幽言部屋 その9
「御堂さんは、401号室の方とはお会いしたことあるんでしょか?」
3つずつ棟が並ぶこの団地、中央棟の管理人室で聞き込み終えて、西棟への道すがら。
「いや全然だね。もしかしたら顔くらいは見たことあるのかもしれないけど」
「ブラジル系のお爺ちゃんだっけ? でもあのブアイソ管理人が、204の人たちと親しい人知ってるってちょっと意外ー。あと仕事とか、アメリカに行ったってのも知ってたし」
204の住人は、旅行会社にお勤めしてるアメリカ人の男の人と、ベビーシッターのバイトをしてる中国系の女の人の、まだ若いご夫婦とのこと。4月の頭に仕事の都合で、アメリカへと引っ越した。
401の住人が、親しかったようだから、あとはそちらに聞いてくれ、と、管理人さんから聞けたのは、大体こんなところだった。
一つ加えて言うならば、ネズミ避けを仕掛けていたのは、やっぱり管理人さんだそう。
「仕事とかは、それこそ管理人だからね」
「あー、そっかそーですね。でも、『幽霊だとか事件だとか、変な噂を広めたら、相応の対応はさせてもらうからな』なんて言われちゃったけど、どー聞こっか?」
「あはは、ちょっと似てたかも。でも本当、どうしようかねぇ」
来利ちゃんに復唱されたその条件に、正直なところ困ってしまった。
でも管理人さんの立場なら、そう言いたいのも解ってしまう。
「うんうん例えばこういうのはどうかな。月乃木さんが、弟がお世話になった人を探していて、どうも204の前の住人がそれらしいけど、確証がないしとは言え本人に確認できないから、その二人を知ってる人に話を聞いて調べてる、とか」
「あやや、わ、わたしがですか?」
そんな芝居を打つのには、些か自信が持てなくて、すがる気持ちのそのままに、来利ちゃんの方を向く。
「んー、そーゆーのなら、アタシの方がいーかなー。ホントに弟いますし」
小胆なわたしの瞳を受け止めて、ウィンクを返す来利ちゃん。
御堂さんはその様子に得心がいったよう。
「うんうん成程、確かに富良永さんってお姉さんっぽいもんね。で、じゃ、お世話になったって部分の内容詰めとかないとね。一回僕の部屋にもどろっか?」
「あ、先戻っててください。アタシたち、せっかくだしちょっとコンビニよってから戻るんでー」
「え、ああ、それなら僕も…」
言いかけた御堂さんを手で制し、来利ちゃんはその手を唇に当てはにかんだ。
「ちょっとお手洗いにも……」
その言葉に戸惑う様子の御堂さん。
なるほど男の人の一人住まいでお手洗いを借りるのは、確かに少し気恥しい。
でもそれを今持ち出すのは、御堂さんを戻す方便。
「あー、ええとじゃあ、僕は戻ってるね」
そういうと、御堂さんは頭を掻きつつ西棟へと歩き出した。
「じゃ、いこっか」
先に進む来利ちゃんに、首をかしげつ、ついていく。
◇
「……どうかしたの?」
閉塞的な団地を抜けて、色とりどりの看板を道の向こうにした辺りで、わたしの方から切り出した。
「んー、今回って、いつもどおりのお値段だよね? 必要経費は?」
「うん、いつも通りだし、経費も御堂さんもちだねぇ」
「なんかさ、御堂さんってバイトの割にお金持ってそうじゃない?」
そういえば、バイトの話を聞いていたっけ。
「うぅん、確かに何だか羽振り良いかも。見積りもほとんど二つ返事だったし」
うちの事務所の料金は、高くはないけど安くもない。切羽詰まっているのでなければ、普通は躊躇うような額。
「それに、なんかさー、普通の人じゃないって感じするって言うか……」
「っていうと?」
「んー、アタシのこと覚えてたし、あと自分のこと“僕”って言ってるし、ただのフリーターって感じじゃなくない?」
“先生”の言葉を思い出す。
「あやあや、“僕”って言うのはいいと思うけど……。フリーターって言うのは嘘ってこと?」
「わかんないけどー、ただのフリーターじゃないかもって。それに、依頼の方もウソとかあるかも」
「あやや、うぅん…でも、そだとしたら、ナニモノかなぁ」
「んー、わかんないけど、なんかすっごい色々聞くっていうか、紬のこと調べてるって感じじゃない?」
それは確かにそうではあるけど、
「本土の人だしオカルト好きみたいだからじゃないかな」
「まーそーなんだけど、でもそれで依頼してるんなら、単なる趣味でフリーターがぽいって出すお金じゃなくない?」
「えと、趣味じゃないんなら、嘘の依頼で引っ掛けて、インチキ霊能力者を暴く記者の人とか? それなら仕事になるわけだし」
そんな悪い人だとは思えないけど、偽の身分を語る理由としては、それなりにしっくりくるかも。でも来利ちゃんは首を捻る。
「んー、それにしちゃ、いいトコ育ちっぽくない? ゴシップ記者ってフツーなんかいやらしー感じでしょ」
「あやあや、それは偏見だよぅ。……多分」
一応否定はしたけれど、ゴシップに限定すれば、そうなのかもとも思ってしまう。それはともかく、育ちが良さそうという話には同意かな。
「でも、ゴシップって言うか、ムーみたいなオカルト系の記者さんならどうかなぁ。オカルト好きみたいだし」
「でもじゃーウソつく必要なくない?」
「そうなのかな?」
「そーじゃないのかな?」
二人で首を捻りあう。
「まだ考えてもわかんないかな……。でも、やっぱちょっとアヤしーから、気ー許しちゃダメだよ」
「う、うん……」
「ま、今日はこの来利さんがついてるからだいじょーぶだけど!」
「うん、ホントにありがとねぇ。お家のこともあるのに」
共働きの富良永家。小学生の弟二人の面倒は、来利ちゃんがいつもみている。
だけど今日はわたしの為に、夜まで時間を取ってくれてる。
「だいじょーぶ。弟たちは近所のおねーさんに頼んでるから」
「お姉さん?」
「うん、最近知り合った、紬の知らない人ー」
「ふぅん……」
「いい人だよ。今度紬にも紹介するね!」
「あ、うん!」
“先生”の言葉と合わせ、気になりはするけれど、来利ちゃんが一緒にいればきっとなんとかなるだろう。
今はとにかく、全力で仕事をしよう。