~~私のどこが悪いんでしょうかねぇ?なぜ出世できないんでしょう?家柄は申し分ないですし、蔭位のおかげで従六位上から始まった位階からサッパリ上にいけないんです。いまだに兵衛府の使部止まりなんですぅ~~!時平ほどじゃなくてもいいのでもうちょっと出世したいなぁ~~~と。」
と口をとがらせて愚痴る。
位階からすると兵衛大尉が適切な官職だが、父祖のおかげで高い位をもらったけど能力があまりにダメなので低い職にしかつかせてもらえないということ?でも本人はまだ出世をあきらめてないようなので、やる気はあるってことね!でもまぁ考えようによっちゃいい親の元で生まれたんだからその状況を十分楽しめばいいのにねぇ。
うちの若殿なんて夢はきっと『宇多帝の姫とずっと一緒に暮らすこと』だろうからそれ以外の煩わしい仕事なんてしたくない!っていうのが本音だろう。
誰もかれも自分には無いものばかりを欲しがるんだよねぇ~~~と厭世ぶる。
風水師が漢字四文字が書かれた掛け軸の前で立ち止まり細い目をカッと見開き
「これは・・・?!」
藤原庸は嬉しそうに自慢げにニヤケて
「ハハハッ!やっぱりわかりましたか?これは帝の御宸筆です!父が下賜されたものを私の屋敷に飾っているのです!すごいでしょう?中々お目にかかれませんよぉ~~!」
なるほど~~なんて書いてあるのかはわからないが帝は仏教に造詣が深いから多分『唯我独尊』的なやつ?あの帝なら。
「廓然大悟(疑いの心が晴れて確信すること。 「廓然」は、心がからりと開けているさま。 「大悟」は、至高の真理を悟ること。)だな。・・・・達観されてるな。」
と若殿がボソリと呟く。
藤原庸はみんなの注目を引けたのがよっぽど嬉しかったのかテンションが上がり褥周りに散らかってた書や巻子本をかき集め長櫃をかき回して底から文字が書かれた長い紙をとりだして我々に広げて見せ
「これはあの菅原道真様が記された書だ!漢詩だ!何が書いてあるかはさっぱりわからんが、これは私が直接、山陰亭に通う友人からもらったんだ!あと菅公の著書も持ってるぞ!」
山陰亭と言えば菅原清公・是善・道真と3代にわたって文章博士を輩出した菅原氏の私塾のこと。(元来は菅原氏当主の書斎であった山陰亭で講義が行われていたが、生徒の増大につれて廊下(寝殿造の中門廊)で講義が行われたことから、菅家廊下と呼ばれた。)
う~~ん。うちの大殿も大奥様も有名人や流行には弱いがここまであからさまに自慢したりはしない。
どちらかというと他人があまり持ってない玄人受けする職人が作った一点ものみたいなのを欲しがる。
藤原庸はみんなが持ってるものを欲しがるようなある意味行動がわかりやすい、可愛らしい人だなぁ。
風水師がその様子を見て何かわかったかのようにうんと頷き、深刻な表情をしたと思ったら重大なお告げをする雰囲気で
「はい。この屋敷を一通り拝見して全てわかりました。では・・・あなたの過去を見抜き、未来を予想し、さらにあなたがこれから出世するためには何をすればいいのかをお教えしましょう。」
(その4へつづく)