史上最強の眠り姫69
「ギャァァァ!」
背後に立っていた巨漢に驚き、汚い悲鳴を上げる。
まずい状況なのは知ってる。しかし路地を抜け、一度緩んだ緊張はすぐに引き締めることはできない。
パニック常態の頭で逃げることを選択した私は振り返って足を前に動かす。たったそれだけの単純な作業のはずだった。
ドスン
足がもつれ後ろに傾く。鈍い音とともに世界が大きくなる。
私を飲み込んでしまいそうなほど大きくなった男。息苦しさを感じるくらい高くなった周りの建物。逃げてきたはずが、いつの間にか追い込まれてしまっていた、そんな恐怖が私を襲う。
動けない体に腰の痛みが遅れてやって来る。手に触れる砂利の感触でようやく状況を理解した。
……私、転んだんだ。だったら早く立たないと。立ってこの場から逃げないと……あれ?
立つために足に力を入れる。それなのに足は地面を擦るだけで、せっかく入れた力が分散していく。
「何で⁈ 早くしてよ! 出来るでしょ⁈ 早くってば!」
息を荒くして、何度も何度も地面を擦る。表面が少しえぐれるだけで立ち上がることも距離を取ることも出来ない。足を動かすたびに出てくるのは焦りと涙だけだった。
そんな私に男が一歩近づく。
もうダメかも……
絶望で地面を擦ることすら諦めたその時、私を庇うようにサーラが前に飛び出した。
「はっ!」
そのまま勢いに乗せて回し蹴りをする。サーラの長く綺麗な足が鞭の様にしなり、大男を襲う。しかし、直撃するギリギリでサーラはピタリと動きを止めた。
「ギラルさん?」
「は、はい! ギラルです!」
私の背後から現れた坊主頭の巨漢は情けなく両手を上げてそう言った。
「ごめんね。驚かせちゃったみたいで。ほら、2人とも疲れてるでしょ? これ僕のお気に入りの店のクッキー。紅茶も今淹れるから。ゆっくりしてて」
木の温もりを感じる一軒家。魔法で出来た空間には日の光など差し込まない。それでも私たちがいる場所は温かい光に満ち溢れていた。
カチャカチャと食器が奏でる音楽が心地よい。茶色のチェック柄のクッションが並べられたソファーは沈んでしまいそうなほど柔らかかった。
ソファーの向かいにはピンクのエプロンが置かれたローテーブル。その向こう側にはキッチンが広がっている。
壁につけられた棚に調理器具や調味料が均等に並ぶ。その一角に観葉植物が飾られていた。
おしゃれで機能性もいいキッチン。そこでテキパキと準備をするのは大人っぽい女性ではなく、丸坊主の筋肉男だった。
お盆にお茶の準備を乗せたギラルさんがキッチンを出る。傷だらけの甲冑にゴツゴツした大きな手。どこから見ても荒々しい男性にしか見えないはず。それなのに背筋を伸ばして歩く姿は凛々しく美しさすら感じた。
「はい、熱いから気をつけてね」
高そうなカップとクッキーのなった皿を私たちの前に置く。紅茶のいい香りがすぐに私たちの前に広がった。
お盆をキッチンに戻し、窓際に置いてあった椅子を持ってくる。少し小さい椅子を壊さないように慎重に座る。そして若干前屈みの状態で話を始めた。
「それはそうと、ごめんね。僕が転移した時には2人とも遠くに行ってたからさ。慌てて追いかけたんだけど、自分の体格のこと忘れてた。僕なんかが知らないうちに後ろにいたらびっくりするよね」
「私の方こそ、ごめんなさい。色々不思議な事が連続で起きていたから……」
「私もすみませんでした。もう少し判断が遅ければ、蹴り飛ばしまっていたかと」
「2人とも頭を下げないで。ほ、ほら、紅茶が冷めちゃうでしょ。クッキーもお代わりあるし、遠慮しないでどんどん食べて」
クッキーに手を伸ばす前に、私はチラッとサーラを見る。
ソファーに浅く座る。姿勢の良さはいつもと変わらない。ただ、その目は輝いていた。
久しぶりの豪華なティータイム。森の中ではできる贅沢が限られていたから、こんな小さな贅沢が凄く嬉しかったりする。
興奮気味のサーラを横目に、ゆっくりクッキーに手を伸ばす。「いただきます」と小さな声でいい、小さな口でクッキーを齧った。
噛んだ瞬間ほろりと崩れ、優しい甘さと香りが口の中に広がる。溜まっていた疲れが取れて、全身の力が抜けていく感じがする。
森の中にいる時もサーラが甘いものを作ってくれた。それも素朴な感じで美味しかったけど、これはレベルが違う。残りを口の中に放り込み、すぐさま次のクッキーへと手を伸ばす。
「気に入ってもらえて良かった。これ、僕の好きなお店なんだよね。えっとサーラちゃんだっけ? 紅茶のお代わりもあるからね」
「ありがとうございます……ところで1つ質問いいですか?」
遠慮気味に手を挙げる。少し低い落ち着いた声だった。浮き足立っていた先ほどまでの雰囲気はそこにはない。
耳だけで感じた違和感。ただその理由には辿り着けなかった。
「いいよ、いいよ。何でも聞いて」
「メレアさんは元気ですか?」
その質問に、3枚目のクッキーに手を伸ばそうとしていた私の手が固まった。
ギラルさんは聖騎士団の人間だ。そんなギラルさんをサーラが簡単に信用するわけがない。思えばクッキーはともかく、紅茶好きのサーラがカップに一口もつけていないなんて変だ。ソファーに浅く座っているのも、そういうことなんだろう。
違和感の理由に気付き、ギラルさんの反応に注目する。しかし、ギラルさんは表情を変えることなく私たちの前に座り、クッキーに手を伸ばした。
「元気だねー。さっきもナリ副隊長にダル絡みしててさ。でも自分の隊の隊員のせいで間違えて追放しちゃったからさ強く言えなくて。メレちゃんも知ってて絡んでるから。厳しいことで有名なナリ副隊長が遊ばれてるのを見たら、少し同情しちゃった」
「……」
なんともメレアらしい行動だ。こんなドンピシャな嘘をつけるほどギラルさんは器用じゃないと思う。もちろん、いい意味でだけど。
そう言いたげな目でサーラを見ると、少し不服そうな顔をして質問を続けた。
「……そうですか。ところで第1部隊のせいで追放してしまったとは、どういう意味ですか?」
あれ? 多分ギラルさんが話そうとしてることって第1部隊の隊員の不正だよね。前に聖騎士団長から聞いてるはずなのに。
もしかして、2人の話に違いがないか確かめるために知らないフリしてるとか? そんなところまで疑ってるんだ。何も考えないでクッキー食べてる私が恥ずかしくなってきた。
「あ……別にいいや。2人にはたくさん迷惑かけたし。正直に話すのが道理だね」
口を滑らせたことに気付き間抜けな声を出す。しかし、良い言い訳は思いつかなかったんだろう。一度座り直してから口を開いた。
「魔王の襲撃の後、第1部隊の手で調査が行われたんだ。魔王がどんな攻撃をしたのかとか、どんな戦法で戦ったのかとか色々ね。聖騎士団の魔道具を使えば、どの傷跡が誰の何の魔法かくらいまで細かく分かるんだ。でも、その魔道具を持った数人が調査結果を故意に偽造した。急に入団したよく分からない奴らに手柄を奪われたくないってね」
うん。聖騎士団長から聞いた話とほとんど同じだ。その情報が外に漏れて聖騎士団の信頼が地に落ちたから、信頼回復のために戻ってきてほしいって話だった気がする。
「それからは本当に色々大変でさ。今日やってたフォーチュンフィッシュのばら撒きも信頼回復のためにやってるらしいよ。僕の知る限りフォーチュンフィッシュに若返りの効果があるなんて文献ないもん」
「……それ本当ですか?」
「うん。一概に嘘だとも言えないけどね。確かにあの再生力は凄いよ。だけど、それを食べたから自分も若返るなんてのはちょっとね……その辺りは僕も聖騎士団を信用してない」
「ですよね! やはり聖騎士団は私たちに何か隠していますよね!」
声のトーンを抑えて心の声を漏らすギラルさん。そんなギラルさんにサーラは食いついたように共感する。食器の音と共にまだ湯気の立つ紅茶が揺れた。
もしかしたら、ずっと私に共感して欲しかったのかな? 不安そうだったから元気付けようと、いつも通りにしてたけど……だったら、もっと早く気づいてあげれば良かったな。
「……ですが、ギラル副隊長がそのことを口にしていいのですか?」
「ここは僕の空間魔法の中だからね。ここでの会話は外には聞こえないよ」
「ようやく安心しましたー。この国に来てからずっと気が抜けなくて」
安心したのかサーラはようやくカップに手を伸ばした。
「……美味しい」
そう呟いてから、深く座り直した。さっきより全身の力が抜けているのは、きっと紅茶のせいだけではないんだろう。




