衝迫の雪女(しょうはくのゆきおんな) その5
若殿が首を横に振り
「筆跡は確かに久瀬蟻端のものだ。久瀬蟻端が嘘をついてないとすると濤子が久瀬蟻端に毒を盛ったと思いすり替えたが実は濤子が飲むつもりだった毒を久瀬蟻端が飲んでしまった事故ということになる。それを確かめに行かないとな。」
私はこんがらがってわからなくなりそうなので自分なりに整理してみると
「濤子は久瀬蟻端を殺そうとしたが土壇場で考えを変えて殺さず、自分が毒を飲んで死のうとしたんでしょうか?雪女のように?」
と濤子の久瀬蟻端への純愛にホロリとしたが、まてよ・・・毒が入ってると思った杯をすり替えて何も言わなかったということは久瀬蟻端のほうは濤子を見殺しにする気だったのねと気づきガッカリし、結局『熱愛』を経た恋人であっても二人とも同じ気持ちでいられないってことね~~~と現実に引き戻され冷めた気分になった。
久瀬蟻端の屋敷に着き侍女に塗籠に案内されると真っ青な顔で褥に横たわる久瀬蟻端の姿があった。
若殿が久瀬蟻端のそばに座り様子を見ながら侍女に
「薬師は呼んだのか?何と言ってた?」
「石蒜(ヒガンバナの鱗茎の生薬)を飲ませ胃の内容物を吐かせたので助かるかもしれないと仰っていました。薬をもらい水をできるだけ飲ませるようにとも。」
久瀬蟻端は意識不明のようなので若殿は
「調べさせてもらうぞ」
と話しかけ立ち上がると廊下に濤子が姿を現した。
濤子は塗籠から出てきた若殿に
「昨日の酒の中に毒を入れました。わたくしが飲むはずだったのに、なぜか彼が飲んだのです!」
と言うと膝をついて床に突っ伏して泣き始めた。
その悲しみ方は演技ではなさそうだなと思ったが若殿はその姿を冷ややかな目で見て横を通り過ぎ
「あなたの対の屋で飲んだんですか?もういちどその時の様子を再現してください。いや、あなたではいけない。誰か!昨日奥様と殿が晩酌をしたとき酒を準備したものはいるかっ!いたらもう一度その様子を再現してくれっ!」
と厨の方へ向かって歩きながら叫んだ。
侍女が酒と杯を用意し四角い脚のついた盆である足打ち折敷の上に酒瓶を中央におきそれをはさんで杯二つを対角線上に置いた。
酒瓶が中央に置いてあるので自分のと相手のを取り違えることは無く久瀬蟻端が言う通りなら自業自得だと納得。
その北の対で若殿は久瀬蟻端の杯の前に座ってみたり濤子の杯の前に座ってみたり立って周囲を見渡したり、昨日の几帳や屏風や調度品の位置が変わってないかを侍女に確認したり、杯の前に私を座らせて自分は几帳や屏風の陰から様子をうかがってみたりして確認していた。私も対の屋をぐるりと見まわし杯の位置の近くの厨子棚の上に北の方が使う化粧箱や鏡が立てて置いてあるのに気づいた。
若殿が濤子のいる主殿に戻るので私もついていった。
濤子が呆然と座り込んで宙を見つめている目の前に座り
「何か言いたいことはありますか?」
と静かに話しかけた。
濤子が抑揚のない声でボソボソと
「わたくしが・・・わたくしが死ぬはずだったのです。」
若殿が何事もないかのように
「あなたは久瀬蟻端の目の前の杯に毒を入れたのに、なぜそれを入れ替えたんですか?」
濤子が表情を変えずでも涙だけをボロボロとこぼしながら
「久瀬蟻端の父を殺したのがわたくしだからです。十二歳のころあの男に犯されたわたくしはその場で腹を刺した後、頸を切り付けました。それを幼い久瀬蟻端に見られ口止めをしたにもかかわらず久瀬蟻端はわたくしに話しました。・・・・許せなかった。でも殺そうとは思わなかった。あの人を愛してしまったから・・・・」
と両手で顔を覆い泣き出すので私はムッと怒りが湧き思わず
「嘘ですっ!あなたは殺意を持って二回殺そうとし、三回目でついに成功しましたっ!」
若殿が驚いたように私を見て眉を上げ興味を示し
「なぜそう思う?」
(その6へつづく)