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第五章(4)

 ♫




 各部活の持ち時間は、約五分と決められている。

 始まってしまってからはノンストップ、一秒の時間も無駄にはできない。

 俺たちはステージ上に歩み出ると素早く演奏の準備を始めた。


 まず先陣を切って演奏を始めたのはカオルちゃんだ。

 ドラムセットの前に腰掛けると、すぐにエイトビートを叩き始める。

 少しでも無音の時間を減らすべく打ち合わせをしておいた手筈通りだ。

 カオルちゃんの力強いリズムを聞きながら、俺は手早くアンプにシールドを接続した。


 全校生徒が会場入りする前に、アンプはあらかじめパワースイッチを入れておいたから、既に真空管は十分に温まっている。

 俺は全てのツマミが絞りきられているのを確認してから、スタンバイスイッチを入れた。

 そしてイコライザとゲインをざっくりと上げて、ボリュームノブを捻り上げた。


 そのタイミングで、一足早くベースの音が耳に入ってきた。

 黒峰が手早く準備を終えて、演奏を始めたのだ。カオルちゃんのドラムに合わせて、アドリブでベースラインを奏で始める。

 モタモタしてはいられないと思いつつも、俺はしっかり四小節待ってから演奏に加わった。


 まず最初は軽いジャムから入ろう、黒峰は最後の練習の時にそう提案していた。

 前もってキーを決めて、アドリブで合わせるのだ。

 ただまぁ俺にはまだアドリブで演奏をキメられるほどの技術はないから、俺だけはほとんど事前にフレーズを用意していたのだが。


 俺はギターを弾きながら、チラリとステージ下を見やる。

 体育座りをする一年生の前で、長谷先輩がしゃがみながらこちらに指示を出してくれていた。

 長谷先輩の右手はパー、つまりギターの音量を上げろということだ。

 俺は長音を鳴らしてから振り返り、アンプのボリュームをさらに上げた。

 ついでにゲインも少しばかり調整する。

 改めて長谷先輩の方を見やると、無事に手がチョキに変わっていた。

 これで俺の準備は完了だ。

 程なくして彼女の左手もグーからチョキに変わる。

 これで楽器陣は整ったわけだ。


『皆さん、はじめまして! 私たちは東菊高校軽音楽部です!』


 ステージの中央に立つアンナが、マイクを握って話し始める。

 俺たちのジャムをBGMに簡単な挨拶を述べ、その流れでマイクボリュームのチェックをする算段だ。

 長谷先輩は視線をステージ脇の放送室に移して、両手を微妙に上げ下げしている。

 やがてその手で同じ高さを示すと、彼女はそそくさと退場していった。

 これで全員のバランスが取れたはずだ。

 あとは長谷先輩のセンスを信用するしかない。


『普段は特別棟三階の教室で練習しています。ちょっと分かりにくい場所にありますが、気軽に遊びに来てくださいね!』


 にこやかにアンナが説明を続ける。

 コイツ、普段もこれくらい愛想よくしてくれたらいいんだけどな……。

 そんなことを思いながらも、俺は演奏の手は止めなかった。


『それじゃ、時間もないんで早速始めようと思います。楽しんでいってください!』


 アンナの言葉を受けて、カオルちゃんがクラッシュシンバルを数回打ち鳴らす。

 それに合わせて俺と黒峰がキメのフレーズを奏で、演奏が一旦ストップした。


 そこでアンナと黒峰が視線を合わせる。

 両者ともに小さくうなずいた後、二人の歌声が重なって響き渡った。



『『ちーちぶーのーやーまーをー 背ーに受ーけーてー

  はーるかーなーとーきーをー とーもにー往ーこーう』』



 そう、黒峰がこのステージに選んだのは、東菊高校校歌だった。


 最初に聞いた時こそ面食らったが、なるほど確かにこの場には絶妙なチョイスだと言えた。

 一年生も少なくとも入学式で一度は必ず聴いて、不慣れながらも自ずから歌っているし、二年生以上の生徒なら言わずもがなだ。

 この場においてだけは、下手なヒットソングなんかよりはるかに知名度がある。



『『いーくどーとーめーぐーるー あーさゆーうーのー』』



 それをあえて第一番に限ってアカペラで歌うことを黒峰は提案した。

 二人の伸びやかな歌声が、静まり返った体育館に満ちていく。

 突然校歌を歌いだしたことに一年生は戸惑っているようだが、それも狙い通りだった。

 間違いなく、観客の意識をステージに集中させることに、俺たちは成功したわけだ。



『『陽ーを浴ーびーたーけーるー あーずまーぎーくー』』



 そして、一番が終わると同時に、俺はソロで演奏を始めた。

 この校歌に合わせて黒峰がアレンジしたギターリフを、渾身の思いを込めてかき鳴らす。

 そのリフは今まで教わったシンプルなテクニックの組合せでしかないが、黒峰のセンスのおかげで誰が聴いてもロックだと思えるくらい力強いフレーズに仕上がっていた。


 さらに数小節の後、俺の後を追うようにしてドラムとベースの音が加わる。

 パワフルなカオルちゃんのドラムと図太い黒峰のベースが俺のギターに混ざり合って、完璧なバンド・サウンドが完成した。

 体育館の後方、二・三年生の方から歓声が上がる。

 彼らはおそらくこの演奏をネタに騒ぎたいだけな気もするが、場を盛り上げてくれるのならばこちらとしても願ったりだ。


 間奏が終わると、アンナと黒峰は二番を歌い始めた。

 アカペラの時よりテンポアップしているのも相まって、穏やかなメロディラインとは裏腹にかなり快活でノリがいい。

 アンナは右へ左へステージ上を歩き回りながら、身振り手振りで観客を煽っている。

 それを見た一年生たちも次第に表情が柔らかくなり、小さく身体を動かしてリズムを取る者も出てきた。


 それを見た俺も負けじと、足を肩幅より大きく開いて、やや仰け反るような体勢を取って演奏をアピールした。

 さすがにボーカルほどの注目は集められないが、それでも生徒の一部が俺の方に視線を向けたのを感じた。

 俺は極力手元を見ないように注意しながら、観客の方をぐるりと見回した。

 今、俺は数百人という人数の前に立っている。

 そう考えると緊張と興奮で頭が真っ白になりそうだったが、それ以上に俺は今まで経験したことのないくらい激しい高揚感を味わっていた。

 たぶん今俺の脳内、爆発的にアドレナリンとか出てるわ。


 俺は視線を観客からステージ上のメンバーへと向けた。

 アンナは先ほどまでと同じように、観客へ向けてパフォーマンスを披露している。

 カオルちゃんはそれを後ろから見守りながら、堅実なリズムで演奏を続けている。

 そして黒峰は、唇が触れるんじゃないかというくらいマイクに近づきながら、アンナの歌声にコーラスを重ねている。

 その顔は、ライブ前のゴタゴタなんてなかったように思えるくらいプレイに集中できているように見えた。

 それを確認した俺は安堵して、再度自分の演奏に意識を向けた。


 やがて二番を歌い終わると、アンナはステージ中央に戻ってきた。


『皆さん、ありがとうございます! 最後の三番の前に、メンバーの紹介をしたいと思います! まずはドラムス、乗正房薫!』


 アンナの紹介を受けて、カオルちゃんが華麗なフィルを叩き始める。

 最初はゆっくりと、次第に手数を多く。

 タム回しの後にしっかりとグラヴィティブラストまで披露すると、客席からは再び歓声が上がった。

 今度は一年生たちも少なからず声を上げたようだ。


『続いてベース、黒峰茜!』


 そう促されて、今度は黒峰がソロを見せつける。

 右手の親指で叩くように、人差し指で引っ張って弾くようにしてスラップ奏法を披露すると、客席はまた湧いた。

 オクターブを中心とした簡単なスラップしかできないと彼女は言っていたが、それまでのベースラインとは一線を画す音色は十分にインパクトがある。

 つーか黒峰、本業はギターのくせになんでベースまでこんなに弾けるんだ……。

 彼女の性格を鑑みるに努力の賜物なのだろうけれど、一ヶ月ギターを弾いてきた俺は改めて彼女の技術に舌を巻いた。


『お次はギターを始めてわずか一ヶ月、大泉大介!』


 黒峰の演奏に魅入っていた俺は、アンナの言葉に慌ててソロパートに取り掛かった。

 とは言っても、俺にできることなんてたかが知れている。

 パワーコードにブリッジミュートを組み合わせて、最初の間奏で弾いたのと同じリフを弾くだけだ。

 しかしさすがにこれだけだと盛り上がりに欠けるのではと考えた俺は、前回のスタジオの後に追加でもうひとつ黒峰からテクニックを教わっていた。


 俺はピックの側面が弦に当たるように持ち替えると、左手は1フレットの上あたりでミュートした状態で、ピックを弦に押し当てた。

 そのままゆっくりとボディから左手の位置までピックを擦り上げると、ギュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンという激しい音がアンプから鳴り響いた。

 それを見た客席からは再度感嘆の声が上がる。

 よし、成功だ。


 ピックスクラッチ。

 ギターの魅せテクのひとつだ。

 とは言ってもやることは至極単純で、先ほどのようにピックを弦に擦り付けるだけだ。

 しかしそこから出る音は通常の奏法とは明らかに異なる響き方をするから、うまく使えば手軽に楽曲にアクセントを加え、オーディエンスを惹きつけることができる。

 こんな簡単なことで大丈夫なのかと内心不安ではあったが、黒峰の目論見は見事にうまくいったわけだ。

 俺は内心胸を撫で下ろした。


『そしてボーカルは私、安斎夏海です!』


 最後にアンナが自己紹介をすると、二年生が居る一角から野太い雄叫びがあがった。

 アンナは少し驚いたようだが、すぐにマイクを持つ手を高々とあげてそれに応えた。

 遠藤から話は聞いてたけど、アンナが男子に人気があるってマジだったんだな……。


『私たちの活動に興味が湧いたら、ぜひ部室に来てくださいね! 待ってます!』


 アンナのその言葉を合図に、俺たちは間奏に戻った。

 この八小節の間奏の後、三番を歌って演奏は終わる。

 このステージに立つ時間もあとわずかだ。


 そんな感慨にふけりながら視線を上げると、打ち合わせにない光景があった。

 黒峰が、演奏の手は止めないまま、こちらに歩み寄ってきていたのだ。


 俺は驚いて黒峰を見やる。

 彼女は満面の笑みを浮かべながら俺の方に近づいてきた。

 しかも彼女の手元を見ると、いつの間にか奏法を指弾きからピック弾きに変えている。

 それはもちろん、俺がプレゼントしたピックだ。

 彼女はボディに貼り付けていたそのピックを剥がし、演奏に用いていたのだ。


 俺も自分のシールドが届く限界まで、黒峰に近づいた。

 それほど長いシールドを使っているわけではないから、彼女との距離は二〜三メートルはある。

 しかしそれでも先ほどまでとは違い、はっきりと彼女の顔を見ることができた。


 黒峰は、本当に嬉しそうだった。

 ステージに立つ前の憂いが嘘のようだ。

 彼女は今きっと、いや間違いなく、心の底からこのライブを楽しめている。

 それが伝わってくると、俺の視界から急速に背景が消えていった。

 アンナもカオルちゃんも、数百人の生徒たちも、もはや俺の目には入らなかった。

 俺はこのステージの上で、黒峰とふたりきりでセッションをしているような感覚を覚えていた。


 俺は始めて部室で黒峰と演奏をした時のことを思い出していた。

 あの時はいきなりふたりで合わせようなんて無茶ぶりをされて相当に焦ったな。

 見よう見まねのブラッシングだけで何とかセッションの体裁だけは整ったが、あれは完全に彼女の技術におんぶにだっこの状態だった。


 でも、今は違う。


 今俺は、ひとりのギタリストとして、真正面から黒峰に向き合うことができている。


 黒峰と一緒に、ひとつの曲を作り上げることができている。


 それが、たまらなく嬉しかった。


「ちょっとダイスケ、あんたいつまでそうしてるのよっ!」


 耳元で、マイクを通さないアンナの声が響いた。

 アンナとしては俺と黒峰が向かい合ってるのが気に食わなかったのだろう。

 表情は笑っていたが、目がマジだ。

 アンナは俺を軽く押しやって、黒峰から距離を取らせようとした。


 その時、バスンッ! という大きな音と共に、俺のギターの音が消えた。


 唐突に鳴り響いた巨大なノイズに、俺は驚いて振り返る。

 黒峰に近づこうとしたことで限界まで張っていたシールドが、アンナに押されたことでアンプから抜けてしまったのだ。


 俺はこの想定外の出来事に一瞬フリーズしかけたが、遠のきそうになる意識を気合いで引き戻し、即座にアンプに駆け寄った。

 本来ならばスタンバイスイッチを一度オフにしてからシールドを挿さなければならないのだが、今はそんな悠長なことをやっている余裕はない。

 俺は床に落ちたシールドの先端を掴み上げると、迷うことなくアンプのジャックに突っ込んだ。

 再びヴォンッ! というデカいノイズが響いたが、それと同時にギターの音も復活した。

 これで大丈夫だ、まだ演奏を続けられる。


 しかし、そこまでやってから観客の方へ向き直ると、そこには明らかに戸惑いと困惑が広まっていた。

 このトラブルについて隣同士で話しているのか、会場にざわめきが広がっている。

 先ほどまでの熱は、完全に引いてしまっていた。


『……ッ! ごめんね、ちょっと失敗しちゃった! でも大丈夫、最後まで続けるよっ!』


 わずかばかりの間呆然としていたアンナだったが、すぐに気を取り直して観客にそう告げた。

 その声に二年の男子どもが再びむさくるしい声を上げたが、会場全体として見れば明らかに盛り上がりが失われてしまっていた。


 俺は黒峰とカオルちゃんに目線を向ける。

 ふたりとも少しばかり表情が硬いが、それでも力強く俺にうなずいてくれた。

 それを見た俺はタイミングを計り、アンサンブルの中に戻った。


 やっちまった、失敗した、全然周りが見えてなかった、どうして俺はいつもこうツメが甘いんだ、なんでこの大事な時に……そんな思いが濁流になって押し寄せてくるのを、俺は必死になって抑え込んだ。

 今はそんなことを考えている場合じゃない。

 ここで演奏を止めたら、さっきよりもっと酷いことになる。

 とにかく今は何がなんでもステージをこなさなければならない。


 そうしてなんとか持ち直した俺たちは、最後まで演奏しきることができた。

 演奏陣の音が止んだ後にアンナが『ありがとうございました!』と叫び、軽音楽部の出番は終わりを迎えた。




 しかし結局、一度引いた会場の熱が再び戻ることは、なかった。

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