無道の呪物(むどうのじゅぶつ) その6
若殿は
「成子は嘘をついているつもりはなく、種継は帝に裏切られたのかもしれないと知って、『もし自分が種継ならやりきれない』と感情移入し帝という存在に恨みの感情を持った。霊に憑りつかれたか、思い込んでなりきって演じているかの区別なんてつかないだろう?」
似たところのある他人を自分と同一視し、その人になりきってしまうという性格ならそれもありうるのかなと思った。
成子の場合ご先祖だしね、可哀想だと思ったのかも。
若殿はその後結局、成子を弾正台に引き渡し、呪詛の罪だけを問うことにした。
命ぐらい大事な姫を誘拐されたんだから若殿が半殺しにしてもおかしくないだろうと思ったが、あくまで宇多帝の姫の存在は隠したかったようだ。
もちろん侍女の職は解雇された。
誘拐されたときの様子を宇多帝の姫に聞いてみると
「二人目の父さまという方がお堂においてある木でできた仏像を案内して見せてくれて、これはお前のおじい様がすがわらみちざね様に差し上げたものなんだよとおっしゃってたわ!」
とつぶらな瞳をぱちくりさせた。
「屋敷では不自由な思いはしてなかったんですね?」
と私が聞くと
「そうね。兄さまや乳母やに会えないのが寂しかったけど成子がいてくれたから平気だったわ!」
若殿が微笑みながら
「雪が降っていたのに外で遊んで、寒くなかったのか?」
宇多帝の姫はニコニコしながら若殿を見て
「いいえ!雪がキレイだったし、夢中になって雪を集めているうちに兄さまが来てくださったもの!楽しいことしか起こらなかったわ!」
成子の話では長岡京跡にある菅原家の屋敷には、成子が姫と馬に乗り連れていき、姫の父親と名乗る男に会わせた。
男と成子は菅原家の若君が視察で訪れた際その屋敷で出会ったらしく、その男の父親がその屋敷のお堂にある木製の仏像を菅原道真様に寄贈したのが縁でそこで出会った。
これだけの手掛かりがあれば、宇多帝の姫の父親と名乗る男の正体はわかりそうだが、若殿がわかったのかどうかは不明。
なぜ宇多帝の姫を誘拐したのか?の動機は、姫の父親を名乗る謎の男に『宇多帝は悪党だから自分に協力してくれ』と説得されて誘拐を手伝ったのか、藤原種継の霊が憑依し(または思い込み)操られて帝(本来の敵は桓武帝だけどね)に復讐するために姫を誘拐したのか、それともその両方か。
私は
「種継の暗殺が帝の仕業かもしれないという入れ知恵は謎の男が成子に吹き込んだんでしょうか?」
と聞くと
「その男と出会った後、おかしくなったんだからおそらくそうだろう。」
ずっと気になっていたあの
『打ち捨てし 十年を人は 去り行けど 我が思う君は ただ一人なり』
という和歌の意味は?を若殿にたずねると
「ああ、あれは元の和歌が
『うちひさす 宮道を人は 満ち行けど 我が思ふ君は ただ一人のみ』」
(『都大路を人は 大勢往き来しているけれど 私が思いを寄せる人は ただ一人だけ』)
という柿本人麻呂の和歌で、変更された部分の『十年』で『打ち捨てられた』『都』といえば延暦三年から延暦十三年まで都だった長岡京のことだ。
早良親王が藤原種継を殺した暗殺犯人とされたのもその時のことで、長岡京が不幸に見舞われた原因が早良親王の怨念と噂されたことで桓武帝は陰陽師に占わせ御霊を鎮め平安京遷都を決定した。
全ての手掛かりが長岡京を示していたからそこ以外思いつかなかったんだ。成子の話では謎の男は浄見と一時的に再会を果たせば元の屋敷に返すつもりでこの場所の手掛かりをわざと残したらしい。」
へぇ~~と感心したが、アレ?と思って
「結局、約百年前に藤原種継を殺したのは東大寺の僧侶勢力とそれに結び付いた貴族勢力ということでいいんですか?」
若殿は皮肉気に笑って
「真実なんてわからん。憑依された成子が言っていた誰が一番得をしたか?を考えれば桓武帝だと思う。その後の怨霊騒ぎと相次ぐ不幸や天災が無ければな。」
「もし長岡京が何事もなく続いていれば、今の平安京はなく、桓武帝は権勢をふるう種継のような新興貴族にも邪魔されず、大伴と東大寺のような旧勢力も押さえつけられて快適な親政を行えて名君としてたたえられてたかもですねぇ」
若殿はなぜか不安そうな顔つきになり
「桓武帝は実行力のある優秀な帝だったがゆえに自分の思うように計画を進めたが、早良親王の祟りという誤算があった。自然災害や不幸が偶然続き、人々の不安がはけ口を求めて原因を探すとき、祟りを強調する人々は理不尽な死を断罪することで為政者を責め、不満のはけ口にする。だとすると『祟り』とは残されたものが無道(理不尽)に対する断罪のために作り上げる呪物そのものなのかもしれない。」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
昔、祟りが生じるときは『あいつは祟られるべきだ』と皆が認定する悪人が必要で、それが権力者なら表立って責められないので祟りという噂で責めたんでしょうねぇ。
今のような『悪人認定後に皆で直接バッシング』よりは婉曲ですが、状況的には似てるなぁと思いますがどうでしょう?
時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。