愛憎の方術(あいぞうのほうじゅつ) その1
【あらすじ:相変わらず時平様の恋愛事情が気になって仕方がない父君は懲りもせず歌合を用意した。それぞれ難点のある男性関係で悩む姫君三人の行動を説明する時平様だが自分のことは見えていない。今度こそ父君の望み通り年頃の恋人ができるのか?時平様は今日も自身の矛盾は放置する。】
私の名前は竹丸。
平安の現在、宇多天皇の御代、日本で権勢随一を誇る関白太政大臣・藤原基経様の長男で蔵人頭・藤原時平様に仕える侍従である。
歳は十になったばかりだ。
私の直の主の若殿・時平様はというと、何やら、六歳ぐらいの小さな姫に夢中。
宇多帝の別宅に訳アリで、隠し育てられている姫を若殿は溺愛していて、周囲に気づかれていないと思っているが、使用人はじめ母君・大奥様にもバレバレ。
若殿いわく「妹として可愛がっている」。
でも姫が絡むと、はたから見てもみっともないくらい動揺する。
従者としては、たかが小さな女の子に振り回されてる姿はいかがなものか。
今回は自分の内面を直視するのは難しいですよね!というお話(?)。
ある日、大殿主催の何度目かの歌合と称した集団お見合いが行われた。
大殿は何とか若殿を年頃の姫と親しくさせるべく、知恵を絞って、男女一組ずつ三組がお題に対して即興で詠んだ和歌を発表し、優劣を競う事を考えついた。
お題ごとに男女の組み合わせを変え、呼び出した三人の姫と若殿が一回ずつ組になれるようにした。
あと二人の男性貴族は紀何某と源傲一という名前。
会場となる東の対に、大殿が一人奥に座り、対面して一列に並び、三組に分かれて男女が相談して和歌を考えるのだが、それぞれの組の間には仕切りの几帳が立ててあるので隣の話声は耳をすませば聞こえる程度だった。
まず一つ目のお題に対して若殿は隠子という姫と同じ組だった。
隠子は見るからに大人しそうな深窓の令嬢で、若殿の顔も見ようとせず、ソッポを向きながらお題『月』に沿った和歌を考えているようだった。
黒々としたカラスの濡れ羽色と言われる魅力的な長い髪だが、それ以外の目立った特徴のない頬のこけた青白い女性だった。
隠子の隣で若殿は文机に肘をつき、筆を指で挟んで回し、考えてる風を装っているが、きっとぼーっっとしてるだけ。
二人は会話せず、大殿の意図は全く報われていない。
私は隠子に付き従っている侍女と並んで座って、主たちの後ろに伺候している。
この侍女は隠子より二つ三つ年上に見える目端の利きそうな、常にあたりをキョロキョロ見回してジッとしていられなそうな女性だった。
「あなたの主は、若殿に興味がなさそうなのにどうしてここに来たんですか?」
侍女は隠子の方をチラッと見て声をひそめ
「主は実は初めての恋人がある公卿の子息だったのですが、最低のクズ男でして、それ以来男性を毛嫌いするようになったの。」
公卿とは『日本の律令の規定に基づく太政官の最高幹部であり、公家の中でも、国政を担う最高の職位をさす。中納言以上の役職』で、大殿は公卿。
最低クズ男も公卿の息子だからきっと大殿の知り合いの息子。
「へぇ~~どんな男ですか?具体的には?」
「まず、『俺と付き合うチャンスがある君は最高にハッピーだぜ!』から始まって、自分がいかに女性にモテるかを力説し、勿論公卿の息子だからすごいだろ!とか『今日俺を拒否したら君は二度と俺に会えないよ!』みたいな、とにかく上から目線で『今日を逃したら一生後悔するぜ!』とゴリ押しがひどかったの。」
「で、つきあってみたらやっぱり最低だったんですか?」
侍女はふか~~く頷き
「そう。一回遊ばれて捨てられたのっ!」
と、声をひそめているつもりでも一間(約1.8m)ぐらい前方に座ってる二人に丸聞こえだったらしく隠子がコホンッ!と咳払いをしてこちらを睨んだ。
「姫様の男嫌いを父君がそれはそれは心配されて、何しろ関白殿はこれ以上ないシッカリとした後ろ盾でしょ?渡りに船のお話でねぇ。」
と侍女はもう隠子に聞こえてもお構いなしにベラベラ話す。
でも大殿も公卿だから隠子はきっと若殿もクズ男だと思ってるに違いない。
若殿が突然クルリと後ろを向いて
「それは『最初に与えた印象的な情報がその人の中にとどまり、最終的な意思決定の段階まで影響し続ける』という心理効果(アンカリング効果)だな。最初の恋人が最悪だったから『男性は全員こんな最悪なもの』という評価が隠子姫の中でずっと残ってるんだ。その男が『今しかチャンスはない!』と言ったのは『損をしたくない(プロスペクト理論)』を狙って焦らせ、隠子姫に即決を促したんだ。」
私が
「公卿の息子を強調したのは『後光効果(ハロー効果)』を使ったんですよね。権力者は無条件にすごいと思いがちですもんねぇ。」
あからさまな暴露話に隣でいたたまれなくなって真っ赤になり恥ずかしそうに俯いている隠子の顔を若殿が覗き込んで目を合わせ
「そんな最低男と結婚しなくてよかったですね。恋人はゆっくり選んだほうがいいですよ。」
と微笑んだ。
顔を上げ若殿を見つめた隠子の瞳がキラキラと輝いたように見えたのは気のせい?
(その2へつづく)