万能の妙薬(ばんのうのみょうやく) その4
若殿は親戚でもある藤原斯宗に話を聞くため、もう次の路が九条大路というくらい都の南にある施薬院を訪れた。
少し広めの侍所という感じの場所には治療や薬を求めてきた庶民たちが座って順番を待っていた。
若殿が本名を名乗ると、受付の下人が奥から侍女を呼び、我々を主殿に案内させた。
主殿で待っていると、藤原斯宗が現れ
「よう!時平か!久しぶりだな。」
と手をあげ、若殿は渋い顔で『ウン』と頷いた。
藤原斯宗は若殿とうりざね顔のところは似ているが、それ以外はあまり似ていない眉をはじめすべてが薄~~い作りの顔をしていた。
若殿はどこから始めようかと迷っているようだったので私が小声で
「やっぱり『万能の妙薬』のことですよね?施薬院の御蔵にどれくらいあるのか?とか分けてもらえないか?を聞いてくださいよ!」
と肘でつつくと、ギロっとこちらをにらんだ。
・・・いいじゃん頼んでくれても!一度試してみたいだけなのにっ!と不貞腐れた。
若殿が意を決したように
「お前、ガラの悪い使用人に薬戸を襲わせ麻を奪っていったい何をしているんだ?典薬寮の医師と医博士も襲わせただろう?何が目的だ?お前の父君の命令か?やっぱり『万能の妙薬』の庶民への普及を阻止するためか?」
と立て続けに並べた。
私は『えぇっ!!全部藤原斯宗の仕業なの?相当な悪だなぁ。』とビックリしたが、そろそろ若殿の身内が欲に負けて悪事を働くことにも慣れてきたので驚きもさほどでもない。
藤原斯宗は悪びれてない様子で肩をすくめ扇で自分を叩きながら
「分かっているなら聞くなよぉ~~!お前も父上の性分は知っているだろう?庶民にアレの栽培を解禁したら我が家が所有する荘園で栽培してるアレの値が崩れちまう。アレの売り上げは荘園で米を作るより今は二・三倍はいいからな。お前だって恩恵の一浴は受けているはずだぞ。自分だけカッコつけるんじゃねぇ。」
私はその開き直り方のサバサバした様子に呆気にとられたが、それなら医師がどんなに上奏しても握りつぶされるはずだなと納得した。なんせトップには大殿がいるし、大殿が自分たちの損になることを朝政の議題にとりあげるはずもない。
医師のあの警戒心の強いまなざしの意味もわかった。
若殿が誰かを知っていれば、ちゃんと調査するかを疑って当たり前だなと。
若殿は苦悩の表情を浮かべたがキッと姿勢を正し藤原斯宗をにらみつけ
「アレの栽培については私から父上に話すが、お前の麻の横領事件は見逃せない。薬として使っているんじゃないんだろう?薬としての量なら朝廷から施薬院に十分、分配されているはずだ。それ以外の用途で使うから強盗したんだろう?幻覚作用の強い麻を夜な夜な焚き上げ、ガラの悪い連中といい気分になって遊んでいるんだろう?このことは弾正台に報告する。ついでに父上にも伝えて施薬院の別当が解任されるべきかの判断を任せる。」
と言い切ると、藤原斯宗ははじめてちょっと慌てて
「ちょっ!まってくれ!もうしない!あいつらとも手を切るから!それだけは勘弁してくれ!こんな楽な仕事はないんだ。父上の別当の代理として今までだってちゃんと務めてただろう?いまさらクビになったら困る!」
と冷や汗をかいて若殿にすがりついた。
若殿は嫌悪の表情を浮かべ刃物のような鋭い視線で藤原斯宗をにらみ
「また一度でも強奪や脅迫、麻を使った乱痴気騒ぎをおこせばその時は容赦しない。」
藤原斯宗は何度も素早く頷いたが見た感じ反省はしてなさそう。
帰り道、私はふくれっ面で若殿に
「『万能の妙薬』の栽培自由化の上奏は少なくとも大殿にまで通すんですか?庶民の健康のために是非ともそうしてほしいです!貴族や僧侶がいいモノを独占してるなんてズルいです!不公平です!ひどい話です!」
と言うと、若殿は力なく
「私なりに父上には話す。だが結果は保証できん。」
若殿がいつも以上にショゲているのを見るとこれ以上攻撃しても楽しくないので切り替えて、
「ところで、最後まで『万能の妙薬』の名前を教えてくれないつもりですか?いい加減教えてくださいよぉ~~!」
とせがむと、若殿が少し機嫌を取り戻し
「よ~~し!じゃあ今まで分かった条件を整理してみろ!」
「ええとぉ~~、まず
①どんな疫病の病原菌もその妙薬を飲むと体内で死ぬ
②毒虫や毒蛇に咬まれた傷にその妙薬をかければ毒が消える
③悪性の腫れ物予防
④中風・卒中(脳血管疾患)予防
⑤太りすぎを防ぐ効果
⑥弘仁六年(815年)に留学僧・永忠が嵯峨天皇に奉った
⑦諸国(畿内、近江、丹波、播磨)で栽培され献進されている
⑧留学僧や遣唐使が大陸から持ち帰った
⑨一部の僧や宮廷の貴族だけが入手できる
ですね?」
若殿がニコニコして
「そうだ!何かわかったか?」
私がう~~~んと考えたが、今まで見たことも食べたこともなければ知りようがないじゃないか!と気づいて
「わかりません!何という薬草ですか!」
若殿はニッコリ微笑み
「それは、摘んだ葉を熱で乾燥して保存し、煎じたり揉んだものに湯をかけて飲む、『茶』と呼ばれる植物だ。」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
『茶』は初めは薬として中国で使われたらしいですが、日本で普及したのは鎌倉時代以降だそうです。
今ではアジア圏で広く嗜好されているということは薬効よりも中毒性?があるのかも!と思いましたがどうでしょう?
時平と浄見の物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。