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終章

 俺は部室でひとり、ぼんやりと天井を見つめていた。


 緊張が解けた身体は、信じられないくらい重い。

 ステージの上で感じた万能感が嘘のようだ。

 完全に脳内麻薬が切れてるな、コレ。


 そんな状態のまま、俺は先ほどの出来事を思い返していた。

 ステージを終えて舞台袖に戻った俺は、真っ先にアンナを睨みつけた。

 あれだけ俺に対してあーだこーだと文句を垂れてきたのに、コイツのせいでライブが中断しかけたのだ。

 そりゃ不用意に移動した俺にも少なからず落ち度はあるかもしれないが、あの時アンナが俺を押さなければこんなことにならなかったのは紛れもない事実だ。


 俺は文句のひとつでも言ってやろうと口を開きかけて……そのまま言葉を飲み込んでしまった。

 アンナが、今にも零れ落ちそうなくらい、瞳に涙を溜めていたからだ。


「先輩、カオルちゃん、ダイスケ……わた、私……ッ」


 アンナは肩を震わせながら、必死に泣くのを堪えていた。

 普段の気丈な、ともすれば高慢とも言えるような雰囲気は、今の彼女には微塵も感じられなかった。

 そこにいるのは、歳相応に脆くか弱い印象の、ひとりの女の子だった。


 そんなアンナの肩に、黒峰がそっと手を置いた。

 慈しむような笑みを浮かべながら、彼女は口を開いた。


「アンナ、今日もサイコーのフロントマンっぷりだったよ」

「……だけど、私、最後の最後で……うぅ……」

「あれはアンナが悪いんじゃないよ。元はと言えば、私が調子に乗って、予定外の動きをしたのが悪いんだから。だからアンナは気にしなくていいんだよ」

「……ッ! でもっ!」


 反論を続けようとするアンナを、黒峰はそっと抱き寄せた。


「アンナがいつも、私のためを思ってくれてるの、ちゃんと伝わってるよ。だから大丈夫。私も、カオルちゃんもダイダイも、アンナのことを責めたりしない。だから、今日は本当にありがとう」

「うっ……うぅ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!」


 黒峰の言葉に、アンナは堰を切ったように泣き始めた。

 黒峰はそんなアンナの頭を優しく撫でてやっていた。

 その様子を見ていたら俺もアンナに何か言う気は失せてしまって、ため息混じりの苦笑いを浮かべながらふたりを眺めていた。


 そんなこんなで、新入生歓迎会は終わった。

 平静を取り戻したアンナは会の事後処理のために生徒会へ向かい、カオルちゃんは吹奏楽部と合流して持ち込んだドラムを片付けに行ってしまった。

 黒峰は俺とサツキさんとアンプの撤収をした後に、長谷先輩に礼を言いに行くといって抜けてしまった。

 その結果俺はひとり、部室で来るとも知れぬ新入生を待っているというわけだ。


 その暇さに耐えかねた俺は、鞄から愛用のヘッドフォンを取り出した。

 それを装着してからしばらく何を聴こうか考えたが、結局いつも通り【春擬き】を再生し始めた。


 この曲から感じる印象は、ひと月前とは明らかに様変わりしていた。

 もちろんこの曲が素晴らしいという思いは一ミリたりとも揺らいではいない。

 ただ、それまでよりはるかに多くの情報を、俺はこの曲から聴き取ることができるようになっていた。


 いつの間にか俺は、ボーカルだけではなく、自然とギターの音を耳で追いかけるようになっていた。

 そうして意識して聴いてみると、この曲で演奏されているギターがいかに美しい音を奏でているか、いかに丁寧でセンスのいい演奏がされているかに気がついた。

 そしてそれは、当たり前の話だけど、とてもじゃないが俺には到底真似できない。

 これがプロの音、プロの演奏なんだ。


 どうすればこんなに綺麗な音が出せるのだろう、どうすればこれほど正確な演奏ができるようになるのだろう、どうすればここまでアンサンブルの中で埋もれずに活き活きとした印象を作り出せるのだろう……。

 俺はそんなことを考えることが増えていた。

 あるいはこれも、黒峰が言っていたとおりになっているということなのだろう。

 少なくとも、以前のように漫然と音楽を聞き流すだけのスタイルには、もう戻れそうになかった。


 そんなことを考えながら俺は【春擬き】を聴き続けた。

 その最後のサビが終わりに近づいた時に、ふっとスマホに影がかかった。

 顔を上げると、そこには黒峰が立っていた。


「ダイダイったら、また自分の世界に入っちゃってる。そんなんじゃ新入生が来ても気付けないじゃん」


 俺がヘッドフォンを外すのを見計らって、黒峰がそんな言葉をかけてくる。

 彼女はわずかに顔をしかめていたが、本気で非難したいというわけではないようだ。


「あぁ、悪い。あんまり暇だったもんでな」

「もぅ、しっかりしてよね。そんなダラけた姿、後輩に見せられないよ」


 そう言いながら、彼女は俺の隣に腰掛けた。

 初めて俺がこの部室に来た時と同じ席に。

 締め切られたカーテンの隙間から、紅い夕陽の光が差し込んでくる。

 窓の外に広がるグラウンドの周りには、今はもう桜が咲き乱れている。

 あの時と同じように見えても、少しずつ季節は巡っている。

 あれからもう、一ヶ月近く経ったのだ。

 変わらないものもあれば、変わるものもある。


「……ダイダイ、あの時私を励ましてくれて、ありがとね」


 ポツリ、と黒峰が呟く。

 俺は横目で黒峰を見やるが、彼女は視線を足元に落としていて、その表情までは正確に伺えない。


「あの時ダイダイがああ言ってくれなかったら、私たぶん、あんなにいつも通りプレイできなかった。……ううん、むしろいつもより全力でプレイできた。ダイダイのおかげだよ」


 そう言われて、俺はあの時黒峰にかけた言葉を思い出した。

 改めて考えると、相当クッサいセリフを口にしたような気がする……。

 俺はなんて言ったらいいのか分からず、ただ「あ、あぁ」とだけ相槌を打った。


「ねぇ、ダイダイ。私のこと好きって、ホント?」


 唐突に、黒峰はそんなことを訊いてきた。

 ドキリとして黒峰の方に向き直ると、彼女は顔をあげて、真剣な面持ちで俺を見つめていた。

 俺はとてもじゃないけど曖昧にお茶を濁すことができそうにないと悟り、小さくため息を吐いた。


「……あぁ。あの時は勢いでああ言っちまったけど、間違いなく俺の本心だ。黒峰、俺はお前が好きだ」


 意を決して俺がそう告白すると、彼女は「えへへっ」と言いながら目線を逸らした。

 心なしか彼女の頬が朱に染まっているように見えるのは、何も夕日のせいだけではないだろう。

 それに多分、俺も彼女以上に真っ赤になっている気がする。うぅ、頭がフットーしそうだよぉっっ。


「黒峰、お前は……俺のこと、どう思ってるんだ?」


 もうヤケクソといった心持ちで、俺は黒峰にそう問いかける。黒峰は再び俺に向き直り、口を開いた。


「うん、私は歳上がタイプだから」

「……はっ?」


 完全に想像の斜め上をいく黒峰の言葉に、俺は口を半開きにして間の抜けた声をあげた。


「やっぱり男の人は、頼り甲斐のある人のほうがいいと思うんだよね。だからやっぱりそれなら歳上の人がいいかなぁ。百歩譲っても同い歳までで、歳下はちょっとねぇ……」

「……は、はぁぁ!?」


 コイツ、今なんつった!?

 今まで散々俺にタメ口で話すことを要求してきといて、いざ告白したらいきなり歳下扱いかよっ!?

 マジで言ってんのかコイツ!?


「……だから、さ。さっきの言葉、今週末にもう一度聞かせてよ」


 混乱の渦中にある俺に、黒峰がそう言葉を続けた。

 ……今週末?


「えっと、つまりどういうことだ……?」

「もう、ニブいなぁ。最後まで言わせないでよ……。ダイダイ、確か次の土曜が誕生日でしょ?」


 その言葉を聞いて、俺は黒峰の言わんとしていることに気がついた。

 そうだ、次の土曜は四月十五日、つまり俺の誕生日だ。その日俺は十七歳になる。

 つまり、今の黒峰と同い歳になるわけだ。


「私もそれまでには、気持ちを整理してくるから……。だからダイダイ、もうちょっとだけ待っててね」


 それだけ言うと、黒峰はこちらに背中を向けてしまった。照れ隠しなのだろうけど、俺としても先ほどよりさらに赤くなった顔を見られないで済むことがありがたかった。


「……じゃあさ、黒峰。土曜日、どっか遊びに行くか」


 俺は必死の思いで黒峰にそう提案した。

 土曜日じゃ学校もないから、話をするにはどこかで会わなければならない。

 しかし女の子をデートに誘うなんて初めての経験なので、俺の心臓はこれ以上ないくらい激しく鼓動を刻んでいた。

 カオルちゃんのドラムより力強いんじゃないか、コレ。


「……御茶ノ水」


 黒峰は小さくそう呟く。

 俺は想定外の地名が出てきたことに困惑して、また「はっ?」と訊き返してしまった。


「だから、御茶ノ水がいいって言ったの! あそこは楽器屋がたくさんあるし、私もしばらく行けてなかったから! 新製品のチェックとかしたいの!」

「な、なるほど……」


 ぶっきらぼうに声を張り上げる黒峰に、俺は気圧されてしまった。

 まぁ確かに黒峰らしいっちゃらしいが、楽器屋巡りってのは初めてのデートとしてはどうなんだ……?

 いやまぁ、黒峰が行きたいんなら、別に異存はないんだけど。


「……んじゃ、土曜の一時に駅で待ち合わせでいいか?」

「……うん。楽しみにしてる」


 どうにか予定は取り付けたが、そこで会話が途切れてしまった。

 黒峰は相変わらず壁のほうを向いたままだ。

 うぅ、好きな女の子と一緒の時間を過ごすって、もっと甘い感じじゃないのか?

 すげぇ胃がキリキリするんだけど……。


 しかし、その沈黙はすぐに破られることになった。

 部室のドアがゆっくりと開く音が、静かに響いたからだ。


「あの……軽音楽部の部室って、ここで合ってますか?」


 俺と黒峰は驚きながらドアの方に向き直った。

 そこには赤いスリッパを履いた生徒がひとり立っていた。

 新入部員(候補)だ。

 それを見た黒峰は、勢いよく立ち上がって入り口に向けて歩きはじめた。


「えぇ、ここが軽音楽部です! ようこそ、新入生さん!」


 黒峰が高らかにそう声を上げる。

 どうやら廃部の危機は免れることができそうだ。

 そう思うと、俺は肩の荷が下りたように感じた。


 俺ももちろん、この部に入るつもりだ。

 ……もし今週末に黒峰にフラれたら、ちょっと考え直すかもしれないけれど。

 まぁ、それはその時にまた考えればいい。

 とりあえずはこの部がまだ活動を続けていけるだろうことを、素直に喜ぶとしよう。


 俺は膝の上に置きっぱなしになっていたヘッドフォンを片付けると、ゆっくりと立ち上がって黒峰の後に続いた。


 今週末のデートの計画を、頭の中で思い描きながら。



 〈了〉

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

ダイスケとアカネの物語は、これで一旦の終了です。

これを読んでくれたあなたが、少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

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